前号で、今年の夏はそれ程暑くないのではと書きましたが、前言撤回します。暑いです。半端じゃなく暑いです。それもからっと爽やかさに暑いのではなく、じめっと蒸し暑い。特に、お盆前後の数日は、まるで梅雨に逆戻りしたかのようでした。
みなさんはお元気ですか。バテたり、体調を崩したりはしていませんでしょうか。
と、書いてみたものの、6年生諸君とは、ほぼ毎日顔を合わせておりますから、君たちの様子は分かっております。みんな元気です。そして、とても良くがんばっていますね。おそらくこの夏が、人生の中で一番がんばった夏になるのではないかと思います。
ところで、私は生徒たちに「がんばっているね」とか「どうした?しっかりせんか!」とかとよく言います。その指摘が外れることはまずないのですが、中には「どうして分かるん?」と不思議そうな表情を浮かべる子もいます。チェックポイントはいくつかあります。一つだけお教えしましょう。一番はその子の『目』です。目に力が漲っているかいないかで、その子の状態が判断できるのです。精一杯がんばっている子は、目が輝いています。心が元気な子は、目に力があります。口数の多い少ないでは、元気は測れません。逆に、体が元気でも、悩みがあったり後ろめたいことがあったりする子の視線は、どことなく弱々しい。にらめっこではありませんが、こちらが見つめるとすぐ視線をそらしてしまいます。正に『目は口ほどに物を言い』ですね。同じことは大人にも言えます。ウソつきはすぐ分かりますし、つまらない生き方をしている人は目が濁ってます。眠たそうな目?論外ですね。
話が逸れてしまいましたが、夏休みも残り2週間。目がキラキラと輝いている素敵な子どもたちに囲まれ、充実した毎日を送りたいと思います。
夏休み終了。さて、君たちは自分のこの夏の過ごし方に何点をつけられますか。もちろん、自己採点で構いません。100点満点の人はいるかな?精一杯がんばれたという人でも100点は難しいのではないでしょうか。人間は機械ではありません。どうしても計画に狂いが出てきますし、常に100%の力を出し続けることも不可能に近いでしょう。それはそれで仕方のないことです。ただ、同じ失敗をくり返さないために、どうして計画どおりにできなかったのか、その原因はしっかりと把握しておかねばなりません。反省ばかりでもいけませんが、反省がなければ進歩はありません。目標の設定自体に無理があったのか。あるいは突発的なアクシデントが起こったのか。それとも、気持ちが弱かったのか。特に、6年生諸君は、これからは時間との戦いです。限られた時間内に最大の効果を出すにはどうすればよいか、この夏の経験を生かして工夫していきましょう。焦っていい加減なことだけはしないようにね。
低学年の諸君。ほとんどの人はよくがんばったのではないでしょうか。全ては自分の気持ち次第だとわかったかな。「できる・できない」ではなく、「やるか・やらないか」なのですよ。時間の大切さも実感できたことでしょう。ただ、残念なことに、明らかに怠けていた人もいます。何度か注意はしましたが、改まらなかったようです。それほど厳しく咎めなかったから、これでもいいんだと思ったのかも知れませんが、それは自分で気付かないことにはどうしようもないからなのです。済んでしまったことは仕方ないなどと開き直らずに、謙虚な気持ちで反省して下さい。
え?私は何点だったって?そうですね、少し甘いとは思いますが、80点ぐらいかな。
9月に入ってもなかなか涼しくなりませんね。夜になると虫の声が聞こえ、秋の風情を感じるようにはなったものの、日中は相変わらずの蒸し暑さ。運動会の練習が始まった学校も多いことでしょう。ただでさえ、夏の疲れも出てくる頃ですから、みなさん、体調には十分注意して下さいね。
ところで、来春の中学入試の日程がようやく判明してまいりました。今週の全体保護者会で資料として配付いたしますが、私が危惧していたことが現実になってしまいました。
関西の中学入試に『午後入試』が登場したのは、数年前。最初はほんの数校で「何を血迷ったことをしているねん」と笑っていたのですが、それなりの成果が見られたのでしょう。実施をする学校が次第に増えてきました。生徒確保の為には学校もなりふり構っていられないと言ったところでしょうか。しかし、この『午後入試』。受験生のことなど全く何も考えていません。ただただ自分たちの都合だけです。これではあまりに受験生が気の毒だと、機会あるごとに苦言を呈し、午後入試を実施している学校の先生には直接抗議もしてまいりましたが、私ごときがいくら何を叫ぼうが、大勢が変わろう筈はありません。それどころか、実施する学校はますます増える一方。ついに、来春は『早朝入試』まで登場する始末です。近い将来『深夜入試』を行う学校も出て来るのではないでしょうか。
決定してしまったことに異議を唱えても仕方ないと言われればそれまでですが、何とも割り切れない思いがいたします。
先日の全体保護者会には、ご多忙に関わらず多数ご参加下さり、誠にありがとうございました。生徒達の現況および問題点、そしてその解決についてお話させて頂きました。と申しましても、絶対的な解決法などあろう筈はなく、個々に対応していくしか仕方ないのですが、私の話が少しでもご家庭でのお子様との関わり方のヒントになれば幸いです。
