同志社香里中学校入学
帝塚山中学校合格

僕は、4年生の時にHOPESに入りました。はじめのうちは授業のペースが速いため、全くついていけませんでした。復習はせず宿題しかしていない状態でした。

5年生になっても宿題はしているもののやはり復習には手をつけられませんでした。秋ごろから、やっと復習をするようになり、少し成績が上がってきました。しかし、大嫌いだった国語と理科が足をひっぱっていました。好きだった算数と社会で少しでも得点を上げるため、算数はドリルとプリントはもちろん、授業のやり直しを必ずするようにしました。

6年生になって少しずつ苦手科目をこくふくしていく予定でしたが、宿題と復習だけで、とうとう夏休みが終わってしまいました。合格判定テストなども、いいときと悪いときの差がとてもはげしく志望校が決まりませんでした。しかし、同志社香里中学の文化祭に行ってから、この学校を志望校としてがんばろうという気持ちになりました。そこで理科では、先生からいただいた『これだけはおさえよう』のプリントを見直して、覚えるべき所は最初からやり直し、力学などはいろいろな問題にあたっていきました。そして、1月になると気持ちも引きしまりました。特に、早寝早起きを心がけました。

最初の1月11日の帝塚山中学の入学試験は、少し不安でした。しかし、みんなに会ったので気楽に受けられました。理科の試験時間が足りなくなったこと以外は、いい感じで受験できました。

次は同志社香里中学の入試。ここは本命だったし、塾の友だちが一人もいなかったのでとても不安でした。社会がとても難しかったけれど、社会の試験が終わった後ではもうそのことは考えませんでした。3日後に合格の知らせが来た時は、言葉では言い表せないほどうれしかったです。

最後になりましたが、今までお世話になった先生方、本当にありがとうございました。

大谷中学校(医進)入学
帝塚山中学校合格

私が入塾したのは3年生の初めでした。最初は授業がさっぱりわからず、いつもプリントがまっ赤になっていました。しかも、そのころは受験のことなど頭になかったので、宿題をやっていなかったり、やっていてもいいかげんだったりしたので、先生にはよく叱られました。4年の中ごろになって、やっと受験するんだなあと感じるようになりました。でも、まだ、教材のやり直しはしていませんでしたし、受験を意識した勉強も最低限しかやっていませんでした。そして5年になると、これでは大変だと思うようになりました。しかし、成績は伸びません。算数と社会が苦手で、特に社会の成績がものすごく悪かったです。社会の小テストも本当に悪くて大変でした。算数は前より上がってきて、たまに成績優秀者の中に入ってることもありました。たぶんそれは、授業のプリントの基礎問題だけでもやり直していたからだと思います。

6年になると、宿題も多くなり、こなすので精一杯というのが一・二ヶ月続きました。やっと余裕がでてきたところで、授業のやり直しを少しずつやっていきました。これで成績が落ち込むということはなくなりました。しかし、社会が大嫌いだったので、志望校も社会のない学校を選び、国語と算数に集中しました。やがて夏休みになりましたが、勉強パターンは変わらないままだったので、やり直しを完璧にするようにと先生に言われ、やってきていない時はかなり叱られました。そこでこの機会に授業や宿題のわからない所のやり直しをしていきました。お正月特訓も時間的には長かったけれど、私自身は短く感じました。

そしてあっというまに冬休みが過ぎ、とうとう帝塚山中の試験日になりました。試験前日には、先生からコンディションを整えるようにと、お電話を頂きました。試験のときは友達と一緒だったので、それほど緊張はしませんでした。学園前の駅には先生が待っていてくださっていて、はげましの言葉をかけてくださいました。テストでは、国語は授業でしていた事がそのまま出たので、よく出来ました。結果は合格でした。次は本命の大谷中学校です。コースは特進に決めていました。一緒に受ける友達は、医進のコースを受けるので教室も別々で、一人きりです。まわりを見れば、グループでかたまって話をしています。少し心細かったですが、HOPESでしてきた事を思い出し、これが最後だから自分の力を十分に出し切ろうと、がんばりました。結果は合格でした。そして自分の実力が特進で精一杯の力だったのか、もっと力があるのか、ということが急に知りたくなり、二次で医進も受けることにしました。試験当日は特進の時より緊張していました。でも先生が二人も応援に来てくださったので緊張はほぐれていきました。しかし、また別の緊張が私の中でうずまいてきました。教室へ行く時、般若先生が大きな声で「がんばっといでー」と言ってくれました。耳にした時は叱られたのかと思いましたが、はげましの言葉だったのでうれしかったです。試験開始前、回りの子は参考書を読んでいて、目つきが恐かったです。でも私はリラックスするために、ぼけーっとして時計を見つめていました。先生が言っていたように、参考書は見なかったのでリラックスできました。結果は残念ながら不合格でした。しかし一週間後に追加合格の知らせがきました。自分の力を試すために受けた試験でしたが、医進に行くことにしました。考えてもいなかった医進コースでしたが、HOPESで勉強してきて良かったなあとつくづく感じました。

