ぼくは、3年生のはじめからHOPESに通っていました。一番最初の授業の時、結構わかったので、このままやっていけるのではないかと思っていました。けれどもだんだんむずかしくなっていき、4年生になると社会が加わり、ずっと宿題も多くなって、自信がなくなってきました。それでもぼくが最後までがんばれたのは、コツコツやっていくタイプだったからだと思います。6年生になると、宿題がさらに多くなったので、復習と間違い直しは、その日のうちにすませました。ぼくは通学に一時間以上かかったので、夜遅くまで勉強することができませんでした。だから、時間をうまく使うのに苦労しました。そういう毎日をすごしているうちに、中学入試がきました。入試の前日には、先生が電話をくださって、緊張している心をやわらげてくれたので少し安心して次の日を迎えられました。本番の日も先生は、各中学校で待っていてくれて、勇気づけてくれました。4年間この塾で習って感じたのは、わからないことがあれば先生に聞くことと、志望校は絶対に最後まで変えないことです。
先生方、4年間どうもありがとうございました。
ぼくは、3年生の時にHOPESに入塾しました。最初の頃は復習テストの出来もかなり悪く、また宿題もよくわからずにやっているという感じでした。
4年生になってから、だんだん成績優秀者に名前がのるようになり、宿題もわかるようになってきました。
ぼくは、復習をあまりしなかったので、5年、6年になってからだんだん順位が下がってきました。そのまま中学に上がることができると思って気を抜いていたら、そう甘くなく、内部でも半分は落とされるというので、これはヤバいと思いました。
それから前よりは復習するようになったけれども、それでもまだ全然足りないと先生に言われ、どうしようか(もっとすればよいのだが)と思いました。
このようなことを言っているうちに、一月の試験日(内部)がきました。
算数はまあまあ簡単で、わりとできました。国語は、最後に作文の問題が出ました。題が決められていて、その題の作文を書くという問題でした。作文の練習はしていたので、楽に書けました。理科はみんな簡単と言っていて、ぼくも簡単だと思いました。社会は最近のニュースの問題が少し出ました。他の問題も結構難しかったです。面接には自信がありました。
合格通知が来たときには、かなり喜んでいました。
自分で新たな問題を解くことも復習と同じくらい大切だと思いました。自分でやると、なかなか忘れません。
僕が合格できたのは、HOPESの先生方のおかげです。
先生方、本当にありがとうございました。
受験は、私にとって11年間の人生の中で初めて一つのことに対する挑戦だった。たとえ何であれ挑戦するということには、成功するために、前もって練習したり、知っておかなければならなかったりすることがたくさんある。私はそのためにこのHOPESに通っていたのだ。
3年生から私の挑戦は始まっていた。でも、私は、何のために勉強しているかわからなかった。べつに、親や先生にやらされている、とも思わなかったし、自分のためにしている、とも思わなかった。こうして4年生ぐらいまで過ぎていった。
5年の時、やっと「受験するために来てんねんな」と解ってきた。しかし、やっぱり遊びほうけていた。復習も少しするだけだった。そのために6年で私はむちゃくちゃ困ったのである。
6年の勉強は5年の復習からはじまり、さらに新しいことを習っていく。そして、そのつど復習していかなくてはならない。私は新しいことを習う以前に5年でしたことが全然分かっていなかった。特に算数は。だからプリントなんか真赤っか。復習しようと思ってもする気になれない。それでも一応はしていた。けれど頭に残らない。私はめんどくさがりなので復習は一番嫌いだった。だからいいかげんにしていた。もちろん算数の実戦演習の成績は最悪だった。しかも6年の中で一番がんばらなければいけない夏休みをさぼったから、目も当てられない成績。しかし、さすがの私も「これではやばい」と思った。だから問題集などを使って自分なりにがんばったのだ。それでも授業中は困った。みなさん、さぼったらこまりますよー。特に夏休みの勉強は。夏休みは力をつける絶好のチャンス。それではその勉強法をズバリ言いましょう。
一、授業中、先生の話をよく聞く。
二、まちがったところの復習を必ずする。これは低学年からしていた方がぜったい得。
三、苦手な科目をなくす。これは「力の5000題」や「Vエース」を使えばよし。おすすめは算数の「力の5000題」。
