- 15.11.1 Halloween
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Halloweenって何?
何でそんなに大騒ぎするの?
正直、私にはさっぱり理解できない。
誰かが仕掛けたはずだ。外国の文化を日本で盛り上げようと。
それにまんまと踊らされた。その結果が、近年の馬鹿騒ぎに繋がっているのだろう。
一緒に盛り上がれない私のような者には、とても奇異なものに映る。
何故、大人が仮装しなければならない?元来は、子どもの遊びだったのでしょ?
まあ、仮装しなくても化け物みたいな輩が増えたから、さほど驚きはしないが。
過渡期を目の当たりにし、戸惑っている人は少なくないのではなかろうか。
そう、(実際に体感した訳ではないが)数十年前にクリスマスが日本に定着するか否かの際に、多くの人が違和感を覚えたように。
結局、私は旧いタイプの人間なのだろう。
素直に楽しむことができない。なんじゃこりゃー!と先ず文句を言いたくなる。
楽しんでいる人たちを否定するつもりはない。人生の楽しみ方は、人それぞれだものね。
ただ、やっぱりね〜。
- 15.11.2 縁
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とある学校の先生方と会食。元校長先生にお目にかかるのは、1年ぶりだ。
場所は難波。指定された店の名は、聞いたことがあるようなないような。
もし、迷子になって遅れたら大変と、時間に余裕を持って出かけたが、実にあっさり見つかった。
それもそのはず、かつてお世話になった方によく連れてきていただいた店だった。
それにしても、早く着きすぎた。約束の時間までは、まだ1時間近くもある。
昨夜は結構冷えた。鼻水を垂らしながら店の前で待ったが、すぐに薄着で来たことを後悔した。
手持ち無沙汰で、ケータイでfacebookを覗いていたら、教え子の名前発見。
もちろん、即、お友達申請。まもなく承諾の通知が届いた。わーいわーい。
そう言えば、その子は今からお目にかかる先生方の学校の卒業生だった。
何か不思議な縁を感じる。
その数十分前にも、駅でいきなり「先生!」と声をかけられた。
久しぶりに会う子で、慥か今は高校3年生。前々回の同窓会以来だから、3年ぶりか。
その子も、同じ学校の生徒だ。
「今から、おまえさんの学校の先生に会うねんで!」と言うと、
「え〜!その先生なら、今日授業受けていましたよ」
「君の担任らしいやん」
「げ!ばれてる」って、私を誰だと思っているのだ。
教え子の情報は可能な限り手に入れようと努めている。そのために、各学校を回っているのだからね。
さて、会食は。
ふふふ。たくさんご馳走をいただきま酒た。マツタケさん。久し振り!1年のご無沙汰で酒たね。
お酒もとても美味しかったし、カッパちゃん幸せ。
先生方のお話も非常に面白く、大層盛り上がったが、さすがにその内容をここに書くわけにはいかない。
砕けすぎて、失礼がなかったかだけが心配だ。
次回もお呼びがかかればセーフとなるのだろうが、それは来年にならなければわからない。う〜ん。
- 15.11.3 スクールフェアー
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昨年に続き、今年もお邪魔しました、S学院のスクールフェアー。
教室からはさほど遠くないので、よほどの急ぎでなければ、私は大抵歩いて行く。時間にして15分程度だから、ちょっとした散歩の気分かな。
ただ、いくら近いとはいえ、1日に2往復したのは初めてだ。
先ずは、午前中に顔を出した。
さあ、今年は何人の生徒に会えるかな?
かつては、20人以上在籍していたこともあったが、今や数名。多くを望むには無理があるが、昨年は誰にも出会えなかっただけに、今年こそはと期待する。
いきなり、保護者とばったり。その方の案内してもらい、一人ゲット。少し背が高くなっていた。
実は、フランクフルトが大好きな私。ここに来れば必ず食べているし、母校の文化祭でも外したことはない。
今年も食べようとグラウンドに出ると、教え子(女生徒)2人と遭遇。美少女に会えるなんて、幸先がいいぞ。
校内をぶらついていると、またもや女生徒発見。
途中で退塾し、消息不明になっていた生徒とも会えた。そうか、ここに入学していたのか。良かった良かった。
OBとも出会えたぞ。先日痛飲した、そうあの警察官の彼だ。私も驚いたが、彼も大層驚いていた。
卒業以来来ていなかったらしく、新校舎(と言ってもかなり経つのだが)に感慨深げだった。
おっと、時間が迫ってきた。今日は6年生の合格判定テスト。一旦、教室に戻らなければならない。
お化け屋敷は断念せざるを得なかった。だって、すごい待ち時間だったんだもの。
学校グッズを何点か購入し、学校を後にした。
例年ならば、これでおしまいなのだが、今年は教え子がバンドで出演する。
昨日、保護者の方から教えていただいた。
こりゃ見ないわけにはいかんじゃろ。そういう訳で、再び出かけた。
スクールフェアーも終盤。人出も減り、展示が終わっているところもあり、祭りの終わりの寂しさが漂い始めていた。
ところが、ライブ会場の講堂は、まだまだ熱気に包まれていた。
私が到着したときには、ちょうど、一つ前のバンドが演奏中。
なかなか良いノリだ。若いっていいな〜。
さあ、いよいよ教え子の登場だ。
ただ、ステージが暗い。なぜ、スポットライトを使わないのか?
何枚か写真を撮ったが、暗闇に紛れてほとんど判別できなかった。
しかし、格好良くなっていたのには驚いた。
スリムな体型は相変わらずで、背だけがすっと高くなっていた。
元々かわいい顔をしていた子だったが、そこに少し陰が加わり、(室内が暗かったからじゃないぞ)、う〜ん、なんと言えば良いのかな?ニヒルな男前になっていたな。
演奏していた曲は私にはさっぱり理解不能だったが、まあ仕方あるまい。私が分かる曲を演奏していたらそれこそ謎だ。
さて、来年。この学校で今の生徒たちを何人見つけることができるだろうか。
彼らの望みを叶えるべく、残りの日々を精一杯がんばりたい。
- 15.11.4 憑きもの
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よく言うよね。「憑き物が落ちたみたいだ」と。
此処で言う「憑きもの」って、何なのだろう?
悪霊のことなのかな?
私は、少し違うような気がする。
「憑きもの」自体が悪か善かは別にして、追い詰められた人間が極限状態で示す異常な様と、その状況をクリアしたときとのギャップを、このように表しているのではないだろうか。
そう考えると「憑きもの」とは、けして偶然に憑いたのではなく、自らが生み出した結果?とさえ、思えてくる。
しかし、私から、まだ憑きものは落ちていない。
そもそも、私にとって「憑きもの」とは、一体何なのだ?
う〜ん。断言はできないが、それは「責任」ではなかろうか。
悪い意味で言っているのではない。ただ、その重さはいつも感じていた。
私は大袈裟ではなく、生徒一人一人に対して、その子たちの人生の大切な一場面を預かっている、と考えている。
だからこそ、私は真剣になるのだ。
どうでも良い人生なんてあるはずはない。どの子にとっても、その子の人生はその子が主役。脇役で終わる必要は全くない。
なのに、チャンスをわざわざ棄てている。自分次第でいくらでも輝ける未来を切り拓けるのに、いい加減なことを繰り返してね。
そんな人を眺めていると、悲しくなってくる。彼らの行動そのものに対してもだが、間違いを気付かせられない己の無力さに対しても、腹が立ってくる。
ただ、ふと「それって、気負いすぎなのでは?」と、思い始めた。
極論すれば、自分がこうあって欲しいと願う姿を他人に押しつけているだけで、相手のことを思っての行動ではなく、単なる自己満足ではないだろうか。
もっと、肩の力を抜いた方が、良い結果が得られることもあるはず。
例えば、今教えたことができていない生徒を責めるより、その子がまだ理解していない事実を認め、どうすれば良いかと考える。
ちゃんと説明を聞けば理解できるはずだと考えるのは、教える側の勝手な思い込みに過ぎない。
他の子が理解できたのだから、その子もできぬはずはないと、決めつけていただけなのだ。
教え方が悪いのかも知れないのに、相手に非を押しつけるなんて、なんたる傲慢。
分からないのなら仕方ないと諦めるのは、単に責任放棄に過ぎないが、分からないこともあるんだと認めた上で、無理をさせずに理解させる方法を考えていきたい。
実際、ある学年でそのような授業をしたら、とても楽だった。教えていて楽しかったし、生徒もよく分かってくれたように思う。
どうだろう。少し憑きものは落ちたかな?