こうして医進に行くことができたのもHOPESの先生方のおかげです。この4年間本当にありがとうございました。

四天王寺中学校(英数)入学
帝塚山中学校合格
大谷中学校(医進)合格

私がHOPESに入塾したのは、3年生の時でした。その頃、算数の時間では注意されてばかりでした。4年生からは、私の得意中の得意である社会が始まり、何とか算数のできの悪さをカバーしてくれました。やがて、5年生の後半頃から本気で受験の事を考えるようになりました。そして、志望校を四天王寺中にしようと思い始めたのも、この頃でした。

6年生 春

算数の授業やテストで間違えた所は、できるまで何回もやり直しをするようになりました。学校から直接塾に来ていたので、早めに塾に来て、学校の宿題を全部こなしていました。
6年生 夏休み
朝は早く起きるようにつとめました。1日の勉強時間は5、6時間を目標にしました。理科、算数にかなり重点をおきました。

6年生 冬頃

学校の行事が多かったため疲れてしまい、学校から直接塾に行った日は、考える気力がなくなっていました。その分、冬休みは、志望校の過去の入試問題のやり直しをし、入試へと向かっていきました。

1月10日 帝塚山中学入学試験

何故か、緊張感があまりありませんでした。模擬テストを受けるような気持ちでした。見直しは3、4回しておきました。ちょっと不安でしたが、合格しました。

1月15日 大谷中学入学試験

[共通」はとても簡単でした。「特医」の理科、算数にかなり不安が残りました。時間が長い為、休憩時は必ず廊下に出て、深呼吸していました。だいぶ心配でしたが、合格しました。

1月17日、18日 四天王寺中学入学試験

算数で、毎年出題されていた水の量の問題がなくて安心しました。社会では、聞いたこともないような都市名に悩まされました。でも、なぜかちょっと自信がありました。思った通り、本命の四天王寺中学にも合格できました。

後輩のみなさん。日頃から、なまけずにこつこつ勉強していけば、合格できます。毎日、おこたらずに努力して下さい。

最後に、HOPESの先生方、長い間ありがとうございました。

大阪教育大学附属天王寺中学校入学

僕がHOPESに入塾したのは、3年生の頃でした。

初めのうちは授業内容がよくわからず、宿題をするだけで精一杯でした。復習にまで手がまわらず、成績が伸び悩みました。

その後、得意な国語は復習も楽しくできて順調に伸びましたが、算数と理科は復習をしてもなかなか伸びませんでした。しかし、参考書などを電車で読んでいるうちに、5年生の最後のテストでいい点数をとり、それをきっかけに算数がグングン上がっていきました。

夏休みの直前に先輩達からアドバイスをもらい、よりいっそうやる気が出てきました。けれども、夏休みの間は宿題が多く、塾の授業がない日も朝から勉強勉強で、何度も眠気がし、もうやめたいと思うこともありました。

やがて夏休みも終わり、附属天王寺小学校での内部進学テストがありました。いつも以上に猛勉強をして臨んだ一回目のテスト。結果はB判定でした。

そして二回目の内部進学テスト。前回以上に頑張ったけれど結果はC判定と、順位が落ちていました。

やがて11月の附属天王寺中学校の入試試験になりました。集合場所に先生が来て下さっていて緊張もほぐれて、平常心でテストに挑むことができました。テストは手応えがなく、家に帰っても不安でした。でも、結果は合格でした。合格と知ったときは、感激で言葉も出ませんでした。

最後になりましたが、僕をここまで伸ばしてくれたHOPESの先生方、本当にありがとうございました。

奈良学園中学校入学
清風南海中学校合格

僕は、3年生の終わりごろに入塾しました。のんびり3年間を過ごしていたこともあってか、塾の勉強にはなかなかついていけませんでした。そんな状態だったにもかかわらず、4年生の時はなぜかまずまずの成績だったので安心してしまいました。そのため、先生が大切とおっしゃっていた復習も真面目にせず、宿題も適当にやっていました。そしてこんな状態で5年生の1年間も過ぎていきました。

