僕は4年生の始めにHOPESに入塾しました。入塾してすぐは、あまりのレベルの高さに圧倒され、特に知識の少なかった(ゼロに等しかった)社会の地理の宿題ノートにはマルが一つもない、といった状況でした。宿題も苦痛で、イヤでイヤでたまりませんでした。けれども慣れてくると苦痛も少なくなってきました。
ところで、僕は大のゲーム好きで、勉強の息抜きによくやっていました。ただ、やりすぎて少し怒られたこともありましたが・・・。ともかく、何事にも息抜きが必要だと思います。(ここにこう書いてあったからといってやり過ぎないようにして下さい)勉強一筋ではおもしろくありません。楽しみながら勉強できて、それでいて志望校に合格できる、こういうのが最高だと思いませんか?
今まで書いたことで勘違いしないように、一つ般若先生のお言葉を引用させてもらいます。それは「入試はただの通過点である」ということです。入試がゴールだなんて絶対に思わないで下さい。さらに大切なことは、先生方の言われたことを忘れないようにするということと、一度やった問題は次にやるときは必ず正解するということです。つまり、記憶と復習です。まあ他人にこういうことを言えるほどのことはしていませんが、やっぱり勉強は復習に重点をおかなければいけないと思います。「努力ニ勝ル天才ナシ」です。後輩のみなさん、これからもがんばって下さい。
最後になりましたが、HOPESの先生方、3年間お世話になりました。
ぼくが、このHOPESに通い始めたのは、この塾でいう4年生のはじめの時でした。西大寺教室に通っていたけれども、その時は、四人しかいませんでした。だから、ぼくは、とても小さい塾だなあと思いました。余談ですが、般若先生は怖かったです。
4年生のころは、宿題しかできず、復習は毎月一回する復習テストの前日ぐらいしかしませんでした。でも、それでいい成績を取っていたので、実際の試験も同じように考え、甘く見ていました。今思うとすごく恥ずかしいです。
5年生の中頃になって、やっと復習を始めました。でも、間違った問題は赤で式や答えを写していただけなので完璧な復習ではありません。
完璧な復習を始めたのは、6年生の6月頃からでした。すると、今まで悪かった成績が少しは良くなりました。しかし、夏休みが終わると、宿題が追いつけずに復習の量が減りました。すると、成績はおちていきました。十二月頃からは、志望校の過去問を中心にしてやり、宿題、復習をほとんどしなくなりました。
冬休みも終わって、試験が始まりました。初めの試験は奈良学園でした。今年から社会があるので、どんな問題か楽しみにしてましたが、とても難しかったです。でも、全体を通すと、まあまあ自信はありました。結果は合格でした。二校目の西大和学園では、まわりに友だちがたくさんいたので、リラックスして受けられました。少し自信はなかったけれども、合格しました。
この二校の合格で浮かれてしまって三校目の東大寺学園は、落ちてしまいました。最後は、洛星にするか、星光学院にするか迷いましたが、洛星にしました。洛星は過去問をしてみて、6年間分中6年とも合格最低点を上回っていたからです。ぼくが、洛星の試験で一番怖かったのは、面接でした。でも、合格できました。
あと、後輩へアドバイスを。
この六つの点を守れば、大丈夫なはずです。
最後になりましたが、HOPESの先生方どうもありがとうございました。
僕がHOPESに通い始めたのは、5年の5月頃からです。入ったときは授業の流れについていけませんでした。特に算数は、例題は解けても応用問題には歯が立たなかったのです。それでも、なんとかみんなに追いつくようにと家に帰ってから復習しました。そのため、算数の授業の始めにする小テストの成績はまあまあ良かったです。また、社会の復習テストでは十番以内に入ったこともありました。
6年生になり、HOPESでの授業時間が長くなるにつれ、勉強量も増えました。そのため、大変だった面もありましたが、先生が面白いことを言って下さったので、気分がほぐれ、また「友だちもがんばっているのだから自分もがんばろう」という気持ちになり、辛かった時期も乗り越えることができました。入試が近づくにつれ、「合格できるだろうか」というような不安や緊張が増してきました。
第一志望の奈良学園の日の前日の夜は「さあ寝よう」と思ってもなかなか寝つけなくて、明日どんな問題が出るのかな、とか不安にもなりました。しかし、そんなことを考えているうちに寝ていました。試験会場に行くと人があふれかえっていたので、大丈夫だろうかと不安になりました。緊張していたうえ、問題文の意味が分からないところもあり、結果は不合格でした。明星の試験の時は、般若先生としっかり握手しカイロを頂きました。心の準備を整えて教室にはいりましたが、あたりは静かで空気は重かったです。それでもがんばり、なんとか合格できました。
中学校へ行っても新たな目標を持ち、今まで以上に努力をしていこうと思います。
ぼくがHOPESに来たのは5年の時でした。最初の頃は宿題が多く、教材のプリントの宿題をするのが精一杯でした。やがて、少しずつ本の宿題もできるようになっていきました。でも、塾の教材はいつも赤ペンでなおした問題ばかり残っていました。HOPESに行っていて一番いやだったのが復習テストでした。ちなみにぼくは国語が得意でしたが、なぜか復習テストのときは社会の方が国語よりも良かったのでした。当時、国語の成績はあまり良くありませんでした。
でも、6年になると国語の成績の方が社会よりも良くなりました。実戦テストの点も良くなってきて、国語の授業も面白くなりました。もともとぼくは国語が好きなので、うれしかったです。般若先生からも国語の成績は良いと言われ、自信がついて入試に挑みました。
初めての試験である奈良学園中の時はとても寒く、また、とても緊張しました。算数が難しかったので、「やばい」と思いました。合格発表の日にぼくは西大和学園中の試験を受けていました。このときは全ての教科がよくできたと思いました。西大和学園中は次の日が合格発表でした。西大和学園中の試験を終えてから奈良学園中の合格発表を見に行きました。でも、合格者の中にぼくの番号はありませんでした。この時はすごくショックを受けましたが、明日の西大和学園中の発表で合格していればいい、と思ってこらえました。西大和学園中は合格していました。この時はとてもうれしかったです。東大寺学園中、洛星中は不合格でしたが、もてる力をすべて出したのだから仕方がないと思いました。でも洛星中に不合格だったのは少し残念でした。
