私がHOPESに入塾したのは5年生の春でした。入ったばかりのころは、初めて習うことばかりで、ついていくのがとても大変でした。それで、すぐに算数の個別授業(oneone)を受講しました。けれど、授業の復習とプリントの宿題だけで精一杯で、問題集には全く手がつけられませんでした。
6年生になると、授業が長くなりました。それに加えて、授業の内容も難しくなりました。6年生の授業が始まってまもなく、コロナの感染拡大防止のため学校が休校になりました。夏休みがなくなるかもしれないということで、HOPESでは授業が増え、さらにビデオで授業を受けるようになりました。しかし、家ではだらだらしてしまい、通常授業が再開される頃になっても、ビデオを最後まで見られずにいました。中学校の見学にも行けず、正直、志望校についての強い思いを持てずにいました。やっと学校が始まっても、週に2,3回の分散登校でした。HOPESでは通常授業が始まりました。
学校が始まって1ヶ月ほどで夏休みになりました。予想通り、夏休みは短くなり、HOPESの夏期講習期間も短くなりました。今まで全く手が出せていなかった問題集をやり始めました。秋になってやっと学校見学に行くことができました。過去問にも取り組み始めました。合格最低点には全然とどいておらず、辛かったです。本当にその学校に合格できるのか不安になりました。oneoneでは、速さと図形の問題をいっぱい解きました。
受験日の1日目。午前は第一志望の中学校を、午後にはもう一校受けました。緊張しましたし、疲れました。2日目は、開明中学校を受けました。難しかったので不合格だと思っていましたが、理数コースで合格していました。嬉しかったです。3日目は、近畿大学附属中学校を受け、合格しました。
辛くて受験を諦めたいと思ったことも何度かありましたが、がんばってよかったと思いました。先生方、最後までわかりやすく教えて下さり、ありがとうございました。
僕は、5年生からHOPESに通いました。通い始めのころは、まだ何も知らない状態だったので、毎日、問題を間違えては怒られ、MYDOノートを忘れては怒られ、いやになってきました。けれども通っていくうちにだんだんと慣れることができました。
さて、次は志望校の話です。5年生のときの第一志望は大阪星光学院中学校でした。自分の家からの通学がとても楽だし、大阪で一番の難関校だったからです。そして、5年生の合格判定テストを受けました。結果はB判定でしたが、6年生になったらA判定になるように頑張ろうと思いました。
その後、第一志望校は灘中学校へ変わり、本番の入試をむかえる時期が、とうとうやってきました。
最初は、愛光中学校です。僕はあまり緊張をしないので、楽な気持ちで受けることができました。結果は合格でした。初の受験だったのでとても喜びました。表面にはでませんが心の中ではとても喜ぶものです。けれども、気を抜いてはいけません。まだ受ける学校は3つもあるんだぞと気を引き締めました。
『勝って兜の緒を締めよ』です。そこから残っていた東大寺学園中の過去問を終わらせ、いよいよ第一志望の灘中学校の受験の時がきました。1日目の算数がとても簡単だったので、あまりおとさないようにしなきゃと思いました。2日目も含め、1日目の算数以外はとても難しかったです。結果は不合格でしたが、学べたものはあると思います。次は、東大寺学園中です。その時はまだ灘の結果が知らされていなかったので、ごく普通に受けることができました。結果は合格でした。それを聞いたときはものすごくうれしかったです。
ほとんど何も知らないゼロからのスタートで僕はここまで成長できました。支えてくださった両親と先生方には心から感謝しています。本当にありがとうございました。
