小学3年生の冬、中学受験を思い立った私は、母とHOPESの体験授業を受けました。それは和差算の授業でした。中学受験ではこんなに難しい問題を解かなければならないのかと、ビックリしました。入塾し、初めての算数の授業で、緊張と問題を解くスピードについていけずボーッとしていると、般若先生に注意され、家に帰り泣いてしまいました。入塾して最初の頃は、算数のやり直しや宿題が終わらず、答えを見てしまうこともあり、テストでなかなか良い点が取れず、居残りをすることが多くありました。
入塾から半年が過ぎた頃、友人と遊ぶ時間が少なくなり、勉強に嫌気がさし、塾を辞めたいと両親に言いました。普段めったに怒らない父に「たった半年で辞めても意味がない。自分で受験したいと言ったのだから、1年は続けなさい」と、厳しい口調で言われました。その日から、母に算数のプリントを何枚もコピーしてもらい、間違えた問題を何度も解き直すことにしました。その頃から、居残りになることが少なくなってきました。きちんと復習することを学んでから、少しずつ自信もわいてきて、頑張ろうと思えるようになりました。
5年生になりました。この1年がとても大事な年になると母から聞いていたので、週に一度友人と遊ぶ時間以外は机に向かっていました。初めて習う歴史や理科の電気などにとても苦労しました。
6年生になり、塾での時間、宿題の量が増え、受験生になったんだと自覚しました。授業の復習と宿題をきちんとするために1週間の予定を立てて進めることにしました。塾から帰ってきてからの復習は、眠たくて眠たくて仕方ありませんでした。でも、そんな疲れた気持ちを抑え、必死に頑張りました。そんな毎日が嫌になるときもたくさんありました。なぜこんなにも宿題が多いのか、なぜ泣きたくなるほど先生が厳しいのかと、考えるときもたくさんありました。でも、後から考えるみると、宿題が多いのも、先生が厳しいのも、私たちを志望校に合格させてあげたいという、先生方の思いがあったからだと思います。そして、私がそれを乗り越えられたのは、合格したいという気持ちはもちろんですが、一緒に勉強しているHOPESのみんなに刺激を受けたからです。
夏休みを終え、過去問に取り組むようになると、体力的にきつくなることが増えました。眠い目をこすって行った修学旅行も良い思い出です。修学旅行などの学校行事は、勉強に追われる日々の癒やしとなり、気持ちがリフレッシュされました。
そんな日々が続き、私にとって初めての受験となった前受け校の香川誠陵中学の試験の日がやってきました。初めての受験でとても緊張していましたが、会場のホールに響きわたった般若先生の「行ってらっちゃ〜い」と言う声に、少し緊張がほぐれました。
ついに統一試験日がやってきました。1日目。4年生の頃から憧れていた第一志望校の同志社香里中学校の受験でした。雨の中、山下先生が待っていて下さいました。暖かいカイロをもらい、頑張ろうという気持ちになりました。手応えはあったのですが、結果を見るまで不安でいっぱいでした。2日目。私にとってはチャレンジ校である清風南海中学校の受験でした。プレテストや過去問の点数がとても悪かったので、諦めようと思ったときもありました。なので、私はチャレンジ感覚で受けました。ところが、いつも足を引っ張っていた国語が、本番ではなぜか一番よく解けました。3日目。夕方から帝塚山中学校を受験しました。そこには般若先生が来て下さりました。これで最後だと思うと少し寂しい気持ちにもなりましたが、精一杯頑張りました。
長かった受験生活が終わり、満開の桜が咲きました。今まで辛かったことがいっぱいありましたが、努力して良かったと心から思いました。
夏と冬、二度にわたり応援大会に来て下さった31期生の方からのアドバイスはとても参考になりました。プレゼントは一つ一つに心がこもっていて、嬉しかったです。
父は、仕事が忙しい中、塾のお迎えに来てくれました。母は、お弁当作りや送り迎えをしてくれました。弟と妹は、私が勉強を始めると読書をして静かに待っていてくれました。祖父は、いつも私の体調を気にかけてくれました。家族のみんなにありがとうの気持ちでいっぱいです。
山下先生は、いつも面白い授業をして下さいました。いつも「問題集はしっかりしてる?」と心配して下さったのは、とてもありがたかったです。
般若先生は、いつも厳しく、時には優しく、授業をして下さいました。毎回、宿題を提出するときに「もっと復習をていねいにしなさい」と言われ、私たちに復習の大切さを教えて下さったことは、今でも覚えています。この3年間、私に呆れられたこともあったかもしれません。しかし、先生方は私を見捨てずに、私を合格へと導いてくれました。本当にありがとうございました。
あっという間のこの3年間。楽しかったり嬉しかったりしたことよりも、辛かったことの方が多かったと思います。けれども、たくさんの人たちに支えられて合格できたことは、けして忘れません。HOPESで学んだ努力することの大切さを、これからの人生でも持ち続けていきたいと思います。
