なかなか春らしくならないとぼやいておりましたが、5月の声を聞くとちゃんとそれなりの気候になるから不思議なものです。昨日などは、まだ早いかなとも思いましたが、教室の冷房をつけてしまいました。今年は節電で我慢しなければならないだろうというのに、あの程度の暑さに負けるとは。こんな事ではこれから先が思いやられます。
さて、みなさんは今年の連休はいかがお過ごしでしたか?大型連休と言っても、最近は3連休など珍しくなく、とりたてて大騒ぎするほどのことはなかったかも知れませんね。それでも学校がない分、少しはのんびりとし、リフレッシュできたのではないでしょうか。ただ、この連休中にかえってペースを乱してしまった子もいるようです。無計画に時間を浪費するほど勿体ないことはありません。すんでしまったことは仕方ないとも言いますが、どうして同じことばかりくり返すのでしょうか。反省すべき点がどこにあるかを今一度見つめ直し、できるだけ早くその生活態度を改めて下さい。
これからしばらくは休日もありません。落ち着いた日々が戻ってくるはずです。目標をしっかりと見定めて、きちんとした計画のもとに行動するよう心がけていきましょう。
風薫る五月。ようやく爽やかな季節になりました。抜けるように青い空。目にも鮮やかな新緑。吹き渡る風。何て素晴らしいのでしょう。個人的には一年でこの時期が一番ではないかと思っております。しかし、こう言っているうちに、じきに梅雨が来て、じめじめした日が続き、やっと梅雨が明けたと思ったら、今度は本格的に暑い夏が始まる。ああ、嫌だ嫌だ。けれど、そんな風に考えていたらつまらないですよね。先のことよりも今を目一杯楽しみば良いですね。私も束の間の幸せに?ひたりたいと考えております。
とは言え、そんなのんびりしたことも言っていられないのが、現在の生徒達の状況です。各学年とも問題が山積みで、非常に頭が痛いのですが、こればかりは目をそらすわけにはまいりません。しっかり現実を見据え、一つ一つ解決を図っていきたいと考えております。
「私はいつも助けられて生きてきました。それは友であったり友の親であったり、同僚や上司だったこともあります」穏やかな口調で校長先生は語られました。「おかげで楽しい人生が送れました。それを忘れず、これからも人を裏切らない生き方をしていきたい」と仰るのを伺い、私は心が震えました。
先日の教育講演会でのことです。(ご多忙にも関わらず参加下さった保護者のみなさま。本当にありがとうございました)
10年以上にわたり毎年行ってきた教育講演会も今年で最終回。掉尾を飾って下さったのは、東大寺学園中学校・高等学校の矢和多忠一校長先生。公立高校で化学の教師として長年教鞭を執られた後、教育委員会にお務めになり、奈良県の教育委員長にまでなられたお方で、東大寺学園の校長に就かれたのが4年前です。
実に心温まる講演でした。誠実なお人柄がそのまま表れた柔らかな語り口で話される素晴らしいお話の数々。「これからの教育」という難しいテーマでしたが、分かり易く説明して下さいました。
先ず、家庭教育の大切さを指摘されました。生活習慣の確立がいかに重要であるかは、十分理解しているつもりでおりましたが、データをもとに具体的に数字で示されると驚くことばかりでした。例えば、家の手伝いをしているか、家族で会話をしているかどうかで、困っている友達の相談に乗ってあげる人の数は1.5倍にもなるそうです。親の関わり方で子への影響がどう変わるかの分類も興味深く思いました。それによると、私は「過保護・溺愛型」に当てはまり、そのタイプの親が子に与える影響はろくなものではありません。分かっていたら我が子への接し方も少しは変わったものになったのかと思う反面、いやそれでも変わらなかったかも知れないと、苦笑しながら資料を拝見いたしました。生活体験や自然体験が多いほど、道徳観や正義感が芽生えるという意見にも大いに肯けました。「心が変われば行動が変わる・行動が変われば習慣が変わる・習慣が変われば人格が変わる・人格が変われば運命が変わる」先生のお言葉ではありませんが、環境や習慣の大切さをとても適切に言い表していると感じました。