みなさんも一つでも得意な科目を持てばいいと思います。理科は参考書を読めばいいし、社会は歴史の人物の名前や時代などの漢字を早めに覚えておくと後が楽です。算数は教材の復習をすればいいし、国語は文章と問題文を冷静に読めばできると思います。
あと風邪だけは気をつけて下さい。HOPESの先生方本当にありがとうございました。
僕は、4年生からHOPESに通い始めました。最初は「受験」ということを考えていなかったので、宿題だけをなんとかこなしていました。しかし、復習はほとんどしませんでした。
5年生になってからも、勉強のやり方はあまり変わりませんでした。しかし、夏休み前ぐらいから「東大寺学園に入りたい」という思いが強くなり、勉強のやり方も変わってきました。今までほとんどしていなかった復習も、まちがい直しを中心に力を入れるようにしました。
6年生になると、宿題の量がとても多くなりました。なかなか全てやりこなすのは難しかったけれど、プリントやテストの復習だけは必ずやるようにしました。
いよいよ1月10日。奈良学園中の入試でした。初めての入試だったので、緊張と不安が体中に広がってきました。でも、般若先生がきて下さったので少しは緊張をほぐすことができました。しかし、問題用紙を目の前にすると緊張して、思っていたより難しく感じ、試験がすんだ後、合格発表があるまでは不安でした。
一月十二日。西大和学園中の入試でした。二校目だったので緊張はしませんでした。しかし、入試問題がとても難しかったので、合格証を手にしたときはほっとしました。
第一志望の東大寺学園中の入試の日がとうとうきました。意外とリラックスしていて、持っている力を全て出すことができました。終わったときは、手応えがあり、満足感にひたることができました。合格発表の日、門をくぐるときはドキドキしていましたが、自分の受験番号の「7」を見つけたときは、とてもうれしかったです。
HOPESで学んで積み上げてきた力、そして当日の先生方の励ましの言葉により、自信を持って入学試験に臨むことができたと思います。これからも、ここでの経験を活かして、何事にも目標を持ってがんばっていきたいと思います。
ぼくがHOPESに入ったのは、4年の冬期講習からでした。学年の途中からだったので、わからないところばかりで大変でした。
5年になると、だんだんと算数の宿題が多くなって、苦しくてたまらなくなりました。いやになってきました。先生には怒られてばかりでした。母も心配して、どうしてもいやならやめてもいい、とまで言ってくれました。ぼくは、HOPESで知り合った友だちと別れたくないし、ここでくじけては今までやってきたことが無になってしまう、と考え直して続けることに決めました。
6年になってからもいろいろありましたが、通常の授業も長い夏期講習も何とか乗り切りました。しかし、秋以降は学校行事もたくさんあり、寝不足が続きました。もともと速度が遅いので、塾の宿題をやりきると真夜中になっていて、横では中二の兄が眠っているという毎日でした。
いよいよ正月特訓も終わり、奈良県の中学入試はすぐそこに迫りました。受験当日、先生のアドバイスを思い出して、落ち着いて試験に臨むことができました。
合格発表の日、ドシャ降りの雨の中で自分の受験番号を見つけたときの感激は忘れられません。でもなぜかその時も落ち着いていました。一番喜んでくれた祖母が、ぼくの合格を見て安心したのか、この3月2日に亡くなりました。制服姿を見せることができず残念ですが、その分、中学に入ってがんばります。HOPESの先生方、ご迷惑をおかけしましたが、長い間ありがとうございました。
ある人が「どんなデコボコ道でも歩けば必ず輝くゴールは見えてくる」と、言いました。僕は、受験を体験して受験とはまさにこれだな、と思いました。なぜなら、受験(デコボコ道)は、日々の努力(歩くこと)がないと、輝くゴールには、着くことがないからです。
僕は、受験を体験して努力が一番大切なことを知りました。また「運」を「努力」である程度つくれることも知りました。
受験生のみなさんは、デコボコ道の途中でこけたりしてもくじけずに、輝くゴールを目指し、がんばってください。
私は、5年生からHOPESに入りました。初めて授業を受けたときの教科は算数で、そのときは全然ついていけなくて、どこをやっているのかさえもわからないぐらいでした。それでも私は、算数が好きだったので、くじけずやってこれました。算数と理科は自分では得意だったと思うのですが、それにくらべて国語と社会(特に社会)は、いつもサイアクでした。
5年生の頃は、それでもちゃんとやってこれましたが、6年生にもなるとこのままではいけないと思い、国語と社会をがんばろうと考えました。その結果、国語はよくなりましたが、社会はまだまだでした。このころから何をするにも(過去問など)社会を先にするようになりました。実戦演習をやっていても、社会だけは前回に出てきたはずなのにどうしても思い出せなくてかけないところがたくさんありました。しかし、そんなところもだんだんと減ってきて、とても嬉しく思うことが増えてきました。それでも社会はやっぱりまだまだだったので、先生に過去問のここをやったらいいとか、このようにやり直しをすればいい、ということを教えていただきました。テストを受けると、自分では「よくできたな」と思っていても、実際に返してもらった時に点数が悪いことがあり、その時はいつもショックでした。そんなときは「今度こそはがんばろう」と思うのですが、いざ机に向かってみると、やる気が失せてくるときもありました。
それでもやってこれたのは、やはり周囲の人たちの支えのおかげだと思います。いつもお弁当を作ってくれた母や送り迎えをしてくれた父、そして私に色々なアドバイスを下さった先生方、そして長い時間いっしょに勉強してきた友だちのおかげだと思います。そのおかげで無事入試を終えることができ、今の自分があるのだと思います。
もう入試が終わり、そんなに会うこともなくなると思いますが、それでも私は忘れないと思います。きっと…。そして、また機会があれば、遊びに行きたいな、と思っています。
長い間ありがとうございました。
ぼくが、この塾に入ったのは、6年生の春期講習の途中からでした。初めて行ったときは、どの教科もその内容が意味不明でした。実際に授業を受けてみると、家で復習をしていたのでは宿題ができなくなるので、復習をとばしてしまうときもありました。そして、一学期が終わって、夏期講習。予定表を見ると3日に2回ぐらい授業がありました。とうてい遊ぶことはできないだろうと思いました。毎日が苦しくなり、早く夏休みなんて終わればいいのに、と思いました。
