カッパの日記 

2025年10月

25.10.1 柚子胡椒

 同級生ネタ2つ。

 水泳部で同期のI君と再会したのは、15年前の母校の文化祭でのこと。
 息子さんが受験生だったこともあり、何度か彼の自宅にもお邪魔した。(受験直前の正月に押しかけ、酔っ払ってしまったのは大失態だったが)
 その彼の奥様とハニーは、何故か繋がっている。
 正倉院展で偶然出会い、それ以来、お付き合いが続いているらしい。
 今回も、ハニーの誕生祝いを贈って下さったので連絡を取ったところ、しばらく奈良にいるという事でハニーと会って下さった。

 前置きがは長くなったが、その際に頂いたのは、I君手作りの柚子胡椒。
 早速頂いたが、美味い!辛さもgood!もろに私の好みだった。
 しかし、その柚子胡椒を食べながら、涙を流す私。
 「健ちゃん(=I君)に会いたいな〜。生きているうちに会えるかな〜」とね。
 ハニーは「きっと会えるよ、大丈夫」と慰めてくれたが、健ちゃんはそれほど良い奴なのだ。
 彼とのエピソードを語り始めたら切りがないので割愛するが、とにかく相手を否定しない。心の寛いお方なのだ。

 もう1人はK君。
 最後に会ってからもう6年か。
 「万博を観に大阪に行くから、会おう」と連絡を受けたのが10日ほど前の事。
 2泊3日の予定なのだが、生憎、私の授業の都合がつかない。
 一度は授業終了後の22:00に会おうかとなったのだが、次の日の万博に悪影響とのことで、結局流れてしまった。

 まあ良いや。
 生きていりゃ、次の機会はきっとあるだろう。
 そうだ、I君もK君も横浜在住だから、2年後の横浜万博で会えるかも。

 それにしても、生きていられることの素晴らしさ。
 改めて感じておりま酒。

25.10.2 謝罪

 事故の加害者側の会社から連絡を受けた。
 謝罪に伺いたいと言う。
 断る必要も無いかと了解したが、一応誰が来るのかと確認した。
 社長と事故担当の課長、それにドライバーだと言う。
 「ドライバーだけは絶対に連れてこないで欲しい。顔を見るのも嫌だ」と伝えると、分かりましたとの返事。

 授業終了後、教室で待った。(昨日のこと)
 2人で来られると思っていたら、3人(常務取締役が加わっていた)だった。
 しまった。お茶は2人分しかない。今から買いに行っていては間に合わない。
 課長さんには「ごめんなさいね」をさせてもらった。(結局、誰も口をつけなかったが)

 なんと、常務取締役を社長だと勘違いして(だって、常務の方が年長者だったんだもの)いた私だったが、社長は紳士だった。
 こちらの心情も理解して下さり、私の心がささくれ立つことはなかった。
 保険会社は、代車の貸し出しは2週間が限度と言っていたが、私がそれでは困ると伝えると「次の車が調達できるまで乗っていて下さい」と言ってもらえた。
 ダメだろうと予想していただけに、意外だった。
 最後は笑いも出るほどの穏やかな時間を過ごさせてもらった。

 今後は、保険会社との交渉になるらしい。
 ただ、何か問題がありましたら、必ず対応させてもらいますとの社長の言を頂いているので、心配は要らないだろう。

25.10.3 急展開

 昨夜は、とある方との会食。
 私よりお若い方なのだが、筋の通った考えをお持ちで、私は信頼している。

 連れて行って頂いたのは和食の店
 法善寺のすぐ側で、げ!高級料亭じゃないか?と一瞬身構えたが、割とリーズナブルな価格設定だった。
 その方はもう30年ほどのお付き合いらしい。
 美味しいお酒、美味しい料理をいただき、かつ有意義なお話も伺うことができ、素敵な時間を過ごさせてもらった。

 2軒目のバーへは久し振りの訪問。6年ぶりかな。
 マスターは少し太っていた。(お前が言うなってかい?)
 今回も私の無茶なリクエスト「今日という日を忘れないお酒を下さい」にしっかり応えて下さった。(供されたカクテルの名前は忘れたが)
 ご機嫌さんで帰路に着いた私。
 ところが、たった2駅起きていれば良いだけなのに、不覚の寝過ごし。4駅向こうで目が醒めた。(←ダメな奴)

 さて、事故関係では思いもかけぬ急展開。
 次の車の購入代金を会社が負担して下さるというのだ。
 何というありがたいお話。
 俄には信じられなかったが、確認させて頂いたら、間違いないとのこと。
 まだ全てが解決したわけではないが、資金面での心配が無くなったのは嬉しい限りだ。

