僕はHOPESに3年生の時に入塾しました。3年生の頃は宿題も少なく、こなせていました。しかし、学年が上がるにつれ、宿題が多くなってきて、最終的には宿題を出さなかったこともありました。授業中は、先生から「人の話を聞いていない」と怒られてばかりでした。
そんな折、文武両道の精神で、友達と一緒に過ごせる寮生活に憧れを持つようになりました。4年生の時に愛光中学校を、5年生では北嶺中学校を見学に行き、僕は北嶺中学校を第一志望に、愛光中学校を第二志望と決めました。
6年生になり、合格判定テストでは毎回2校ともB判定だったため、行けるのではないかと思っていました。
12月21日。岡山中学校の入試の日になりました。緊張することもなく、普段通りに試験を受け、「東大・国立医学部コース」に合格することができました。その後も必死に勉強し、ついに1月8日。北嶺中学校の入試です。試験会場には般若先生と山下先生が応援に来てくれました。学校の友達もたくさん受験しており、学校の休み時間のように盛り上がっていました。しかし、いざ試験が始まると、頭の中が真っ白になってしまいました。算数の計算問題の間違いを終了の合図と同時に気付き、それからというもの、どの教科も焦ってしまい、テストが終わった時には不合格を確信し、呆然としていました。失意のまま、愛光中学校のある松山へと移動しました。愛光中学校の入試では、それなりに手応えがあったので、合格できたかなと思っていました。結果は、北嶺中学校は予想通り不合格。そして、なんと愛光中学校もまさかの不合格でした。「僕の受験は終わった」と、涙が止まりませんでした。過去問では合格ラインをクリアーしていて、自分なりに自信を持っていただけに、両校とも不合格で、僕の自信はガタガタに崩れ落ちていきました。
すっかり自信を失った僕は、当初予定していた大阪星光学院中学校の受験は諦めざるを得ませんでした。挑戦する意欲はどこにも残っておらず、統一入試日までの1週間、塾には毎日通いましたが、統一入試の日にどの学校を受験したら良いのかも分からない状態でした。
そして統一入試初日。その朝、僕は奈良の帝塚山中学校にいました。応援には山下先生が来てくれ、同じ試験を受ける他の3人と一緒に先生の話を聞いていました。先生は、他の3人には「帝塚山の入試は問題数が多いから、次々と進みなさい」とアドバイスをしていましたが、僕は「お前は違う。焦るな。とりあえず落ち着け。それしかない」と言われました。
結果。初日の帝塚山中学校は、スーパー理系選抜コースに2点足らず、英数コース合格。2日目の帝塚山中学校も、スーパー理系選抜コースに今度は1点足らず、英数コース合格でした。その後に受験した明星中学校、帝塚山学院泉ヶ丘中学校には合格しました。
僕は、受験を「どこかで何とかなる」と楽観的に考えていました。けれど、現実はそれ程甘くはなかったです。結局、愛光中学校は繰り上げ合格まであと1点でアウト。帝塚山中学校も、スーパー理系選抜コースにあと1点だったし、とても悔しい思いをしました。けれど、この悔しさを忘れずに、これからがんばっていきたいと思います。
支えて下さった先生方、そして何よりも両親。ありがとうございました。
私は2年生からアルゴクラブに入り、HOPESに通い始めました。アルゴクラブはとても楽しかったです。
3年生からは授業も受けるようになり、アルゴの時とは全く違う雰囲気でした。毎週ドキドキしながら授業を受けていたことを思い出します。
授業の内容は学校の勉強内容より難しかったけれど一生懸命ついていきました。
5年生になり、さらに算数が難しくなったので、宿題に時間がかかり、思うように復習ができませんでした。
そのころ、何校か学校見学に行き、「受験」というものを意識し始めました。学校の雰囲気や生徒さん達の印象も良く、ていねいに私の質問にも答えてくれた「帝塚山中学校」を第一志望校に決めました。
6年生になると、さらに宿題や授業時間が増え、いらいらする毎日が増えました。
9月ごろから少しずつ過去問を始めました。算数は分からない問題が多く、これでは合格は無理だと思い、お母さんと相談し、10月頃から般若先生にお願いしてoneoneをしてもらうことにしました。
先生も忙しく私と合う時間がなく、学校の先生とも相談し、毎週金曜日の5時間目終了後に早退してoneoneの授業を受けることにしました。そうしているうちに、だんだんと過去問が解けるようになりました。苦手な図形のプリントも用意して下さり、弱点補強につながりました。志望校合格に向け、ひたすらがんばりました。