その結果、6年生になった時は、社会科を除いて自信のある科目はなくなっていました。これではいけないと思い、それまであまりしなかった質問をすることにしました。質問しても理解できないときは、何度も何度も質問しに行きました。先生方はそんな僕の質問に対して、一向にめんどくさがらずに教えて下さいました。

あっと言う間に夏休みが終わり、すぐに入学試験になってしまいました。それまでの間、自分なりにはがんばったつもりでしたが、今思えばもう少しできたような気がします。

先生方には、御迷惑をおかけしましたが、今まで本当にありがとうございました。

清教学園中学校入学
帝塚山中学校合格

私は、4年生の時にHOPESに入りました。そのときは、授業についていくのも宿題をするのも全部みんなにおくれていました。それにもかかわらず、算数の時間にはボーッとしたり、理科や社会の時間にはノートをきれいにとりすぎたりして先生に注意されていました。

5年生の時も、宿題をしてなければならないのに、絵を描いたり、平気で寝たりしていました。

勉強なんて一度も好きだと思わなかったそんな私が、「あっ、おもしろくなってきた!」と感じ始めたのは、6年生になってからでした。算数や理科の力学で、今まで分からなかったところが理解できると、すごくおもしろくなり、やる気が出てきたのです。

やがて、1月8日になりました。この日は、激励会でした。いろいろな話を卒業生や先生方から聞きました。

帝塚山中学校の入学試験では、国語の時間に、かつてプリントに出された童話と、つい3日ほど前に小テストで勉強した漢字が2個も出たのでうれしかったです。

しかし、15日に行われた試験は、算数では変な間違いをし、国語では漢字の書き取りができず、理科も私のきらいな力学が多かったのでさんざんの出来でした。思った通り、不合格でした。そこで最後の清教学園中学の入学試験にかけようと思いました。

清教学園中学の理系の二次試験は倍率が7倍くらいあると聞いていたので、試験当日はすごく緊張しました。面接の時、足までガタガタふるえていたので、校長先生に「城井さん、そんなにふるえなくてよろしいよ」と言われてしまいました。でも、校長先生が「この中学校を受ける前に、どこか他の中学校を受けましたか?」と一人ずつ質問されていたときに、ある男の子が「甲陽も西大和も清風南海の二次も全部落ちました」と言ったので、みんな大笑いをし、私は落ち着くことができました。そして、心の中で(三校受けましたって言えばいいのに)と思いました。

結局、高い競争率だったにもかかわらず合格できたので、まあ清教学園中学には“縁”があったのかと思い、4月から通うことにしました。

先生方、3年間、どうもありがとうございました。

帝塚山中学校入学

僕がHOPESに入塾したのは5年の終わりでした。入ったときは、どの科目も難しくて解けませんでした。中でも社会の地理分野は、僕が入ったときにはすでに学習が終わっていたので、必死でがんばりました。ところが、社会だけをがんばっていたので、あとの科目はぜんぜんわからなくなってしまいました。

そこで僕はバランスよくやっていくことにしました。算数で分からなかった所は般若先生に聞き、理科で分からなかった所は理科の先生に聞きました。そして分からないところを少なくしていきました。口で言うのは簡単ですが、それは僕にとって至難の業でした。こなしてもこなしてもあとから山のような宿題が押し寄せてきました。おまけに僕は入塾した時期が遅かったので、算数の授業は5年の分まで受講させていただき、それは受験寸前まで続きました。そんなわけで、自分の不得意分野を克服する時間があまりにも少なかったのです。

入塾前は受験を少々甘く考えていた僕はあせり始め、みんなについていけるようにひたすらあらゆる問題を解き続けました。ここで、みなさんにお伝えしたいのは、どんなに時間がなくても宿題が多くても、決して投げ出さずに自分の力を信じてやり続けるということです。実戦では最初の頃みんなより成績が悪かったので、これではいけないと奮起し、自分なりに頑張り続けました。

こんなことばかり書くと苦しいことばかりに思えるかもしれませんが、決してそうではありません。まわりには仲の良い友達がいて励みになりました。そして、何よりも素晴らしい先生方に恵まれたことは、僕にとって最高の幸福でした。受験前日には般若先生に励ましのお電話を頂き、受験当日には会場までも先生が引率してくださいました。そのおかげで安心して試験を受けられました。みなさん、どうぞくじけないで、自分の力と先生方を信じて頑張って下さい。