- 15.11.5 教育ママ
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危なく遅刻するところだった。
出がけに見ていたテレビに、あの有名な?ママさん(息子3人を東大理Vに入学させた)が出ていたからだ。
最近、自身の体験を記した本を出し、マスコミにも取り上げられ、何かと話題の人だ。
実は、その方の長男と私の長男は同級生。クラブも一緒で仲良しなのだ。
その縁で、ハニーはその方とおつき合いがあるし、私も面識がある。
だから、批判めいたことは、あまり書きたくないのだが・・・。
ところが、放送を見ていると、
「あちゃ〜!言わんでも良いこと言ってはるわ。こりゃ、叩かれるのも無理はない」とも、思えてきた。
番組も悪い。わざと反感を買うように話を持って行っている。制作者側の悪意を感じた。
それにまんまと乗せられて、持論を得意げに吹聴するSさんもいけない(いや、彼女は全く自分の非に気が付いていないだろう)のだが、画面から伝わってくるこの異様なまでの違和感は、一体何が原因なのだろう。
彼女の言っていることは間違っていない。慥かに、理V3人はスゴイ(お嬢さんも入学したら4人になる)。誰にも真似はできない偉業だ。
そして、そこに彼女の力があったことも否定しない。
ただ、その事がスゴいやらエライやらと評価されるのは、ごくごく一部の世界に限られるのだ。万人に共通する価値観ではない。
彼女の掲げる教育方針(方法)とて、彼女の家庭では大正解だっただろう。しかし、絶対無二ではないはずだ。
人には人それぞれのスタイルがある。自分が正しいと思っていても、他人にすればとんでもないといったケースは、いくらでもある。
成功した秘訣を自慢するのは構わない。ただ、自分の考えと違う全てを否定すれば、反感を買うのは当然だろう。
我が子が大好きなことは大いに結構。(私も負けてはいない)
自慢したくなる気持ちも、よく分かる。
けど、それで終わりにしておけば良かったのだ。わざわざマスコミにまで登場する必要はなかったのではないだろうか。
まあ、これも彼女の価値観。価値観は人それぞれだから、正しいとか間違っているとか、白黒をつけるつもりはない。
けど、人の良いおばちゃん(と言えば、大変失礼だが、私にはそう思えた)だった彼女が、マスコミに利用され、誤解された上に、これ以上誹謗中傷されるようなことが起きないことを願いたい。
- 15.11.6 教育
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今更?と言った話が続くが、お許しを!
(お許しが出たと言うことで)改めて、感じたことを正直に書いてみたい。
それは、「教育は誰のために行うのか」と、いうことだ。
「もちろん、生徒のために」だ。これが、即答できないようならば、教える資格はない。
ところが、そう答えた人の中で、果たして何人の人が本当に相手のことを真剣に考えて行動できているだろうか。
自己満足のために、または単に仕事と割り切っている人も結構いるのではなかろうか。(最低だけどね)
ただ、頭では相手のためと分かっていても、実際の行動は自分中心になりがちなもの。私とて例外ではない。
相手の立場に立って考え、その子のために動く。しかも、それはその場限りでは意味がない。
絶えず考え、行動し続けてこそ、初めて効果が生じるものなのだから。
となると、なかなかできるものではない。
本日訪れた、とある学校の説明会。
その学校は、少数精鋭、親身な教育を標榜しており、私の考えにかなり近い。
もちろん、規模はHOPESより大きいが、学校としてはかなりコンパクトだ。
先生方とは、心やすくおつき合いをさせていただいているが、おつき合いだなんてとんでもない。私は教わることばかりだ。
今回もお話を伺いながら、改めて感心させられた。
現場で実際に行われていたのは、生徒一人一人に寄り添った教育。
教員たちは生徒のことを実によく考えている。だから、生徒も先生を絶対的に信頼している。
これだ!これこそ、私が実践したかったスタイルそのものじゃないか。
素晴らしい!と、感嘆するとともに、我が身を振り返り、恥ずかしく感じた。
学力を伸ばすのに絶対必要なのは、生徒、教師、保護者の間の信頼関係。
この信頼関係が成り立っていなければ、どんなに素晴らしい授業をしようが、効果はない。
私は、この事を絶えず口にしている。もちろん、その実現に向けて努力もしているつもりだ。
しかし、完全に遂行できているかと問われれば、口ごもるしかない。実際、至らない点だらけだ。
情けない。まだまだ私は足りない。
心を入れ替えねば。私に残されている時間はそう多くないのだから。
- 15.11.7 夜長
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「秋の夜長」。よく耳にする言葉だが、どうしてそう言うのだろう。
日が暮れるのが早くなり、昼が短くなったから、夜長なのか?
それとも、暑い夏が過ぎ、過ごしやすくなり、ついつい夜更かしするから、夜長と言うのだろうか?
実際、その由来には諸説あるようで、ネットで調べると、万葉集の時代に遡るとまであった。
しかし、私はその夜長を全く楽しんでいない。
慥かに、就寝時刻は少し遅くなった。
何をしているのかって?どうせ、呑んでいるのでしょ!って、かい?
とんとんとんとんとんでもな〜い。近頃は、呑んだら大抵すぐに眠ってしまう。
起きている時は、(今もそうだが)仕事をしていることが多い。やることが多いのではなく、単にグズグズしているからだろう。
PC環境の変化からか、事務所で作業が捗らないのも一因だが、家に持ち帰ってもなかなか終わらない。
特に、最近は寝不足だ。午前中から用事が入っていることが多く、ゆっくり寝ていられないからだ。
しかも、必ず途中で目が覚める。平均5時間も寝ていないのではないだろうか。(え?別に少ないことはない?はい、ごもっとも)
いかん。のんびりとこんな日記を書いている場合じゃなかった。
さっさと、片づけて、少しでも睡眠時間を確保しなければ・・・。
と言うことで、ほなサイナラ。
- 15.11.8 信頼
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信頼=信じて頼む
良い言葉だな〜と、つくづく思う。
「何を今さら当たり前のことを?」シリーズ(既に第何弾かは忘れたが)は、まだ続くのじゃ。
保護者からのメール。
「お会いして、ご相談したいことがあります」とあった。
悲しいかな、保護者から「お話しいたしたいことが・・・」と聞くだけで、いきなり身構えてしまう私。
本当に情けないとは思うが、過去に良い話より悪い話の方が圧倒的に多かったからだ。
相談ならまだ良い。けど、一方的に決定事項を伝えられるのは、苦痛の他の何ものでもない。
だからと言って、疑心暗鬼になっていても仕方ない。お話を伺い、解決を図らないことには、何一つ解決はしないのだから。
さて、今回のお話とは?
