僕は、3年生の夏からHOPESに通いました。それまでに行っていた塾に比べると宿題の量は少なかったし、授業もおもしろそうだったから入りました。
しかし、回を重ねるにつれ内容は難しくなり、3年の終わりから、答えを写すようになりました。すると、当たり前ですが、先生には怒られました。しかし、答えを写すのが習慣になってしまい、写しては怒られ、怒られては写すを繰り返していました。そして5年生になり、怒られるのが怖くなり、塾をサボって学校の友達の家に遊びに行きました。家に帰ると母は激怒していました。すぐ塾に行き、般若先生と母と三人で話すことになりました。そのとき先生は、塾で勉強するのは、例えば、戦いの場で全く武器を持たずに行けばすぐに倒されてしまう。倒されないためには、強い武器を持って戦いに行くこと。武器とは勉強、すなわち、入試では勉強をたくさんして強い武器を手に入れた者なら戦えるというようなことを言っていました。僕は、その一瞬だけ本気で勉強しようと考えました。しかし、次の日にはまた答えを写していました。もう無理だと思い、母にやめたいと言いました。そして、一回HOPESをやめて、別の塾に半年間通いました。でも、このままでは第一志望にしていた関西大学第一中学校には行けないと感じて、自分から母にHOPESに戻りたいと言いました。しかし、戻ってみると前の塾より何倍もペースが速くて、全くついていくことができませんでした。またまた僕は脱走しました。そのとき般若先生にうそつきの目は動いていると言われました。その話をされた後も、答えを写し続け、授業には毎回遅れて行っていました。
夏休みは毎日自習室に行っていたにも関わらず、宿題を出せませんでした。その夏休みもすぐに終わりました。その後も一応自習室には行きましたが、相変わらず宿題は出せなかったので、自習室に行くのを禁止されてしまいました。やっと自習室の参加が許可された日に、僕は居眠りをしてしまい、またまた、出入り禁止になってしまいました。
冬休みの前からは学校を休んで、朝は赤本で過去問を一年分やって、昼から夜まではHOPESで勉強というスケジュールに変わりました。
そして本番。朝早く起きて第一志望校の関西大学第一中学校に行きました。山下先生が応援に来て下さいました。門の前で先生に面白い話をしてもらい、気が落ちつきました。般若先生には電話で、がんばっておいでと言われました。テストは、問題が分かりやすくスラスラと解くことができました。次の学校を受ける前は、先生たちとは電話で話しました。しかし、2校目の試験中、前のテストと移動の疲れが出て、眠ってしまいました。あせって問題を解きました。次の日は、第三志望の学校を受験しました。問題が難しくて解けない問題がありました。4校目への移動時間は1時間ほどありましたが、今までで一番簡単で、スラスラ解くことができました。
3日目に5校目を受験し、家に帰ってから、今までの入試結果を見ました。明星中学校は不合格でした。関西大学北陽中学校も不合格でした。初芝立命館中学校は合格していました。そして、本命の関西大学第一中学校。関大北陽中学が不合格だったので、ダメかもしれないと思っていたら、なんと合格していました。僕は嬉しくて泣いてしまいました。HOPESに入ったときは何もわからなくて、入った後も宿題をまともにしてこなかったのに、関西大学第一中学校に合格できたなんて夢のようでした。
僕をここまで導いて下さった先生方、本当にありがとうございました。そして今まで育ててくれた家族のみんな、本当に感謝しています。
僕がホープスに通い始めたのは、小学2年生からでした。そのきっかけは、かつて実際に般若先生の授業を受け深く感銘を受けたという父の勧めでした。楽しくアルゴクラブに通っていた当時の僕には、この先どれほど先生方や親に支えられてもらうことになるか、見当もつきませんでした。