あっという間に1月になり、とうとう本番の入試の日がやってきました。3日間とも帝塚山中学校を受けることにしました。試験当日は山下先生が応援に来て下さったのでとても心強かったです。般若先生からは電話で励ましの言葉をいただきました。そのおかげで緊張せずに試験を受けることができました。
1日目のテストの結果は、2日目のテストの後、両親と掲示板で見ました。自分の志望していたコースの合格ではなかったので心から喜ぶことができませんでした。3日目のテストの後、2日目の結果を父からの電話で知りました。志望コースに合格できた事が分かり、本当にうれしくてうれしくて、がんばってきて良かったと思いました。
般若先生がよくおっしゃっていた「努力は必ず報われる」「努力に勝る天才なし」と言うことを忘れないで、これからも自分の目標に向かってがんばって行きたいと思っています。
HOPESのみなさんも、目標をもってがんばって下さい。
HOPESの先生方、スタッフの方、そしていつも私を支えてくれた家族、一緒にがんばってきた友達、本当にありがとうございました。
僕は、5年生のゴールデンウィークにHOPESに入塾しました。それまでは別の進学塾(日能研)に通っていましたが、テストがやたらとたくさんあり、テスト勉強だけで精一杯でした。成績だけに一喜一憂し、学習が全然自分のためになっていないと思い、塾をHOPESに変えました。初めのころは、今までに習ったことのない内容ばかりだったので、ちゃんと授業についていけるだろうかと、とても心配でした。けれど、般若先生と一対一でやる個別授業のおかげで、2回目の復習テストでは算数の点数が他の子に追いつけました。また、理科や社会でも、田中先生の分かりやすい授業や山下先生のおもしろい授業のおかげで今までに遅れていた分を取り返すことができました。しかし、自分の一番苦手である国語は、先生がおもしろい授業をして下さっても自分にやる気が無かったので、全く成績が上がりませんでした。
そんな状態で6年生になりました。6年になってからは、授業がない日も自習に行くようにしました。夏休みに、一つ上の先輩たちから、この夏休みがいかに重要かを教えてもらいました。般若先生から、自分が苦手にしている単元の問題に丸をつけた紙をもらい、毎日、丸がついている問題をこつこつと解いていきました。そのおかげで、今まで苦手としていた単元がはるかにましになりました。また、山下先生には特別に社会の個別授業をしてもらいました。自習では、宿題が終わった後に、理科の「鬼の高速暗記テスト」を活用しました。
8月から過去問に取り組み始めました。第一志望校である東大寺学園中は14年分(理科は20年)、第二志望校の大阪星光学院中は16年分、大阪桐蔭中は2年分、清風南海中も北嶺中も2年分しました。分からないものは先生に教えてもらい、その問題の答えだけでなく、簡単な解き方なども教えてもらいました。
1月8日に北嶺中の試験を受けました。結果は合格でした。しかし、簡単な問題で時間を使ってしまいました。なので、1月18日の一斉入試日まで、今までにやったプリントの復習を徹底的にやりました。そして1月18日。この日は午前に大阪星光学院中、午後は大阪桐蔭中を受けました。星光には般若先生が応援に来てくれました。また、山下先生とは電話で話しました。なので、試験中は緊張することなく試験に臨めました。また、星光の問題の中に、その前日にやった問題と似たようなものがあり、うれしく思いました。
2日目は午前に清風南海中を受けました。その時も、先生方と話すことができたので、気楽に受けられました。その日の午後に星光学院中の結果が出ました。合格でした。おかげで、次の日の東大寺学園中は気が楽でした。結果は不合格でしたが後悔はしていません。なぜなら、僕の持っているものは全て出せたと思えるからです。
この受験生活を通して、僕は努力する事の大切さを学びました。毎日寝不足でしんどい思いをし、正直休みたいとも思ったこともありましたが、これまで努力してきたことで、今は清々しい開放感を味わうことができました。これもHOPESのおかげです。HOPESは、一人一人の苦手な所や得意な所を全て知ってくれるだけでなく、自分たちの健康面にも気をつけて下さるすばらしい塾です。先生方、今までありがとうございました。
最後に、HOPESの後輩達に言いたいのは、入試ではHOPESのプリントでやる問題と似たものが良く出されるということです。現に、僕の受けた学校の全てで出題されていました。ですから、プリントの復習は絶対にしっかりとやることを心がけて下さい。