今日、お目にかかってお話を伺った。
今回のお相手には、(勝手な思い込みに過ぎないのだろうが)私なりには精一杯のことをさせていただいてきたつもりだ。
もちろん、過去の例でも同じ。けど「なのに何故?」というケースが余りに多すぎた。だから、却って不安になるのだ。
お話を伺って、自分の足りなさを痛感した。
私なりには、目標に向けて万全の計画を立て、誠実に実行してきたつもりでいたが、保護者には、それが不安に思えたようだ。
理由は明白。私が、逐次報告を怠っていたからだ。
幸い、その方との誤解は解けたが、信頼関係の構築の難しさを改めて感じた。
保護者の意向を十分に理解していても、私は「大丈夫です。お任せ下さい」とは、まず言わない。(言えない)
何故なら、入試に絶対はないからだ。
過程において不備はなくとも、結果が意にそぐわなければ、保護者には納得してもらえない。このことは、嫌ほど経験してきた。
いや、むしろ、結果を出しても、それに至る道が険しすぎた、と言われたことの方が多かったかも知れない。
口先だけで理解を求めるより、結果で示そう、と考え、行動してきたことが、裏目に出たのだ。
「経験から学び、改めなければ、進歩はない」と、生徒達にはいつも偉そうに言っているくせに、同じ間違えを繰り返していた私。
「自らを改められなかった私は、お馬鹿さん。反省!」と書きかけたが、おっと危ない危ない。
「ちょい待ち!反省?反省なんかせーへんで!」と開き直る私もいた。
敢えて言わせてもらおう。
私は、途中段階で気休めを言うつもりはない。今までもそうだったし、これからも変わらないだろう。
『子どもの世界では、結果より過程が大切。精一杯頑張ったことは、けして無駄にはならない。しかし、大人の世界では、結果が全て』
相反する命題のようにも思えるが、これは(私の中では)ともに真実。
では、そのことを子ども達に理解させるには、どうすれば良いのか?
難しいテーマだと思う。(え?それほどでもない?)私が辿り着いた結論は、(本人が)とことんやり抜くしか方法はない、ということ。
『納得いくまでがんばれば、悔いは残らないはず』
単純だけど、これは、大人の世界にも通用することなのかも知れない。
ありゃりゃ、話が随分と逸れてしまった。
私がここで言いたかったのは、子ども相手の話ではなく、保護者との関係だった。
こりゃ、難しい。正直に申せば、未だ答えは見つかっていない。
誠実が一番だとは思うのだが、饒舌=軽薄、寡黙=誠実といった単純な図式は成り立たない。
むしろ、饒舌=親切、寡黙=不誠実と、とられがちなのだから。
となりゃ、ケースバイケースで対応していくより仕方はないのだろう。
ただ、今回分かったことが一つ。
頼られるのは悪くない。私の心に、灯がともったのは慥かだ。
しかし、頼られるのは、あくまでも信頼関係の最初の一歩に過ぎない。
相手の想いに応えてこそ、信じてもらえる。そこで初めて、信頼関係が成り立つ。
このことは、絶対に忘れてはならない。肝に銘じておきたい。
- 15.11.9 充電
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目覚ましをセットした時刻は8:00。
本音を言えば、寝不足を解消したかったのだが、オフの日くらいしか病院に行けない。
分かっていても、アラームが鳴った時は、正直、人生を呪いたくなった。
(当然とばかり)二度寝を決め込んだが、結局、目覚めたのは10:00だった。
シャワーを浴び、予定通り、病院へ。
いや〜!驚いた!!誰もいない。なんと、待合室には誰もいなかったのだ。
2時間以上の待ちを覚悟していただけに、思わず「何かあったんで酒か?」と受付嬢?(=おばば)に尋ねた。
「朝、雨が酷かったからでしょ。こんなの(私も)初めてですよ」との返事。(多分ウソだろう)
まあ、ラッキーと喜んでおこう。
実は、何度も訪れている場所にも関わらず、今回も病院まで散々迷った。(ホント、自分の方向音痴には辟易してしまう)
受付時間に間に合うかと駆け込んだだけに、この状況は拍子抜けだった。
次は、病院の近くの酒屋さんへ。
あいにく大将は不在で、頼りない女店員しかいなかった。
それでも、何やかやと言いながらも、お届け物の品=(先日のお礼)はゲット。
学校にはアポなしで伺ったが、先生にお目にかかることもでき、ホッと一安心。
などと、一日の記録を書き連ねていても無意味だし、読んでいる方にしても、面白くはないだろう。
今日一日。つまらないこともあったし、騙されたと憤ったこともあった。
けど、私は思うのだ。こんな毎日が『生活』なのかも知れないと。
良いことばかり続くはずはない。ラッキーもあれば、アンラッキーもある。すべて予想外な出来事ばかりだ。
そんな毎日の中で、大好きな人と共に過ごせただけでも、最高に幸せではないか。
悟ったようなことを言うつもりはない。
いろいろあった一日だったが、私なりには、しっかり充電できたと思う。
おかげで、明日からまたがんばれそうだ。
ハニーありがとうね。 - 15.11.10 忘れ物
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出がけには、いつもハニーが聞いてくれる。
「忘れ物はない?」
私の返事はいつも決まっている。
「ない!」
その数秒後に戻って来ることも多いのだが・・・。
今日も同じやりとりがあった。
ハンカチはある。定期も財布も持った。鍵もあるし、マスクもOK。弁当も入れたし、携帯も携帯した。
これらは、かつて忘れたことのある物ばかりなのだ。
よし、大丈夫だ。
ところが、授業を始めてしばらくすると、違和感が・・・。
う〜ん。何かが足りない。
何だろう?そう言えば、少し寒いな。
あ!そうだ。ベストを着ていなかった。
帰りが寒いからと、先週からベストを着用していたのだが、少し蒸し暑い日が続いたせいか、こってりしていた。
お馬鹿で酒ね〜。これで、風邪でも引いたら情けなすぎる。
あ、馬鹿は風邪ひかんか。
- 15.11.11 旧友再会
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いやぁ驚いた。
授業が終わり、珍しく質問の生徒もいないから、さあ帰るべと、外に出たら・・・。
一台の車から視線を感じた。明らかに私を見ている。
保護者ではない。(∵保護者の数は既にカウント済み。全員、いらっしゃった)
「誰?」と不審に思う間もなく、いきなりウィンドウが下がり、
「お久しぶりです」と声をかけられた。
事態が飲み込めず、戸惑う私。
ドアが開き、その人は「Kです」名乗りながら、車から降りて来られた。
驚きと共にホッとした。ホンマ、拉致されるのかと思ったで。
うわー!(本当に)Kさんだ!
「何年ぶり?え?もう10年?」
この方には、以前お世話になった。いや、お世話になったどころの話ではない。
塾開設以来10年以上も、無理をお願いし、理科を担当していただいた、大恩あるお方なのだ。
長男もこの方に教えていただいた。長男だけではない。この方がいらっしゃらなければ、卒業生の現在はなかったかも知れぬ。
お忙しくなられ、いつの間にか疎遠になってしまったが、私は片時も忘れたことがなかった。
そのお方が、今、目の前にいらっしゃるのだ。言葉を失うのも無理はなかろう。
「え〜!じゃ、どっかに呑みに?」と言いかけて、己の馬鹿さに気が付いた。
たった今、車から降りてきた方が、何故呑める?
「(仕方がない)喫茶店にでも」とお誘いしたが、果たして開いている喫茶店はあるのか?
取り敢えず、近所の珈琲館まで。良かった。まだ営業中だ。
しかし、店員達の私達を見る視線が怪しい。
「こんな時間に何しに来やがった?!おいこら、オッサンども」と、言葉には出さねども、気持ちはビンビンに伝わってくる。
「あ、まだいける?え?22:00まで?(現在21:40。う〜ん)じゃ、悪いけどお願い」
まとわりつく視線は軽くスルーで、ずかずかと入り込む。これぞ、オッサンの特技だ。
「何からお話しすれば良いのだろうか?やっぱ、お世話になった御礼からかな?」などと、悩んでいる時間はなかった。
幸いと言っては何だが、この方は私の不躾を笑って許して下さるだけの度量がある。(甘えてばかりでごめんなさい)
思いつくままに色々とお話しさせていただいたが、いくら何でも10年の時間を20分で埋めるのは、流石に無理だ。
店員の視線も気になるが、そこで、呑ちゃん。良いことを思いついた!