さて、今回は親子の対立?について少々考えてみました。どうして子どもは親の言うことを聞いてくれないのでしょうか。親は子どものことを思うが故に、あれやこれやと口を出します。多くの場合は、見るに見かねて、やむを得ず(最小限の)注意をします。それでも、注意された方は面白くありません。100%自分に非があるとしても、なかなか素直に認める気にはなれません。ふてくされたり、わかってるわ!と偉そうな態度をとってみたり。また、もう子どもじゃないんだからと、反抗的になったりもします。先ず、ここがすれ違いの一歩目。親にしてみれば、子どもはいくつになっても子どもなのです。まして、小学生ならばついこの間までは赤ちゃんだった?わけで、親はその頃の記憶をいつまでも大事にしています。姿が見えないからとピーピー泣いていた子が、何を偉そうに、と思うのも無理からぬこと。歯向かってくる我が子に驚きとともに、怒りを覚えてしまうのです。心情的には理解できますが、これまた勘違い。子どもは親の隷属物ではありません。一個人として存在しているのです。親と違う考えをしても当然です。子どもは親のペットではないのです。なのに、いつまでも自分の思い通りになると思っているから、悲劇が起きるのでしょう。もっとも、子どもにしても、親が正しいことを言っていることくらいは分かっています。けれど、もっと自分のことを認めて欲しい。信じてもらいたい。なんで分かってくれない!と、理解してもらえぬもどかしさから、ついつい反抗的な態度をとってしまうのです。お互いが一番大切な存在なのに、本当は大好きな者同士が、つまらぬことで諍いをおこす。これほど悲しいことはありません。
まして、もしも対立の原因が勉強や受験ならば、それはとんでもないことです。お互いを尊重し、理解し合えれば、素敵な関係は築けるはず。感情に走らず、冷静に話し合えばきっと心は通じます。受験(特に中学受験)は、まわりの理解と協力なくしては成り立ちません。子どもが精一杯努力し、親はその姿を温かく見守る。机上の空論だと言われるかも知れませんが、私はけっして不可能だとは思いません。なぜならば、私たちはその理想を実現する為の応援を続けているのですから。
いつまでも暑い暑いと言ってはいられません。半袖上着なしの姿が異様に映るほど、急に涼しくなってまいりました。季節の変わり目、みなさんも体調には十分ご注意下さい。
さて先日、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」の結果が新聞に載っていました。
今回は、メールの普及によって漢字を書く力が衰えたと感じている人が、急増していると報じられていました。(10年前には40%だったのが今回は66%にも上るそうです)このことは私も感じており、実際字を書くことを面倒くさく思うこともしばしばです。ワープロやパソコンなどの機器のおかげで便利になったことも多い反面、かけがえのないもの(例えば、相手のことを思いながら手紙をしたためる心など)が失われてしまったようで、寂しさをおぼえます。
また、この調査では誤用されている例が毎年報告されており、興味深く(というよりは赤面しながら)見ております。今年も、えっ?と思うものがいくつかありました。自戒の念を込めながら、紹介してみましょう。授業でもまた取り上げられると思いますよ。
口先三寸 × → 舌先三寸 ◎ 本心でない巧みな言葉みなさんはいかがでしたか。私は、どれがとは申しません(申せません)が、2つも勘違いをしておりました。昨年に報告された例でも、「姑息」の意味を「ひきょうな」だと思っておりましたが、正解は「一時しのぎ」だそうです。
食指をそそられる× → 食指が動く ◎ あることを試してみようと思うこと
のべつくまなし × → のべつまくなし ◎ ひっきりなしに動くさま
一つ返事 × → 二つ返事 ◎ 快く承諾すること
これらは、私でも間違えませんでしたが、意味を取り違えていた例では・・・。
煮え湯を飲まされる
× 敵からひどい目に遭わされる ◎ 信頼していた者から裏切られる
うがった見方をする
× 疑ってかかるような見方をする ◎ 物事の本質を捉えた見方をする
にやける
× 薄笑いを浮かべている ◎ なよなよしている
失笑する
× 笑いも出ないくらいあきれる ◎ こらえきれずに吹き出してしまう
割愛する
× 不必要なものを切り捨てる ◎ 惜しいと思うものを手放す
暑いやら涼しいやらと言っているうちに、早くも10月。さすがにもう秋の気配です。季節の変わり目には、体調を崩す人が増えてきます。みなさん、十分注意して下さい。