私がホープスに入塾したのは、4年生の6月。途中入塾でした。初めての算数の授業は分数の計算(応用)でした。分数の基本すら習ったことがなかったため、必死にがんばりましたが、ついていけず、辛かったことを思い出します。これが私のホープスの始まりでした。がんばってもなかなか授業についていけず授業プリントは間違いだらけで真っ赤っかでした。いつも答えを写すのに必死で説明を聞き逃してばかりでした。プリントの整理も苦手で何度かなくして叱られることもありました。私にはこのときどうして受験をするのか?受験に対しての意識が全くありませんでした。父、母にも叱られてばかりでした。何度も辞めてしまえ!と言われましたが、辞める気にはなりませんでした。なぜなら勉強は嫌いではなかったし、途中で投げ出したくなかったからです。けれど、自分から勉強をしようとはしませんでした。
そうこうしている内にあっという間に6年生になりました。受験に対する意識が少しずつ出てきて、志望校を意識して勉強するようになりました。勉強時間が長くなり1年間ずっとホープスにいたような気がします。しんどいときもありましたが、今思えばとても刺激的で充実した日々でした。6年生の12月からは毎日自習に通いました。
四天王寺中、清風南海中、近大附属中の過去問を各5年分は解きました。意外と四天王寺中の過去問が解きやすく感じました。色々と悩みましたが、最終的には四天王寺中を第一志望に決めました。
初日 四天王寺中学校
体調も万全で、緊張もすることなく問題を解くことができました。手応えを感じました。
結果…合格
2日目 清風南海中学校
算数で苦手な問題が多く出され、自分には合っていないと感じました。
結果…不合格
3日目 近畿大学附属中学校
初めの計算でつまずいてしまい、その後から集中できず時間切れで最後まで解けず、初めて焦りました。計算をしっかりやっておけばと反省しました。
結果…コースを落としアドバンストで合格
この3日間で私の中学受験は終了しました。半端のない解放感が満ち溢れました。
般若先生の算数は難しくついていけなかったけれど、最後まで見捨てずに教えてくれて感謝しています。山下先生の国語は話が面白く、いつも楽しかったです。小数の計算でつまずいている私に小数の計算まで優しく教えてくれたときは有り難かったです。理科の先生は時間をかけてゆっくり教えてくれたので助かりました。四天王寺中学校に合格できたのは先生方と応援してくれた家族のおかげです。辛いことの方が多かったけれど、最後まで諦めずホープスで頑張れてよかったです。ホープスでの経験を活かして、これからは、自分の力で歩いていきます。ありがとうございました。
ぼくは、6年の4月にホープスに入りました。はじめは、授業時間も長く、授業のスピードも早く、宿題も多かったので、しんどかったですが、間違い直しをきっちりするようにしたら、だんだん成績が上がっていったのでがんばることができました。どの教科にも共通することですが、授業をしっかり聞くことができたら、当然授業の内容は身に付くし、間違い直しの分の宿題も減るので楽になると思います。ぼくは、ラ・サール中学を第一志望で勉強してきました。過去問は10月ぐらいから始めました。算数では合格者平均をほとんど超えていましたが、理科や社会は、受験者平均にもかないこともありました。12月頃から上がってきました。ですから、最初は点数がとれなくても全く気にしなくていいと思います。
受験した学校は、岡山白陵中学校、愛光中学校、星光学院中学校、東大寺学園中学校、ラ・サール中学校です。1月5日に受けた岡山白陵中の1限目の理科で受験番号を書き忘れてしまいました。合格はできましたが、みなさんも気をつけましょう。愛光中の試験では机がすごくゆれたので集中しにくかったです。受験のときには、何が起こるのか分からないので、動揺せずに、問題に集中できるようにがんばってください。チャレンジのつもりで受けた東大寺学園中学校に合格したので、東大寺学園中学校に進学することになりました。受ける学校を決めるときには、はば広く受けることが大切だと思いました。
最後に、先生方に感謝の言葉を述べて終わりたいと思います。ありがとうございました。
