<910> 2011.2/28〜2011.3/6

 新学年が始まって早くも1ヶ月が経ちました。なんと今週からはもう3月です。時の過ぎる早さに今さらながら驚いております。
 さて、春期集中講座の時間割を作成しました。春期は、夏や冬に比べると時間も短く、生徒諸君にとっても私たちにとっても、それ程ハードではありません。(と言っても、私には全く休みがありませんが)じっくりと勉強に取り組める絶好の機会です。普段復習が疎かになっている人や、ていねいな学習ができていない人たちは、この春休みで自分の学習スタイルを立て直してもらいたいと思います。どの学年にも共通していることですよ。

<911> 2011.3/7〜2011.3/13

 私は奈良に住んでおりますが、早くも梅の花がほころび始め、ウグイスの鳴き声も耳にするようになりました。「ああ、もう春だな」などと思っていた矢先、先週はいきなり冬?に逆戻り。雪まで降る始末。おかげで、生徒達の中にも体調をくずしている者が増え、心配しております。
 さて、新学年が始まり1ヶ月。新入生の人達も何とか授業のペースをつかめてきたようです。家庭学習に関してはまだ心もとない人も見受けられますが、幸い、みな真剣に取り組もうとしており、先ずは一安心といったところでしょうか。各学年の学習状況の詳細は、今週の保護者会で報告させていただこうと思っています。
 

<912> 2011.3/14〜2011.3/20

 恐ろしいことが起きてしまいました。
 全体保護者会(多数のご参加ありがとうございました)の終了後、用事で駅まで出かけたときのこと。急に目眩を感じ、立っていられなくなりました。けど、それは目眩ではなく、地震だったのです。その時は、まさかこんな大惨事が起こっているとは思いもよりませんでしたが、時とともに被害は拡大していくばかり。報道を目にする度に心が痛みます。何も出来ない私ですが、せめてこれ以上の被害が出ないことを祈りたいと思います。
 さて、全体保護者会では、主に家庭学習について話させていただきました。いや、家庭学習の大切さを改めて言うより、むしろ生活習慣を確立することの意義をお伝えしたかったのですが、ご理解いただけたでしょうか。
 どの生徒も授業中の理解度には大差ありません。みな熱心に聞いていますし、問題にも真剣に取り組んでいます。ところが、同じ授業を受けながら、学力の定着にはとても大きな開きが生じます。何故でしょうか。それは、能力の差ではありません。家庭での取り組みに原因があるのです。復習一つを例に取ってみても、ただやれと言われたからやっている子と、「授業ではここで間違えた。そうか、ここがおかしかったんだ」と一つ一つ確認しながら解き直している子とでは、どちらが力をつけていくかは言うまでもないことです。ただ、そんなことはだれにでも分かっているはず。なのに、何故いい加減にしてしまうのか。いい加減にしかできないのか。これもまた、答えは簡単です。私たちが必死になってさせようとしていることが、本人にとってはそれほど重要なことではないのです。重要だと認識していないから、適当にしかできないのです。では、どうすれば彼らは気付くのか。どのようにして彼らの意識を高めていけばよいのか。問題はここです。これが難しい。実に難しい。強制力をもって無理矢理させるのは容易です。しかし、その効果は長続きしません。では、本人に自覚が生じるのをひたすら待つのか。本来ならば、そうあるべきでしょう。しかし、自覚が芽生えるのは一体いつなのか。どこまで待てばよいのでしょうか。中学受験という時間制限のある勝負において、そんな悠長なことは言っていられないのが現実です。結局は、誉めたり叱ったりしながら本人を本気にさせるより仕方ないのでしょうが、ここで忘れてならないことがあります。それは両者の間に信頼関係が成り立っていることです。一方的に叱りとばしても、また盲目的に信じるだけでも効果はありません。お互いに相手を信じ、尊重していれば、いい加減なことはしないでしょう。本人と私たちの間だけではありません。本人と保護者の間は言うまでもなく、保護者と私たちの間にも確固たる信頼関係が成り立っている必要があります。より確かな信頼関係を築けるよう、今後も努力していこうと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

<913> 2011.3/21〜2011.3/27

 大地震発生から早10日。依然として余震は続いているようですし、原発も予断を許さない状況で、心配は尽きません。おそらく、被災地の困窮は想像を絶するものがあるでしょう。一方、私たちは食事もとれますし、入浴もできます。本を読むことや音楽を聴くことも許され、冗談を言い合って笑うことさえ可能です。テレビだって見られます。眠る場所の心配をすることもありませんし、寒さに震えることもないのです。何より私たちは生きています。震災の報道に接する度に、無事でいられることのありがたさをつくづく感じます。生徒の中には「そんなん当たり前や」と言い、私に叱られた子もいましたが、普通でいられることは当然の権利ではありません。実にありがたいことなのです。感謝の気持ちを忘れずに、精一杯生きていきたいと思います。
 さて、いよいよ春休みが始まります。ふだんは時間がなく、どうしても勉強が雑になっている人たち。この休みは生活のリズムをとりもどす良い機会です。まずは、しっかりとした計画を立て、必ず実行していきましょう。