3〜5年生では、算術を通じて、さまざまな新しいことを学びました。その頃、先生から「基本をマスターしていないのに応用問題だけを解こうとするな」と言われました。この言葉は、受験勉強をしていく上でとても大事ですので、みなさんもぜひ覚えておいて下さい。そんな時、事件が起きました。それは4年生のある日曜日のことでした。僕は理科の宿題(プランクトン)を提出しました。しかし、その宿題のある問題で僕は答えを写していたのです。もちろん般若先生には見抜かれ、プリントをビリビリに破られ、ゴミ箱に捨てられました。そのときの情景は、今でもフラッシュバックされます。人間は一度うそをつかれると、いつまでも覚えています。学校でそのことを習っていた僕は焦りました。5年生になるとかなり忙しくなり、その分宿題も増えてしまうので、早いうちに般若先生の信頼を取り戻さないと、勉強がきらいになってしまうと思ったからです。今思い返せば、そんなつまらぬことを考えていないで、純粋に楽しく授業を受けて入れば良かったと思います。5年生になり、般若先生の個別授業を受け始めました。本格的な内容で、普段の授業よりかなり難しいことを教わりました。しかし、そのため予定がつめつめになり、少しずつ個別授業での課題を雑にし始めていました。もちろん、この時も注意され、心を改めました。
では、算数以外の科目は、どうだったのでしょう。国語には苦手意識を持っており、長文読解は分かりやすい解説に加え、あらゆる手段を用いて克服しようとしましたが、もとより語彙が少ない上に漢字も知らなかったので、点数が上がらないまま6年生になりました。一方、社会は暗期をしていくだけだったので、授業でしっかりとノートをとっていこうと心がけると、成績も上がりました。しかし、短期記憶では何にも役に立たないのです。そのため、パズルのように出来事や知識をつなげて覚えました。歴史の授業が始まると、関心も深まり、社会が好きだ、得意だという思えるようになりました。理科では、授業以外に専門の先生についていただき、知識を豊富にしていきました。
気がつくと、6年生になっていました。授業内容も格段と難しくなり、宿題も増えました。
ここでホープスの宿題に加えて、ぼくが取り組んだ過去問の年数について紹介したいと思います。参考程度にお読み下さい。
・灘中学校
算数一日目は30年分以上を二回ほど。算数二日目20年分。理科は20年分。
国語は一日目を20年分+α、二日目は10年分しました。
・東大寺学園中学校
各教科を6年分ずつ。
・大阪星光学院中学校
算数と理科のみをおよそ15年分。
・西大和学園中学校
算数と理科をおよそ15年分。
・洛星中学校
算数と理科をおよそ15年分。
・甲陽学院中学校
算数を15年分と理科を20年分。
他にもまだ約3年分ほどありますが、2日間で一科目分の過去問は、必ず解いていました。しかし、宿題は多く限界がきます。ここで僕は先生の優しさに助けられました。社会の授業中に、宿題ややり直しをすべて済ませていた僕を目をつむって許して下さったのです。けど、決して真似はしないで下さい。
そしてついに1月。中学入試が始まりました。1月8日の愛光中学校は無事合格し、統一入試日をむかえました。灘中学という大きな「かべ」を乗り越えるために、国語は父と母が最後まで漢字や語彙力の向上にむけてサポートしてくれました。2日目には般若先生が応援にかけつけて下さり、安心してテストを受けられました。結果は不合格でしたが、できることは全てやりました。最後は他塾の灘中予想問題までできるかぎりやりました。なので、今の僕の心の中には「ここでもっと○○をしておけば・・・」という後悔はありません。しかし、「負けた」という悔しさはあります。この悔しさを晴らすべく、次の大学受験に向かってがんばりたいです。3日目に受けた東大寺学園中学校には合格し、また奈良学園中学校の医進コースにも合格していました。「社会」という社会の常識などを教えて下さる授業を最後まで捨てなかったことに助けられたのかも知れません。
僕はこの受験を通して、考えることの大事さと、考える力という大きなものを得ることができました。特に、考える力は、これからもっと伸ばしていきたいと思います。
6年生のみなさん、次はあなたたちの番です。試験当日は平常心を保つことが困難かとも思いますが、今のうちに一つでも多くの得意分野を増やしておくことで、「あせり」という悪魔に勝てるようにしておきましょう。最後に笑えるかどうかはあなたたち次第です。精一杯がんばって下さい。