25.10.4 総裁決定

 自民党の総裁が決定した。
 大方の予想通りの結果に終わって、私もホッとしている。
 今後のことは予断を許さないが、暮らしやすい世の中が実現することを願いたい。
 期待してまっせ。おねえちゃん。(好きなタイプじゃないけどね)

25.10.5 読書

 読書の秋を気取っているのではない。
 ようやく、読む時間ができただけ。

 ここしばらくは、江戸時代の人情小説ばかり読んでいた。
 人の心の底に流れる温情は今も変わりないのだろうが、昔の方が素直な気がする。
 その時代で生きたいとは思わぬが、近年の世知辛さにはウンザリ。
 せめて小説の中だけでも、ゆったりとした気分に浸りたいと思っていたのだ。

 しかし、それらのストックがなくなった今、やはりいつものジャンルに戻るのよね。
 伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」
 一度読んだ気がするのだが、購入履歴には現れなかった。
 しかし、読み進めていくと、やはり記憶が蘇る。謎じゃ。
 奥田英朗「コメンテーター」(今読んでいるのはこれ)
 待ちに待った「伊良部シリーズ」。やはり面白い。

 実は、購入したもののまだ読んでいない文庫本が10冊ほどある。
 この秋の間に読んでしまいたいと思う。

25.10.6 タイミング?

 事故から1週間。
 無事にいられることが本当に有り難い。

 熟々思う。
 人生は偶然の連続なのだと。
 ほんの少しタイミングが違えば、全く違う事態になっていたはず。
 例えば、私が車線に入るのを1台見送っていれば事故に遭わずに済んだだろうし、そうしたら私の前の車の人が、追突され死んでいたかもしれない。(軽自動車だったしね)
 コンビニにコーヒーを買いに行かなければ、こんな事故とは無関係だったかもしれないし、そもそも、彼岸花なんて観に行かなければ良かったのだ。
 などと、いろいろ考えてしまう。
 そう思うと恐ろしいが、それでもこの程度で済んだのはとんでもない幸運だったに違いない。

 これまでもギリギリのタイミングで難を逃れていたことは、(気がついていないだけで)きっとたくさんあったのだろう。
 人はそれを「運・不運」で片付ける。
 しかし、最悪の状況と比べれば、全ては幸運。幸せなのだ。
 最高の状況を当たり前だと考えるから、不平不満や愚痴が出てくる。

 生きているだけで、十分に幸せ。
 常々、生徒達には偉そうに言ってきた私だが、我が身に降りかかった今回の件で、改めてその幸せをかみしめている。

25.10.7 オフ

 昨日はオフ。
 1週間前と同じいでたちで出かけた。(少し抵抗はあったが、息子からもらった服を捨てるわけにはいかぬ)

 病院で診察を受け、首の牽引などの加療を受ける。右胸が痛いと訴えたものだから、そこに温熱をあててもらう。
 しかし、突如気がつく新事実。痛いのは右胸ではなく、左胸だったのだ。
 正直に言ったら医師に怒られると思い、黙ったまま大人しくしていた。
 母の施設により、備品を届ける。最近、血圧が高いらしい。心配だ。
 一旦帰宅し、ほんの少しだけ仕事。
 午前中の保険会社とのやりとりに疲労を覚え、少し眠ろうかと思ったが、午後の予定の時刻が迫っていた。

 ハニーと近くのお店で食事。
 久し振りの焼肉。肉の焼き方一つで、味が変わることを初めて知った。(おいおい)
 たくさん呑んで、帰宅後は即就寝。

 忙しい1日だったが、十分幸せ。

25.10.8 注文

 次の車を注文した。
 車種は今まで乗っていた車と同じ。
 いくら、購入代金を補助してくれると言われても、人の道に外れたことはできない。
 ただ、改良版が出ていたので、少し得した気分ではある。

 ぎりぎりまで何色の車にしようかと悩んだ。
 おかげで今日は睡眠不足だ。
 最初は、「マッシブグレー」なる紺に近い色にしようと決めていた。
 しかし、昨晩の話し合いの結果、無難な色=「シルバー」に落ち着いたのだ。

 ディラーには朝一番に到着。
 哀れな姿になり果てた、元愛車を見ると泣けてくる。
 でも、この車のおかげで命が助かったのだ。ありがとうね。
 積んであった荷物を取りだし、愛車に別れを告げた。
 いざ商談。と言っても、予め話は通っていたので、こじれることは全く無く、和気藹々と軽口を叩きながら、スムーズに話は進んだ。

 納車は半年後になるという。
 少しでも早くなることを願いながら、その日が来るのを待つとしよう。
 保険会社との交渉も何とかなりそうだし、先ずはめでたしめでたしと言ったところかな。

25.10.9 ついに克服?