ぼくのHOPESでの生活が始まったのは2年生の後半でした。先生が怖いと親に聞いていたので、内心ビクビクしながらHOPESの扉を開けました。でも心配はいりませんでした。先生はギャグまじりでおもしろおかしく教えて下さいました。でもぼくは、先生をなめて答えを写して宿題を提出するようになり、見つかっては怒られていました。今思い返しても言語道断で、どう考えても自分が悪いですが、当時は、難しい問題を出す先生が悪いと思っていました。その後もいっぱい悪事を働いてきました。それでも先生はぼくを見捨てずに、間違いを叱り続けて下さいました。今となってはありがたいことなのですが、やはり当時のぼくは(今もですが)すぐに他人のせいにしてしまう癖があるので、言葉には出しませんでしたが、心の中で般若先生のせいにしていました。理解するまで教えてくれないからだと思っていました。さらに質問するのは、怒られるかもしれないからいやだ。ぼくの3年生時代はこんな感じでした。
そして、4年生になりました。ほぼ3年生と変わらない状況でした。一つ変化があったのは、今度は答えを写すだけではなく、違う答えに丸だけをつけて、先生にものすごく怒られたのです。親にもばれてものすごく怒られました。その時、父親に言われた言葉をぼくは今でも覚えています。
「自分が変わらなかったら、何にも動きださないんや」と言われたのです。
ごくあたりまえの話なのですが、当時のぼくはものすごくショックを受けました。変わるのは周りで、周りが変わってくれるのだという自己中心的に考えていたぼくには、全くその選択肢はなかったからです。その一件があって、さぁこれからは心機一転がんばろうと思ってやるのですが、それも長続きせず、すぐに元の自分に戻ってしまう。これが4年生時代でした。
そして、ようやく5年生になりました。復習テストで2位を保持して喜んでいるのですから、そりゃ成績も上がることもなく、むしろ少し成績が下がってしまいました。それでも、第一志望の大阪星光学院中は変えずに絶対受かってやるという志はありました。そして、その頃は、第二志望を清風南海中のスーパー特進、第三志望を奈良学園中医進コース、第四志望を帝塚山中のスーパー理系選抜に、そしてもう一つの第一志望として洛星中というように、実力もないのにとてもかなわないコースや学校を志望校にしていました。その時はだれもが逆立ちしても勝算はないだろうと思っていました。これが5年生時代です。
そして、ぼくの中で一番長かった6年生時代。新型コロナウイルスの影響で、学校が突然休校に。心の支えである学校の友達との会話がなくなる日々。HOPESでも授業がビデオになってしまいました。ぼくは家の中でできる、外に出なくてすむ、そんなことを考えながら必死に受けていました。親が心配する程のがんばりようだったそうです。しかし、ビデオ授業もあまり効果がないことが分かり、結局普通どおりの授業が始まりました。やはり生の授業が一番効果があります。
やがて、過去問を解いていく季節になりました。この頃は第三志望が高槻中になっていたので、清風南海A日程、高槻A・B日程をやりました。しかし、またある事件が発生しました。ぼくは父や母の喜ぶ顔が見たいと思い、過去問までズルをしてしまったのです。すぐに母にバレてしまい、ものすごく怒られました。それから1ヶ月程たって、星光学院の2016年を解いてみました。10点程足りず不合格。2017年はわずか0.5点差で合格。2018年は不合格、2019年は合格、2020年は不合格。これだと順番からすると本番(2021年)は合格だ!と、喜んでいました。
12月19日。岡山中学校は前受け。結果は、東大・医学部コースに合格。この時少しやる気が上がり、心機一転がんばろうと思いました。そして1月8日。ぼくは愛光学園中を本校受験するために愛媛県松山市に飛びました。結果は不合格。ため息を一つついた後、次の星光学院の試験で落ちなければいいと、気持ちを切り替えました。そして、入試激励会。いろいろ先輩に教えてもらって勉強になりました。本当にありがとうございました。
そしてむかえた1月16日。本番の入試の始まりです。
1日目は星光学院と帝塚山、2日目は奈良学園と奈良学園登美ヶ丘、3日目は帝塚山と奈良学園、4日目は清風南海、5日目は受けずに、6日目に洛星を受けました。ですが残念なことに、星光学院は不合格。3日目の奈良学園の前に見て、声もあげずに涙を流すだけでした。