「兄ちゃん。悪いな。写真撮ってくれへんか?」
もちろん、嫌とは言わせないオーラ(びんびん)で迫る。
残念ながら、私とツーショット写真をここで公開することはできないが、当時の生徒ならお分かりだろう。もし、ご希望ならば連絡下され。
再会を約束し、お別れした。
さて、実現はいつになるのだろう。今から楽しみだ。
おっと、K様。せめて、私が生きているうちにお願い致しま酒よ!
- 15.11.12 ニム
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恥ずかしながら、「ニム和」という言葉を知らなかった。
「三山崩し」というゲームがある。
二人で行うゲームで、いくつかの山にいくつかの石があり、プレーヤーは交互に石を取っていく。
このとき同時に取れるのは同じ山の石のみで、1回に1個以上最大何個でも取れる。
最後の石を取った方が勝ち。
というのが代表的かな。これを「ニム」と呼ぶそうだ。
算数でも取り上げられることがあり、中学入試においても出題されている。
実は、最初に置かれた個数だけで、先手が勝つか後手が勝つかが決まる。
簡単に見抜く方法があるのだが、私はこれまで全ての場合を一々考えていた。
格好悪いと言うより、算数の先生としては情けない限りなのだが、その仕組みをやっと理解できた。
そう言えば、その昔、TORAさんにHOPESにお越し頂いて、授業をしてもらったことがある。
もう6年も前になるのか。その時の授業のテーマが、この三山崩しだった。
その時にちゃんとTORAさんの説明を聞いていれば良かったのだが、私はヒデー王子さんと後ろでお喋りをしていたのだ。今更ながらに、反省。
ところで、TORAさんはお元気なのだろうか?1年以上会っていないぞ!
それにしても、知らないことが多すぎる。数学の世界の特殊な理論に限らず、算数においてもだ。
まだまだ勉強が足りない。これまた、大いに反省。
- 15.11.13 ヒント
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授業のことはあまり書きたくはないのだが、今日の出来事(生徒の一言)が面白かったので、書かせてもらおう。
今日の4年生の授業は「合同」だった。
このテーマは、入試に出るからとか出ないからとか(もちろん頻出ではあるが)と言うよりも、
「図形に興味を持てるか?それとも嫌悪感を抱くか?」の分岐点にもなりかねないほど、重大なのだ。
案の定、生徒達は苦戦していた。
無理もない。
私は授業で公式は一切教えない。(理解していない公式を使うほど危険なことはないからね)
教材にしても、「はい、これはこの公式を使えば解けますよ。当てはめてみましょう!できましたよね?もう、大丈夫で酒よね」と言ったレベルの低い物ではない。
どうしてこうなるのか?が分からなければ、次に進めない(ある意味では意地悪な、けど、私からすれば親切な)設定になっている。
まして、今回の教材は、中学校で扱う幾何の証明。スイスイ行くはずがない。
もちろん、厳密な表現までは求めておらず、穴埋め形式にして、最初は真似で答えられるようにしてあるので、要は論理の道筋が見えているかどうかなのだ。
ところで、幾何の醍醐味は何処にあるのか。
それは、一見「そんなアホな?成り立つはずないやん」と思えるような事柄が、補助線を一本引くことで見事に説明されるところではないだろうか。
まあ、この補助線が見つけられるかどうかは、図形の問題は全般に共通することで、センスだけではなく経験も必要とされるのだが。
生徒達がうんうん唸っていたので、「じゃ、ヒント!」と補助線を示した。
みんなの表情が、ぱぁっと明るくなった。
「あ!分かった!」とても、嬉しそうだ。この瞬間は、私も嬉しい。
ところが一人、文句を言った者がいた。
「なんで、もっと早く教えてくれへんねん!」とね。
真顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。
けど、それっておかしいやろ。自分の考えが間違っているのに、何故気が付かぬ。
答えを知って賢くなるのではない。考えている時間に脳は鍛えられるのだ。
まあ、今時の子ども達に共通する傾向ではあるが、楽ばかりを求めるんじゃない!もっと苦しめ。
そして、苦しんだ後の喜びを体感するのじゃ。
と、偉そうに言ったところで、理解はされぬだろうから、他の例で諭そうとしたが、今度は
「それは価値観の相違です」とぬかしやがった。
あかん。ホンマにめまいがしてきた。一から鍛え直さねば・・・。
- 15.11.14 ウズウズ
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人それぞれに、ストレス解消法はあるだろう。
子どもならいざ知らず、大人ならいくつかの方法を持っているはずだ。
さて、私の場合は。
そもそもストレスと言うほどの大きなものを抱えているわけではないが、悩みはいっぱいある。
具体的な問題がなくても、「何かつまらんな〜」と思うことはしばしばだ。
大抵は酒で紛らわしているが、呑めない時もある。
無性に口が寂しくなり、手当たり次第食べ散らかすこともある。
きっと、満たされぬ気持ちを食欲で誤魔化そうとしているのだろう。
しかし、直後に違和感(胃もたれ・胃痛・ときには、吐き気まで)を覚え、苦しむのが常だ。
所詮は代償行為なのだから、根本的な解決にはならない。一時の気休めにしかならないのも分かっている。
結局は、現実逃避なのだ。そして、必ず後悔することになる。
困ったことに、私にはもう一つとんでもない悪癖がある。
衝動買いだ。
しかも、大して必要でないものを買ってしまう。
限定品とか、今だけ○○とか、○○%オフという言葉に、極端に弱い。
現金でしか買い物をしなかった頃は、自制が効いた。
「今は欲しいと思っているが、本当にそれが欲しいのか?よし、一晩考えて、それでも気持ちが変わらなければ買おう」とね。
しかし、今はカードがある。現金がなくても、まあいいか?と思ってしまう。
さらに、わざわざ買いに行かなくても、ネットでポチッとボタンを押せば、大抵の物はすぐに手に入る。
後で困るのは分かっているのに、止められない。
これって、もう病気かな。
ネットの買い物かごは、そんな不要な物で溢れかえっている。
最近(昨日だが)、新しくリストに加わったのは「クレヨンしんちゃん全50巻」。
あ〜!馬鹿!馬鹿!馬鹿!
そうだ!一度買い物かごの中身を全て削除しよう!目の前から消えたら、欲も消えるだろう。
うん。名案だ。早速実行じゃ。
よーし、大分、減ったぞ。(やっぱりお馬鹿)
あほくさ、もう、寝よ。明日も早いしね。げ、もうこんな時間(25:30)だ!
- 15.11.15 暖
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少し寒くなってきた。そりゃ、11月も半ばになると流石にね。
特に、朝目覚めたときなどは、身震いする事が多くなった。
けれど、私は大丈夫。
だって、今日から私はヒートテックなんだもーん。(ハニー!ありがとうね)
因みに昨日までは、エアリズム。(このギャップには、我が事ながら驚いてしまう)
ところで、着心地だが・・・。
あまり違いがない。いや正直、違いが分からない。
仕組みも専門家でない私には分からないが、結局、似たようなもんなのかな〜?と、思ってしまう。
と、ここまでは体感温度の話。
本当に言いたいのは、ここから。(回りくどくて、ごめんやっしゃ〜!)
こんな事を書くと、また「ジジ臭い奴め」と言われそうだが、「暖かさ=幸せ」なのだ。
もちろん、気温のことではない。
「体の暖かさは一時のものだが、心の暖かさは長続きする」と、私は思う。
心が暖かくなるのは、他人の心(=優しさ)に触れたとき。
気持ちを暖かくしてくれるのは、人の心しかないのだ。
辛いとき、逆境にあるときは、その温かさが、よけいに心に沁みる。
いくら言葉は丁寧で、腰の低い態度であろうとも、心の冷たい人はたくさん居るし、たくさん知っている。
しかし、たとえ無愛想でも、言葉足らずでも、心が温かい、本当に優しい人が居ることも慥かだ。
利害が絡まずとも、相手の立場を考えられる人。即、行動を起こせる人。それこそが温かい人なのだ。
私もそうなりたいと思うが、まだまだ修行が足りない。
て言うか、無理?!