この三つさえすればぜったいに力がつきます。これは本当。このことを授業を通して教えて下さったのも、私が希望の中学に入れたのもHOPESの先生方のおかげです。本当にありがとうございました。朝の京阪電車の始発に乗るたびに、HOPESで過ごした日々を思い出して頑張っていこうと思います。
私がホープスに入ったのは4年生のころです。授業の内容が前に行っていた塾よりも速く、「何のこっちゃ」と思うことばかりでした。復習テストでは、得意だった国語も、他の教科も、これでもか!と言うほど悪い点をとってしまいました。しばらくすると塾のペースにも慣れ、国語などはちょっとだけ成績が上がったのですが、算数は最後まで悪い点を取っていました。
この3年間で一番つらかったことは、冬期講習や夏期講習などの授業時間がとても長かったことです。6年生になると約八時間もの間、じっとしていなければならないので、私にはとってもつらかったです。夏期講習の予定表を見るとゾッとしてしまいました。
こんな私も受験をすることになりました。初めてのことなのでとても緊張していましたが、激励会では先生方にはげまされ、緊張が少しずつほぐれていきました。最初に受けた奈良帝塚山で私は、先生にいただいたお守りを二回ポンポンとたたきました。すると「やるぞ!」という力がわいてきて、おちついて問題を解くことができました。そのおかげもあり、合格することができました。
つぎはいよいよ大阪女学院中です。前と同じようにお守りをたたき、算数の問題を解き始めました。しかし、出てくるだろうと思っていたかわいい絵がなかったので少し残念でした。算数が苦手な私はところどころ問題でつまづいていました。でも、「わからない所があったらつらかったことを思い出しなさい」と言う般若先生の言葉を思い出し、とにかく問題を解きました。社会と国語は自信がありましたが、理科と算数はとても心配でした。そして次の日に面接を済ませました。後は結果を待つだけです。
1月30日、私が息を切らして学校から帰ってくると、お母さんが「合格!」とVサインを出した。私は「やったー!」と言って飛び上がってしまいました。とてもうれしかったです。
ぼくは、3年生のはじめから、HOPESに通い始めました。
3年生の頃は、全然授業について行けず、家で泣いてばかりでした。だけど、算数の復習と国語・算数・理科のプリントの宿題だけはしていました。本当に、あのころは塾へ行くのが、すごくいやでした。
4年生になると、社会が加わってきました。このころから算数と理科の授業がよくわかるようになりました。
5年生になると、本の宿題が多くなり、やりこなせませんでした。しかし、なれてくると、ほとんどの本をこなすことができました。
6年生になると、本の宿題が半分ぐらいしかできませんでした。しかし、Vテキストの国語や、算数の力の5000題、総合模擬テスト、図形模擬テスト、完成理科、Vテキストの社会はやりました。
そして一月十五日。初めての試験の日です。緊張しながら奈良学園中学に行きました。教室は意外に寒かったです。帰りに友達に、何点ぐらい取れたかと聞いたところ、ぼくよりも高い点数だったので急に心配になりました。
一月十七日。家に帰っておやつを食べていたら、四時ごろに電話がかかってきて、 「合格してた。209ってちゃんと書いてあったよ」
と、お母さんに言われました。その時、とてもうれしかったです。とうとう関西学院中学の入試の日が来ました。去年はとても難しかったので、今年は、もっと難しくなるだろうと思っていたのに、とても簡単でした。
合格発表の日、胸をドキドキさせながら、関西学院中学へ行きました。合格していました。表現できないほどの喜びでした。
HOPESの先生方、どうも4年間ありがとうございました。
これからも、HOPESで学んだことを土台にして頑張っていきたいです。
ぼくがHOPESに入塾したのは、3年生の終わりです。そのときはまだ受験する気は少しもなく、HOPES通信に書いてあったいろいろな中学校の名前も知らないものが多かったです。
ぼくは全然宿題をしなくて、よくおこられて、塾に行きたくないと思ったことが何回かありました。試験の一ヶ月ぐらい前に、ほとんど新品と変わらない参考書や問題集を読み、空白の部分をうめて不得意科目を少しでも楽にしようと考えていたとき、どうして今までなまけていたんだろうと思いました。
試験の少し前の激励会で、般若先生がおっしゃった「みんな受験をするのは、初めてなんだ」という言葉で、ぼくは元気がわいてきました。