 実は、旅に出ていました。(10/10に帰阪後、書いておりま酒)

 行き先は、徳島の祖谷温泉。(ションベン小僧や大歩危小歩危で有名かな)
 長男夫婦から、目的地を自由に選べるという贅沢な設定の旅行をプレゼントしてもらった。
 行ったことのない場所であること、そしてハニーの宇和島帰りの日程に合わせて、四国を選んだ。

 6:30出発。天気はくもり。雨の降らぬ事を祈りつつ車を走らせる。
 10:30徳島入り。途中、後ろにトラックが着く度に事故のシーンがフラッシュバックし、鼓動が早くなったが、無事に高速を降りることができた。
 ションベン小僧前で記念撮影。山道は狭路続きで、かなり神経がすり減った。
 宿のチェックインには早過ぎたので、そのまま今回のメインイベント会場へ向かう。

 実は私。高所恐怖症のクセに、空を飛びたいと願っている、変なおじさん。
 宿の近くに、ジップラインなるものを体験できる施設があるのを知り、これで夢が叶うと、挑戦を決意した。
 簡単な説明を受け、ステージ(飛びおりる場所)に向かう。
 しかし、そこに着くまでに既に泣きたくなっていた。
 ステージに行くには、ハンモックみたいな網の中(かなり高所にある)をくぐらなければならぬ。
 怖い!ヒジョ〜に怖い!
 ようやくステージに辿り着いたが、もう半泣き。
 ハニーに先に飛んでもらい、真似をして続こうとしたが、足が竦んで立ってもいられない。
 しかし、後ろには次の人たちが・・・。
 ええい!ままよ!と飛びおりた。
 あれれ?意外や意外、気持ち良かったで酒よ。
 片道360mは、あっという間だった。
 帰りは、少し低いところをまた360m。
 今度は余裕。振り返り、手を振ることさえできた。

 「これで、もう高所恐怖症は克服できたな」と、次なる目的地「かずら橋」へと向かう。
 全長45mの水面上は14m。「谷瀬のつり橋」は長さ297mで高さ54mだから、(こちらは経験積みのはず?)大したことないわと、カメラ片手に渡り始める。
 しかし・・・。
 カズラで作られているから、足もとがフラットじゃない。下を見て歩かないと足を踏み外す。実際、すき間にはまりそうになり、それからはもうダメ。一歩も進めなくなってしまった。
 外国人の子どもが、手すりも持たずスタコラサッサと、私を追い抜いていく。
 取りあえず、カメラは落とさぬようにと、ポケットに蓋をして仕舞う。(写真どころじゃない)
 引き返そうかと思ったが、げ!私の後ろには大渋滞が発生しているじゃないか。
 もう、行くしかない。
 「絶対に落ちるはずはない。足を踏み外しても、どこかで止まる」と必死に自己暗示をかけ、ノロノロと這うように歩いた。
 とうに渡りきっていたハニーは、私のへっぴり腰を見て笑い転げている。無様な姿を写真にまで収められた。(ネガごと買い取るという提案は拒否された)
 ああ、私の黒歴史がまた増えた。
 その後は、大歩危遊覧船にも乗り、水のキレイさと削られた岩の凄さに感動。理科の大変良い勉強になった。

 宿の食事はカンペキ。正直、今までに味わったことのないほどの美味さだった。
 お酒も2人で全種飲み比べコンプリート。最後の(島根県産葡萄を使った)甲州ワインには参ったが。
 流石に呑みすぎて、あっという間に眠りに落ちた。

 つづく・・・。

25.10.10 生還

 スッキリと目覚めることができた。
 豪華の朝食を頂いた後は、いよいよ旅の仕上げだ。

 ケーブルカーを使って降りる露天風呂は、圧巻だった。
 170mほど下った谷底に露天風呂があり、美しい渓谷を見ながら湯につかる。
 ただ、本当につかるだけ。洗い場もないしシャワーすらない。
 それでも癒される。空は青いし、川は澄んでいる。(お湯はやや緩かったけどね)

 昨晩呑んだ日本酒を一本購入し、宿を後にした。
 昨日の狭い道は敬遠し、かなりの遠回りになったが安全第一。広い道を選び、坂出まで。
 さすが、うどん県と言われるだけある。
 たまたま見つけた「日の出製麺所」で昼食。
 有名処なのだろう。昼前なのに行列が。店内も満員だった。
 「ぬる」なる「あつ」でも「ひや」でもない物を頼んだ。
 美味い。しかも安い。中と小で310円。大阪なら汁も飲めないだろう。

 ハニーとはここでお別れ。
 私はマリンライナー・新幹線と乗り継ぎ、大阪へ。
 ハニーはそのまま車で宇和島へ。
 長時間の運転になるので心配したが、無事に着いたとの連絡を受けた。
 ただ、やはり首は痛いらしい。(早く良くな〜れ)