やっといやな夏休みが終わり、二学期。塾の授業が5時から10時までという長時間になりました。志望校も決まって、その学校の過去問をやりました。冬休みも過去問をやり、とうとう受験が始まりました。
まず初めは1月10日の奈良学園中学校の入試です。ぼくは多分無理だろうと思っていました。けれど試験が終わって、なんだかいけるような気がしました。が、それは僕の思い違いでした。その次の日は、帝塚山中学校の入試です。ここも前の日と同じでした。そして本命の明星中学校。ぼくの苦手な国語が難しかったので、ぼくにとっては不利でした。数日後、不合格ということが分かりました。最後にもう一校受験しました。ぼくは自分が持っている力を精一杯出しました。しかし、合格通知は来ませんでした。
ぼくは、一時間ほど考えました。何がダメだったのかを。そして、考えた結果、一つは集中して勉強しなかったこと、一つは、分からないところをそのままにしておいたことだということに気づきました。ぼくは1年間この塾でやってきたことを無駄とは思いません。このことをバネにして次の受験に向けてがんばっていきたいと思います。
ぼくがHOPESに入ったのは、4年生の時でした。入塾してすぐの頃はやる気も満々で宿題等もきっちりやっていました。しかし、月日がたつにつれ、塾にも慣れ、やる気がだんだん薄れてきました。しかし、5年生の始めの頃にこれでは自分の志望校に合格するなど絶対に無理だということに気づき、だんだんとやる気がもどってきました。
そして、5年生の終わり頃になると、授業中にも受験についての心構えなどの話が増えてきて、「ああ、いよいよだな」などと思ったりしました。ちなみにぼくの場合は、5年生の終わり頃から、プリントの復習を授業のあったその日にやることにしました。これは、絶対にやっておいた方が良いです。4年生の皆さん、今からでも始めてみてはどうですか。
6年生の中頃から、苦手であった理科や社会(ほとんどが社会)の復習をやり始めました。そのおかげで社会は前よりはずっとましになりました。やはり、苦手な分野を克服するためには、その分野を徹底的にやることだと思います。(これは般若先生などから言い聞かされた話です)そのようなことがいろいろあって無事受験を終えることができました。
最後に、後輩の皆さん、いろいろつらいことがあると思いますが、がんばって下さい。
そして、HOPESの先生方、今まで励まして下さった方々、本当にどうもありがとうございました。
ぼくがHOPESに入ったのは5年の2月でした。はじめは、絶えず緊張し、宿題も前に行っていた塾よりも多かったので、ついていけるかとても不安でした。6年になると、なんとか自信もついてきて、一生懸命できるようになりました。でも、夏休みにしっかり勉強しておかなかったせいで、二学期は苦労しました。今でももう少しやっておけば良かったと後悔することがあります。二学期は運動会などの学校の行事で勉強する時間が減るので、夏休みにたくさんやっておいた方がいいと思います。 受験の前の日はちょっと自分の苦手なところをやって、すぐ寝ました。当日、奈良学園中学の庭で般若先生が待っておられたので、一気に緊張がほぐれました。先生に「がんばってきいや」と励まされて試験場に向かいました。ところが授業で出たのと似ているけれど、何となく違う問題が出てきて、解けず、ヤマカンで書いたところの数が多かったような気がしてショックでした。でも、合格していたことをお母さんに知らされて、とてもうれしかったです。 HOPESに行っていて良かったと思いました。HOPESの先生方、本当にありがとうございました。
今になって私は、「努力することって大事なんだなぁ」と思っています。
私がHOPESに入ったのは4年(新5年)の2月頃でした。算数が難かしくて心配しましたが、なんとか宿題もこなしていけたし、3ヶ月目ぐらいから復習テストの結果も良くなってきました。
私の復習の方法を紹介します。算数は、間違えたりわかりにくかったりした分野をもう一度解き、正解の理由を考えました。国語は主題や登場人物の気持ちなどを考えてみました。社会は習ったところをまず覚え、間違えた問題をやり直しました。書いて覚えるのが大事です。理科はあまり復習をしなかったのですが、計算問題は算数と同じように復習し、覚えなければいけないところは、問題を解くことによって覚えました。よかったら参考にして下さい。
6年になると、宿題が増えてこなせなくなってきました。でも、算数だけはやらないといけないという気持ちで、できる限りしました。しかしその反面、ことわざや理科のVエース、中学入試問題集、社会のVテキスト、Vエースなどができない週が続き、あせりました。夏は気をゆるめたわけではなかったのですが、7月のテストの成績がかなり落ちました。私自身、あまり気にせず、ちょっとミスしたなぁ程度に思い、がんばりました。夏の間がんばったので、一応成績は戻りました。二学期は、かなり一生懸命やったつもりです。ほぼ毎日、机に向かって真剣に何時間もやりました。そして、この頃から、やっと宿題がだいたいこなせるようになりました。過去問は、必ずやっておく必要があります。先生方が傾向を教えて下さったので、とても良かったです。
入学試験のことに話を移します。私は帝塚山中学の入試では、始まる前の30分間がすごく緊張しました。しーんとしている中で、問題集をすべてしまい、えんぴつ、消しゴムだけを机の上に置いて待つのです。国語の試験中にトイレへ行ったのですが、それで逆に落ち着きました。算数の試験中、終わる15分前に誰かが時計を鳴らして、私はそれを終了1、2分前だと勘違いして、今までで一番あせりました。一応全部解きましたが、絶対違うと思われる箇所がいくつもあり、ヤバイなぁと思っていました。でも、友だちとの話でみんなも時間がなかったことがわかり、安心しました。残りの教科は普通にできました。また、算数に出題ミスがありました。こういうこともあるから、おかしいと思う問題があってもあせらないことが大切です。