試験会場に向かう途中、今まで勉強してきたいろいろなことが頭の中に浮かんできて、まだ覚えていないことがあるかも知れないと思って不安でした。試験会場に入ってからは、自分より周りの人たちの方が賢そうに見えたけれど、みんなもぼくのことを見ると賢そうに見えるんだろうなと思うと、気が楽になりました。
ぼくは自信を持って答えを書いたけれども、合格できているか今一つ確信がなかったので、結果の通知が来る日は、朝からとても緊張していました。母から合格したことを聞かされたときは、うれしくて、家の中を走り回ってしまいました。
今はつらくても、夢は努力すればかないますので、みなさんも一生懸命頑張って下さい。
最後になりましたが、HOPESの先生方、こんなぼくを今までずっと見放さないで下さってありがとうございました。
3年生からしてきた受験勉強も終わり、今はわりとのんびりした日々を過ごしています。
私は国語が得意でしたが、算数はあまりできませんでした。宿題もあまりしていかなかったので、よく先生に叱られました。今になって、その事をとても後悔しています。
帝塚山中学の入試は、初めての入学試験だったので、少し怖い感じがしていました。終わった後も、なんだか落ち着かなかったです。合格発表の日までは、ほとんどその結果ばかり考えていました。合格とわかったときは、喜ぶと同時に、「もう、一つ合格したから、次の入試には心おきなく臨むことができる」と思いました。
そして、いよいよ一月二十九日の同志社中学の入試の日になりました。ホテルに泊まっていたので、朝も七時くらいまでぐっすりと眠ることができました。一日目は私の得意な国語と社会だったので、結構気楽に臨むことができました。ホテルに帰ってからは、算数の過去問の中で以前まちがえた問題を解きなおし、二日目に備えました。二日目。一時間目の算数のテストが思いの外よく解けたので、「もう大丈夫だ」と思い、理科のときは普通の問題を解いているような気分で解くことができました。二月二日、日曜日の朝。待ちに待った同志社中学からの書留速達便が届いたときは、期待と不安の入り交じった気持ちでいっぱいでしたが、開けてみると合格だったので、とてもうれしかったです。
最後に、私はHOPESで学べて良かったと思います。なぜなら、いい先生と、いい友達に出会うことができたからです。4年間、本当にありがとうございました。
僕は3年生からHOPESに通っていましたが、初めから受験の意思があった訳ではありません。自分の中で、志望校がはっきりしてきたのは、5年生になってからです。その頃になると、毎日、塾と宿題と復習の繰り返しで辛い時もありましたが、だんだん習慣のようになってきて、辛さが消えていきました。甲陽学院中学校を第一志望に決めたものの、算数が伸び悩んでいたので、復習に重点を置き、それでも解けない問題は先生に質問しました。甲陽学院中学校に合格できたのは、最後まであきらめなかったうえ、先生方がとことん応援して下さったからだと思います。
具体的にどのように勉強したかというと、まず授業の復習とプリントの宿題はその日のうちにするようにしていました。そして分からないところはチェックして、なるべく早く質問をしました。塾のない日は、問題集の宿題を計画を立ててしました。6年生の秋までは全てやりこなしていたと思います。受験前になると、過去問に時間がかかるので、無理なところは、先生に相談して省きました。僕は受験校が4校あったので、過去問を少し早めに始めました。日曜日の塾に行く前の時間や、学校が休みの日を利用しました。第一、第二志望校は10年分以上、その他は5年分をし、一度解けなかったところは何度かやり直しました。
4年間HOPESで勉強してきた結果を出さねばと思うと、どの学校の入学試験も緊張しましたが、朝、先生方が応援に来て下さったので、やるしかないと思いました。僕にとって、この4年間は素晴らしいものでした。
私が受験を考えた時は、すでに5年生の3月。受験までたったの10カ月しかないのに、まだ塾さえ決まっていなくて、あわてていた時、母の知り合いの方にHOPESを教えていただきました。その方は、「瑠衣ちゃんならきっとこの塾でがんばれると思うわ」と、心配だった私を励まして下さいました。