 さあ、楽しい時間はこれにて終了。
 今日からまた、厳しい現実が始まる。
 けど、大丈夫。
 だって、生きているんだもの。

25.10.11 連立解消

 公明党が自民党との連立を解消したようだ。
 これはなかなかの事件ではないだろうか。

 難しいことは分からぬが、公明党の言い分は心情的には理解できる。
 例えは悪いが、家庭内の大事なイベント(例えばパーティ)が予定されているとしよう。
 その相談を妻にする前に、招待客とこっそり打ち合わせていたとすれば、奥さんは心中穏やかではないはず。
 ないがしろにされたと怒っても無理はない。いい加減にしろ!って事だよね。
 早い話、自民党(新総裁およびその黒幕)は思い上がっていたのだ。
 公明党の英断には拍手を送りたい。

 さあ、自民党はピンチだね。
 妻に愛想を尽かされた夫は、誰にすり寄っていくのか。(ええい!いい加減にその例えから離れんか!)
 どの党と連立を組もうとするのか。そして、連立は成立するのか。見物ではある。

 それにしても、国民そっちのけは相変わらずですな。
 こんな状態で、外交なんて上手くいくのだろうか。
 甚だ心配である。

25.10.12 成功?

 万博が終わろうとしている。
 維新などは「大成功だった」と鼻息を荒くしているが、果たしてどうなのだろう。
 私は、多くの問題点を残したと思っている。

 先ず、最初のキャッチフレーズ「並ばない万博」は何処行った。
 そりゃ、関係者やお偉いさん方は、並ばないで良かったでしょう。
 けど、一般の人たちは、どんだけ並ばされてん。交通機関はダダ混みやし。
 次に、予約の取れない人気パビリオン。並ぶ以前に入いれもしないじゃないか。
 とどめは、購入した入場券が使えない?
 なんやねん、これ。詐欺やんけ。

 収益が黒字になった?だから成功なの?
 やっぱり、政治家さん達は頭おかしいわ。

 成功だというならば、万人が(老若男女問わず)楽しめるイベントであるべきだろう。
 僻みと言われても仕方ないが、今回の万博を成功だという人を私は信用しない。

25.10.13 連休

 連休が終わった。
 え?なんで連休?
 あ、そうか。「スポーツの日」がハッピーマンデーで月曜日になったからなのね。

 しかし、「スポーツの日」には違和感バリバリの私。
 以前は「体育の日」だったじゃない。いつから名称変わったの。
 少し調べてみたら2020年からだそうだ。当年行われる予定だった東京オリンピックに関連しているらしい。
 まあ、いいや。文句を言っても始まらないし、現実を受け止め、それに従えば良いのだからさ。

 個人的には、久々に充実した3日間で酒た。
 ハニーは居ないけど、私には授業がある。
 これで授業がなければ・・・。ゾッとするね。
 朝から夕方まで、楽しく授業をさせてもらった。
 と言っても、空き時間だらけのスケジュールだったけどね。

 長男は上京したらしく、次男とお孫ちゃん初対面。
 「みてね」を観たが、嬉しそうに笑っているお孫ちゃんにホッコリさせてもらった。

 さあ、慌ただしい日々もお終い。
 明日からまた穏やかな日常が戻って来る。
 と、思いきや・・・。
 なかなか、そうそう楽はさせてもらえそうにない。
 頑張るべ。ふぁいと〜!お〜!

25.10.14 命拾い

 私は幸運なのかも知れぬ。
 軽い病気や小さな怪我(骨折など)はちょくちょくあったが、生死に関わるような事もあった。
 少し思い返してみよう。

 1.幼稚園の頃。
  鉄棒でグルグル回っていたら、後方にあった表彰台(金銀銅の3段になっている奴)に頭をぶつけて出血。
  以来、鉄棒はできなくなった。
 2.小学生の頃。
  理科の実験道具を持ったまま、廊下を走って転倒。左の手のひらをすっぱりと切った。
  救急車に乗ったのは、これが初めてだったかも。もう少しで神経に届いていたらしく、危ないところだった。
 3.中学3年生の冬。
  先輩の家で土産に持っていったウイスキーを空けてしまい、急性アルコール中毒。3日間ほど意識不明だったらしい。
 4.高校生だったかな。
  理科の実験中、硫酸銅水溶液が左目に噴射。危うく失明するところだった。
 5.20歳ごろかな。
  深夜に歩行中、後ろから来た車にひき逃げされた。宙を舞ったのは覚えている。血だらけで自宅に帰ったら母が仰天していた。
 6.40歳ごろかな。
  高速道路で右車線に停まっていた車に追突。100:0で私が悪いとなった。
  救急車で運ばれたが、そのとき1升瓶を大事そうに抱えていたらしい。結局、肋骨の骨折だけで済んだ。
  私の車は廃車。相手はベンツ。修理代が700万円以上かかったが、保険でまかなえた。
 7.65歳。
  先日の事故。今のところ後遺症はない。よくぞ無事でいられたものだ。