私は3年生の夏に入塾しました。初めは算数特訓の授業を受けていませんでしたが、だんだんと慣れていき、算数特訓の授業も受けるようになりました。算数特訓を受けるようになってから、わからない問題が増え、質問するのがいやで、宿題の解答を写して提出していたこともありました。そのため、小テストの居残りや復習テストの再テストを受けることも多くありました。写していたことが先生にばれ、叱られてからは質問をするようになりました。
5年生になりました。プリントの宿題だけで精一杯で、問題集はあまりできていませんでした。
6年生になり、成績は下がっていく一方で、同志社香里中学校の受験が不安になってきました。
秋になり、過去問に取り組み始めました。同志社香里中学校は合格最低点に到達することは少なかったですが、関西大学第一中学校の過去問の算数で96点を取れ、少し自信がついてきました。過去問を解いて、漢字で点数をたくさん落としていたことに気付き「日々の漢字」で間違えた漢字をくり返し練習しました。すると、漢字の小テストや過去問の漢字の正答率が上がってきました。
あっと言う間に、冬が来ました。
前受けに岡山中学校を受けました。国語の試験の途中で緊張がほぐれましたが、算数が難しくて少しあせりました。結果は合格でとても嬉しかったです。
受験日程は、1日目に同志社香里中学校。2日目の午前と午後に開明中学校を受けることにしました。
1日目。山下先生が応援に来て下さり、緊張がほぐれました。国語は手応えがありましたが、算数が難しかったです。試験が終わったとき、落ちたなと思いました。
2日目の午前。あまり緊張せず、手応えもありました。午後の入試では般若先生の「がんばれ〜!」というかけ声でやる気が出ました。理科の力学が難しかったです。
午後の入試が終わり、母から同志社香里中学校に合格したと聞き、信じられませんでした。自信が無かったので、驚きと喜びの気持ちが入り混じっていました。そして、3日目以降は受験をしませんでした。
今まで支えて下さった先生方。本当にありがとうございました。
私は、小学1年生でアルゴクラブに入りました。そして、気がついたときにはHOPESに入塾していました。
3年生で習った和差算の授業で、先生は線分図を黒板に書いて、差の部分をプリントで隠して説明して下さいました。その時私は、勉強で初めて感動しました。それからHOPESに通うことが楽しみになりました。
しかし、5年生になると、1つ上の兄が受験まであと1年となり、家の中の空気が少しずつピリピリとしていき、私も来年こうなるのかと思うと、何回も6年生になる前に受験をやめたいと考えました。
また、社会は歴史に興味があったのですが、なかなか覚えられず、宿題もプリントの表しかできていなかった時期がありました。そんな状態では当たり前ですが、小テストの点数が8点(50点満点)しか取れないこともありました。その日、私がため息をつきながらトイレに並んでいると、アルバイトのお姉さんが
「どうしたの?大丈夫?お姉さんも社会の小テストむっちゃ悪かったよ。がんばってね」
と言って、チョコボールを3つくれました。とてもうれしくて、がんばろうと思いました。しかし、そんな気持ちは次の日には消えてしまっていました。社会の授業中ウトウトしてしまったり、寝てしまったりしました。そんなある日、裁判についての授業中、ウトウトしていたのですが、なぜか目が覚めて、その授業に夢中になりました。その次の授業からは、社会が得意だった友達の社会ノートを参考にさせてもらいながらノートを取るようになりました。
6年生になって全部の教科が好きになったのですが、なかなか成績は上がらず、家では叫んで暴れていました。宿題にも問題集にも追われる毎日で、
「受験するなんてだれが決めたんや!」と、母に八つ当たりをしていました。
そんな中、夏前の応援大会では、卒業生の方達が来て、夏休み中どのように過ごしたら良いかなどのアドバイスをして下さいました。その後先生の話を聞き、あと半年しかないんだと、やっと目が覚めました。
そのままがんばり続けていたのですが、12月になると「あとちょっとだし、今さらやってもな・・・」と考えてしまい、勉強をおろそかにするようになってしまいました。それでも、過去問を解いているうちに「絶対にこの学校。そしてこのコースが良い!」と思い、もう一度気合いを入れ直しました。
そして1月9日。愛光中学校を受験しました。この学校の過去問は解いたことがなく、とても不安でした。会場では緊張と寒さでガチガチ震えていました。
1月14日、15日は本命の帝塚山中学校を受験しました。「試験は全部で4回受けられるので、1回目は希望のコースでなくても・・・」という甘い考えもあったのですが、やっぱり1回で決めておきたいと思うと、余計に緊張しました。帝塚山中学校には歩道橋を通って行くのですが、あまりの緊張で、階段を上るとき足が上がらず、心を落ち着かせるのに必死でした。過去問では国語の長文で時間切れがたまにあったのですが、本番では間に合い、少し緊張がとけました。しかし、午前午後と2回試験を受け、夜問題を見直していると、漢字を半分間違えていたことが分かり、2日目は1日目より緊張するはめになりました。2日目の午後に1日目の結果発表がありました。両方とも不合格だと思っていたのに合格だったので、泣き崩れてしまいました。算数の点がどちらも高かったので、算数がひっぱってくれたのだなと思いました。受けた試験は全て合格できたので、やっと安心することができました。