四天王寺中学校の入試の時は、以前に文化祭と駸々堂のテストで学校に二回来たことがあったので、落ち着いて受験することができました。以前はお寺の鐘が聞こえると、すごく緊張したのですが、それにも慣れていました。だから、普通にできました。理科と算数が今までとはうってかわって難しかったのですが、みんなも難しいんだと思うと、普通に解けました。でも算数で、ケアレスミスをしてしまいました。面接の人(多分先生だと思うけど、おじさんという感じだった。でもとなりは、こわそうなおばさんだった)はとても面白くて、一番感触が良かったです。ちなみに聞かれたことは、名前、小学校、志望理由、難しかった科目でした。その人は、笑いながら聞いてくれたし、「なにぶんにも運動場が狭い」などとしゃべってくれたので、なんだかほっとしました。また、私は上靴を忘れたのですが、こわそうな試験官の方がスリッパを貸してくれました。当日の注意にコンパス持参とあったのですが、コンパスはなんと国語で使いました。どの教科でも準備しておくべきだと思います。
HOPESは授業も面白くてわかりやすかったし、宿題の量もあれぐらいあって良かったと思います。宿題をできる限りやり、授業を真剣に受け、復習もしっかりしたら、志望校には合格できます。みなさん、カゼをひかないようにしてがんばってください。
最後になりましたが、先生方、どうもありがとうございました。試験の前日のお電話、会場に駆けつけて下さったことがとてもうれしかったです。
1月18日、岡山白陵中学の受験日です。私は「落ちたっていいや」と、かなり不謹慎ですが、開き直っていました。こうすると緊張しないのです。当日は雨が降りました。だから、のんびりまわりの景色を見ることもなかったけど、晴れているときなら豊富な自然に目を向けてリラックスすることもできたでしょう。
さて、いざ試験。今年はどの科目も簡単でしたが、理科は変な(塾ではやらないタイプの)問題が出ていました。それでも、あわてずに取り組むことが大切だと思います。問題用紙も解答用紙も回収されてしまうので、時間が余っても(理科以外は時間が余りすぎて、見直しが五回はできてしまいました)、落書き等はしない方がよいでしょう。与えられた時間の三分の一ぐらいでできあがってしまったので、退屈で仕方なかったです。まとめてみると、
一、緊張しない(開き直るのが効果的)
二、理科には要注意
三、退屈に打ち勝つ
ということが、岡山白陵を受けるに当たって大切なことでした。
1月29日。いよいよ本命校である白陵中学の受験日です。このときは、流石に緊張しましたが、問題に集中するとリラックスできました。
一科目目は国語でしたが、問題が難しく、かなりあわててしまいました。しかし、私は国語が得意なので、難しい方が有利だと自分に言い聞かせて落ち着くと、解けなかった問題が、面白いように解けてきました。やはり、落ち着くことは大切なのです。問題のうち、70%〜80%くらいは記述なので、そのことでもあわてないことが大事でした。二科目目は理科でした。理科は、物理・化学系統の計算問題が特に難しかったです。かといって他の問題が簡単なのではなく、例えばジャガイモの芽のつきかたの規則など、習ったこともないことを聞かれるなど、全体的に厳しい科目でした。三科目目は算数(一次・二次)でした。一次はきわめて基本的な問題ばかりでした。二次は一、二、三と三問あり、三番以外はひたすら調べればすぐ解けてしまうという簡単な問題でした。三番もたいして難しくなかったので、満点が取れる科目だと思いました。
白陵中学の入試では、理科が一番厳しかったのです。やはり、基本をきちんと押さえておくことが大切だと思います。それと、試験の時はあわてないこと。あわてたら最後。みんなわけの分からない問題に見えてしまいます。理科さえおさえておけば、合格はまず大丈夫でしょう。
※ 夫さんは3年生からHOPESに通っていましたが、6年生で姫路に転居されました。
ぼくは、6年生の春期講習からHOPESに通い始めました。最初は、授業についていくのがやっとでした。すべての教科が大変難しいと思いました。そこで般若先生と相談して、5年生の授業と6年の標準コースに出ることにしました。毎日、片道一時間かけて行くことになったのですが、一度もやめようと思ったことはありませんでした。
夏期講習になると、ずいぶん授業を理解できるようになっていました。受験日が近くなってからは質問日にも多く出ました。みんなが必死にがんばっているのを見ると、自分もがんばらなければいけないと思いました。
そして、受験当日になりました。一校目は、関西大倉中学でした。その日は雨でしたが、たくさんの受験生と保護者が来ており、本当にびっくりしました。その多くの受験生に圧倒されてはいけないと自分に言い聞かせて、落ち着いて受けました。でも、残念ながら不合格でした。試験問題は、そんなに難しいと思わなかったのに、不合格と分かったときはとてもガッカリしました。
でもそれにめげずに大阪学芸中学を受けました。試験日には、ほかの塾の生徒たちが校庭で入室の直前まで地理の講義を受けていました。ぼくも時間があったのでそれを横で聞いていましたが、その内容は試験には出ませんでした。試験時間中は、集中してやりました。出来は上々だったので、心の中には合格する自信がありました。その日はとても疲れて、家に帰るとすぐ、ずっと朝まで眠ってしまいました。母から合格の知らせを聞いたときには、とてもうれしかったのと、疲れがいっぺんに出てきたのとで、なんとも言えない気持ちでした。
この1年間を振り返って思ったことは、自信を持って受験することと、どの授業でも分かったと口だけですまさずに完全に身につくまでくりかえすことが大事だということでした。
ぼくは、3年生の時にHOPESに入りました。初めての授業のときから、とても緊張しました。また、授業が進むのは早く、宿題も多く感じました。3、4年生の時には、宿題をやるだけで精一杯で、復習まではすることができませんでした。成績もあまりよくありませんでした。5年生になると宿題にも慣れてきて、復習も少しずつ手につくようになりました。しかし、どうしても苦手な算数を最後まで克服することができませんでした。
6年生になると5年生の算数の授業も受けました。基本をおさえてから応用をやれば大丈夫だと思い、できる限り基本にもどりましたが、かなり大変でした。二学期の終盤になってくると理科も苦手になってきました。そして、理科と算数が未完成のまま、とうとう受験をむかえることになりました。
入学試験では、自分では緊張していないつもりでも、問題が配られるととても緊張しました。後で見ると分かった問題でも、その時は分からなかったというのもありました。
みなさんは悔いの残らないような受験をして下さい。最後になりましたが、HOPESの先生方、どうもありがとうございました。