 他にもバクチ場で勝った金を請求した相手に刺されそうになった事などもあったが、何故か無傷で済んだ。
 不可抗力的なこともあったが、自業自得的な面も多い。反省しなければ。

 折角、ここまで生きさせてもらったのだ。
 今後は行動を慎み、命を大事にしたいと思う。
 

25.10.15 案の定

 やっぱりね。
 ネット上では連日、「万博最高」とか「万博ありがとう!」とか、万博を絶賛し、成功だったことをアピールする記事や動画が溢れかえっている。
 なんだかな〜。
 2回も行った私が言うのもおかしな話だが、先日も書いた通り、私は満足とは程遠い印象だった。
 個人の感想を押しつけるつもりはないから、もう口を閉ざすが、みんながみんな満足なんて事はあり得ないと思うのだが・・・。

 さて、明日からまた大阪を離れま酒。
 明後日の晩までメールを見ることができませんので、ご用の方は電話でお願いいたしま酒。

25.10.16 四国再び

 何故か、また四国。
 先週、徳島を堪能したばかりなのにね。
 いや、今回は遊びじゃない。法事(義父の13回忌)なのだ。

 お義父様には、本当によくして頂いた。
 ハニーを嫁に下さいと挨拶に伺ったときも、言葉は少なかったが「大事にしてやってくれ」との想いが強烈に伝わってきた。
 ご苦労を重ねられたからなのだろう。
 自分をひけらかさない、相手を否定しない、しかし決して信念を曲げない、素敵なお方だった。
 イタズラ盛りの息子達も無条件に受け止めてもらえ、一度も怒ったことは無かったと聞く。
 ご自身はもうそんなに飲めないお体だったにもかかわらず、私のお酒に付き合って下さった。
 今になって思えば、なんと有り難いことか。

 大恩あるお義父様の法事となれば、何が何でも参列しなければ。
 しかし、ハニーからその日程を知らされたのは数日前。
 げ!授業の調整とか大変じゃん。
 いやいや、昨年ならばいざ知らず、今年は何とかなるかも。
 とは言え、生徒に迷惑をかけることには変わりないのだが。
 心の寛い保護者で助かった。大変な時期にも拘わらず、快く変更を承諾して下さった。

 いざ、四国へ。
 今回は行きは鉄道、帰りは飛行機だ。
 ひょえ〜!全て陸路だと8時間弱かかるのね。
 宇和島までは、近いようでもやっぱり遠いや。
 それでも、ただ座っているだけの移動なので、さほどの疲労はない。

 お義母様にお目にかかるのはちょっと久し振り
 少しお痩せになっていたように思った。気がかりだ。
 にもかかわらず、私のつまらぬ冗談に声を上げて笑って下さり、恐悦至極。
 ご馳走まで用意して下さり、「これじゃ、ただ飲みに来ただけじゃないか」と苦笑い(じゃ済まないね)。

 ハニーとしばし語らっていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。
 そりゃ17:00前から呑んでいたものね。

25.10.17 間に合った

 法事は無事終了。
 お義母様、またお目にかかりましょう。
 どうかお元気でね。

 さあ、大阪に帰らねば。
 しかし、航空券。一便早ければ授業に支障は来さないのだが、キャンセル待ちの甲斐もなく、松山発15:35大阪着16:25になってしまった。
 ヤバいな。非常にタイトだ。
 案の定、飛行機も少し遅れ、大阪着は16:35。それでも、急いだおかげで16:45発のバスには間に合った。
 しかし、阪神高速が渋滞。上本町に着いたのは17:45だった。(めっちゃやばいやん)
 幸い、タクシーをすぐにつかまえることができ、教室到着は17:50。
 あ〜!何とか間に合った。(授業は18:00開始なのよ)

 私にとって、時間厳守は信頼関係における第一歩だ。
 不可抗力的な要素があったかも知れぬが、こんな綱渡りはこれっきりにしたい。

 お休みなしゃい。

25.10.18 嗚呼!勘違い

 全ては、旅先に時間割変更のメモを携行しなかった私がいけないのだが、とんでもない1日になって仕舞った。

 運動会の季節。授業日変更の申し出が相次いだ。
 幸い、全て振り替えることができていたのだが、振り替えたこと自体をすっかり忘れていた私。
 そのため、朝一の授業から次の授業まで5時間近くも空いてしまった。
 その時間帯に授業を希望していた子もいたのに、一杯ですと断りを入れる始末。
 自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。

 5時間もあれば、母の施設に余裕で行けたじゃないか。
 しかも、振り替えた日に別の用事も入れていたという間抜けぶり。
 仕方ない。そちらはキャンセル。
 ただ、母の施設には行かねばならぬ。でも、3時間での往復は些か厳しいかな。

 自業自得とは言え、本当に情けない。
 まあ、逆のダブルブッキングとか生徒を待たすとかにはならなかっただけ、良かったと思わなければなるまい。
 しっかりしろ!私!!