最後になりましたが、この4年間最後まで僕に指導をしていただいた先生方、本当にありがとうございました。くり返しますが、この中学受験を通して教わったこと、そして受けたご恩は決して忘れません。父や母は、つらかったときには相談に乗ってくれました。ときには八つ当たりをしたかも知れません。それなのに、毎日お弁当を届けてくれたり、入試本番ではやさしく送り出してくれたり、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
僕は、姉がホープスに通っていたこともあり、2年生の2学期ごろからアルゴクラブに通い始めました。3学期からは3年生として授業を受け始めました。初めは、とても緊張していましたが、般若先生の面白い授業や山下先生のジョークが楽しかったので、3年生の間は、勉強が楽しかったです。
4年生になると、授業科目に社会が加わりました。夏休みや冬休みの授業時間が増え、勉強の内容が難しくなってきたため、少しずつ勉強がいやになってきました。
5年生になると、さらに授業時間が増えました。春休み、夏休み、冬休みは授業がとても多くなりました。そのため勉強が苦しくなり、理科の宿題で問題集の答えを写してきたことがばれて、ひどくしかられたこともありました。
しかし6年生になると、流石にこのままではまずいと、初めて切迫感を覚えました。なので春休みは、行ける日は毎日朝9時から自習をさせてもらいました。自習では家ではなかなか集中できない問題でも集中して解くことができました。夏休みも春休みと同様に可能な日は毎日自習をしました。しんどかったですが、がんばって夏休みを終わることができたと思います。
3学期に入ると、より一層緊張感が高まっていきました。そして1月8日。前受けに北嶺中学校の入試に挑みました。結果は合格でした。とてもうれしかったです。けれども、先生に気を緩めるなと言われました。冬休みの最終日には、先輩方の話を聞いて、受験の際の心構え方などを教えてもらいました。
ついに1月15日。統一試験の初日です。まだ暗いうちに家を出ました。奈良学園中学校のA日程を受験しました。少し緊張しましたが、しっかり試験に臨めました。けれでも、過去問を解いているときより感触はよくありませんでした。その日は奈良学園中学校だけを受けて帰宅しました。そしてしっかり食べて早く寝ました。次の日は、また朝早くから起きて奈良学園中学校のB日程を受験しました。2回目ということで、集中して問題に臨めました。それからバスに乗って、西大和学園中学校の試験を受けに行きました。算数と国語はできたのですが、理科の後半から疲れてきました。それども社会の試験までしっかりと受けられました。家に帰ってから前日の試験結果を見ました。僕が志望していたのは医進コースでしたが、特進コースでの合格でした。少し悔しかったですが、すぐに頭を切り替えました。そして最終日に、東大寺学園中学校を受験しました。難しかったですが、悔いが残らないように精一杯とりくみました。試験が終わってからすぐに、前日の試験結果を聞きました。奈良学園中学校は医進コースで合格していましたが、西大和学園中学校は不合格でした。とても悔しかったです。そして、東大寺学園中学校も不合格でした。とても悔しかったですが、僕はできるかぎりのことはしました。なので悔いは残っていません。
般若先生、山下先生ありがとうございました。
私は、4年生の途中からHOPESに通い始めました。それまで通っていた塾では、成績が上がった下がったということばかり気にして、テスト勉強だけで精一杯でした。学習が自分のためになっていないことを親が心配し、塾を変えてくれました。
初めての授業では内容が全くわからず、これから先どうなるか不安になりました。テストの点数は悪く、算数の授業では居眠りばかりでした。宿題の答えを写したり、復習が甘かったりで、先生には毎回怒られていました。