けれど、初めて授業を受けた時は、プリントは真っ赤だし、進むスピードは速いしでびっくりして、こんな厳しい塾でやっていけるのだろうかと、前以上に心配になりました。ところが、思ってたよりもはやく塾になれることができたので、6月頃からは、宿題も半分はこなせるようになりました。そして、そのころから苦手な科目がはっきりしてきました。それは理科と算数でした。こんなことではいけないと思った私は、夏休みを有効に使って苦手科目を克服しようと決めました。そして、計画表(これは必要です)も作り、勉強の方法も決めました。算数は、授業や宿題の復習を必ず行い、理科は、分からないところを参考書で調べることにしました。受験勉強では、充実した夏休みを送ることが一つのポイントになってくると思います。
それから、夏休みが終わって気が抜けてしまわないように気をつけなければなりません。2学期なんてあっという間にすぎてしまい入試になってしまうからです。私は、夏休みが終わって、やはり気が抜けてしまいました。でも、両親や塾の先生方のはげましもあり、なんとか勉強を続けることができました。その後は過去問の宿題はふえるし、学校行事がたくさんあって、とてもつらい時期でした。でもこの時期をのりきれば自分に自信がつくので、みなさんもがんばって勉強していってほしいです。
さて、とうとう入試間近。心がおちつかなくてなかなか眠れない日もありました。そのせいか、第一志望の帝塚山中学の入試1週間前にインフルエンザにかかってしまい、受験できないのではないかとハラハラしました。けれどなんとか治り入試も受けることができて本当によかったです。でもこれから受験されるみなさんは、健康管理には気をつけて下さい。それから入試前日には持ち物や受験番号を確認して下さい。そして悔いの残らないようにがんばって入試に臨んで下さい。
最後にとっても出来の悪かった私を支えて下さった塾の先生方をはじめ、たくさんの方々、本当にありがとうございました。
私がHOPESに入ったのは、4年生になるときだった。「あの先生に直接教えてもらえるなんて、すごくラッキーだよ」という兄の一言で、母は決心したようだ。私と兄は12も年が違うが、この兄が中学に入るとき、その頃はまだ青年のようだった(失礼)般若先生に教えてもらったそうだ。
それまで私は、3歳から始めていたピアノのレッスンにかなりの時間をかけていて、勉強の方は何もしていなかったので、入塾したころはただただびっくり。算数なんかいつもビクビクドキドキ。成績なんて二の次で、ただみんなに追いつくことしか考えられなかった。先生のおっしゃるようにまじめに復習していったら、そのうちペースもわかってきて、友達もでき、塾へ通うのが楽しみになってきた。般若先生に叱られたら―と思うと算数だけは手が抜けなくていつも緊張していた(先生が厳しいことをこぼすと、兄は「へー、あんなに優しい先生はないと子供心に思っていたのに、信じられへん」と言っていたけれど)。
でも6年生になるころには、かなりの量の宿題も余裕をもってこなせたし、ほかの模擬テストを受けてみても、算国はいつもいい成績をとれた。
ところが一方で、私は手抜きをしていたのだ。社会と、特に理科だ!私が同志社の共学へ行きたいというと、母はびっくりして、「ええっ!遠いよ、いい学校だけど遠すぎる。それにあそこは、4科目の配点が同じだから、その理・社の成績ではとても無理」
それからもくり返し同じことを言って、志望校を変えさせようとした。でも私は同志社が好き。他へは行きたくない。テストの点など気にしないあっさりタイプの私も、「やっぱりこのままやとまずいことになる」と考えるようになった。それから社会は、まじめに授業に取り組み、歴史や時事問題は兄にわかりやすく解説してもらったりしているうちに、好きな科目になってきた。
けれど、最後まで足を引っ張る理科。先生の授業は大好きなのに、とてもわかりやすく教えてくれるから私は甘えていた。本当にエンジンをかけ始めたのは秋になってからだった。長い間きちんと頑張ってきた人と今になってあわてふためいている者が同じ成果ならそれこそ不公平だよね…と思いつつ、やっぱり私は理科がだめなんだとおちこんでいると、「今度の点、そんなに気にせんでええよ」とか、小テストでも「だいぶできるようになったやんか」とか声をかけてくれた。実戦演習のテストで成績優秀者に名前がはじめてのった時には、「すごいやんか、これ」とわざわざ私の名前を指してくれた。それがどんなにうれしく、はげみになったことか。本当にありがとうございました。