しかしその時、涙と共にリミッターもはずれたのか奈良学園はB日程は不合格だったのにC日程で合格。清風南海もB日程は7年して1年しか合格最低点を上回らなかったのに、上のクラスも受かりました。
そして1月21日。ぼくの中学受験での最後の闘いの火ぶたが切って落とされました。洛星中学の後期試験です。結果は合格。びっくりして声も涙も出ませんでした。後は極楽でした。これでぼくの中学受験は幕を閉じたのです。
これから受験の主役である6年生の皆さん。そして3・4・5年生の皆さん。努力しないと何も実りません。ぼくもそうでした。だから星光学院に受からなかったのです。皆さんは目一杯努力をして、その後、目一杯学校生活を楽しんで下さい。
最後に塾の先生方、両親、学校の友達、その他大勢の方に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
ぼくは、3年生の時にHOPESに通い始めました。学校から電車で直接HOPESに行くのは大変でした。疲れすぎて行けずに家に帰ることもありました。マイペースなぼくは、宿題もちゃんとこなせませんでした。自分のペースでしか勉強できなかった上に、集中力も続かなかったからです。それは6年生になってからも変わることはありませんでした。なにもかもが中途半端でした。その結果、どんどん成績も下がっていきました。先生も両親も、こんなぼくが受験をすることに気が気ではなかったと思います。でもぼくは第一志望だけは、決して変えませんでした。受けずに後悔するよりは、受けて後悔することを選びたかったからです。
先ずは、1月8日、北嶺中学を受けました。般若先生と山下先生に見送ってもらい、落ち着いて試験を受けることができました。今考えてみると、初めての試験で焦らずできたことが、その後の入試で自分のペースを崩さずにできたことにつながったのではないかな、と思います。北嶺中学校の試験を終えるとすぐに、愛媛に向かいました。道後温泉で温泉につかって気分よく眠りました。
1月9日。愛光中学校を受けました。般若先生も応援に来てくれ、塾の友達も一緒だったし、温泉にも入れたので、ゆったりとした気分で試験を受けることができました。結果、2校とも合格することができました。
いよいよ統一入試の日を迎えました。1日目は午前・午後。2日目も午前・午後。3日目も午前・午後。4日目は午前。4日間で合計7校受けました。どれだけ大変な事なのか想像もできませんでした。
初日の午前は大阪星光学院中学を受けました。般若先生が激励に来て下さり、曲を聞かせて下さいました。これまでの4年間のことを色々思い出しました。ずっと一緒にHOPESでがんばってきた友達と共に試験会場に向かったので、過度な緊張はなかったように思います。
初日の午後は、帝塚山中学校を受けました。正門の守衛さんにいつものように声をかけてもらい、普段の自分でいられました。そんなわけで、初日は思いのほかリラックスした状態で過ごせました。疲れはあまりなかったのですが、寝る前に今まで自分が不十分な勉強しかしてこなかったことを悔やみました。なぜなら、試験の結果に自信が持てなかったからです。
2日目は、午前に4教科、午後に4教科の計8教科受けました。午後の西大和学園の試験会場に入る前に大阪星光学院の結果を知りました。不合格でした。それを聞き「自分は甘かった」と思い、現実を思い知らされました。午後の、西大和学園の最後の社会では、8教科目だったのでどっと疲れが出てしまい、数問書けずに時間切れになってしまいました。次の日、西大和学園の結果を確認したところ、1点差で不合格でした。解けずに終わった数問が頭から離れませんでした。数日後に追加合格の連絡をもらいましたが、今改めて思うのは、受験のスケジュールを立てる時に、自分の体力のことをもう少し考えればよかったな、ということです。