25.10.19 芯

 シャープペンシルの替え芯を購入した。
 実に久し振りだ。(10数年ぶりか?)

 私自身があまりシャープペンシルを使わない(集団授業のときは黒板で解説。質問対応は殆どボールペン)ことが一番の理由だが、買う必要が生じなかったのも慥か。
 と言うのも、生徒の落とし物で十分間に合っていたからだ。
 生徒は物をなくしてもまず尋ねてこない。しばらく引き取り手が現れなければ、ありがたく使わせてもらっていたのだ。

 ところが、個別授業を始めてからは、黒板はルーズリーフに変わり、チョークの代わりがシャープペンシルとなった。
 その消費量たるや凄まじいものがある。
 (感情が高じて)芯をポキポキ折りすぎるのも一因かもしれないが、あっという間にストック?がなくなってしまった。

 でもまあ、これでしばらくは保つだろう。
 だって、40本入りを22ケースも頼んだのだから。
 え。何故かって?そりゃもちろん。送料無料になるまで買ったからで酒よ。

25.10.20 またや

 メールが送信できなくなった。半年前と同じ状況だ。
 しかし、前回は自宅に戻れば、自宅のPCから送信できたが、今回はそれも無理。

 原因は分からない。
 けど、どうやら私が大量のメールを一斉送信したのでは、との嫌疑がかけられているようだ。
 もちろん身に覚えはない。
 誰かが私のアドレスを使って送っているのではないだろうか。
 じゃ、恨みを買った覚えは?
 あるだろうね。(誰の仕業かは分からぬが)
 無能な同業者は徹底的に否定しまくってきたからね。

 まあ、疑いは数日内に晴れるだろう。メールも復活するはず(と願いたいが)。
 しかし、当面の業務には差し支えが生じる。
 「メールが送れない=保護者との連絡がとれない」となるからだ。
 しかも、今日はHOメールの送信日。
 保護者の方の全てが事情を理解して下されば良いのだが、全員がこの日記を読んで下さっているとは到底思えない。
 それでも、かすかな希望をこめて。

保護者の皆様
 しばらく、メールを送ることができません。
 連絡は全て電話で行わせて頂きます。
 どうか、よろしくお願いいたします。

25.10.21 厄災続き

 昨日のこと。
 振り替え授業のため、午前中から授業。
 9:30開始だったので、9:00に教室入りできれば十分だったのだが、(メールが送れない分、作業が増えるので)少し早く行こうかと駅に向かった。
 なんと、見たことのないほどの人たちがホームに溢れかえっていた。
 早朝に人身事故があったらしい。(ネットで調べたら、事故発生は6:12。男性は死亡。1時間ほど運休していたそうだ)
 運転は再開していたのだが、ダイヤは乱れており、私がホームに着いたのは運転再開間もない頃だったようだ。
 取りあえず、来た電車に無理矢理乗りこんだが、スゴい状態だった。久々の超満員。身動き1つも取れない。
 そんな状態で電車に居続けるのは無理だと、振り替え輸送を行っている路線に乗り換えた。

 幸い、そちらは混雑していなかったのだが、今度は授業開始時刻に間に合うかが心配になってきた。
 保護者に電話をかけても繋がらない。
 けど、何とか間に合った。9:25教室到着。ギリギリセーフだ。
 ただ、汗だくの私。汗が引くまで1時間以上かかった。

 メールは相変わらず送信不可能。
 さらに、ffftp(ホームページにUPするソフト)も繋がらない。
 今までなら、再起動で復活していたのに、本当に困ったもんだ。

 まあ、物は考えよう。
 電車は混んでいたが、取りあえずは動いていたんだし、授業にも間に合った。
 メールは送れないが、受信はできる。その内復旧するだろう。
 教室からHPの更新はできないが、家に帰ればできるのだから。
 PCを新たに購入する必要はあるまい。
 全て、最悪の事態よりはマシ。だから、ま、いっか?

25.10.22 冬?