『全国入試問題集』の中から私にふさわしい学校の問題を選んでもらって、それを終えるとまた次の課題を与えてもらい、できるかぎり問題にあたるようにした。理・社で取り組みが遅かった分、少しでも追いつこうと気迫で最後の最後までくらいついていった。今思うと、よくあそこまで…と自分の中に見つけたしぶとさに、私自身びっくりしている。また国・算でじっくり時間をかけて力をつけてもらったという私なりの自信があったから、同志社の試験の頃には、4科目の力をなんとかそろえることができたのだと、みんなに感謝している。
さて、初めての入試体験、帝塚山英数併願はすごい受験者数だったのでとっても不安だった。が、学園前駅に塾の先生方みんなが応援にきて下さり、その顔を見ただけでホーッと心が落ち着くのがわかった。そして、1月29日。本命の日。雪の中、先生が同志社の校門の所で私たちを迎えてくれた。「ぼくも6年間住んだけど京都はいい所だよ。みんなが入ってくれたら僕もうれしい。がんばっといで」と肩をたたいて笑顔で送り出してくれた時、胸がじーんとして涙があふれてきた。「がんばるぞ」と心から思った。
もうすぐ朝6時に家を出て、京都まで通学する日々が始まる。私自身が行きたくて選び、みんなに助けられて合格できた中学校だ。校風にとけこんでのびのびと自由に精一杯がんばる。「塾で、先生方に導かれ見守られながら、みんなで仲良くがんばってきたんだ」という私の大切な宝物が、胸の深い所で、いつも、いつまでも輝いてくれているのだから…。
ぼくが志望校を奈良学園中学校に決めたのは、6年生の8月の終わりでした。それから真剣に勉強をやり始めました。まずは苦手だった理科と国語をしました。理科は基礎からやり直すために、5年生の授業を受けにいき、さらに電話帳(全国中学入試問題集)をしました。国語は、漢字・物語文・論説文を中心にやりました。算数は好きな科目であった上、けっこう成績も良かったので、今まで通りにプリントのやり直しや宿題をしました。その成果が出たのか、今までほとんどC判定だった合格判定テストで、A判定やB判定が出るようになりました。
そして、入試4日前の激励会で先輩や先生方の話を聞き、とても感激して「がんばるぞ」という気持ちになりました。
とうとう入試の日が来ました。ぼくは最初の受験が第一志望の学校だったので、「絶対合格するぞ。落ちたらもう終わりや」と思いながら試験に臨みました。そして、合格することができました。
ぼくはHOPESで学んできて、本当に良かったと思います。先生方、ありがとうございました。
ぼくがHOPESに入ったのは、4年の冬期講習からでした。最初は、ほとんどどの教科もわからず苦労しました。でも、宿題などはきちんとこなしていました。
6年生になると宿題が多くなり、それをこなすための時間が長くなり、けっこうしんどかったです。でも、夏期講習のころには、長時間の授業が苦にならなくなっていました。自分でも、夏期講習でずいぶん成績が上がったように思います。やはり、夏休みが受験生にとっては、時間の余裕もあり、がんばれる大切な時期だと、改めて思います。
入学試験は、一校目の帝塚山中学、二校目の西大和学園中学と順調に合格しました。しかし、三校目の大阪星光学院中学のときは、二校目から二週間ぐらい試験日があいていたことと、第一志望だったこともあって、とても緊張してしまい不合格でした。四校目の明星中学は、試験だけでなく面接もありました。試験の方は割と楽にできました。面接では緊張しましたが、あまりくわしい質問もされず、面接官の話を聞くだけでした。そして、なんとか合格しました。
全てが終わってみると、受験した四校のうち三校も合格できたんだなと、うれしく思いました。
いろんなことがありましたが、ぼくが中学受験をし、そして合格できるまで指導して下さったHOPESの先生方、本当にありがとうございました。
今は、中学校でがんばっています。受験生のみなさんも、志望校合格を目指してがんばって下さい。
ぼくがHOPESに入ったのは3年生の終わりでした。6年になり、受験するまでの期間は長いようで短い時間でした。
ついこの間、先輩の受験体験記を呼んでいたかと思うと、今は自分が書いている。やっぱり短かった。前置きはこのぐらいにして、今までぼくがやってきた勉強をふりかえってみて、一つ言えることは復習が大事であることです。ぼくは復習をしろと言われても、あまり復習をしなかったので、今は本当に後悔しています。みなさんに言います。本当に復習だけはしっかりやって下さい。希望の中学校に行きたいなら、HOPESの授業のやり直しは絶対必要です。