- 15.11.16 正暦寺
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ナビの馬鹿!どうしてこんな細い道ばかり指定するの!
さて、この正暦寺。全く知らなかったが、日本酒発祥の地だそうだ。
紅葉観賞2015第一弾!(相変わらず大袈裟やな〜!)
初めは、神戸森林公園に行くつもりだった。
ところが、知人(=小学校の同級生)の情報によると、まだ色づき始めた程度らしい。
「昨日行ったけど、お薦めは月末かな」と教えてくれた。
素直な呑ちゃん。急遽、予定変更。
紅葉なら京都でしょ!けど、京都にはハニーが近々行くのでパス。
奈良ならどこかな〜?と探していると、正暦寺が見頃とあった。
よし、決定だ。此処なら近いし、地図を持たなくてもナビが案内してくれるだろう。と、出かけたのだが・・・。
ナビを信じて、今までも痛い目に遭ったことは数知れず。しかし、今回はナビに頼るしかない。
対向車が来たらどうすんの?という道ばかりを走らされた。
幸い、対向車は数台だけだったので、ゆっくりドライブを楽しむことができたのだが。
むふふ。何となく、カッパちゃん嬉しくなってきたよ。
しかし、肝腎の紅葉は・・・。
う〜ん。今一つだったかな。
もちろん景色は美しいのだが、残念ながら、紅より緑の比率の方が高い。まだ見頃ではなかったかも。
ただ、お寺自体はこぢんまりとして良い感じ。人も平日だからか、さほど多くはなかった。
写真は、お寺の室内から庭を眺めたもの。
柱が写って興ざめや!とお思いの方もおられるだろう。
しかし、意外や意外、柱がフレームの役をするのか、こちらの方が見栄えがした。
それでも、如何せん素人写真の哀しさよ。
割とたくさんシャッターを切ったのだが、どれもピントが甘い。
ハニーを撮った写真も同じ。折角のかわいこちゃんがボケていた。
ハニーは「記録より記憶に残れば良いんじゃない」と慰めてくれたが。
正暦寺を後にし、近所にある弘仁寺にも寄ってみた。
結構迷った挙げ句、やっと辿り着いたかと思えば、私達を待っていたのは、やたら無愛想な住職。
何でいきなり文句言われなあかんねん?と切れそうになったが、ハニーが、私と住職のやりとりを面白そうに笑っていたので、私も堪えることができた。
この寺には算額があった。既に読み取ることもできないような状態だったが、初めて目にする算額にちょっぴり感動。
帰り道は、ナビも広い道を示してくれた。
何となく不満が残る紅葉観賞ではあった。今年中に時間があれば、もう一度(今度こそは神戸に)出かけたいと思う。
それでも、美味しいお鍋と、土産に買った菩提もとの日本酒ですっかりご機嫌になったカッパちゃんで酒た。
うん。このお酒、割と美味しいよ!
蛇足ながら、ウィキペディアには、このように菩提元の説明があった。
どうぞご覧あれ。
- 15.11.17 車内風景
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電車の中には実に様々な人がいる。
時間帯によっても違うが、面白い光景を目にするのは、圧倒的に帰りの電車の方が多い。
ぶつぶつ言いながら十字懸垂を始めるおじさん。はい、大変迷惑で酒。座席の人はひたすら目を合わさぬようにしていた。
穿いていた靴下を脱ぎ、いきなり口の中に入れたおじさん。周りの人は一斉に席を立ち、とても広い空間ができた。
本を読みながら、涙を流している人もいる。(あ、こりゃ私か)
今宵は、久し振りの終電(1本前)に乗った。仕事で遅くなったのよ。もちろんシラフで酒。
幸い車内は空いていたのだが、酔客だらけだ。
私の隣は、屈強そうな青年。大音量で音楽を聴きながら眠りこけていた。
もたれかかられ、体を押し戻すのにやたらと力が要った。
斜め前の席には、横になっている若い女性。男性ならよく見かける光景だが、女性では初めて見た。
やはり酔っておられたのだろう。しばらくして座り直してたかと思えば、今度は体の向きを変え、再び横になった。
スマホを眺めながらなので、自宅の部屋に居るのと錯覚していたのかも知れない。
私も酔って寝過ごすことは多いから、偉そうには言えないが、無事に帰宅できれば良いと思う。
まあ、いろいろな人が居るもんだ。
極力、車内では大人しくしていたいと思う。
無事が何よりだもんね。
- 15.11.18 ナイスキャラ
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知らなんだ〜!こんな、オモロイ奴やったんかいな?!
帰宅後、偶々つけたTVで、一見私の嫌いなタイプ(イケメンを気取った中途半端な若者)の男が喋っていた。
すぐ、チャンネルを変えようかと思ったが、「あれ?こいつ、どっかで見たことあるで!」と、その手を止めた。
それもそのはず、その人はメジャーリーグで活躍している川崎宗則選手だった。
彼を見るのは、スポーツニュースの中だけ。
プレイ中は当然、ユニフォーム姿でキャップも被っている。試合後のヒーローインタビューもあまり聞いた覚えはない。
となれば、私服姿はもちろんのこと、彼のクローズアップを見たのはおそらく初めてのはず。
その番組では、現在行われている「プレミアム12」の解説で呼ばれていたのだろう。
けれど、はっきり言って、彼は解説者の器じゃない。
何故なら、自分のことしか言わない。客観的に物事を判断することのできない典型的なタイプかも?
けど、それが面白いのだ。
悪意で突っ込めばキリがないが、おそらく、本人はわざとらしい演出は全く意識していないのだろう。
全ての発言が「あはは?こいつ、アホやで〜!」と笑って済ませられる(=好意的に受け止められる)レベルなのだ。
う〜ん。やっぱり、これが人柄なのだろう。
メジャーでも「ニンジャ」と呼ばれ、人気者らしい。
明るさ+アホさで言えば、かの修造氏と肩を並べられるかも知れない。(明るい天然!!って、評価が高すぎる?)
おかげで、ふさぎ込んでいた気分が一気に晴れた。その意味では、恩人じゃ!
選手としての活躍はまだまだこれからだろうが、私はそれよりも、引退後の彼(おそらくタレントになっているはず)の発言を楽しみにしたい。
一切情報もなく、もちろん面識がある訳でもないお方のことを、好き勝手に書かせてもらった。
もしもファンの方が覗かれておられたら、不快に思われるだろう。ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ〜!
けど!おおきに!ニンジャさん
- 15.11.19 セミナー
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印刷機の展示会に出かけた。新しい機械が必要なわけではない。先日お世話になったお返しに、出席を約束したのだ。
お土産をゲットして、早々に会場を後にした。
新機種をちょっと見せてもらったが、驚いたね。簡単な冊子なら製本(ホッチキス止めも)まで一気にしてくれる。こりゃ便利だ。
25年間ずっと、印刷したものを1枚1枚折って、配布できる状態に組み直してきたが、プリント折りは結構手間のかかる作業。けど、これなら人手は不要だ。
まあ、最近は大量に印刷することなど滅多にないから、必要ないけどね。
今回の展示会には、セミナーがセットになっていた。
テーマは2つあったが、私が参加したのは「マイナンバー制度実務編」。
マイナンバーの取り扱いについて、経営者としての注意すべき点などを説明してもらった。
知らないことばかりで、驚きの連続。目から何枚鱗が落ちたことか。
しかし、いかんせん。私には難しすぎた。
時間もなかったので、途中で退席させてもらったが、最後まで聞いてもきっと同じだったと思う。
え?はなからお土産狙いだったんでしょ!てかい?