僕は3年生の時にHOPESに入りました。3年生、4年生の時はあまり宿題をせず、遊んでばかりいました。先生に何度も注意を受けたので、5年生から算数や理科だけではなく、国語や社会も少しずつやっていきました。6年生になると宿題の量が増えて、宿題をこなすのに精一杯で復習をあまりやりませんでした。国語や社会が苦手だったので、夏休みには国語や社会をしました。
西大和中学校の入学試験のときは塾の友だちがいっぱい来ていたのであまり緊張しませんでした。しかし、関西学院中学校のときは友だちがいなかったので緊張しました。試験時間が短く思えました。面接のときはあまりはっきり言えませんでした。結果は不合格でした。明星中学校のときはあまり緊張しませんでした。結果は合格でした。
ぼくはHOPESで学んできて本当に良かったと思っています。先生方本当にありがとうございました。
この春、私は第一志望校の四天王寺中学校(英数)と奈良帝塚山中学校(英数)と二校とも合格することができ、喜びでいっぱいです。この達成感をみなさんにも味わってほしいという思いでこれから書きます。
(小4)HOPESに行く前に通っていた塾が3年生までしかなく、友だちはほとんど大きな塾に移りましたが、私は小3の春の講習の時に受けた授業のことが忘れられず、4年生からは、ここで勉強しようと自分で決めました。はじめは、宿題をこなすのも楽で順調に進んでいました。算数も好きだったし、国語も漢字を覚えるぐらいで特に勉強はしなかったように覚えています。9時過ぎには寝ていました。
(小5)このころから社会という科目に悩まされるようになりました。社会は好きなのですが、苦手でした。覚えるのは速いのですが、忘れるのも速いのです。算数と国語と理科でがんばっても社会が足を引っ張って塾での順位も下がりだし、社会がいやになってきました。社会は最後まで私を悩ませました。特に地理が苦手でその分歴史でカバーしようと思いました。母が買ってきてくれた「年代早覚え日本まんが」を気分を変えるときには読んだりしました。(前夜にたまたま見ていたところがテストにでるというラッキーもありました)
(小6春)塾の授業時間も長くなり宿題も増えてきました。社会に気を取られすぎて、算数のやり直しをおろそかにしていたためか、算数の成績が下がりだしました。今考えると算数が得意という思いが油断を生んだのだと思います。もっと復習していたらと思っても後の祭り。しかし済んだことを言っても始まらないので、それからはやり直しをきっちりするように心がけました。復習をやり始めても最初のうちは変化はなかったけれども、そのうち成績も安定し始めました。授業と同じプリントをもう一部下さったのでノートに切り張りする手間もいらなくなり助かりました。授業でまちがえた所に印を入れておき、家でやり直すと、どんな問題集をするよりも自分の力になります。「一度間違えた問題は、二度と間違えない」という心構えで取り組みました。
(小6夏)5年生の時は夏の授業時間割を見て、6年になったらこれだけ勉強するのかと驚いていたのですが、いよいよ私の番になりました。それでも、いざ夏期講習が始まってみると、時間の長さを感じずに過ごすことができました。実戦形式の授業と問題演習の授業のバランスが良かったからだと思います。不調だった算数も成績が戻ってきました。1日中クーラーのきいた部屋で同じ姿勢をしていたためか右肩を痛めましたが、体調はよく、塾のない日も塾に自習をしに行き、充実した夏を過ごせたと思います。私の場合は、姉とのおしゃべりやそろばんでストレスを発散していましたが、何か一つ勉強以外のことで息を抜くことをおすすめします。
(小6秋)ずっと続けていたそろばん塾も受験までの三ヶ月間はお休みすることにしました。志望校合格判定テストも何度かあり、いよいよという感じがしてきました。志望校の過去問も宿題の合間に取り組み始めました。
(小6冬)はじめは四天王寺中学だけを受験するつもりでしたが、先生に「練習のつもりでもう一つ受験してみては」と言われ、急拠奈良帝塚山中学校の英数を受験することにしました。年末年始急いで過去の問題の三年間分をやりました。
(帝塚山中入試)過去問3年分では割といい点でしたが、本番では自信がありませんでした。けれども、合格していました。この結果を淡々と受け止めて勉強を続けることができたのは、先生の「良かったね。でも気をゆるめずに最後まで頑張れ」の一言のおかげだと思います。
(四天王寺中入試前日)いよいよ自分を試すことができる入試前日。緊張して眠ることができないかと思われましたが、ぐっすり眠ることができました。
(四天王寺中入試1日目)算数は塾で習った問題に応用を加えたものがあり、考える問題も多かったけれど、だいたいできたように思います。しかし、ケアレスミスで計算を一問落としてしまいました。国語は二日間とも簡単に思いました。理科のテスト前は塾でもらったプリント「これだけはおさえておこう」を見ていました。ちょうど確認していたところが一問出ていてラッキーでした。理科は問題数が多いのでスピードが必要です。少しぐらいの間違いはそんなに点数にひびかないと思いました。力学は簡単でした。
(四天王寺中入試2日目)みんな算数は一日目が難しかったと言っていましたが、私は2日目の方が難しかったと思います。社会は歴史が完璧にできたので、良かったです。世界地理が難しかったけれども、自分ができない問題はみんなもできないと思い、気にしないようにしました。面接では、志望理由、テストの出来、自分の長所を聞かれました。自然体で礼儀正しく接することができたと思います。
(最後に)年が明けて学校に欠席者が目立つようになり、少し不安になりましたが、母の「今までしてきたことを急にやめる必要はない」という一言で平常心に戻ることができました。最後まで学校と塾を両立できて満足しています。人は結果だけを見ますが、先生たちや家族はその過程を見てくれているという強い思い。諸先生方のもとで連日頑張ることができたことは私にとって一生忘れることのない誇りです。「自信」という言葉は自らを信じるということ。
私が受験を通して味わった達成感。この気持ちを感じるために私はHOPESで学んできたという思いで、今は楽しい春休みを過ごしています。
中学生になっても自分で課題を見つけ、取り組む姿勢をくずさずに頑張っていきたいと思います。
ぼくがHOPESに入ったのは、3年生の時です。最初はかなり成績が悪く、4年生への進級も危ういくらいでした。4年生、5年生のころは得意な算数ですら45点前後の悪い成績をとっていました。5年生の時には宿題をほとんどやっていなくて、般若先生に家へ帰らされたこともありました。