ぼくは、正直言ってまず奈良学園中学を合格したことによって余裕を持っていました。そのことプラス復習不足がたたって星光学院中学を不合格になったと思っています。このくやしい思いを胸に大学受験に活かしたいと思います。
ぼくが無事合格できたのはHOPESの先生方のおかげです。中学生になっても先生方に教えてもらったことを元にがんばっていきます。
帝塚山中学の合格の知らせを聞いた時、私は言葉に言い表せない程うれしかったです。だから、今、苦しくても頑張っている後輩に、私の失敗と成功を(特に、今なんとなく塾に来ている4、5年の子に)聞いてほしいと思います。
正直、私は5年までHOPESの落ちこぼれ的存在だったと思います。私が私立の中学に行きたいと願ったのは、小さい時からしていたお稽古ごとがあり、それをこれからも続けていく為には、皆の勧めてくれる私立の中学に行く方が自由が利くと思ったからです。
私がHOPESに来たのは4年生の時です。でも、授業の早さと内容の難しさについていけず、当時、本腰を入れつつあったお稽古事の方に逃げるようにのめり込んでいきました。塾のことよりもお稽古ごと優先で遅刻はもちろん、早退もしょっちゅうでした。それでも塾にさえ行っていれば、どこかの中学には行けると信じていた私。いつも授業中、時間のたつことばかりを願い、先生の話は右から左へと聞き流し、先生が黒板に書いた事をプリントに写して、それで分かったような気になっていたのです。当然、宿題も復習もやらずにいたから、本当によく怒られていました。今思うと、とてもバカだったと思います。6年への進級テストの結果は、基礎学力のないままに応用へ進んでいたのですからさんざんで、当然「受験は無理」と言われるほどでした。でも、先生の一言で、目が覚めました。「受験もしたい。お稽古もしたい。このままやったら、両方中途半端と違うか」これは、とてもこたえました。6年の授業と平行して5年の授業を受けることでHOPESに残りました。でもこれはとても大変なことなのです。お稽古事はやめて、1年間必死に勉強しました。その月日の中で先生が怒るのは、私がやらないからだという事も分かりました。分からない所は徹底的に教えてくれました。特にしんどかったのは夏休みでした。来年はないのですから、精神的にもとてもしんどかったですが、一番きつかったのは体力的な面です。そうならないためにみなさん頑張って下さい。
さて、試験当日、会場に先生方が来て下さって緊張をほぐしてくれました。全力を出しきればいいと思い試験に挑みました。始まってみると、全教科、結構落ち着いてできました。
こんな1年を通して私が得た教訓は「二兎追うものは一兎をも得ず」「努力に勝る天才なし」という事です。どんな天才でも、それに至るまでの努力はすごいものだと思います。みなさんも、一生懸命努力して下さい。そして、どんな事にも逃げないで下さい。
最後に私の可能性を見捨てずに教え導き、励まして下さった先生方に心からお礼を言います。どうもありがとうございました。
私が「受験」というものを意識しだしたのは、6年生になってからでした。5年生までは、決められた曜日にただ行っているだけでした。でも6年生になったら、自分の志望校を目指して勉強しました。6年生になる時に、このままの成績では無理だ、と先生に言われました。でも行きたい学校があったので精一杯がんばるということで続けさせてもらいました。そして6年の授業だけでは無理かもしれないということで、5年の授業も受けさせてもらいました。そうして、私は志望校を目指して勉強しました。でもどうしても、社会ができなくて、二教科受験の方を受けることにしました。
初めての受験ではものすごく緊張しました。一時間目はふるえてしまって、はじめの20分ぐらいは何もしていなかったような気がします。二校目。第一志望校だったのですが、行きたい学校を意識しすぎたのか、このときも緊張してしまいました。
最後に大阪の試験を受けました。過去問を7年分やり、もう緊張してもしようがないと思い、落ち着いてできました。
自分の通いたかった中学校は無理だったけれども、今まで、やってきたことは決して無駄にはならないので今までの経験を生かし、これからも勉強をがんばりたいと思います。
般若先生、本当に最後までありがとうございました。