やっぱりわかる?参加したら、オリジナルカレンダーを作ってもらえるのよね。
もちろん、今回も写真は息子達のツーショット!グリコじゃないぞ!
このグリコは、参加賞。結構いろいろ入っており、ちょっぴり嬉しくなったカッパちゃんで酒た。
(後日 記)しかし、ビスコの余りの小型化には驚くとともに、悲しくなった。
- 15.11.20 結果論
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私の嫌いな言葉?たくさんあるよ〜。
数え上げだしたら、キリがない。
「無脳、低脳、役立たず」
え?それは言葉が嫌いなのではなく、そんな奴が嫌いなんでしょ!てかい?
はい、ごもっとも。いや、よそう。呪詛の言葉を連ねても、益はない。
やっぱり、一番嫌いなのは「結果論」かな?
「終わりよければ全て良し」と言う言葉がある。
慣用句なのか?それとも、ことわざ?まさか、格言ではないだろう。
起源は知らねども、私の考えと真反対であることは慥かだ。
結果さえ良ければ、途中はどうでも良いのか?
私も、人に偉そうに言えるほどご立派な生き方をしてきたわけではない。
けれど、自戒の意味も込めて、折に触れ、生徒達には伝えてきたつもりだ。
努力もせずに、結果を求めるな。
何とかなるさ、とうそぶくのも良いが、何もしなければ何も起こらないのだ。と。
果たして、何人に私の想いが届いたろうか?
そもそも、結果論は正しいのか。
究極の結果論は、「人は必ず死ぬのだから」だろう。
極端な例ではあるが、その考えによると、
「人は必ず死ぬ。どうせ死ぬなら、その途中段階はどうでも良い」となり、突き詰めれば、「生きていても仕方ない。人生は無意味だ」となってしまう。
そんなのおかしいよね。
故に、結果論は間違い!と決定!ダメかな?
- 15.11.21 記念品
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先日のセミナー出席の記念品は、グリコだけではなかった。実は、もう一つあったのじゃ。
早速、事務所で使おうとしたが、生憎、電池がなかった(単4なんて珍しいよね)ので、家に持ち帰った。
「セミナーが終わったら来て下さいね」と言われていたが、途中退席でも構わないだろうか?
不安はあったが、まさか、ダメじゃ!とは言われまい。厚かましくも顔を出すと、あるコーナーに案内された。
ずらりと並んだ記念品の数々。スマホ充電器、多色ボールペン、マウス・・・。といろいろある。
「(え?全部もらえるの?)」一瞬顔を輝かせたが、世の中そんなに甘くはない。
「どうぞ、お一つ選んで下さい」と言われた。
そこで、卑しい私は迷うのだ。しばし逡巡の後、選ばせてもらったのは卓上時計。
タダの時計じゃないぞ。置き方によって、カレンダーにもなるし、アラームにも、温度計にもなるらしい。
小型で可愛らしいし、色も豊富だ。再び迷った挙げ句、次男の好きな色に決定!
ネットで調べると、あったあった。LOTTORP(ロットルプ)と言うらしい。
帰宅後すぐに、喜び勇んで、電池を入れたが、あれ?おかしい。反応しない。
買い置きの電池だったが、未開封だから未使用のはず。なのに、電池チェッカーで調べてみると「残量わずか」と出た。
なんと、全ての電池が同じ判定結果。
「あかん。この電池みんな古いねんで」非難がましく言うカッパちゃん。
「そうかな〜。折角たくさん買い置きしておいたのに」しょげ返るハニー。
「明日、新しいの買ってくるわ」(え?怒ってないよ)
さて、翌日。
さあ、今度こそ!
あっれ〜!やっぱり反応しない。
何故???
電池は新品。電池チェッカーの反応は同じ。
結論。電池は古くなかったのだ。電池チェッカー方がいかれていたのだ。(ハニー、疑ってごめんね)
え?と、言うことは・・・。頂いた記念品は「不良品」?
が〜ん!ショック!何が、万能時計だ。これじゃ、無能時計じゃないか?
けれども、はい。もちろん、泣き寝入りはしませんよ。
展示会開催の会社に連絡し、今度新しい物を届けてもらえることになりま酒た。(ど厚かまし〜)
ふふふ、楽しみだな〜!
↑写真は、沈黙を守り続ける、万能?時計。
- 15.11.22 小学49年生
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全く人見知りをしない、やたらと人懐っこい子だった。
函館ラ・サールの説明会に参加。昨年は行けなかったから2年ぶりだ。
授業を代わってもらってまで、何故行かねばならぬ?
う〜ん。色々事情はあるのじゃ。
会場には、いつものように一番乗り!
かと思ったら、校長先生と話し込んでいる親子が居る。
少し離れた場所に立ち、聞くとはなく聞いていたら、(え?盗み聞き?ちゃうよ。聞こえてきただけよ!)
その子の兄は在校生で、お母さんは説明会のお手伝いに来たようだ。校長先生とは当然面識があり、その子も入学を希望しているらしい。
しばらくすると、お母さんは手伝いに行かれたが、その子は校長先生と楽しそうに話を続けている。
すると、校長先生が私の方に近寄ってこられ、「塾の先生でしたよね」と話しかけて下さった。
もちろん、校長先生には何度もお目にかかっているし、数年前に学校を訪れたときには、先生自ら校内を案内して下さった。
名前は覚えて下さっていなかったようだが、それでも顔を覚えて下さっていたとは、嬉しい。感激だ。
先生は、こう続けられた。
「この子は、国語と社会が好きなのだけど、算数が苦手なようです。アドバイスをして下さりませんか?」
もちろん、お安いご用だ。しばし、3人で語らっていたが、校長先生はどこかに行ってしまわれた。
しょ〜か!分かった!
私は、(都合良く)子守を押しつけられただけなのだ。
彼は、宝塚在住の5年生だった。
「昨日、手塚治虫記念館に行ったんだよ」と自慢げに言う。
「ほ〜!京都のかい?」
「違うよ!宝塚だよ。だって、手塚治虫は宝塚出身だよ」
「へ〜!知らなかった」
「もう!一体どこで生まれたと思っているの?」
「日本でしょ!」
「・・・」蔑むような視線を投げかけられる。子どもは正直だ。
「小林一三も宝塚の人だよ」
「???」
「え〜!知らないの!」もはや呆れ顔だ。
「阪急電車や宝塚歌劇団を創った人じゃない」
「あ〜!そうか。そうだったね。宝塚歌劇といえばね。私の教え子にも・・・」
やっと話がかみ合いだしたかと思ったら、彼は、全然聞いていなかった。
そこにI先生登場。いつ見ても、格好いいお方だ。
ご挨拶を済ませ、お願い事も聞き届けてもらい、ホッと一息。
あれ?さっきの子は?どこかに消えていた。
まあ、いいや。母親だって居るんだし、私がそばに居てやる必要もないだろう。
ところが、私が会場に入り、席に着くと、またやって来た。
当然の如く、隣の席に座ったのには驚いたが、彼にしてみれば、既に私は知り合いなのだろう。
私が問題集を見ていると、「これはできる。けど、う〜ん。これはどう解くの?」などと、どんどん話しかけてくる。
私が特殊な解法を示すと、驚いていた。なかなか、賢い子かも知れぬ。
「先生は何才なの?」
「55才だよ」
「え〜!!ぼ・ぼ・ぼくのゴ・ゴ・5倍?!」おいおい、そんなに驚くなよ。私だって傷つくぞ。
「じゃ、ふ〜ん。小学49年生だね!」
「そうか、そうなるか。計算速いじゃないか」と、私は彼を持ち上げたつもりだったが、
「そんなの当たり前じゃない。年齢から6を引いたら良いんだよ」羨望の眼差しは、再び、蔑みに変わっていた。
「大学37年生だよね」と彼。
勘弁してくれ、そんなに長い間は留年できないよ。
彼の話は途切れなかったが、説明会が始まると、いつの間にか姿を消していた。
実に面白い子だった。疲れたけどね。
説明会は素晴らしかった。
元塾生の保護者が、保護者代表で話をされていたのには驚いたが、I先生のお話はいつ聞いても最高だ。
ありがとうございま酒た。今回も、しっかり元気を頂きま酒た。
先生。どうぞお体にお気をつけて。
- 15.11.23 アルゴ全国大会
-
体調はけして良くなかった。けれども、行かねばならぬ。何故なら、今日はアルゴ全国大会。おまけに会場は母校だ。
前夜は、呑みすぎた。
この大会の手伝いで帰省した長男。帰宅したのは22:30。
それから飲み始め、気が付いたらあっと言う間に数時間が経っていた。
9:00に集合がかかっていたので、7:30には出発しなければならぬ。
睡眠時間の方が、呑んでいた時間より短くなってしまった。
無理に息子と行動を共にする必要もなかったのだが、色々と話もあったので、同伴した。
完全とまではいかなかったが、到着する頃にはほぼ回復。
早く着いたおかげで、教頭先生とゆっくり話をすることができたし、アルゴクラブ事務局の方々にもご挨拶できた。
ただ、頭は働かない。
初めは、大会開始までの時間で、冬期集中講座の時間割を完成させるつもりでいたのだが、全く捗らなかった。
校長先生にもお目にかかることができた。
前日の選挙結果を大層悔しがられておられた。
そうこうしているうちに、生徒達が集まりだした。
HOPESのメンバーも全員到着。みな、適度に緊張していた。
さあ、大会開始だ。
さて、戦況は?