さて、統一入試日までのカウントダウンを始めました。10/1(月)現在であと110日となりました。毎年行っているこのカウントダウン。けして、意地悪でやっているのではありません。もちろん、生徒達の気を引き締めるのが狙いではありますが、焦らせたり、慌てさせようというつもりはありません。むしろその逆です。残された時間がわずかなのですから、一つ一つをきっちり仕上げていこう。今まで以上に丁寧に復習していこう。と言いたいのです。時間がないからと、慌てて雑になってしまう人が毎年いますが、焦りは絶対に禁物。まだ100日あるのです。自分の目標をしっかりと見据え、決意を新たにして下さい。ただ、無駄にできる時間などは残されていません。日々のスケジュールを今一度見直し、弱点補強のための少し長期的な計画を立てられることをお勧めします。
暑さで眠れぬ日がつい先日まで続いていたかと思えば、最近では寒くて目覚めるようになりました。季節のうつろう早さには戸惑いを覚えてしまいます。
さて、そろそろ次年度以降の計画を立てねばならぬ時期になりました。
実は、今とても悩んでおります。これまでのスタイルを続けていくか、生徒や保護者のニーズにもっと柔軟に対応できるようシステム自体見直すべきなのかと。
今までの私は、どちらかと言えば「黙っておれについてこい」というスタイルでした。もちろん、ほったらかしにはいたしません。むしろ、いい加減なやり方をしている者に対しては、徹底的に追及してきたように思います。何故ならば、言うまでもありませんが、適当な事をしていても何一つ得られるものはないからです。しかし、その結果、保護者からも生徒からも「厳しすぎる」と言われるようになってしまいました。最小の努力で最大の効果を上げたい。しんどいことや苦しいことは嫌。辛い思いなぞ絶対に味わいたくない。目的合理を追及する、現代の風潮と言ってしまえばそれまでですが、私の考えとはとても大きな隔たりを感じます。喜びは自分の手でつかむもの。誰かが与えてくれるものではないはずです。夢の実現には努力が必要です。楽しいことばかりではありません。ときには苦しみも伴うでしょう。けれど、努力の末に得たものは、一生の宝になります。たとえば、将来困難にぶつかったとき、それを乗り越える力になります。私は、勉強を通じて努力することの尊さを知ってもらいたいと考え、生徒達に接してまいりました。もちろん、現在もこの考えは変わっておりません。
しかし、もっと生徒側に歩み寄る必要もあるのかも知れません。例えば、教え方一つを取ってみても、「説明をしっかり聞いて、自分で考えろ」ではなく、「ここまではわかるかな。じゃあ、これは」と、手取り足取りていねいに教えた方が理解できる生徒もいます。けれど、集団授業という形式では限界があります。では、個別形式?う〜ん・・・。また、宿題をしてこなかった生徒に対しても、注意するより前に「どうしてやらなかったの。そうか、できなかったのか。大変だよね」と生徒の主張を全面的に信じ、根気強く宿題の必要性を理解させるべきなのでしょう。これまでも必要に応じてそのように対応しておりましたが、自分の中に抵抗があったのも事実です。
どのようなスタイルがベストなのか。一概には言えることではありません。時間的にあまり猶予はありませんが、ぎりぎりまで考えてみたいと思います。
巷の明るい話題と言えば、山中伸弥教授のノーベル賞受賞。素晴らしいですね。もっとも、ノーベル賞だから素晴らしいと言いたいのではありません。努力の成果が最高の形で評価されたことに最大の賛辞を送りたいのです。残念ながら、私には研究内容についてはさっぱり分かりませんが、挫折にもめげずたゆまぬ努力を続けることがどれほど大変なことかは想像できます。やはり、人間は能力だけではない。強い意志が必要なのだと改めて教えられたような気がいたします。
ところで、山中教授。人物像もなかなかユニークだそうですね。真面目一本槍ではなさそうで、好感が持てます。私も同年代ですし、学部は違えど同じ大学に在籍しておりましたから、どこかですれ違ったことくらいはあるかも知れません。卒業生の保護者の中には、山中教授の同級生もおられるので、今度お会いした時にお話を伺ってみたいと思います。
秋らしい爽やかな好天が続いております。私も、気分晴れやか、元気いっぱいと言いたいところですが、正直今一つすっきりしません。
原因はいろいろありますが、何一つ解決しておりません。こんなときは何を書いても愚痴っぽくなりそうですので、申し訳ありませんが、今回この欄はお休みとさせていただきます。
先週は大変失礼いたしました。年に数回訪れる軽い鬱状態と色々な雑事が重なり、とても明るい話題を提供できるような心境ではなかったのです。それにしても何も書かないというのはお粗末すぎました。今後はこのようなことがないように致したいと思いますので、どうぞお許し下さい。
と、申しましても劇的な変化があろうはずもなく、現在も似たような状況であることに変わりはありません。それでも、全ての問題は心の持ち方次第でどうにでもなると考えることにしました。どんな人にでも悩みはあるはず。それを表に出すか出さないかの違いで、深刻な顔をして思い詰めても仕方ありません。どうにかなるさで解決できることばかりではありませんが、何とかするさ、できるはずさと、良い意味で開き直ろうかと思います。
さて、今週は年間休講日があります。普段の学習が行き詰まっている生徒諸君は、生活習慣を改める軌道修正の良い機会としてください。
私はしばらく旅に出ます。探さないで下さいね。え?無責任?そうですか。