6年生になり、授業の時間が多くなったので、さらに不安になりました。時間を上手く使わなければいけませんでした。二学期に、般若先生から「毎日自習に来い」と言われました。でも、これが意外とキツく、集中力が切れてしまい怒られたことがありました。私は「あと4ヶ月の辛抱」と心の中で言い、がん張りました。過去問を5日に1回しかできず、ずっとあせっていました。「過去問、解かないと」と思っていましたが、なかなかできませんでした。
1月15日
午前中に四天王寺中学校を受験しました。時間配分はばっちりだったけど、あせってしまい「これは不合格だ」と思いましたが、この事はすぐ忘れました。
午後は大谷中学校でした。入試前に過去問を一通り見ただけでしたが、これは大丈夫だと思いました。英検の20点プラスもあったので合格だと思いました。
1月16日
帝塚山中学校を受験しました。手応えはありました。でも自信がなくて、これも不合格だと思いました。
1月17日
近畿大学附属中学校を受験しました。国語が厳しかったかなと思いました。
結果は
四天王寺中学校 不合格
大谷中学校 合格
帝塚山中学校 合格
近畿大学附属中学校 合格 でした。
しかし、帝塚山中学校と近畿大学附属中学校は希望のコースではなく、一つ下のコースで合格したので、それはちょっと悔しかったです。
今まで指導してくれた先生方ありがとうございました。HOPESのことは忘れません。これからもがんばっていきたいと思います。
僕がHOPESに入塾したのは6年生の3月でした。それまでも塾に通っていたのですが、中学受験向けの塾ではなかったため、東大寺学園に合格するには転塾しなければと思い、HOPESに入りました。
初めは授業についていけませんでしたが、先生がていねいに教えて下さったおかげで、夏になるまでには全てではないながらも課題をこなせるようになってきました。
夏が来ました。夏休みの厳しさは春とは比較になりませんでした。テキストは当たり前として、授業が長くなり、プリントの復習・宿題が多くなって、そこに加え青と緑の算数問題集の数十問をやらなければならなくなったのです。授業がある日の午前中は大体家で勉強していましたが、集中できないことが多く、行きの電車で課題を終わらせたことも何回かありました。ですから、自習にはできるだけ行くことをお勧めします。自己達成度40%という結果で夏は終わり、季節は秋にと移っていきました。秋になると、過去問に取り組み始めました。でも、他の課題も多くて過去問はなかなか進まず、母がイライラして父と言い争ったこともありました。寝る時間もだんだんとおそくなり12時になっても勉強しなければならなくなった時もありました。
冬期講習に入りました。夏と違って朝から自習に行きました。1月9日には四国まで愛光中学校を受験に行きました。結果は合格でした。最初の合格だったのでうれしかったです。その後、般若先生に「まだ本番じゃないから気をひきしめて」と言われ、勉強に集中することができました。
そして、いよいよ本番。1日目は星光学院中学校と明星中学校を受けました。どちらの学校にも般若先生が来てくれました。愛光の時は進学する気がなかったので、あまり緊張しませんでしたが、星光学院は進学を考えていたので緊張しました。2日目は奈良学園中学校を受けました。山下先生が来てくれ、HOPESの友達も一緒だったので、リラックスできました。奈良学園は理科の問題数が多いので受験する人は注意して下さい。3日目は東大寺学園です。般若先生が応援に来てくれました。ついに、ここまできたという気持ちになりました。他の受験生の書くスピードが速く、圧倒されました。すべての科目が終わって、落ちたなと思いました。お母さんとの待ち合わせ場所に行き、星光、明星、奈良学園の合格を聞きました。僕は結果に影響されないよう、全ての試験が終わるまで知らせないでほしいと頼んでいたのです。そして、その2日後、東大寺の結果をWEBで見ました。不合格でした。やり切っていたので、後悔はありませんでした。合格するには、日々の努力が大切です。その中で僕に足りなかったのは、復習の質の高さだと思います。皆さんもがんばって下さい。
たくさんなことを教えてくれたHOPESの先生。いつも支えてくれたお父さん、お母さん。送り迎えをしてくれたおじいちゃん。いろいろなことをがまんしてくれた弟。ありがとうございました。