ぼくは3年生の時に入塾しました。3年生の時は、まじめに勉強をしていました。
しかし、4年生になって宿題の量が増え、仕方なく答えを写すようになりました。その結果、算数の小テストは点数がいつも悪く、居残りばかりでした。そんなことを繰り返しているうちに、5年生になりました。5年生になってもぼくは、答えを写して提出しては、先生にばれて怒られてばかりでした。見かねた先生から、すべて問題をやり直しなさいと言われ、実行すると、以前よりも小テストの点数が少し上がり、分からなかった問題も少しずつ解けるようになってきました。
6年生になり、少しは目が覚めましたが、まだ答えを写しながら宿題をしている時もありました。夏期講習が始まり、ほぼ毎日授業。それ以外の日は自習に行きました。夏休みの直前に、激励会がありました。ひとつ上の先輩から「夏休みが大事」と言われ、ぼくは社会の公民に力を入れましたが、なかなか覚えられませんでした。しかし、山下先生の分かりやすい授業のおかげで、次第に分かるようになっていきました。算数では、先生から、復習に力を入れるため「宿題プリントはしないでも良いから復習はきちんとしなさい」と言われました。おかげで、小テストの点数が上がっていきました。また、青と緑の問題集で自分が苦手な部分の問題をするようにと言われました。理科は高速暗記テストのおかげで、分からなかった部分も出来るようになっていきました。
夏期講習が終わり、通常授業にもどりました。小テストの点数がとても良くなり、うれしかったです。しかし、ぼくはまた調子に乗りってしまい、答えを写して宿題をするようになりました。小テストの点数はまた下がっていきました。特に、国語の漢字小テストの点数はいつもひどく、先生から復習しなさいと毎回言われていましたが、それでもぼくはしませんでした。
冬期講習が始まってすぐに2回目の激励会がありました。そこで、夏にもお世話になった先輩方にいろいろ教えてもらいました。冬期講習が終わると、あっという間に入試の日が来ました。
試験初日。先生方から電話をもらい、はげましの言葉をいただきました。そのおかげで安心して試験に挑むことができました。2校目に行くまでに少し時間があったので、算数と漢字のプリントを見直していました。2校目に着いた時にも先生方から電話をもらい、調子を尋ねられました。ぼくはどの教科もスラスラ解けたと伝えました。そして2校目の試験が始まりました。国語はスラスラ解けましたが、算数と理科は難しくあわててしまいました。社会は意外とスラスラ解けました。
そして次の日、試験会場に山下先生が来て下さいました。般若先生からは電話をもらいました。どの教科もスラスラ解けました。家に帰ると1校目の結果が分かりました。結果は合格でした。その時はとてもうれしくて、すぐに先生方に電話しました。しかし、4校目の学校に移動中に2校目が不合格だったと分かりました。
4校目の試験も受けましたが、結果は不合格。そして、3校目の結果も出ました。結果は合格でした。ぼくは3校目に受けた明星中学校に進学する事に決めました。
ぼくは、受験によっていろいろなことを学びました。大事なことを教えてくれた先輩たち、今まで指導してくれた先生方、毎日お弁当をつくってくれたお母さん、本当にありがとうございました。
私は4年生の時に、HOPESに入塾しました。3年生までは、あまり勉強熱心ではなく、賢くもありませんでした。だから、入塾してすぐの頃は、わからない問題も多く、つらくなって泣きながら宿題をしていた時もありました。もちろん、その頃は居残りばかりでした。さらに、宿題をごまかしていることもありました。そのことに気付いた母から、「勉強は自分のためにやるものだからごまかしても意味がない」と言われ、目が覚めました。それからは宿題はごまかさず、授業をしっかりきくようにしました。すると5年生から少しずつ成績が上がっていき、居残りの数も減りました。
6年生になってからは、宿題に算数の緑と青の問題集がふえ、秋からは過去問も入ってきて、上手く時間を使うことがとても重要になりました。私は時間の使い方が下手だったので、土曜日と日曜日は朝から自習に行くことにしました。家よりHOPESの方が倍以上はかどりました。
それでもなかなか第一志望校にはとどきそうにありませんでした。11月になって、金蘭千里中学と近畿大学附属中学の説明会が同じ日にあり、父と母がどちらも行ってくれ、個別相談までしてもらっててくれました。その後、HOPESの授業後に、先生方と受験の予定を話し合いました。初日は、当初の第一志望ではなかった中学校を受けることにしました。