何回もやめたいと思ったけれど、HOPESでがんばって良かったです。この4年間指導して下さった先生方、本当にありがとうございました。受験を見守ってくれたお父さん、お母さん、いつも優しく応援してくれたお兄ちゃん。ありがとうございました。努力の大切さを忘れず、これからもがんばっていきたいです。
ぼくがHOPESに入ったのは、5年生も終わろうとしていた2月でした。最初に6年生の体験授業を受けましたが、受験に対する勉強を何もしたことがなかったぼくからすると、それは全く見たことのない新しい世界でした。その時、これからHOPESでがんばってみようと思いました。
ただ、基本的なことも何も知らなかったので、5年生の授業を受けることになりました。6年生の授業とは違って、まだできそうな感じがしました。それでも、最初の頃は宿題にとても時間がかかりました。先生方が優しく教えて下さったので、通っているうちに計算は少しずつ早くなり、算数や理科の問題も解ける部分が多くなりました。しかし、6月頃から、算数の場合の数、理科の化学に苦戦して、先生からはよく注意を受けていました。
そして7月。受験生にとって特に大切な夏休みの授業が始まりました。算数や社会は復習が多く、国語や理科は新しい単元に入りました。また、赤本も買って勉強し始めました。夏期講習会中に、今の自分に足らないことは何かが分かりました。それは算数の復習でした。3月から5月に学んだことがすっかり頭から抜けていたことが分かったのです。そして、抜け落ちていたものを取り戻すために、9月からは今までのプリントの復習と問題集をすることにしました。それから2ヶ月、苦手な所もやっとできるようになってきました。10月から11月の授業では、国語・算数・理科は復習が中心になりましたが、夏休みの5倍くらいは解けるような気がしました。12月に入ってからは、復習と過去問演習を何度もしました。
1月になりました。いよいよ入試の始まりです。先ずは前受け校の入試。合格をもらえ、ホッとしました。そして本番。2校受験しました。結果はどちらも合格で、ぼくは大喜びでした。
HOPESに通い、復習の大切さと問題が解けたときの喜びを知り、算数が好きになりました。家族のみんな、そして先生方、どうもありがとうございました。
ぼくは3年生からHOPESに通っていました。兄もHOPESで学んでいたので、雰囲気は分かっていましたが、実際に通ってみると、想像以上に勉強は大変でした。初めは、先生が面白くて授業も楽しめました。けれど、内容が進むにつれ、どんどん難しくなっていきました。それで、宿題がなかなか完全には仕上がらなくなりました。手を抜くことを覚えてしまい、問題集は指摘されるまでやらなかったことが多かったです。今思えば、受験するという実感に乏しく、上辺だけで勉強していたと思います。ただ宿題をしているだけで、復習も不完全だったため、あまり身についていませんでした。その事に気づいたのは、6年生になってからでした。
2月から新6年生としてのカリキュラムがスタートしました。学校でも塾でも周りの空気が変わったのを感じました。自分も少し変わりました。受験生としての勉強が毎日になる覚悟ができたのです。それからは毎日勉強しました。特に夏休みはやりきれたと思います。ただ、問題にちゃんと向き合えたかというと、そうではありませんでした。こんな調子で成績が上がるわけもなく、成果が出ないことでテンションは下がっていきました。2学期になると学校行事が多く、気持ちがそわそわと落ち着きませんでした。時間的に全てをこなすことが難しくなりました。調子が戻らないまま、2学期が終わってしまいました。正直、あせりました。冬休みの間は毎日HOPESに通いました。自信が持てなくて不安だったのです。不思議なもので、その頃にやっと周りの人や家族に感謝する気持ちを持つことができました。
いよいよ統一入試の日を迎えました。第一志望の受験の朝、ぼくは無言で朝食をとっていました。父も無言でした。母はそれを見て笑っていました。朝から腹痛もあり、自分の弱さを知って、情けなくなりました。こんなに緊張したのはその学校に行きたい気持ちが強かったからだと思います。しかし、結果は不合格。もっとショックを受けるだろうと思いましたが、不思議とスッと気持ちを切り替えることができました。それ以外の入試では自分のペースで臨むことができました。なので、実力は出せたと思います。
初日の晩は、ぼくにとって忘れることができない日となりました。なぜなら、翌日にどの学校を受験するのかを決めないといけなかったからです。1日目の試験が終わってからずっとその事ばかり考えていました。悩んだ末、清風南海中学校を受験することに決めました。3日目も他の学校を受けましたが、結局、清風南海中学校に進学することにしました。今はその選択が正しかったと思います。
ぼくをここまで導いて下さった先生方やサポートしてくれた家族には感謝しています。試験当日、不安になっていたときに、先生方の顔を見ることができ安心できました。今までありがとうございました。