成績があまりに悪いので、母に言われて5年生の9月ごろからもう一つ別の個別指導の塾に通うことにしました。そこでのぼくの先生は、偶然、般若先生のむかしの教え子だった人でした。すぐには成績は変わりませんでしたが、心配していた進級テストのときには4位で成績優秀者の中に入ることができました。そのころから算数の成績が上がってきました。理科の成績も上がってきました。
6年生の夏休みには母と一緒に色々な中学校を見に行きました。志望校は実際に見に行かなければ、その学校の良い悪いが分からないと思います。志望校をはっきり決め、それからは総合、難関、実戦演習のやり直しをきちんとしました。同じ問題を二度と間違えないようにするためです。やり直しをしているときと、していないときの成績はかなり違います。
最後にこれだけは忘れずにいて下さい。合格は、自分の力だけで得られたものではありません。後ろに父、母、それにHOPESの先生方がいてくれたおかげなのです。みなさんもこのことを忘れずに志望校合格に向けて頑張って下さい。
私が、受験を考えるようになったのは5年生の頃でした。それまで、塾へ行ったことがありませんでした。だから、私はHOPESの教材を解いてみてあまりの難しさに驚きました。でも、心の中では「真っ白なところから始めるわけだから、よく身につくはず」と考えてワクワクしたことを覚えています。
般若先生に言われた通り復習をしました。教えてもらったことを忘れないために復習は絶対大切です。また、どんどん本を読んだことも一つの学習だったと思います。物語だけでなく色々な分野の本を読むことができたからです。
ところで、私は5年生の初めの頃は大教大附属天王寺中学に行きたいと思っていました。なぜなら、入学試験に体育などの副教科があるし、校風が自由だと思ったからです。でも、附属中学の入試には抽選があり、その日が四天王寺中学の入試の日と重なっていました。一次試験だけ受けようかとも思いましたが、そうすると本当に行きたいと思っている人の席を取ることになるかもしれません。どうせ行かないのだったらはじめから受けないでおこうと思い、附属中学は受験しないことにしました。
6年生になると、授業内容は5年生までにやったことの復習がほとんどになりました。時間割も教え方もハードになっていったけれど、学習の根本はいつも同じでした。特に算数はそうでした。私は、旅人算や時計算が苦手だったので、得意になるように5年の難関コースで使ったプリントをファイルから引っぱり出して目の届くところに置き、いつでも見られるようにしました。今考えるとすごいことだけど、志望校に受かるにはそれぐらいのことはするものじゃないかなぁと思います。私は、これだけ一生懸命したから、大丈夫!と思い、受験に臨むことができました。
はじめての受験は帝塚山中学でしたが、わりと簡単でした。友だちと連番で受けたため、とても安心できました。二回目の受験の大谷中学はかなり難しかったです。試験のとき、問題がややこしかったりすると、とても孤独な気持ちになるかも知れないけれど、自分ができていなければ他の人もできていないんだという自信(変な自信やなぁ)をもって試験に立ち向かって下さい。一番最後の受験が第一志望校の四天王寺中学。二つ合格したからといって有頂天になっている場合ではありません。あまり試験中のことは覚えていませんが、復習のかいあって算数と理科はよくできたと思います。試験中にもかかわらず「復習してよかったなぁ」と感動していました。社会は世界地図の問題が出るとあんなに大騒ぎしていたのに、位置と国名しか出なくて本当にがっかりしました。それから数日後に合格通知が来て、私の入試は終わりました。
受験生の皆さん、自分の力を信じ、復習が大事であることを忘れずに頑張って下さい。
ぼくは5年生の夏からHOPESに入りました。宿題の量が多く、大変でした。ぼくは宿題を見事に、かつ芸術的にところどころ抜かしていました(今は反省しています)。案の定、先生に怒られる始末。何とかしなきゃ、と自分では思うけど、なかなか実行に移せないという状態。そういうことはみなさんにもきっとあるでしょう。ん?なに、そんなことないだって?まさか?え?…冗談はさておき、5年生はあっと言う間に過ぎていきました。ちなみにこのころぼくは復習をほとんどやっていませんでした。そんな甘い気持ちでいたから後で苦労したのでしょう。
6年生になり、宿題の量がアップしました。そして合格判定テストも始まりました。ぼくは、相変わらず、宿題が少し抜ける→復習していない→先生に怒られる、ということが一週間単位でまわっていました。そんなころ、ぼくと同じぐらいの成績だった人が、めちゃくちゃいい成績をとるようになりました。よく聞いてみるとただ復習をし始めただけらしいのですが、これにはおどろきました。そうか、復習ってとても大事なんだ、と気づきました。よーしぼくもがんばろうと思ったのですが、ほんの一瞬だけで、すぐに行き詰まってしまいました。どこから、どうやって始めるかが分からなかったのです。復習なんてしなくても何とかなるサ、と思っているキミ!確かにぼくも6年の冬まではそうでした。しかし、最低でも6年の最初のころまでにやりはじめておかなければ遅いのです。「お前なんかに言われたくねぇよ」と思っている人もいることでしょう。ですが、ぼくの失敗を繰り返さないで下さい。そこで、ぼくが考えた理想の勉強法を教えましょう。まず復習は早めにやり始めて慣れてしまうこと。次に宿題はこれぐらいでいいや、ですまさずに、しっかりやること。あとは授業中にしっかり努力すれば、自然に成績は上がると思います。そして入試にも結果が出るでしょう。
やっと入試の話に入ります。あきずに読んで下さい。まずは帝塚山中学校。確かにここは合格者が多い。だからといってなめてかかるのは絶対タブー。トップレベルの人がわんさかいるのだから。明星中学もほとんど帝塚山中学と同じくらいです。ぼくは東大寺学園の入試のときにミスをしでかしました。上ばきを忘れたのです。何とか買ったけれども対処法を教えましょう。家が近く、時間に余裕があれば取りに帰りましょう。そして無理な場合にはHOPESに電話しよう。なんとかなります。でもその前にちゃんと前の日に確認すれば済むことです。
結局ぼくは星光に入ることになりました。この1年半、HOPESに通って良かったと思います。先生方、友だちに支えられてここまで来れたんだと思います。本当にありがとうございました。それでは、See you again!