「相手の立場に立って考えることが大切だ」と先生は仰いました。人は一人一人が違う。分類すること自体不可能で、そのためお互いの立場をふまえて考えることが必要なのだと。同じようなことを孔子やキリストも言っており、恕(己の欲せざる所は、人に施す勿れ)や黄金律(人にしてもらいたいと思うことは何でもあなたがたも人にしなさい)がそれにあたるそうです。先生は「人と人は多様性ゆえに本当のところは分かり合えない。しかし一方で、人間は集団の中で生活し、行動する社会的な動物です。他の人と関わることによって生きることができ成長することもできる。つまり、人間は分かり合えないという認識を基本としながら、同時に分かり合わないと生きていけない存在だと知っておく必要があり、何とか分かり合おうとする努力を怠らないことが大切なのだ」とご自身の著書(教育改革 進行中 なら)の中でもお書きになっています。「人を理解するには、その人の行動と動機を見ればよい。さらにその人がどこに満足しているのかを判断の拠り所にすべきだ」と語られたのを耳にしたとき、私は己の行動が恥ずかしくなりました。これからは、この言葉を肝に銘じて生きていこうと思います。
教育は、自立した社会人の育成を目標としているが、文明の発達とともに大人は幼児化(耐性の低下や依存性の増大)していくことを考えると、暖衣飽食のこれからの時代、教育はますます難しくなっていくだろうと仰いました。それでも、心身を鍛え、高い志を持ち、苦難に屈せぬ気概を養うことこそが、これからの教育に求められることだと言われ、先生はお話を終えられました。
その後、保護者からの質問にも快くお答え下さりました。即答できないような難しい質問(やる気にならない子どもをどのようにその気にさせればよいのか。あらゆる手段を講じてきたが変化は見られない。等々)が相次ぎ、大変お困りの様子でしたが、ご自分の経験をもとに分かり易いヒントを下さいました。
参加下さった方々も、素晴らしい講演にきっと満足なさったことと思います。私の拙い筆力では、あの場の感動を再現することは到底無理です。講演の模様はビデオに撮影致しました。ご希望の方がいらっしゃりましたらお申し付け下さい。貸し出し致します。
早くも梅雨入り。今年は例年より大分早いそうです。しかし、早く梅雨入りしたから梅雨明けも早いとは限らないと聞きました。しばらく鬱陶しい天気が続くと思うと気分が滅入りますが、自然相手に文句を言っても仕方がないこと。まあ、雨の日には雨の日の楽しみ方があるでしょう。と書きましたが、正直私には思い当たるものがほとんどありません。雨上がりの好天が嬉しいくらいでしょうか。みなさんはいかがですか。山下先生は「雨の日の匂いが好き」と言っていました。詳しくは本人に直接お聞きください。
さて、今週は年間休講日。私事で恐縮ですが、東京に行ってまいります。いつも慌ただしいスケジュールですので、今回は少しのんびりするつもりです。「受験生には休みなんかあらへんのよ。先生ばかりずるいわ!」と6年生には怒られそうですが、どうかお許しください。
4年生と5年生は授業が1日お休みになります。ラッキーなんて思わずに、たまっている宿題があれば、遅れを取り戻すにはまたとないチャンスですので、少し多めの計画を立てて実行して下さい。
早くも6月です。毎回同じようなことを書いておりますが、こんな調子でじきに夏休みが来るのかと思うと、恐怖すら覚えてしまいます。
さて私事ですが、先週の年間休講日を利用して、東京に行って参りました。表向きの理由はいくらでも付けられます(算数オリンピックやアルゴクラブのお仕事など)が、良い格好ばかりしても仕方がありません。はい、息子達に会ってきました。現在2人で共同生活をしている彼ら。果たしてどんな暮らしぶりだろうかと、心配になって見て参りました。いつまで経っても子離れできないバカ親ですね。しかし言い訳になりますが、次男に至っては上京後一度も帰ってきていないのですから。
不安は的中。食生活をはじめ、色々な面でかなり乱れておりました。しかし(親としては寂しい気がしますが)、あとは彼らに任せるしかないのでしょう。せめて元気でいてくれることを祈りたいと思います。
6年生諸君。第1回の合格判定テストはいかがでしたか。少しは目が覚めましたか?現実の厳しさに気付いたことでしょう。たった1回のテストで絶望することも諦めることもありませんが、努力もせずに甘いことばかりを夢見ていては何も始まりませんよ。
6年生のみならず各学年とも多くの問題を抱えております。諦めることなく、一つ一つ解決を図っていきたいと考えております。
生徒諸君に尋ねます。一生懸命がんばることをどう思いますか?カッコイイと思いますか?それともカッコ悪いと感じますか?