 急に涼しくなった。と言うより、いきなり寒くない?
 教室のエアコンはオフ。毎晩朝まで頑張ってくれた自宅のエアコンにも久し振りに休んでもらった。

 この気候は続くのだろうか。
 取りあえず、今日は長袖で出勤。
 散髪屋さんから教室まで歩いても、汗はかかなかった。

 そりゃそうだよね。
 11月も間近。いつまでも夏じゃおかしいよね。
 けど、秋が短くなるのは悲しいな。

 メールは未だに回復せず。
 待つしかないのだろうが、いい加減腹が立ってきたぞ。

25.10.23 完全休養

 朝のゴミ出し以外、一切外出しなかった。
 人間が腐るかとも思ったが、ひたすら一日中自宅にいた。
 だって、全く用事が無かったからね。
 これで、疲れも取れたはず。
 ただ、寝過ぎで少し腰が痛い。
 なんとも、贅沢な(怠惰な)一日だった。

25.10.24 相談

 新規の方から相談を受けた。
 「息子が、受験に対する意欲が低下し、学校にも塾にも行きたくないと言い出し(実際行っていないらしい)、困っている。
 志望校変更及び転塾も視野に入れているが、受験直前のこの時期でも引きうけてもらえるだろうか」
 という内容だった。

 取りあえず、話を伺うことに。
 息子さんの心境や親御さんの心情が、痛いほど伝わってきた。
 みんな、もがいている。どうすれば良いのか分からず、苦しんでいる。
 息子さんは、親にも学校の先生にも心を開いていないらしい。
 私にできることがあるならお手伝いさせていただきたいが、どうやら私の塾が算数だけの個別指導とはご存じなかったようだ。
 転塾の線は消えた。
 それでも、私なりにアドバイスをさせて頂いた。
 親の意向を押しつけぬこと。相手に寄り添うこと。等を、具体例(私の苦い経験も含め)を挙げて、話させてもらった。
 自分の人生だ。自分で決めろ!と言うのは簡単だ。
 しかし、12歳の子に全てを委ねるのは危険だし、無理がある。
 親が子どもを信じられなくなるなんてありえないが、子どもが親を頼りにしないのは悲しい事だ。
 会った事もない少年だが、家族と心を一つにし、力強く前進してくれることを願い(正解はないのだ)、電話を切らせてもらった。

 と、その晩。
 テレビの報道番組で「人生相談の相手はAI」だと、特集していた。
 げ!うっそ〜ん!ありえない!
 我が目と耳を疑ったが、登場する若者達は口を揃えてAIを頼りにしていると言っていた。
 理由は、否定されないからだそうだ。
 「そんなのアドバイスじゃない。ただ、気持ちの後押しに過ぎない」
 画面に向かって叫び私。
 寄り添うことは大切だが、全てを肯定するのはおかしいんじゃないか。
 しかし、映像は淡々と流れた。
 番組では危険性も挙げられていたが、ほんの少しだった。

 これが、現在の風潮なのか。
 これじゃ、私のスタイルが受け容れられないのも当然だな。
 人と人が真っ向から向き合い、心を開きあって、問題に立ち向かう。
 なんてのは、ドラマや小説の中だけの話なのだろうか。
 いたたまれぬ思いで、テレビを消した。

25.10.25 一つ前進?

 メールの送信ができなくなって1週間。
 解除要請を出しているのに、全く改善されない。
 2〜5日で復旧するとメールにはあったのに。

 いろいろ弄っていたら、今度は受信までできなくなってしまった。
 げ!本格的にヤバい。
 メールソフトを入れ替えようか。けど、それで回復するのだろうか。
 いささか慌て始める無知なカッパちゃん。

 取りあえずパスワードを変更したら、受信はできるようになった。
 何故かそれだけで、嬉しくなる。
 加えてFFFTPも復活した。
 今度は大喜びのおバカさん。
 状況は一切変わっていないのにね。

 OCNに直接抗議しようにも、電話対応していないようだ。
 待つしか無いのだろうか。
 ま、待ちましょう。
 「果報は寝て待て」とも言うからね。

25.10.26 連絡方法

 メールはまだ送信できない。
 仕方ないので、電話で連絡を取っているのだが、不在のことが多く、確実に二度手間だ。
 しかし・・・。

 少し前のことを思いだしてみよう。
 数年前までは、メールなんてほとんど利用しなかった。
 むしろ、大切な要件が確実に伝わっているか不安で、「メール見ましたか」と電話で確認していたほどだ。
 慥かに不在の場合も多かったが、私の中では圧倒的に電話≫メールだった。

 それがいつの間にか、いつでも送れる・いつでも見られる・記録が残る等の点から、メールの方が重宝されるようになった。
 私も電話を面倒だと思うことが多くなってしまった。
 それでも、緊急の用事の際などは電話でなければいけない。
 そもそも、大事な要件はメモを取っておけば良いのだしね。