最後に一言、「HOPESは日本一すばらしい塾です!」ここまで僕を導いて下さった先生方、どうもありがとうございました。

明星中学校入学

ぼくが中学受験を考え始めたのは、4年生のころからだ。どこか塾へ通わなければと思った時、マンションの下の階に住んでいる人にすすめられてHOPESに行くことにした。

最初は授業に追いつくのがやっとで、授業の後のプリントは真っ赤だった。しかし、だんだん授業に慣れてくると友人もでき、塾に通うのが楽しくなった。

4年生の二学期ぐらいから、ぼくは理科が大の苦手だということがわかってきた。とくに力学は全くといっていいほどできなかった。それともう一つ、電気だ。力学や電気が苦手な人は多いと先生が言われていたが、ぼくの場合は苦手どころではなかった。ここで後輩のみなさんに一言いわせてもらうと、力学や電気は入試問題ではいちばん差がつくところなので、しっかり学習しておいたほうがいいと思う。

ぼくの第一志望校は東大寺学園中学校だった。その入試日が1月10日と知り、早いなあと思った。なぜなら前年は20日以降だったからだ。ああヤバイなと思っているうちにとうとう一月に入ってしまった。

東大寺学園中学校の入試は、最初の試験だったので緊張したんだと思う。結果は不合格だった。くやしくて泣くに泣けなかった。ぼくはとても落ち込んだ。でも、いつまでもくよくよしていてはいけないと思い、次に星光学院中学校を受けることにした。しかし、試験問題は難しかった。自分でも解けないのがくやしかった。でもくやしいだけで、やはり落ちてしまった。自分がなさけなかった。これではいけないと思って明星中学校を受けた。

明星中学校の入試の日、般若先生が来てくれたのでうれしかった。とても安心した。がんばるぞと思って問題を解いた。そして1月18日の結果発表。ぼくはそのとき塾にいた。先生がおめでとうと言ってくれた。とてもうれしかった。
 最後に洛南中学校を受けた。がんばらなければと思ったがダメだった。努力が足りなかったんだなと思った。でもくやんでもしょうがなかった。

最後になりましたが、先生方とスタッフのみなさん、どうもありがとうございました。

灘中学校入学
東大寺学園中学校合格

今、自分の受験勉強をふりかえってみると、5年生まではHOPESの授業の復習と宿題をただこなしているだけだったと思います。それでも月ごとの復習テストでは好調だったので、「授業を受けて復習し、宿題してたら勉強はそれでいいんや」と思って、本を読んだり、HOPES通信にのっている推理パズルを解いたりする以外には特に何もしませんでした。

真剣に中学入試を意識して勉強し始めたのは、6年生になる直前くらいです。二月ごろに灘中学校のクラブ活動を見学し、灘中学校に入学しようと決心しました。

それからのぼくの受験勉強について述べてみます。

国語は、本を読んだり文章を書いたりして、文法や作文に慣れることに始めは重点を置いていました。やがて入学試験が近づくにつれ、漢字や言葉の知識を増やすことに重点を移していきました。言葉の知識が多ければ、本番の試験でも短時間で点数をかせぐことができると思います。

算数は、難題や特殊な問題を解いたときにはその解法をノートに書き留めました。このノートは後でもう一度見るときのためにできるだけていねいに書きました。

理科は、力学や水溶液や電気など、考えたり計算したりする分野の問題を多く解きました。

社会は、授業のノートや総復習のプリントが役に立ちました。けれども二学期になってからは、社会の問題集をほったらかしにし、理科と算数に力を注いでいました。

受験校の過去問は、灘中学は10年間分、東大寺学園中学は6年間分を10月半ばごろから始めました。予想以上に難しくて思うように点数がとれず、かなり不安でした。そのため、『Vエース問題集算数』や『最上級問題集理科』を仕上げ、見直しました。

勉強以外には、HOPES通信の推理パズルを毎週欠かさず解いたのがよかったと思います。頭の体操にもなるうえ、ストーリーを楽しめるものもあるため、ひまがなくても解く価値はあるでしょう。また、常に時事問題に興味をもつようにしていると、その知識が社会で役に立つことがあります。

さて、実際の入学試験ですが、1月10日に東大寺学園中学を受験しました。本命校ではなかったので、とにかく入試に慣れようと思い、あまり緊張しませんでした。だからといって手応えがあったわけではなく、実力を出しきれなかったように思います。東大寺学園中学の発表の前日に西大和学園中学の入試を受ける予定だったのですが、灘中学の入試までの日数を一日でも減らしたくなかったので、「東大寺はギリギリの線で受かってるやろ」と楽観的に考え、結局受けませんでした。