ぼくは、4年生のはじめにHOPESに入塾しました。それまで行っていた塾よりも、プリントと問題集の宿題が多くて、あまりこなせませんでした。5年になると、塾の雰囲気に慣れ、友達もできました。しかし、宿題をしなくてはならないという気持ちより、遊びたいという気持ちが勝って、4年の時よりいっそう宿題をやりませんでした。先生に何度も注意を受けましたが、塾をやめようとは思いませんでした。ぼくは明星中学を目指していたので、とにかく算数をしなければという思いばかりして、国語や社会をほとんどしませんでした。社会をやっていなかったのがあだとなり、明星中学の結果はやはり不合格でした。勉強をしていなかったので、失望やショックというのはありませんでしたが、それでも後悔はしました。その後に清風中学の二次試験と帝塚山泉ヶ丘中学とを受けました。清風中学の二次試験はあまり自信はありませんでした。その上倍率が異常なほど高かったので、合格するはずがないと思いました。結果はやはり不合格でした。帝塚山泉ヶ丘中学はテストが終わった時点でまあまあ自信がありました。次の日に合格の知らせを聞き、ぼくはやっと救われたと思いました。そして、しばらくの間は解放感にひたっていました。もう宿題に追われることがないと思うと、ホッとしています。今までしたかったことを存分に楽しんでみようと思っています。
後輩のみなさんへ、般若先生にいくら厳しくされても、あきらめずにがんばって勉強してください。
部屋の中に、一枚の真っ赤に染まったプリントが忘れられたように置いてありました。「どんな問題かな」と思ったら、簡単な算数のプリントでした。それを見た時、はずかしくもあり、なつかしくもありました。
小学校5年の3月から受験勉強にとりくんだ私は、他の人より二倍も三倍もおくれていたため、授業のプリントのほとんどが真っ赤でした。けれど、やればやるほど、プリントの赤いところが減っていくのが自分でもわかってすごくうれしかったです。
HOPESに入る前から決めていた第一志望の中学の入試の日は、心臓が爆発すると思うぐらいにドキドキして緊張しました。けれど、テスト用紙が配布されると、案外緊張しなくなりました。たぶんそれは、HOPESでやっている実戦演習や合格判定テストのときと同じような気持ちになれたからだと思います。
私の本命中学の場合、傾向が去年までのと変わっていて、とても難しくなっていたように感じました。最初はとまどいましたが、一問解けると、どんどん解けていき、いつもの調子に戻れたのでよかったです。
最後になりましたが、HOPESの先生方ありがとうございました。それと6年生のみなさん、試験の日が一番大切だと思われるかも知れませんが、それ以上に、同じ教室のみんなと一緒にがんばって勉強したことの方が大切だと思います。多少テストの傾向が変わっても、それまでにがんばってやっていれば、必ず実力は発揮できます。そのためにも、日頃からやりなおしは必ずやっておいたほうがいいと思います。試験の日に向けて頑張って下さい。
ぼくが、受験に関心を持ち始めたのは、5年の終わり頃からです。その頃は、明星中学か清風南海中学のどちらかを受験しようと思っていました。ぼくは国語が苦手だったのですが、明星中学と清風南海中学の入試問題を比較してみると、清風南海中学の問題の方が国語が簡単のように思えたので、清風南海中学を受験することに決めました。HOPESの判定テストや、駸々堂の模擬テストの成績から言って、清風南海中学に合格できるかどうかはきわどいところでした。だけどぼくは、どうしても清風南海中学に行きたかったので、それから国語の長文を重点的に始めました。
1月15日に奈良帝塚山中学を受験しましたが、不合格でした。ショックでしたが、この受験は最初から練習のつもりだったので、すぐに気を取り直すことができました。そのあとは、1月29日までに過去問をもう一度解き直しました。
清風南海中学の入試の日は最後まであきらめないで問題を解こうとがんばりました。終わったときは「できた」と感じました。
発表の日、思い切って学校に見に行ったら、お母さんが「合格したよ!」と言ったので、思わず「やったー!」と、さけびました。
良い結果を得ることができたのは、最後まであきらめないで頑張ったことと、HOPESの先生方が、応援して下さったおかげだと思います。
私は4年生の時にHOPESにはいりました。
3年生の時から、この塾で勉強をしていた人達はかしこくて、私は全然ついていけませんでした。授業・復習・宿題・・・、何から何までさっぱりでした。特に4年生の間は、宿題だけで精一杯で、復習なんかは全然できませんでした。