1回戦はミスが目立った。相手にもこちらにも。やはり、全国大会の持つ、独特の雰囲気のせいだろうか。
2回戦以降は、次第に実力の差が明らかに。流石、全国から集まった精鋭たちだ。
運も影響したが、誰も予選を通過できなかった。う〜ん、残念。
ただ、成長のあとは認められた。彼らにも良い経験になっただろう。
全てが終わり、会場を後にしたのは17:30。
辺りはもう真っ暗。長男との別れの時間も迫ってきた。
- 15.11.24 息子達
-
昨夜は、長男のリクエストで近くの焼き鳥屋へ。もちろん、ハニーも合流だ。
焼き鳥は久し振り。
どうしてもあの店を思い出してしまうから、しばらく何処にも行っていなかったのだ。
先ずは、乾杯。お疲れ様!
いや、私はブラブラしていただけだったが、長男は違う。
予選からずっと立ちっぱなしで審判をしていたし、決勝の2試合は彼が審判を務めた。
「流石にこたえたわ!」と笑っていたが、私より睡眠時間は少ないだろうに、やっぱ若さかな?
けど、あまり無理はしないでおくれよ。
平日は朝から晩まで研究室。土日は居酒屋のバイトに家庭教師。遊ぶ暇などありゃしない。
居酒屋で働いているだけあって、細かいところにまで気を配れる男になっていた。
店員のミスにも寛容だった。うん。良いことじゃ!
他人を赦すということは、簡単そうでもなかなかできない。私も見倣わなければ。
話は尽きねど、時間はすぐに過ぎてしまう。
余裕をもって店を出たつもりが、それでも最終の一つ前の新幹線だった。
無事に着いたとメールがあったときには、もう日が変わっていた。
さて、一方、次男からは悲しい報せ。
「年末年始はバイトで帰省できない」と、ハニーにラインが来たようだ。
げ!何と言うことだ。
私もその頃は忙しいけど、少しぐらいは一緒に過ごせるだろうと、楽しみにしていたのに。
寂しいな〜。来年からは社会人になる彼。どんどん離れていってしまう。
仕方ない。彼らが写っている巨大カレンダー(本日届いた)でも眺めて、寂しさを紛らわすとするか。
- 15.11.25 覚醒
-
先日頂いた記念品の万能時計。
返品のために事務所に持って来て、カウンターに放置すること1時間。
「お前なんか、無能時計じゃ!」と罵しられたのが、よほど悔しかったのだろうか、数日間の沈黙を破り、なんと突然動き始めた。
それも、交換の品が届けられる10分前にだ。
振っても逆さにしても全く反応しなかったのに、突然「ピ!」と言う音を発したかと思えば、妖しく光り始めた。
え?どうしてこのタイミングで?もしかして単なる意地悪?
まあ、どうせすぐに動かなくなるだろう(家ではそうだったから)と思いきや、電池を抜いて入れ直しても、今度はすぐに点灯する。
げ!この状況はヤバい。
代わりの品を持ってきて下さる方に、100%誤解される。
「こいつ、何てセコいんだ!ちゃんと動くのに不良品だとクレームをつけ、あわよくばもう1つゲットしようと企みやがったな!」とね。
私の焦る心を見透かすかのように、動き続けるミニ時計。転がせば、ちゃんと気温も表示する。完全に正常だ。
「いかん!謀られた!」気が付くのが遅すぎた。そりゃ、相手は時間を測る専門家だもんね。
その方に、ひたすら謝り続けるカッパちゃん。
しかし、きっと誤解は解けなかっただろう。
う〜ん。恐るべし、万能時計。こうなったら、とことん使ってやるぜ!
それにしても、こんなことって実際にあるのね。
今は眠り続けている生徒達も、この時計のように、突然覚醒してはくれないだろうか?
- 15.11.26 公衆電話
-
とんと見かけなくなったな〜。公衆電話。
一昔?前までなら、何処を歩いていても、赤い電話や緑の電話(黄色いのもあったっけ?)が、目に付いたものだが。
携帯電話のバッテリーが切れた。いつもなら替えの電池が鞄に入っているのだが、生憎、今日は鞄ごと家に置いてきてしまった。
電車に乗る寸前だった。どうしても連絡したいことがあり、駅で公衆電話を探したが、見当たらない。
ホームには必ずあるはずだと思っていたが、甘かった。
乗り換えした駅でも同じ。改札前にはあるのだろうが、けど、そこまで行っていたら、1本電車を乗り過ごしてしまう。
仕方ない。と、諦めた。
けど、どうしてホームから姿を消したのだろう。
そうか(みんな携帯電話を持っているから)、公衆電話はもう必要ないのか?慥かに、ホームにあったら邪魔だわな。
次の駅にはホームにあった。灰色の(空港などで見かけたことのある)電話だった。
私自身、滅多に公衆電話を利用することがなくなったから、何処に何色の電話があるなんて意識しなくなっていた。
ああ、昔(中学高校時代)が懐かしい。
好きな女の子の家に電話をするのに、自宅からはかけにくい。いや、かけられない。
用もないのに、わざわざ用事を作って、公衆電話からかけたっけ。
100円玉が使える公衆電話(プッシュホンだったかな)が登場したのは、高校時代だったかな?
偶々10円玉がなくて、両替を頼む店も見当たらず、え〜い!仕方ないわ!と100円玉を投入。もちろん相手は女の子だ。
電話って、繋がるまでがドキドキするのよね。呼び出し音が長く続くと、もう心臓ばくばく。(今はただイライラするだけ。あ〜年取った)
その時も、かなり間があったと思う。やっと、繋がった。
ところが「○○さんのお宅ですか?」と尋ねた途端、「違いますよ」と素っ気ない返事。
慌てて間違えたのだろうか?「○○○−○○○○ですよね」と番号を口にしても「いいえ、違います」
「あちゃ〜!どないしよ」
どないしよ?って、私が間違えたのだから、お詫びを言って電話を切るしかないのだが、何せ100円でしょ。勿体なくてさ。
「あの〜?良かったら少しお話しませんか?公衆電話からかけているのですが、100円玉を入れたところで・・・」
「ガチャ!ツーツーツー」そりゃ、そうなるわね。
携帯電話が当たり前の昨今。今の若者には、この切ない気持ちは分からないだろうな。
え?昔の若者でも分からんてか?こりゃまた失礼。
ところで、私の記憶違いだろうか?