1月15・16日に灘中学校の入試を受けました。直前に過去問の一部を解いてみて間違えてばかりだったこともあり、東大寺学園中学のときとは反対にかなり緊張しました。しかし、先生が応援に来て下さっていたので、難しかったけれどもそこそこ切り抜けることができました。先生が「この問題は必ず今年どこかの学校で出る」とおっしゃった問題が一日目の算数に出ていて、しかもその問題の答えを覚えていたので、かなり自信がつきました。二日目はなぜか緊張することもなく、満点を取るつもり(本気でそう思っていた)で取り組みました。なお、入学試験を受けて気づいたことですが、試験の間の休み時間には人気のないところにいるほうが、次の時間に落ち着いて集中できるように思います。

最後になりましたが、HOPESの先生方、約4年という長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。

開明中学校入学
帝塚山中学校合格
香川誠陵中学校合格

僕がHOPESに入ったのは4年生の夏休みでした。最初は、授業に全然ついていけませんでした。それなのに宿題や予習・復習などを全くやっていなかったので、般若先生に叱られてばかりでした。それがイヤだったので、いつも算数をしていました。だから、算数だけはできるようになりました。しかし、4年生の終わりの進級テストでは成績があまり良くなかったです。そして、ここが進学するための塾だとわかったのは5年生の始めでした。そのときから少しずつですが宿題をやるようになりました。4年生のときから算数には力を入れていたので、時々テストの成績優秀者の順位表に名前がのるようになりました。また、社会では得意の歴史分野が始まったので、成績が少し良くなりました。5年生の1年間はとても短く感じました。6年生になって、実戦形式の授業が始まりました。そこでの算数の成績がとても良かったので、家族といっしょに喜んでいました。合格判定テストでは、志望校を書くことになっていて、第一志望を星光学院中学にしました。自分なりにはけっこうがんばったつもりでしたが、星光学院中学に合格できるようなレベルにはとどきませんでした。そこで、西大和学園中学を第一志望にしてがんばりました。

最初に受験したのは帝塚山中学でした。初めは受けないつもりでした。しかし、そうすると第一志望の西大和学園中学から始めることになり、ひどく緊張する心配があったからです。算数では、自分の得意な所が出題されたのでよくできました。けれど、他の教科は難しく思いました。合格発表の前に西大和学園中学の入学試験がありました。その日はとても緊張しました。そのせいか難しく感じられ、あまりできませんでした。次の日に両校とも合格発表がありました。西大和学園中学は不合格でしたが、帝塚山中学は合格しました。その二日後、開明中学の入学試験でした。今回は、得意な算数が難しく、国語は簡単でした。終わったときは心配でしたが、翌日の発表を見に行くと合格していていました。とてもうれしかったです。

今になってふり返ってみると、4年生の時からもう少ししっかりと勉強していたらよかったのにと思いました。

先生方、色々とありがとうございました。

神戸女学院中等部入学
金蘭千里中学校合格
奈良学園中学校合格

私は、3年生の時にHOPESに入りました。最初は、宿題も少ないし、先生も優しいし楽勝だなあという感じで、軽い気持ちで通っていました。ただ、最後まで悩まされた理科は、この頃から好きではありませんでした。4年生もだいたいそんな感じでした。違った点と言えば、難関コースの算数のプリントの最後の方に、問題を読むだけでも疲れるようなものが少しある程度でした。

地獄の入り口は、5年生の夏休みでした。宿題は多くなるし、大きらいで苦手な理科は、同じ事が何度も出てるのはわかっていましたが、それでもできないし覚えられませんでした。おまけに、算数の図形は、まるでひらめかないし、友達が簡単に解く立体図形が、私には全く出来ないのです。般若先生のきげんは悪くなってくるし、叱られてもわからないものはわからないし、家でのプリントの整理もめちゃくちゃになってくるといった具合で、当然成績は下がりはじめました。やばいなあと思っているうちに、あっという間に6年生。

6年生になると、塾に行く時間も曜日も増え、夕食もお弁当になり、つらかったです。けれど私なりにがんばりました。ところが成績は下がりっぱなし、ついに悲しくなって泣いてしまい、塾を1日さぼったこともありました。努力していれば、後から結果は自然についてくるから、気にせず目の前のことだけ片づけなさい、と母に言われ、何とか夏休みまでふんばりました。

夏休みは、苦手な理科と社会をやる予定でした。しかし、先生がこわいので先に算数の宿題を片づけていると時間がなくなり、気がつくとまた次の塾の日がやって来るという、何が何だかわからない状態でした。がんばるはずの理科・社会はほとんど手つかずの状態のまま九月に突入。