5年生になると少しは落ち着き、先生方のおっしゃっていた、まず復習をしてから宿題をするという形になっていきました。私は、理科と社会が特に苦手で、テストにしても宿題にしてもマルがほとんどありませんでした。復習する量がとても多くてやる気が起きないこともよくありました。
ただでさえ苦手な社会に歴史までが加わりました。時代・人物・建物など、いろんなものを覚えなくてはなりませんでした。でも、塾は先に進んでいるのだから、学校でついていければいいと思っていた私は、全く覚えることができず、とても苦労しました。
6年生になると、さすがに受験生という実感がわいてきて、頑張ろうと思う気持ちが強くなってきました。けれど、その分、勉強する量もどっと増え、大変でした。授業も四時間授業から八時間授業までありました。
そしてとうとう、帝塚山中学の受験の日がやってきました。本命ではないという甘い気持ちが強かったせいもあり、あっさり落ちてしまいました。
落ち込んでいる私に勇気を与えて下さったのが般若先生でした。
「泣いても笑ってもいけない。まだ本番はおわっていないのだから」と。ついに本番の日がやってきました。1日目も2日目も、先生が応援に来て下さったおかげで緊張せずに平常心で受けることができました。合格通知が来た時は、うれしくてうれしくてたまりませんでした。本当にこの塾で学べてよかったという感謝の気持ちがあふれてきました。先生方、3年間本当にありがとうございました。
後輩のみなさん、四天王寺中学校で待っています。
私がHOPESに入ったのは4年生の時です。初めのうちは、全然みんなについていけず、何からやればいいのかわかりませんでした。でも、HOPESの先生たちのおっしゃる通りに努力していくうちに、少しずつ何かがわかっていくような気がしました。
それでも、4年生の間は宿題をすることが精一杯で、復習なんて言葉は頭にありませんでした。
5年生になると、先生がいつもおっしゃっていた復習をやりはじめました。その結果復習実力テストの成績優秀者の表に名前がのるようになってきました。
6年生になると、勉強のレベルもあがっていき、宿題も増えました。でも頑張っていきました。時々「もういやだ!」と思うこともありました。そんなとき、先生達の言葉を思い出して乗りこえていきました。先輩たちと同じように私も、家では基本問題を中心にやっていきました。
1月15日、ついに帝塚山中学の入試の日がやってきました。帝塚山中学の問題は思ったよりもはるかに難しく、みんなが簡単と言っている問題が私にはわからなかったのでショックでした。結果はやはりだめでした。私がおちこんでいると般若先生が「大丈夫だから」とおっしゃって下さったので安心しました。
そして1月29日、いよいよ四天王寺中学校の入試の日が来ました。二日間とも先生が来て下さいました。そのおかげで少し自信がつきました。面接もきっちりと答えることができました。合格通知が来たときは、飛び上がって喜びました。
私がここまでこれたのは、HOPESの先生や友達のはげましがあったからです。
HOPESでの大切な3年間のことは一生忘れません。
本当にありがとうございました。
私は3年生の時、HOPESに入りました。3年の時はプリントの宿題をやるのが精一杯でしたけれど、4年からはドリルを少しずつやり始めました。6年になってからも、宿題をやりこなすのがやっとで、予習復習はできませんでした。夏休みもあまり休みがなくて、「やめたいなぁ」と何度思ったかわからないぐらいでした。でもがんばっていきました。宿題も夏休み中にできたので般若先生に「がんばったね」とほめられてすごくうれしかったです。年末になるとHOPESだよりに“入試まであと○○日”と書かれていて、毎回減るごとに心配と不安でいっぱいになりました。一月になるとHOPESの卒業生が私たちを励ましてくれる『激励会』がありました。そこで先生から励ましの手紙とプレゼントをもらって、なんだか自信がわいてきました。しかし、いくら自信がついたといっても、試験当日は朝からすごく緊張しました。最後の合格判定テストがB判定だったからです。先生はあまり気にしないでいいと言ってくれましたが、やはり不安でした。
発表の日、小学校に知らせが来て合格だと聞き、とてもうれしかったです。私はここでの4年間、勉強だけでなく、がんばることの大切さ、目的を達成することのすばらしさも学びました。受験に勝てたのもそういうことを教えてくれた先生方のおかげです。本当に本当に、長い間ありがとうございました。これからも中学、高校とHOPESで学んだ多くのことを心の支えとしてがんばっていきます。