ついに3日目を迎えました。午前は第1志望の東大寺学園でした。その日は朝から父と10分程度軽くキャッチボールをして、気持ちをリフレッシュしました。そのおかげで緊張が少し解けました。でも、東大寺学園の門をくぐると緊張しているのに気がつきました。焦りました。けれど試験を終えると意外と普段通りに受けられたように感じました。
3日目も午後入試に向かいました。寒い中、山下先生が待っていて下さいました。疲れていたけれど、気が引き締まったように思いました。でも、その晩家に帰ってきたときには、体力も気力も使い切ったように感じました。明日、また試験があると思うと気が重かったです。
4日目の朝、父と母と試験会場へ行くか相談しました。もう第1志望の試験が終わってやり切ったと思い、すっかり気が抜けていました。けれどなぜか受けることにしました。入試モードに気持ちを戻すのが大変でしたが、4日間やり切ったぞという達成感を味わうことはできました。
これで全ての受験が終わりました。結果、大阪星光学院中は不合格でしたが、他の学校は合格する事ができました。
ぼくは、受験勉強の努力や苦労を人に語ることはできません。でも中学受験を経験して1つだけ言えるのは、他の人のことは気にせず、自分が精一杯やることだけを考えたことが合格につながったのかも知れないということです。そして沢山の人の支えを素直に受け止めて、それをプレッシャーに思わず試験と向き合うことが、いい結果につながるかもしれないということです。
ぼくが受験を通して一番感じたことは、色々な人に支えられていたことです。両親には、送迎や食事のサポートをしてもらいましたし、祖父母が毎日のように京都から来てくれたことも、心の支えになっていました。弟や妹もぼくのために、色々がまんしてくれました。そして、先生方には愛情をもって叱っていただきました。受験会場には、般若先生と山下先生に何度も応援に来てもらいました。とても心強かったです。本当に感謝しています。今までありがとうございました。
HOPESには姉と兄が通っていたので、僕は小さい頃からかわいがってもらっていました。そのまま入塾するのが、自然な流れでした。
サッカーと体操と体力作りをしながら、HOPESでの勉強を両立させました。しかし、宿題とテキストを忘れることはなかったのですが、復習ができていなかったり、単純に持ってくるのを忘れたりで、提出についてはいつも注意を受けていました。
5年になり、サッカーの対抗試合も多くなり、お稽古ごとの卒業を始めました。どのお稽古も辛くても頑張っていたので、コーチ達からもあたたかく送り出してもらえました。
ところが、燃えつきたのか、5年の夏からダラダラと過ごす日が増え、塾さえも行きたくなくなる日が増えました。今になっては、ちゃんと行けば良かったと反省しています。母は、今までのお稽古の時間を勉強に当てられると期待していたのにと呆れていました。
6年生が始まった途端、新型コロナウイルスで学校が休校になったり、塾がDVDの授業になったりと環境が激変しました。DVDだと、止めたり進めたりできるので、解説を理解しないまま写したことも多く、中途半端な感じでした。それでも、できる限り万全のコロナ対策をとっていただけたのでよかったです。春休みには先生が授業を再開して下さったのですが、DVDをちゃんと見ていなかった部分が授業に出ると、わからなくなりました。
志望校は、学校推薦制度があったので逆に迷いが出ました。6年生の時点で大阪星光学院中は難しいとなり、帝塚山中かなと思いながら勉強していました。算数の復習テストが悪かったので、般若先生のすすめで、プリントの復習を間違えたところだけでなく全問やり直すようにしたところ、初めて1位をとれて、成績が上がってきました。
夏休み前にB判定が出たので、再び星光を目指すことにしました。学校の友人達の推薦が決まり、同じ学校に行きたかったからです。自習には全て参加するようにしました。しかし、その成果はなかなか出ませんでした。そこで、初日の願書は星光学院中と帝塚山中の両方に出し、その時の調子でどちらを受けるかを決めることにしました。結局、星光学院中を受けることにしました。