二学期は学校行事も多く、とにかくいそがしかったということしか覚えていません。

冬休み。みんなはとっくに志望校を決めて過去問をやっているのに、私は神戸女学院中学と金蘭千里中学のどちらにするかのさえ決められない毎日でした。入学したら楽しそうな神戸女学院にしたいけど、合格判定テストの結果はいつもBとかC。だからはずかしくて、とてもじゃないけど先生にも母にも言えませんでした。寒くなってくると、さすがの私もすこしあせってまじめに勉強しはじめました。結局、両方とも過去問をして、分からない問題はしつこく先生に質問しているうちに、少しは問題の解き方がみえてきました。理科は力学を初めて真剣に解きだしました。社会は、声を出して読みながら紙に書くと意外に早く覚えられました。1月に入って、はたと気づいたのが国語でした。得意なはずだったのに、神戸女学院の国語は、とても難しくてまともに点数がとれないのです。最後は、仕方がないから母にたのんで、教えてもらいました。(本当は、母と勉強すると気がぬけないのでしたくなかったけど、合格したかったのです。)

1月10日は奈良学園中学の入学試験。過去問でわりと点数もとれていたし、あがらずに受けることが出来ました。ところが、今まで何があっても緊張したことのない私が、神戸女学院中学の入試の前の夜はなかなか眠れなかったのです。自分でもびっくりしました。

当日は、奈良学園中学と全く雰囲気がちがい、気が強くてかしこそうな女の子がみんな集まって来てるように思えました。おまけにつきそいのお母さんは、塾でのクラスがどうの、偏差値がどうのとうるさそうなタイプの人が多く、母と二人きりで戦場にむかう気分でした。持ち物にもうるさく、塾や学校の名前が少しでも入っているものは使用禁止と厳しく言われ、本当に異様な雰囲気でしたが、電話で般若先生の声を聞いていたので、合格したい気持ちだけは誰にも負けないつもりで、試験場に入りました。算数で得意な問題が多く出たのと、国語の内容がとてもよく理解できたのがうれしかったです。理科、社会は思い出すのもおそろしい出来でした。二日目の体育に備えて、前日一日かけてさか上がりの練習をしました。寒いし、夕方暗くなってくるのにできませんでした。ところが、試験ではさか上がりが出ませんでした。運が良かったと思います。

本当なら次の日に来るはずの神戸女学院中学の結果通知が来ず、待ちぼうけの疲れで母はぐったりするし、私はすっかり気が抜けそうでした。しかし、奈良学園中学の入学手続きをしていなかったのでここでやめるわけにもいかず、金蘭千里中学を受けました。算数と国語はとても簡単に思えました、理科のことは聞かないで下さい。

試験が終わると、迎えに来ていた母に神戸女学院中学の合格を知らされ、私はやっと「あー、もう勉強しなくてもいいや」と思いました。

HOPESは、勉強以外はとても楽しいところでした。母が仕事で家にいないことが多かった私にとっては、保育所みたいだったかもしれません。ずっと同じ先生に教えてもらえたし、たまにおやつはもらえるし、休けい中は暴れたし、おまけに大人の気持ちも少しは分かりました。般若先生はおこるとめちゃくちゃこわいけど、きげんの良いときは私たちのことを子ども扱いするのです(子どもだけどね)。それに卒業生が来ているときは、ぜったいに上きげんなのです。だから私は、時間がある限りHOPESに遊びにいきます。これからがんばる6年生が、少しでも気分良く授業をうけられるように。それから、先生の顔も見たいから。

4年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

明星中学校(特進)入学
西大和学園中学校合格
帝塚山中学校合格

1月10日、帝塚山中学校入学試験日。この日は、僕にとって初めての入試でした。それなのに、得意科目である理科の問題を時間がなくて二問解くことがでず、終わった後で不安になってしまいました。母に「周りの子も時間なかったって言ってたから大丈夫や。それよりも、12日の西大和中学の入試のことを考えなさい」と言われました。激励会の時にも先輩方が同じ意味のことをおっしゃっていたのを思い出し、それに「気を引きしめて臨んでいけば底力がでる」と母が教えてくれたので、なんとか気を取り直して、西大和学園中学の入試に臨みました。結果は、帝塚山中学・西大和中学ともに合格でした。

第一志望の明星中学校の入試日には、先生方から心温まるお電話をいただき心強く思いました。そのおかげでしょうか、何の緊張もなく安心して試験に臨み、合格することができました。