昔の公衆電話は、繋がってから(=相手が出たら)硬貨がカシャって落ちたよね。
今はダイヤルしたら硬貨が落ちるみたい。それって、通話できなくても料金が発生しているんだよね。なんか割り切れないな〜。
話は変わるが、(携帯が普及したせいで)電話番号を覚えることがなくなった。昔は何人もの番号が頭に入っていたのに、今じゃ家族の番号もあやふやだ。
え?そりゃあんたの記憶力が落ちたせいだろ!ってかい?
はい、ごもっとも。
もう、寝ま酒!ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ〜! - 15.11.27 『余命一年のスタリオン』
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石田衣良の小説。スタリオンとは種馬のこと。
文庫本になり、やっと読むことができた。上下巻に及ぶ大作だったが、あっと言う間に読み終えた。
主人公は俳優。初代スタリオンボーイに選ばれ、芸能界入り。以後、その世界で15年も生き続けているというのだから、なかなか大したタレントなのだろう。
表面上は、軽薄な遊び人を気取っているが、実生活では(私からすれば共感するところは全くないが)割と実直な青年のように描かれていた。
まあ、仕事は絶好調、私生活も充実している独身タレントといったところだろうか。当てはまりそうな人が多すぎて、俄にはイメージが湧かない。
その彼が、突然余命1年の宣告を受ける。
普通?の人なら、その場で考えるのは(言葉は悪いが)身辺整理だろう。
しかし、彼は違った。
そこから、残された時間で自分に何ができるか?自分は何をすべきか?を考えたのだ。
所詮、小説=作り話とは言え、驚いた。
なんと、主演映画を1本撮り、さらには自分の子どもを残す事まで考えたのだ。しかもその時点で3人居た恋人とは全て別れているのにだ。
つまり、将来が全く見えない男の子どもを宿してくれる人を、一から探すと言うのだ。
と、こんな調子で、ストーリーは始まった。
不謹慎だとは思うが、私は、正直面白かった。
もちろん、結構泣きま酒たよ。割と小さな場面の台詞の一つ一つにもね。(本人よりは遺されていく人たちの気持ちの方が切なかった)
しかし、悲劇的結末へ一直線のような状況に置かれているにも関わらず、主人公はけして絶望していない。
彼(及び彼を支えてくれる、周りの人たち)の前向きな姿勢のおかげで、物語はさほど暗いイメージにはならなかったのだはなかろうか。
私にはまるで、死=終わりではなく、死に至るまでの時間=始まりのための準備、であるかのように思えた。
生きていることの素晴らしさを、改めて実感させてもらった。
生徒諸君にはお勧めできないが、大人なら一読の価値はあるかな?
- 15.11.28 電灯
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夜中に目が覚め、トイレに行ったら、玄関の電灯が瞬いていた。
先日取り替えたばかりなのに、型が合っていないのかも知れない。
シャイニングみたいでとても怖かった。(思わず、ちびりかけたことは内緒にしておこう)
ところで、先日の新聞にとんでもないことが書いてあった。
「蛍光灯、実質製造禁止へ。2020年より・・・」
なぬ〜!
それによると、「政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を、2020年度をめどに実質的に禁止する方針を固めた。省エネ性能が高い発光ダイオード(LED)への置き換えを促す狙いだ」らしい。
そりゃ、言いたいことは分かる。
けど、少々強引すぎやしないか。転換を促すくらいにしておけよ。作らない=使えない=買い換えろ、はあんまりだろ。
LEDは節電に繋がり、電気代も節約と言うが、入れ替えの費用を考えたら、元を取るのに何十年もかかる。
大企業に強制するのならば、まだ良いだろう。けど、一般家庭にまで無理を押しつけるなよ。
例えば、同じ事を車に置き換えてみたらどうだろうか。
全ての車所有者に「はい、貴方の車は燃費が悪いから何年後には走れなくなります」と、通告したら?
「仕方ないな〜」などと、みんなは納得できるか?
ブラウン管テレビがこの世から消えた時も、私は同じような違和感を覚えた。
アナログ放送がなくなりますよ。だから、デジタルが写るTVにしましょうね。
おためごかしに言ってはいるものの、絶対、影で誰かが糸を引いているに違いない。困った人もたくさん居たはずだ。
私の考えが古いのだろうか。穿った物の見方なのだろうか。単に、新しい物に(慣れないから)抵抗しているだけなのか?
ETC然り、マイナンバー制度も、きっと利権が絡んでいる。と、私は思うのだ。
一部の人が得をする。そのために、多くの何も知らない人を巻き込むなんて、おかしいとは思わないか。
誤解なのか。妄想が過ぎると笑われているかも知れぬ。
もちろん、無知な私が悪いのだが(知らないことは罪だ)、それでもやっぱり納得できない。 - 15.11.29 土佐鶴
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私の好きな銘柄は数あれど、高知と言えばやっぱり「土佐鶴」でしょ。
先日頂いた大吟醸。早速賞味させてもらった。TORAさんあじがとう!
昨夜の鍋は、常夜鍋。(この日記。またもや、日が変わっての更新となってしまった)
本来、常夜鍋とは、具がほうれん草と豚肉だけのシンプルな筈。(毎晩でも飽きないから、常夜鍋と言われているらしい)
けれど、我が家では違う。
私のリクエストで、油揚げは(どんな鍋でも絶対に)欠かせないし、豆腐やキノコ、野菜など次々に追加するものだから、まるで、豚しゃぶのほうれん草入りバージョンになってしまう。
当初は、抵抗を見せていたハニーも、今ではあきらめ顔。仕方なく、ゴージャス常夜鍋に付き合ってくれている。
それにしても、美味い酒だ。
清水のように澄んだ味。それでいて、きりっとしている。
いくらでも呑めてしまう。
あっと言う間に、1本空いてしまった。
ハニーのストップがかからなければ、どうなっていただろう。
しかし、いくら水のようだとは言え、原酒はきつい。
これまた、あっと言う間にダウン。爆睡してしまった。
それでも、今朝の目覚めは爽やか。流石に佳い酒は残らない。
実は、まだもう1本残っている。
けど、これは、年末息子が帰って来たときの楽しみにとっておこう。
- 15.11.30 紅葉
懸念された天気も見事に晴れた。
しばらく歩き、やっと出会えた真っ赤な紅葉。
さあ、行くぜ!紅葉観賞2015第二弾。目指すは神戸。森林植物園だ。
幸い、道は空いていた。ナビが古いため、途中、道なき道を進む羽目にはなったが、2時間もかからず無事到着。
この植物園。やたらと広い。
予備知識ほぼゼロで行ったから、全てが新鮮。
空気は澄み切り、青空が広がっている。否が応でもテンションが上がる。
しかし、肝心の紅葉が見当たらない。燃えるような紅を期待していただけに、あれ?ビューポイントはどこなの?と、首を傾げるばかり
良いでしょ!素敵でしょ!
ここで一句。「紅一つ 一葉ほどの 艶やかさ」
どう?って、全くパクリやん。
いや、結構美しい場所もあり、写真にも数枚収めたが、改めて見ると、全てが今一つなのね。
う〜ん、残念。どうやら、今年の紅葉は終わっていたようだ。
ただ、この植物園。季節ごとに楽しめそうだ。
今回は、たまたまタイミングが悪かっただけで、また違う時期に来れば、きっと感動もあるだろう。
静かな場所で、落ち着いた時間を過ごせたことに感謝したい。サンタにも会えたしね。
ありがとう!また来るぜ!