僕がHOPESに入ったのは3年生の時でした。学校の友達と一緒に入ったため、大して気合いを入れてきたわけではありません。そのため、中学受験をしようと考えたのは、4年生の頃からでした。しかし、僕はタイミングの悪い男で、3年生の頃はいつも成績優秀者に入っていたものの、4年生からペースダウンし、成績優秀者にはチラホラのるぐらいでした。その最大の原因は算数でした。(6年の最後の最後まで、この課題を引きずっていくのですが)理由は、算数は読解力を必要とするものだったからです。僕は、自分で言うのもなんですが、暗記力には自信がありましたが、読解力は全くありませんでした。そのため、国語では、漢字や熟語ができても、入試で大きな配点を持つ長文の読解はかなり悪戦苦闘しました。理科も、生物や天体の分野はできても、力学や化学などの分野がわかりませんでした。5年生になると、社会に歴史が加わり、授業時間も長くなりました。歴史では、人名のややこしい漢字や年号がほとんど理解できず、行き詰まってしまいました。このままではもっと成績が下がると思い、社会だけでも克服しようと決心しました。得意科目には必ず、それに対する「好奇心」というものがあるはずです。僕は好奇心となるものを必死になって探しました。そして、一つだけ見つけました。それは「エピソード」です。つまり、歴史的事件の裏やその事に関してのちょっとした小話などをとても興味深く思ったのです。このような話は、授業中に先生が話して下さるので、さすがにその時だけは起きて聞いていました。その結果、一番苦手だった歴史が一番好きになりました。このことは成績にも反映し、社会のテストでは、6年の終わりまでほとんど上位にいることができました。しかし、ここで言っておきたいことがあります。それは勉強するときは全教科をまんべんなくすることが一番大事だということです。僕の場合は、社会に力を入れすぎたため、最大の壁であった算数を5年の時にすっかり忘れてしまっていたのです。それに気づいたのは6年の夏休み前でした。それまでは、何気なく授業を聞き、宿題をしていましたが、何か手応えが感じられませんでした。成績も算数のためにあまりふるいませんでした。そこで僕は、生活スタイル、勉強スタイルを大きく変えることにしました。授業中の睡魔から逃れるために、できるだけ夜の睡眠時間を多く取り、宿題に関しては、プリントの宿題や志望校の過去問は自分の力で解き、問題集では、しばらく考えて分からない場合は、すぐに解答を見ました。もちろん、ただ見て写すのではなく、何度も解答を読んで理解しました。そうすることによって、一つの問題の解答を導くのに必要なセンスを養うことができます。これをずっと続けていきました。その結果、成績に変化が見られました。算数の成績優秀者には入れなかったものの、総合成績では11〜15位を維持することができるようになりました。こんな調子で入試へと進んでいくことになりました。このとき心の支えとなったのは、両親の助けと先生からの誉め言葉でした。般若先生に「おっ、橘、このごろミスが少なくなったな」とか言われ、その日一日気分良く過ごせたことがありました。ふだん、怒られる方が多かったからかもしれませんが、とにかく嬉しかったのです。
ところで、ここから受験生に向けて僕なりの経験からの心得を二つ言わせていただきます。
一、趣味と勉強は半分ずつ頭を使う。
これは、絶対守った方がいいと思います。趣味というのは頭からなかなか離れません。これは僕にとって最後まで非常に悪い影響を与えました。
一、三つの欲望を上手に使おう
三つの欲望とは「睡眠」「食事」「恋愛」です。僕は、全てに負けました。食事を多くとりすぎたり、夜遅くまで起きていたりすると、授業中に居眠りをしてしまいます。僕は、これの常習犯で、一回家に帰らされたこともありました。その時、帰りの電車の中で寝てしまい、奈良駅まで行ってしまいました。今思うと情けない限りです。しかし、この三つをうまく利用すると生活がスムーズに進みます。例として、僕の場合では、塾に好きな子がいたので、眠たくなったらそのこの方を見て考えました「あの子も勉強しているのに、僕は寝てていいのか」と。そうすると、自然に目が覚めるものです。また、眠たくならないようにしようと思ったときには、徐々に食べる量を減らしていけばいいと思います。ある日、僕の友達が言いました。「塾ってつらいよな」僕はあっさり否定しました。なぜなら、好きな子や友達と一緒に勉強できるので、ワクワクして全然苦にならなかったからです。
これで僕の受験体験記は終わりますが、最後に一言。受験というのは決して一人ではできないということです。両親や先生方に助けられ、友達と励まし合いながら、はじめて頑張れるものだと思います。このことを忘れずに受験に臨んで下さい。それでは、さようなら。
ぼくが帝塚山泉ヶ丘中学校を目指そうと思ったのは、体験入学をしてからでした。そのころはまだ別の学校が第一志望だったけれども、泉ヶ丘中学校はとてもきれいだったし、先生の話を聞いていても、いい学校だと思ったからです。
それで志望校を決めてからは、その学校の過去問を頑張ってやろうと決めました。しかし、実際は思うように進まない上、点数もよくありませんでした。その結果やることが多すぎて、ずっと勉強ばかりしなければならず、やりたいことができなくて、ストレスがたまりました。それで、イライラしたり、落ち着かなかったりしました。そしてついに大晦日の夜に家出をしてしまいました。しかし外を歩いていると寒くなったので、家に帰ってみると予想以上の大騒ぎになっていたので、さすがにヤバイと思いました。それでもあまり勉強ができないまま、一月十一日の帝塚山の入試を迎えました。でもここは、受験の雰囲気を体験するだけで最初から自信がなく、案の定、不合格でした。
次の入試は本命の泉ヶ丘中学校でした。ぼくの周りのほとんどの子は帝塚山小学校の子だったので、少し緊張しました。一番難しいと思ったのが理科で、「てこ」の問題の意味が最後まで分からなかったので、全部適当に書きました。その事を親に話すと、「そんなにわからんかったら、すべっているかも知れない」と言われてしまい、とてもショックでした。けれど最後に明星を受けてその帰りに家に電話をすると、「受かっていた」と言われ、とてもうれしかったです。ちなみに明星はつまらないミスをしたので不合格でした。
今から考えると、お正月にもっと勉強しておけばよかったです。だから受験生の皆さんも今年だけは正月など無いものと思って頑張って下さい。
最後に、3年間勉強や勉強以外のことに大事なことをたくさん教えて下さったHOPESの先生方に感謝しています。
僕がHOPESに入塾したのは5年生の6月でした。友達の紹介で入ったのですが、はじめはびびってばかりいました。受験まで一年と七ヶ月とまだまだゆとりがあったので、宿題は家でゴロゴロしながらやっていました。(こんな人はいないと思いますが、絶対にやめて下さい。)
初めての授業を受けたときは、意味不明の言葉をべらべらしゃべられて、もう参ったと思いました。結局、黒板に書いてある事を写して帰っただけでした。早いのか遅いのか一ヶ月ほどたつと塾にも慣れてきて、宿題も少しずつこなせるようになっていました。(半分から三分の二くらい)
HOPES入る前から大体分かってはいたのですが、だんだんと苦手な教科がはっきりとしてきました。