さて、僕がHOPESに入塾したのは、みんなよりもかなり遅い6年生も4月の終わりでした。入塾したての頃、先生方は慣れていない僕に優しくしてくれました。僕は、先生方の優しさにあまえてしまい、宿題を最後までしていきませんでした。入塾後、一・二ヶ月の頃と、夏休み半ばの二度、般若先生にひどく叱られました。僕が HOPESに入塾した目的は苦手教科の算数の成績を上げることだったので、本を読むこともやめ、算数に全力を注ぎました。今から思うと授業のやり直しや宿題をすることがなにより大切であったと思います。

般若先生をはじめとしたHOPESで今まで僕を支えてくれた先生方、短い間でしたが心に残った日々でした。ありがとうございました。

最後に一言、「なにごとにも気を引きしめて臨んで行けば実力がつき、本番に底力が出ます」

関西大第一中学校入学
奈良学園中学校合格

僕は3年の時からこの塾に通い始めました。しかし、3年から5年のあいだは先生に怒られないようにするためだけに宿題をしていたので、成績はひどいものでした。

けれども6年になった時に「今から頑張らないといつガンバルねん」と思って、いっしょうけんめい勉強しました。すると成績はぐんぐんと上がっていきました。だけど、そこで気をゆるめてはいけないと自分に言い聞かせ、もっと勉強しました。

その後・・・、入試の時期になりました。一校目は、奈良学園中学校でした。自分ではあんまりできなかったと思いましたが、結果は合格でした。

そして次は、第一志望の関西大学第一中学校です。自分ではとてもよくできたと思っていましたが、結果を教えてもらうときはとても緊張しました。合格でした。僕は涙が出てしまいました。

3年から5年の人たちへ
今頑張らないといつ頑張るという思いで、頑張って下さい。

6年の人たちへ
常に緊張感を持ち、問題に取り組んで下さい。

HOPESの先生方やスタッフの方々、誠にありがとうございました。僕は中学で勉強やクラブ活動に頑張りたいと思っています。

さようなら。

帝塚山中学校入学
開明中学校合格
大阪学芸中学校合格

僕は、5年生の春にHOPESへ入塾しました。

入塾した頃は、思うように成績が上がりませんでした。それは、受験を安易に考えていたからだと思います。そんな僕に先生は、親切に指導をして下さいました。5年生の授業が分からなければ4年生の授業に呼んで下さいました。

6年生になると、勉強もより難しくなってきました。夏休みに入るとさらに厳しくなり、辛くてやめたくなる時もありました。でも、今まで自分がやってきたことがどのくらいのものなのか、確かめたくなったのです。そこで、必死に勉強に取り組みました。すると、少し成績が上がりとてもうれしかったのですが、その後気を抜いてしまいその成績に戻ってしまいました。皆さん、最後まで気を抜かずにいくことが一番大切なことだと思います。

第一志望の学校の受験当日、先生が来てくれたので、リラックスしました。けれど試験会場に行くと、すごくたくさんの人がいたため緊張してしまいました。でも、HOPESの友達が僕に話しかけてくれて、少し緊張がほぐれました。けれど結果は、不合格でした。今思うと、結局は勉強不足だったと思います。もっと勉強に時間をかけていればよかったのです。

2つ目と3つ目に受けた中学校は、合格できました。けれど、最初に受けた中学には落ちてしまいました。しかし、この中学校は今年に限って二次試験があるということでした。受験するか迷いましたが、このまま終わらせるのがどうしてもイヤで、最後までがんばろうと決心して受験し、合格することができました。

皆さん、これから大変な日々が続きますが、自分に負けずがんばってください。

般若先生、スタッフの方々、お世話になり、本当にありがとうございました。

帝塚山中学校入学

僕はHOPESに4年の夏から入りました。HOPESに入る前にも一応塾に行っていました。が、行っているだけだったので、HOPESに入った時は今度は勉強しなければと思いました。そしてだんだんHOPESのみんなとも仲良くなり、勉強のほうもついていけるようになって、友達と一緒に帰るようにもなりました。

そして5年生。4年生の時より宿題の量が増えて、いくつかできないところが出て来ました。毎週、算数の宿題に手こずっていました。算数の宿題を終えたときには、他の宿題をする日がもう3日しか残っていないないというようなことをくり返していました。その結果、復習テストでは、算数ができたときにはベスト10に入っていました。しかし、算数ができなかったときには、他の教科に力を入れていなかった分とても成績が悪かったです。そんなことをくり返しているうちに成績はどんどん落ちていきました。こんな状態で、不安を抱いたまま6年生を迎えました。