1日目は四天王寺の近くに集合し、先生が選んだ僕達への気持ちがこめられた歌を聞いてから学校に向かいました。会場では、密を避けるため、大手塾の派手な応援はなく、教室に入るとしんとしていました。試験では、少し手応えを感じました。午後から明星中学を受けましたが、帰ったらどっと疲れました。
2日目と3日目は帝塚山中学の2教科と4教科です。
2日目の午前中の試験はあっけなく終わりました。星光学院中学の結果は不合格でした。初めは悲しかったですが、自分の好きなことをして気持ちを切り替え、3日目を頑張ろうと思いました。その後、明星中学には合格していることがわかり、少しほっとしました。
3日目は、前の日と同じ場所だったので、落ち着いてできました。後輩のみなさん。帝塚山の入試では、休憩時間に空気の入れ換えで全員が一旦外に出るので、上着やカイロを持っていった方が良いですよ。
最終的に、僕は第二志望だった帝塚山中学校に進学する事になりました。
最後に、後輩の皆さんにアドバイスです。ついついプリントばかりに気をとられがちですが、テキストもしっかりした方が基礎力がつくと思います。理科はためないように毎週取り組むようにすれば、確実に問題が解けるようになります。また、個別授業を受けたら自信が付きますよ。
今まで勉強を教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。
私がHOPESに入塾したのは、5年生のときです。HOPESは、宿題の量が他の塾に比べると少なかったけれど、内容が難しかったので、宿題には時間がかかりました。内容は日が過ぎていくにつれてさらに高度になっていきました。それにつれ、私の宿題のやり方もだんだんと雑になっていきました。そのことで、先生には宿題の大切さや宿題を何のためにしているのかなどを何度も言われました。それでも、雑なやり方を改めようとしなかったので、簡単な問題ですら解けなくなり、小テストや復習テストの点数はいつも悪かったです。
私は、よく授業に遅刻しました。そのせいで、般若先生との個別授業にも遅刻することが多くなり、遅刻が続いたため個別授業は途中で打ち切られました。
そのまま6年生になりました。
6年生になると、過去問や実戦演習、合格判定テストを受けるようになりました。合格判定テストでは、テストをするごとに順位表が掲示され、志望校に合格できる可能性を判定されます。その結果を見ていくうちに、1点の重みを感じるようになりました。しかし、相変わらず宿題は雑なままでした。6年生になると過去問以外にも、青と緑の算数の問題集も解くようになりました。私は5年生の時点では、問題集を全くやっていなかったので、当然6年生でも問題集は全くやりませんでした。しかし、理科の先生の言葉で、HOPESに通えるのは、親が働いたお金があるからということに気づいたときから、少しずつ問題集を解くようになりました。そして、この時から宿題を丁寧にするようになり、過去問も解くようになりました。入試まであと2・3週間になる1月になったときから、私はHOPESに朝から自習をしにいくようになりました。自習では、主に過去問を解きました。過去問で分からない所は、先生に質問しました。
初めての入試は、第二志望の中学校でした。会場には山下先生が来てくれました。般若先生とは電話で話しました。般若先生の電話越しのエールと、山下先生がくれたご利益があるというカイロのおかげで、緊張がほぐれました。試験の問題は、緊張せずに普段通りに解けました。なので、試験が終わった後、絶対合格しているという自信がありました。入試の結果発表がありました。結果は、合格でした。初めての入試ということと第二志望だったことから、合格できてうれしかったです。しかし、私の入試はあと2校残っていました。なので家で2校の過去問を解きました。結果、第三志望の1回目の試験は合格しましたが、第一志望校は不合格でした。しかし、自分なりにがんばったと思うので、悔いはありません。
塾の日に、お弁当をつくってくれたお父さん、応援してくれたお母さん、HOPESの先生方、迷惑をかけた事もありましたが、受験が終わるまで私を支えてくださり、本当にありがとうございました。