その一 社会が全体的に弱い。特に地理に関する知識が皆無で、歴史も始まった頃はやってやるぞと、意気込んでいましたが、最後はああどうしよう、となっていました。
その二 理科はまだ軽傷でした。でも、植物や電気などの分野が弱かったと思います。
今になって気付いたことですが、苦手なところは4,5年の時に習うことばかりでした。つまり、4,5年の時の勉強が甘かったということになります。4,5年の時に学んだことは度々復習する事が大事だと思います。
夏休みは、(自分は何もしていませんが)算数や国語を(特に算数はかなり広い分野をやるので)そのたびごとに復習して、プリントを完全にこなせるようにすればいいと思います。苦手教科をなくせる期間なので絶対に有効に使うべきです。冬休みも同じです。
夏休み後はいろいろと学校の行事が多く、この時期が一番きつかったです。しかし、ここで気を抜いてしまわず、頑張って乗り切らなければなりません。この頃から志望校の過去問も5年から10年分くらいやらなければいけないので、とにかく気合いを入れて下さい。二学期なんてすぐ終わります。とにかく、夏休みとその後の時期を充実させて、自信をつけて下さい。
僕は三つの学校を受験しました。一つ目は奈良学園中学です。この学校は、自分が一番入りたいと考えていた学校なので、気合いを入れて臨みました。この学校は過去問をやってみてかなり自信を持っていたこともあって、前日も当日も、あまり緊張しませんでした。合格したと知ったときは自分ではあまり意識していませんでしたが、内心ほっとしていました。その後の帝塚山中学もかろうじて受かり、二十九日が最後の試験、星光学院中学でした。前の試験が受かっていたのでかなり油断していました。(これがまずかった)結局、星光は不合格でした。
僕がここまでこれたのは、僕だけの力ではありません。塾の先生方や周りの人々の支えがあったからです。僕をここまで導いて下さった先生方、本当にありがとうございました。あと、これから受験するみなさん、悔いのないようがんばって下さい。
ぼくがHOPESに入塾したのは、ちょうど5年生が始まってすぐでした。はじめのうちは、宿題はできても、授業では分かることより分からないことの方が多かった気もします。でも、やろう、という気力が出てきたので、なんとか授業内容も分かるようになりました。すると、段々とテストの成績優秀者に名前が載るようになりました。そのときは、とても嬉しかったです。
6年生になると授業時間も増え、はじめは宿題をするのが大変でした。合格判定テストでは、一人ずつ先生に呼ばれて返されるので、少し不安なときもありました。そして、いつの間にか入試が始まりました。会場へ行ったときは般若先生がきて下さっていたので、少しは落ち着きました。合格できたのも先生のおかげです。しかし、明星中学校に行ったときは人数の多さにびっくりはしましたが、なんとか合格することができました。そして、最後の大阪星光学院は、算数ができませんでした。本命校はダメだったけれど、どこに入ってもがんばろうと思います。
今までの2年間はつらかったけれど、努力すると後で良い結果が得られるので、みなさんも頑張って下さい。先生方、ありがとうございました。
ぼくは、3年生の時にHOPESに入りました。はじめのうちは、授業のペースが速く、全然ついていけませんでした。それに復習を全くせず、宿題もほとんどこなしていなかったので、成績はいま一つでした。4年生になって、宿題は大分こなせるようになったものの、やはり、復習は手つかずでした。そのせいで成績は3年生の時とあまり変わりませんでした。5年生の前半までは、3年生、4年生の時と同じで復習を全くせず、ただ宿題をしているだけでした。だから、あまりにも成績が悪くて、母にやめさせられかけました。しかし、それがきっかけになって、ようやく、先生方がいつも言われていたように復習をするようになりました。そうすると少しずつですが成績が上がってきました。
そして6年生になりました。5年生までは、他の学校を志望校にしていたのですが、6年生に上がるときの個人面談で母が般若先生から「東大寺学園も十分ねらえますよ」と言われたと聞き、東大寺学園を目指してがんばろうという気持ちになりました。それに、東大寺学園の文化祭に一度行ったときにとても楽しい思い出が残っていたので、いっそうがんばる気になれました。
そのために、まず毎回の授業の復習をし、それから宿題をすることにしました。6年生はそのくり返しでした。3,4,5年生の時に復習をする習慣をつけていなかったために、とても苦労しました。途中で勉強がいやになったこともありましたが、先生方のはげましの言葉を思い出し、なんとか乗り越えられました。そして、まだかまだかと待っていた一月になり、気持ちが引きしまってきました。
最初は、1月11日の帝塚山の入試。気持ちは落ち着いていましたが、やはり、少し不安はありました。問題を解くとき、はじめは緊張して少し迷いましたが、問題を解くにつれ、だんだんとその緊張もほぐれてきました。
次は東大寺学園の入試。ここは本命ということで家を出る前からとても不安でした。それでもなぜか、行くときには緊張しませんでした。東大寺学園へ着くと、先生方が待っていて、少し安心しました。算数の問題が少ししか解けなかったので、心配でしたが、先生に言われた通り、次の科目のことだけを考えました。試験が終わると、気持ちがすっきりしました。結果はどうあれ、実力を出し切ったからです。3日後、合格の知らせを聞いたときには、飛び上がるほど嬉しかったです。
最後に、星光学院の入試。東大寺学園に合格したので、星光学院の入試までの1週間は少し油断してしまいました。が、試験の時は気持ちをひきしめました。問題は割とスラスラ解けました。母から合格を聞いたとき、とても嬉しかったです。
ぼくは、HOPESに来て、本当に良かったと思っています。なぜなら、一人一人に接して勉強を教えてもらえたからです。HOPESで習ったことを心に留め、これからの中学校生活を送りたいと思います。
終わった……。今、自分自身悔いが残ったか、残らなかったかは分かりません。ただ、落ちたということは、勉強不足だったのでしょう。これを反省材料として、これから勉強に励もうと思います。
さて、この1年間を振り返ってみて、自分でも感心したことがありました。それは、何事も長続きしなかった人間が、よくここまでこれたなぁということです。これから受験する人は、安心して臨んで下さい。自分のように宿題のやり残しをしないようにして下さい。そして、何事も自信を持ってやってほしいと思います。ぼくのように苦手科目を作ったまま入学試験を受けると、運がいい以外は、良くない成績、納得いかない成績で終わってしまうでしょう。前に書いたように不合格というのは、勉強不足だったと悔やむことであり、ため息が出てしまうものです。ため息をつくことのないように、あと少しの期間ですが、一生懸命努力して下さい。
合格したときのうれしさというのは、本人にしか分からないものだ、と自分では思っています。当然、周りの方々もうれしいと思うかもしれません。が、本当のうれしさというのは、本人にしか分かりません。最後まで、受験する人は頑張ってほしいと思います。
最後に、お世話になりました先生方、本当にありがとうございました。