この1年は今までで一番しんどく、辛いものになると先生に強く言われました。けれどいつもと同じ調子で毎日を適当に過ごしていました。その結果、夏休みには最悪の成績になりました。この時はもう本当にがんばらなければやばいと思いました。そのころから、かなり勉強をして、成績をばんかいしようとしました。しかし、時すでに遅く、自分ではがんばっているつもりでも、みんなもがんばっているので目に見えては成績は上がりませんでした。そして般若先生との個人面談の日、先生に「一番行きたい学校は」と聞かれ「帝塚山です」と答えました。僕は星光学院中学か帝塚山中学以外の学校には行きたくありませんでした。そこで可能性の高い方を選びました。帝塚山に決めてからは心も落ち着き、マイペースで自分の不得意な所を勉強していけました。

中学受験では、帝塚山中学だけに力を使いました。あまりやる気のなかった僕ですが、それでも合格できたのは、友達の支えと先生たちのアドバイスや教えがあったからだと思います。先生方、3年という短い間でしたが本当にありがとうございました。

帝塚山中学校入学

僕がHOPESに入ったのは5年生の始めでした。その時は、どの教科も全く理解できませんでした。しかし、先生方のアドバイスのおかげで、どうにか周りの人達についていくことができるようになりました。

6年生になってから、勉強はますますハードになっていきました。ついていくことだけで精一杯で、復習も十分に出来ませんでした。自分の弱いところを補うどころではなく、これは5年生の時にだらけていたのが一番の原因だと思います。2学期になると、家に帰る時間も遅くなってきました。つらかったけれど、自分のためだと思ってこらえました。自分ではがんばったつもりです。それでも、第一志望の中学校に入ることが出来なかったのは、僕に真剣さが足りなかったからだと、今になって思い始めています。宿題やその他のことに真面目に取り組まず、何とかなるだろうと甘く考えていたようです。最初の入学試験に合格できたため、気がゆるんでいたことも事実です。

後輩のみなさん、先生方の言うことをしっかりと聞いて、自分の将来のためにがんばってください。

最後になりましたが、先生方、2年間ありがとうございました。

奈良学園中学校入学

僕は、4年生からHOPESへ通い始めました。受験のことを意識し始めたのは6年生になってからで、本当に行きたい中学校が決まったのは6年生の10月頃でした。目的がはっきりしなかったので、その頃まで勉強はだらけてやっていました。ドリルの答えを写したことも何回かありました。4年生の頃は、まだ復習をちゃんとやっていたので、そこそこの点数がとれていました。しかし、6年生に近づくにつれ、復習をしなくなりました。成績が21人中17番くらいになったときには必死でやりました。でも、長続きはしませんでした。夏休みに入ってからもなかなか勉強がはかどらなくて、テストは毎回下から3番、よくて6番でした。

本当に行きたい学校が見つかってからは、やっと復習をやり始めました。その結果、テストでもまともな点数が取れるようになり、少し自信も出てきました。

そのおかげか、受験の時、行きの電車の中ではすごく緊張したけど、試験会場に入ってからは、落ち着いて試験に臨むことができました。

第1志望の学校に合格でき、とてもうれしかったです。でも、後の2校は不合格でした。今思うと、6年生(特に夏休み)にもっとがんばっておけばよかったのです。

HOPESの先生は、恐かったりおもしろかったりしたけど、勉強のことは、本当に、わかりやすく教えてくれました。4年生からやめずに続けてきて良かったと、今ではつくづく思っています。

帝塚山中学校入学

僕は、4年生の時にHOPESに入りました。

初めのうちは宿題などをきっちりやっていました。しかし、4年生の半ばから5年生までは中途半端にしかしないときもありました。

6年生になってからは比較的ちゃんとやるようになりました。しかし、テストの復習しかやらなかったので成績はあまり伸びませんでした。

応援大会や激励会ではいろいろなことを学びました。例えば、試験に落ちてもそれで終わりじゃないということや、またこの試験をいかして前に進んでいかなければいけないということなどです。そんな言葉をかけて下さった先生方や先輩方のおかげで、受験前でもあせることなく、平常心で試験を受けることができました。

しかし、第1・第2志望の学校は不合格でした。特に、第1志望の学校は5点足りませんでした。今まではたかが5点と思っていました。けれども、その5点で後悔するはめになったのだから、これからはそういうことがないように努力しようと思いました。

今ふり返ってみると、僕にはあのときこうしておけば良かったということが山ほどありました。後輩のみなさん、僕みたいに悔いが残ることのないように精一杯がんばって下さい。

先生やスタッフの方々、本当に長い間ありがとうございました。

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