そしてその結果、一日目の朝に受けた金蘭千里中学校と三日目に受けた近畿大学附属中学校には合格し、第一志望だった帝塚山中学校は、不合格となりました。合格の時はとってもうれしかったけれど、不合格を見た時はとてもくやしかったです。
最後になりましたが、HOPESの先生方、家族のみんな、その他私を支えて下さった方々、本当にありがとうございました。
僕は、3年生の時にHOPESに入塾しました。第一志望校に合格することはできませんでしたが、先生をはじめとする様々な方に支えていただき、充実した4年間を過ごすことができました。僕の体験記が、少しでも後輩の皆さんの役に立てば幸いです。
〈入塾したきっかけ〉
兄がHOPESに通っていたので、何も考えずに入塾テストを受けました。般若先生から、算数の成績がよかったとほめられて、嬉しかったのを覚えています。
〈3年生〉
5月に友達と一緒に灘校文化祭に行きました。野球好きの僕は、野球部のイベントをしている第1グラウンドへ行きました。そこで、僕がかぶっていたカープの帽子を見て、声をかけてくれたお兄さんがいました。その人もカープファンで、優しくいろいろ話をしてくれました。話の中で、その人は高校3年生で、野球部のキャプテンだということがわかりました。さわやかでかっこよかったです。次の朝起きたとき、今日も灘校に行ってキャプテンのお兄さんに会いたい!と思い、母にお願いして連れて行ってもらいました。その日は祝日で、灘校は大勢の人でいっぱいでした。キャプテンと話せるような雰囲気ではないなと思い、あきらめかけた時、兄の友だちの家族と出会いました。聞くとその友だちのお兄さんが灘高3年生で野球部の正捕手だそうです。僕はその人に頼んで、キャプテンと一緒に写真を撮ってもらいました。その日からぼくの志望校は灘中学校になりました。
〈4年生〉
HOPESでの生活も慣れてきました。大切なことは「毎日MYDOノートを書く」「小テストで満点を目指す」ことです。小テストで満点をとるコツは、授業で先生が言っていることを聞きもらさないことで、直しを丁寧にすること、宿題をすらすら解けるまでに仕上げることです。この時期に習ったことは、入試本番での土台となることが多いので、手を抜かずキッチリとやりぬきましょう。
〈5年生〉
授業時間が増えてしんどくなってきました。3年生のころは般若先生から「この学年はいやしの時間」だと言われていたのに、気がつけば「出来の悪い学年」とまで言われるようになっていました。このころから勉強に対する意識が高まり、すき間時間を有効に使うようになりました。5年生の1月まで習っていた野球も、新6年生のタイミングでやめました。
〈6年生春〉
6年生になると、実戦という実際の入試問題に時間を計って取り組む授業が、各教科にあります。テストの点数で一喜一憂して終わりにするのではなく、テストの分析をすることをおすすめします。テストの分析とは、時間配分はどうだったのか、ミスによる失点はなかったのか、また、ミスによる失点をなくすためには何をすればいいのか、こういうことを振り返ることです。分析をしてどう改善したらよいかわからなかったら、先生に質問してみてもいいと思います。分析によって、テストの受け方がうまくなります。
また、「ひま」な時間をすごすのはやめましょう。おそらく、目の前の課題をこなすので精一杯だと思いますが、もし課題を完ぺきにこなせて「ひま」ならば、先生に+αの課題をもらったりして、経験値をどんどん高めていきましょう。
〈6年生夏〉
「いよいよ夏がやってきた」と思いました。般若先生が苦手単元の一覧をくださり、ありがたかったです。僕は夏の間、体調を崩すこともなかったので、よかったです。夏は課題がいろいろな分野からたくさん出ます。その中で自分の苦手な単元は何かを見つけてほしいです。なぜなら、その単元さえ得意にすれば入試本番での強みとなるからです。また、精度とスピードを両立してほしいです。解くスピードが速すぎると精度が下がりますが、遅すぎると時間内に解けません。精度を保つ最大速度はどれくらいなのかも見つけてほしいです。さらに、お弁当を食べている時にみなさんはおそらく会話をしていると思います。僕はそれはそれでいいと思います。入試本番の時の支えとなるからです。僕はHOPESで一緒に勉強した仲間の存在が大きな支えとなりました。
〈6年生秋・冬〉
今振り返るとあっという間に過ぎてしまいました。僕がこの時期に算数のテストを受けるに当たって実践していたのは、自分の弱点(分析をしてわかること)をテスト用紙のよく目につくところに書くことです。これを書くことで点数が飛躍的に上がります。だまされたと思ってやってみてください。