 ラインやショートメッセージなどスマホを利用して連絡を取ることもある。便利な時代になったものだ。
 ただ、私は字を打つのが遅い。
 PCからだとそれほど時間がかからないが、スマホからだともの凄く時間を要する。
 一文に数分かかることもざらだ。
 それ故、極力使わないようにしている。だから、いつまでも早く打てるようにならないのだろうけどね。

 もっともっと時代を遡れば、手紙が唯一の連絡手段だったのだから、すごい進歩だよね。
 さあ、今日の連絡は全て完了。PCをオフにして眠るとするか。

25.10.27 復旧

 目覚めるとすぐ、送信ができるか確認する。朝一のルーティンになってしまった。
 今日もダメ。
 仕方ないと、HOメールを個人個人へのお手紙形式で作成。
 作成終了後、メールを確認すると、おりょ!送信ができるじゃないか。
 やった〜!ついに復旧だ。

 無実の罪で不便を強いられたが、元に戻ればもう文句はない。(できた人間だな〜)
 さあ、普通でいられる幸せをかみしめながら、業務に戻りましょうか。
 え?あれ。今日はオフだった。

25.10.28 歯医者復活

 敗者復活ではない。歯医者さんだ。
 治療は終了している。
 「10月にまた点検にお越し下さい」と言って下さったので、厚かましくもお願いしたのだ。

 「調子はどうですか」
 「痛みは一切ありません。けど、よく詰まるんで酒よ」
 「そうですか。まあ、診てみましょう」
 「あ!」
 ここまでは歯科衛生士さんとのやり取り。
 W先生登場。
 「虫歯で酒ね」
 「グア〜ン!」(口を開けたままだから正確には発声できなかったが)

 何と言うことだ。
 歯みがきもしっかりしていたはずなのに。
 私は幼稚園児か。いやそれにも劣る。

 ということで、歯医者さん通いが復活したのだった。(全くの想定外)
 こんな歯医者復活はいやじゃ〜!

25.10.29 再炎?

 母の入居施設から連絡。
 入居フロアーからコロナ罹患者が出たので、しばらく面会を中止とのことだった。

 コロナは、まだ終息はしていないのだ。
 表だって知らされてはいないが、知人から聞くと、結構流行っているらしい。

 5類になったとは言え、老人にとっては命にかかわる。
 コロナに限らず、インフルエンザも然り。
 どうか無事でいて欲しい。

 みなさまも、どうかご用心を!
 マスクしている人、減ったしね。

25.10.30 平穏無事

 良いのか悪いのか悪いが、オフにも慣れてしまった。
 以前は手持ち無沙汰で困惑したが、今はゆっくり流れる時間も悪くないと思えるようになった。

 午前中に母を病院へ。
 車いすを押して2軒を回るのは大変かと思っていたが、好天のおかげで気持ち良かった。
 少し汗をかいただけで無事終了。
 母は、コロナにもかかっておらず、案外元気そうで一安心。

 帰宅後は、寝不足解消のため昼寝をしたかったのだが、荷物の受け取りがあったので我慢。
 授業の下調べをしたり、ハニーと電話で話したりしながら、到着を待った。
 頼んでいたのは、辛口ラーメン。
 ネットで見つけたJINなる品物だったのだが、ハニー曰く「辛」じゃないの?
 え?パチモン?
 どちらも食べたことはないので比較は出来ないが、楽しみにしておこう。

 さあ、テレビでも見ようか。
 そうだ、日本シリーズで阪神を応援しなければ。
 良い感じで試合は進んでいた。ピンチを凌いでリードを保ったまま終盤へ。
 しかし、呑みながら観ていたものだから、次第に眠くなってきた。
 今日は大丈夫だろうと眠りに就いた。
 ところが、ハニーからのラインで驚いた。
 まさかの逆転負け。うっそ〜ん!

 良いこと(ヒミツ)や悪いこと(歯の詰めものが取れたやドジャーズ敗戦など)も色々あったが、まあ大したことではない。
 平穏無事な一日だった。
 やっぱ、健康でいられることが一番だな。

25.10.31 ショック

 今日からセーター着用の私。
 ハニーが贈ってくれたのだ。
 ありがとう。暖かいよ。

 そうだ。どうせならこのセーターに似合うスーツを着よう。
 今の季節にちょうどのスーツを引っ張り出し、喜ぶ私。
 ところが、ズボンを履こうとしたら・・・。
 げ!げ!げ!
 入らない。ウエストがきつい。
 いや、きついのレベルじゃない。

 礼服のズボンと同じだ。
 今年の法事を思いだした。
 ファースナーが上がらずそのまま上着で隠して参列。
 その後、サイズを直してもらおうと服屋に行ったが、「無理です」と言われたんだった。

 ヤバい。ヒジョ〜にヤバい。
 全てのスーツを新調し直すか、ウエストサイズを元に戻すか。
 2つに1つなのだが、さて・・・。

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