テレビドラマやマンガに登場するヒーロー達はほとんどがカッコ良く描かれていよね。彼らは才能が豊かで、大した苦労をせずとも色々な難局を乗り越えていくことができます。憧れてしまいますよね。もちろん、中には血の滲むような修業の末、現在の能力を身につけた者もいるのかも知れませんが、その過程が取り上げられることはあまりありません。だから、つい勘違いしてしまうのです。試行錯誤を重ねて問題を解決するよりも、ささっとスマートに解決する方が良いことなのだと。
虚構の世界ではそれでも良いでしょう。しかしながら、現実は違います。そもそも、才能にあふれ、特殊な能力を生まれそなえている人なぞ、どれほど存在するのでしょうか。
スポーツを例にとってみましょう。一流のプレーヤー。天才と呼ばれる人でさえ、練習に練習を重ね、そう、それこそ人の何倍も努力しています。だからこそ、素晴らしいプレーが当たり前のようにできるのです。最初から何でも上手にできる人なんていません。
さて、一方、私たちのような凡人はどうでしょうか。多くの人は、一度は一流に憧れるものの、自分の実力との余りの開きに愕然とし、次第に夢を諦めてしまいます。私も同じですが、かつての野球少年達は今やビールを片手に野球観戦に興じるオッサンと化してしまいました。それが悪いことだとは言いません。すべての人が幼い頃に夢見た姿になれるわけではありません。しかし、一流になれた人は、そこで夢を諦めず、努力を続けた人なのです。努力をした人が全て成功できるとは限りませんが、成功を収めた人は全員努力をしてきた人なのです。
スポーツの世界だけではありません。勉強だって同じです。いや、勉強の方がスポーツより才能の占める割合は少ないかも知れません。何故なら勉強に特殊な才能は要らないからです。勉強はやろうと思えば誰にだってできます。成功できるかどうかは、努力を続けられるかどうかだけで決まると言っても良いでしょう。つまり、全ては自分の意志次第なのです。となると、格好が良いとか悪いとか言ってはいられないですよね。努力から逃げ出す人は、自分の可能性を捨てている人です。格好悪いから嫌だと言うより、ただ苦しいからやりたくないだけなのです。楽しいことと楽なことの区別のつかない人も多いですが、一番質が悪いのは「自分はやればできる。そんなに必死にならなくても大丈夫」と勘違いしている人です。
努力を放棄した後に待っているのは、後悔だけです。何も難しいことはありません。今を精一杯生きればよいのです。
私事で甚だ恐縮ですが、また一つ年を重ねてしまいました。いつの間にかもう51歳です。
生徒達にはいつも偉そうに、今を懸命に生きなさいと、言っている私ですが、最近は体力だけでなく知力までも衰えを感じるようになってきました。しかし、辛うじて、気力だけはまだ残っております。そもそも好きで始めたこの仕事。精一杯がんばっている子どもたちの応援がしたい、彼らの夢を実現する手助けがしたいという気持ちは、何一つ変わっておりません。私には信じて下さっている生徒達や保護者の方々への責任もあります。いつまでこの仕事を続けるのかと問われれば、後何年とはっきり言い切る自信はありませんが、気力と体力(知力も含め)が続く限り、がんばりたいと思っております。
梅雨明けはまだのようですが、季節はもうすっかり夏ですね。今からこれだけ暑いと真夏には一体どうなるのでしょうか。心配しても仕方がないこととは言え、いささか恐怖を覚えてしまいます。
そう、今年もまた夏がやってきたのです。HOPESは今年21回目の夏を迎えます。
受験生にとっては、勝負の夏・試練の夏。あまり良いイメージではありませんね。確かに楽しい夏ではなさそうです。過酷な夏になるやも知れません。しかし、この夏を乗りきらないことには何も始まらないのです。いやいや行っていても効果はありません。どうせなら真っ向勝負。自分の限界に挑戦するくらいのつもりで、思いっ切りがんばりましょう。喜びは努力の末につかむものです。暑い夏、いいえ、熱い夏。私も真剣勝負で臨みます。
この欄にコメントを書き始めてもう何年になるでしょうか。毎週のことだから、トータルしてみると結構な数になるはずです。「よく、そんなことまで書きますね」と言われたことも一度や二度ではありません。しかし、上辺だけを取り繕っても仕方がないと思い、できるだけ飾らずに、ありのままを書き、本音を伝えたいと考えてまいりました。
けれども今、私は迷っています。最近の思いや悩みを正直に書くべきなのか、それとも心に秘めたまま封印すべきなのか。私に豊かな文才があり、心の機微まで上手く表現できるのであれば、話は早いのですが、悲しいかな、私の筆力では誤解を招くばかりでしょう。そう考えると、やはりここに書くのは腰が引けてしまいます。けど、このままでは「引っ張るだけ引っ張っておきながら、何やのんそれ!」と言われてしまいます。そうだ、こうしましょう。今度の保護者会で申し上げることにいたします。
さて、困りました。話すのは書くよりもっと苦手な私。どうしましょ。
先日の全体保護者会にはご多忙中にも関わらず多数ご参加下さり、誠にありがとうございました。少々情けない面をお見せしてしまいましたが、21年目の夏に向けての私の現在の気持ちを正直に話させて頂きました。もう一度初心に返り、精一杯がんばる所存であります。今後ともご理解とご協力を何卒よろしくお願い致します。
さて、生徒諸君。君たちは今、自分の精一杯を尽くせていますか。もちろん、怠けている人はいないでしょう。自分なりには一生懸命がんばっているはずです。なのに、いろいろと注意を受ける。何でやねんと、納得のいかないことも多いでしょう。けれど、誤解しないで下さい。私たちは、君たちの悪い所を見つけてやろう、足りない所を責めてやろうなどと考えている訳ではありません。やり方を改めなければ、効果がないから注意するのです。今のままでは、時間ばかり浪費して何も残らなかったなんて事にもなりかねません。例えば、復習。見ているだけなんて論外。解き直さずにただ答えを書き写しても無意味です。時間がないから仕方なく。と言う人もいるでしょうが、却って時間を無駄にしていることにどうして気付かないのでしょうか。何度も同じ様な注意を受けて嫌になるのも分かりますが、もう少し謙虚な気持ちで受けとめてもらいたいと思います。反省がなければ進歩もありませんよ。