<914> 2011.3/28〜2011.4/3

 「今年は桜の開花が遅いのだろうか?いつもならもうチラホラ咲いているはずなのに」
 不思議に思い、少し調べてみましたが、開花予想では例年並みだとか。昨年が早かっただけのようです。人間の記憶なんていい加減なものだと、改めて思い知らされました。
 とは言え、今年の春は少々寒すぎるのではないのでしょうか。明るいニュースがないことが寒さに拍車をかけているのかも知れません。インフルエンザもまだ流行っているようですし、みなさんも健康には十分注意して下さい。
 私は、生徒達のおかげで元気です。彼らのエネルギーをもらいながら、毎日楽しく授業に臨んでおります。のんきな生徒達が多いことが気にはなりますが、まあ多少のことなら目をつぶりましょう。けれどあまり調子に乗っていると、そのうちエライ目に遭いますよ。叱られるからというのではなく、全ては自分のためだと言うことを忘れずに、日々精進してもらいたいと思います。

<915> 2011.4/4〜2011.4/10

 遅かった桜も咲き始め、ようやく春めいてまいりました。
 春と言えば入学式。ところが、関東では式が中止になった学校が多いそうです。仕方ないとは言え、一生に一度なのにと思うと気の毒です。しかし、大切なのは形式より内容。今のフレッシュな気持ちを忘れず、しっかりと将来を見据え、力強く進んでいってもらいたいと思います。
 HOPES卒業生諸君。入学おめでとう。きっと、希望に燃え、これから始まる中学校生活に胸をふくらませていることでしょう。この喜びは努力の末につかんだもの。今の気持ちを決して忘れないで下さい。あなたたちには前途洋々たる未来が待っています。一人一人が無限の可能性を秘めています。夢を実現できるかどうかは、全て自分のがんばり次第。HOPESで鍛えられた精神力で、これからも精進して下さい。
 さて、現役生諸君。今は辛いこともあるでしょう。けれど、努力のあとには喜びが待っています。それを信じて、苦しみも乗りこえていって下さい。
 さあ、新学期です。がんばっていきましょう。

<916> 2011.4/11〜2011.4/17

 春期集中講座が終わりました。今年は体調を崩す者が少なく、例年より出席率は高かったです。無事終了する事ができて正直ホッとしております。
 私たちの仕事は、先ずは生徒達に学力をつけること。しかし、それだけではありません。生徒達に学ぶ喜びを教え、彼らを元気にすることも大事な役目だと思っております。そのためには、一人一人のことをよく理解する事が何よりも必要になってきます。講習会中は生徒達と接する時間も長く、コミュニケーションをはかるにはとても良い機会です。もちろん彼らの全てを理解できるわけではありませんが、今回は割と冷静に見つめることができたと思います。
 実に様々なタイプの生徒がいます。自己主張をくり返し絶えず自分をアピールしようとする子。自分の世界の中で淡々と生きているような子。当然ながら同じ接し方ではいけません。中にはなかなか心を開こうとしない子もいます。しかし、今回改めて感じたのは、みな自分を認めてもらえれば嬉しいのだということ。いい加減なことをする者もいます。いや、少なくありません。いくら言っても改まらなければ、正直こちらも腹が立ちますし、情けなくなります。だからといって、その全てを否定してしまっては、何も進展しないのも確かです。ちゃんとできなかったのには、やむを得ない事情があったのかも知れません。彼らの精一杯を最大限に評価し、次につながる指導を心がけたいと考えております。

<917> 2011.4/18〜2011.4/24

 東大寺学園に行って、矢和多校長先生とお会いしてきました。今回の訪問の目的は次男がお世話になったお礼と・・・。
 私は、東大寺学園には心から感謝しております。以前この欄にも書きましたが、息子は一時期目標を見失い、潰れそうになっておりました。そんな彼を救って下さったのは、温かく見守って下さった先生方です。素晴らしい先生方やかけがえのない友との出会いが、彼を支えてくれたのだと思っております。
 また、息子が学園生活を楽しく送ることができたのは、東大寺学園の校風のおかげでもあります。生徒の自主性を重んじる、自由でのびのびとした校風は東大寺学園の伝統です。校長先生も東大寺学園の出身でいらっしゃいます。先生の在学時代は今よりももっと自由だったと伺いました。また、先生のご子息も東大寺学園で学ばれました。同じ学校を選ばれたのは、校風に惹かれるところも大きかったのではないでしょうか。
 校長先生は、化学の教師として17年間公立高校で教鞭を執られ、その後、教育委員会に20数年お務めなさったそうです。そして母校に校長としてお戻りになられたのが4年前。「生徒達とふれあえる教師の方が楽しい」と仰っていました。
今回お訪ねしたもう一つの目的は、校長先生に教育講演をお願いすることでした。なかなか切り出せずにおりましたが、思い切ってご依頼すると、快くお引き受け下さいました。
 きっと、楽しく、ためになるお話を伺うことができると思います。保護者のみなさま、どうぞご期待下さい。

<918> 2011.4/25〜2011.5/1

 早くも4月が終わろうとしています。季節の移り変わりに、今一つピンと来ないのは、ここ最近の寒さのせいでしょうか。それとも私の感覚がずれているのでしょうか。
 学校の新学年が始まり、約半月が経ちました。みなさん、新しい生活のリズムはつかめましたか。多くの人は元気いっぱい張り切っているのですが、中には時間の確保に四苦八苦している人も見受けられます。無理がたたったのか、体調を崩している人までいます。
 当たり前のことですが、君たちは受験生である以前に小学生です。学校生活を疎かにはできません。限られた時間の中でいかに学校と家庭とのバランスを維持するか。簡単ではありませんが、良く考えてみて下さい。みな条件は同じなのです。自分一人が特別なことをしているわけではありません。確かに私たちは君たちにレベルの高いことを要求しています。量も少なくないでしょう。復習一つを取ってみても時間がかかります。では、一体どうすれば良いのでしょうか。時間がかかるから適当にやる、と言うのは論外ですよ。
 答えは簡単です。時間がかからないようにすればよいのです。方法は色々考えられます。例えば、授業中。ただ説明を聞いて、ただ板書を写していませんか。そのような状態でまともな復習ができるはずはありません。もっと真剣に考えるのです。たとえ正解にたどりつかなくても、説明を聞く段階で、自分がどこまで分かっていてどこで間違えていたかに気が付けば、理解はぐっと深まります。復習するときも楽になるはず。時間がないと嘆く人のほとんどは、その最初の一歩ができていないのです。
 また、やるべき事を把握していないと、どうしてもやり残しができてしまいます。MYDOノートやスケジュール表を活用して、毎日計画をきちんと立ててから実行して下さい。
 最後にもう一つアドバイス。「あれもこれもやらなければいけない」と思うとパニックになりがちですが、「これとこれだけやれば良いんだ」と考えるようにすると気が楽になりますよ。同じことじゃないかと思うかも知れませんが、一度試してみて下さい。
 生活のリズムが乱れてしまった人は、早くペースを整えて下さいね。

<919> 2011.5/2〜2011.5/8

 「なぜ勉強するのか?」
 少し前の「書いて帳・読んで帳」のお題です。5年生にはいささか難しいテーマだったようで、提出はわずかでした。その中で一番多かった答は「中学受験のために勉強する」というものでした。予想していたとは言え、残念でした。その考えが間違いだとは言いません。ある意味では正しいと思います。目的が決まっている方ががんばれますからね。けれど、やはり悲しい気がします。勉強は中学受験のため?では、中学へ進学したら勉強は終わりですか。中学や高校での勉強は、今度は大学受験のためですか。じゃあ、大学進学後は?
 ね。少しおかしいでしょ。もし、勉強がある手段を獲得するためだけにするものならば、目的を達成したらもう勉強しないでも良いことになりますが、果たしてそうでしょうか?確かに、現在は資格社会です。何をするにも資格が必要です。その資格を得るための勉強は大切ですし、必要だと思います。そのためには、学力をつけなければなりません。そもそも、塾で行っているのは、試験に通用するだけの学力をつけるための勉強です。
 それでも、勉強の本来の目的は、試験のために学力をつけるのではないと思います。
 以前、勉強とは「物事の善悪・正邪を自分の力で判断できるようにするため」に行うのだと考えておりました。今でもそう信じておりますが、最近はもっと単純でも良いのでないかと思うようになってきました。それは何か。「賢くなるため」です。誤解を招きかねない表現ですが、賢い=何でも知っている、ではありません。いくら知識が豊富でも、本人に考える力がなければ何の役にも立ちません。例えば、コンピューターのハードディスクには膨大な量のデータを蓄積することができますが、だれもハードディスクを賢いとは言わないでしょう。データは使いこなしてこそ意味があるのであって、知識も持っているだけでは無意味です。自分で考え、自分で判断する。そして自分で行動する。このことができる人こそ、賢い人です。
 よく「勉強が好きな子どもはいない」とか、「こんなん勉強して将来何か役に立つの」とか言う人がいますが、「勉強は賢くなるためにするのだ」と割り切って考えれば、すっきりするのではありませんか。
 あくまでも私個人の考えですので、押しつけるつもりはありません。
 みなさんも今一度、勉強する本来の意味を考え直してみてはいかがでしょう。

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