冬は、まず今やっている授業の課題を、次にこれまで受けてきた模試の難しいと思った問題の見直し、最後に日曜の授業で気になる単元の復習。この順番ですることをおすすめします。
〈北嶺中入試〉
国語…読みやすかった。 算数…簡単。 理科…簡単。
結果…合格。
初めての合格だったので、ホッとしました。
〈灘中受験1日目〉
国語…難しい。 理科…まあまあ。 算数…自信ない。
1日目の結果は忘れ、2日目に。
〈灘中入試2日目〉
算数…自信あり。 国語…まあまあ。
〈西大和学園中入試〉
国語…Bが例年と違う。手応えあり。算数…手応えあり。理科…手応えあり。
結果…合格。
この日は、僕一人の受験のために般若先生が西大和まで来てくださいました。ありがたかったです。
〈東大寺学園中入試〉
国語…集中できず。 算数…いつも通り。 理科…自信なし。
東大寺入試の昼休みに、母から西大和学園中学の合格を聞きました。
東大寺入試の後、灘中の合格発表に向かいました。僕は3年生の時から毎年灘中の先輩方といろいろなご縁があり、自分は灘中に合格するんだと思いこんでいました。合格者掲示板に僕の番号がなかった時の気持ちは、今思い出してもつらいものがあります。次の日、パソコンで確認した東大寺中にはあまり思いが強くなかったので、あまりこたえませんでした。
入試を終えて、今はあこがれだった灘中学校に感謝の気持ちを持っています。灘中のおかげでHOPESでがん張れたし、驚きの世界を見せてもらえました。自分にもできるかもしれないという勇気をもらいました。
灘中の入学式に行くから!とはげましてくれた般若先生、苦手な国語を個別にアドバイスしてくださった山下先生、理科の基礎と応用をつくってくださった田中先生、本当にありがとうございました。
僕は3年生の時にHOPESに入塾しました。初めの頃は、問題集やプリントをきちんとしていましたが、だんだんと復習や宿題が雑になっていき、答えを写すようになりました。問題集を全くしなくなり、それは4年生になっても、5年生になっても、6年生になっても変わりませんでした。時には授業中に居眠りしてしまい、般若先生に「帰れ」と言われ、本当に帰ったこともありました。
僕は5年生までは、兄と同じ奈良学園中学校を志望校にしていました。しかし、自分の考えを持たず、兄と同じ所へ行ければそれでいいという軽い気持ちで決めていたのに気付き、志望校を考え直しました。その時ちょうどラグビーのワールドカップで日本中が盛り上がり、僕は塾に入るまでラグビーをやっていたので、もう一度ラグビーをやりたいという気持ちがめばえ、同志社香里中学校を第一志望校に決めました。目標が決まったのはとても遅かったですが、決まってからは少しずつやる気が出て、頑張れたと思います。
それからは毎日、朝から塾に行きました。しかし、問題集は結局しないまま、前受け受験の香川誠陵中学の試験の日が来てしまいました。その日はあまり緊張せず試験を受けることができ、結果は合格でした。
本命の同志社香里中学の入試当日。試験時間までホールで待っていると先生方から電話がかかってき、はげましの言葉をいただきました。試験が終わってから、僕はとても不安でした。なぜなら、空らんを残したままだったからです。でもお母さんが、
「いつまでも前の試験のことを考えていてはだめだよ」
と、言ってくれたので、次の試験は何も考えず受けることができました。
午後は甲南中学校を受けました。自分的には簡単で、スラスラと解くことができました。
二日目の午前は明星中学校を受けましたが、明星はプレテストで一度会場にも行っていたので、集中して試験を受けることができました。
試験から帰るとき、お母さんから、甲南中学に合格していたと電話があり、先ずは一安心できました。そしてついに同志社香里中学の発表の時間になりました。携帯でホームページを見ると、なんと合格していたので、すごくうれしかったです。その後、般若先生に電話で伝えると泣いて下さいました。また、後で知ったことですが、明星中学にも合格していました。
僕がここまで来られたのは、お弁当を毎日つくってくれたお母さん、送り迎えをしてくれたお父さん、協力してくれた兄弟、逃げてばかりの僕をあきらめず最後まで勇気づけ、励まして教えて下さった先生方のおかげです。本当にありがとうございました。HOPESで学んだあきらめない気持ちを、これからも大切にしていきたいと思います。
私は、3年生から4年間HOPESに通いました。
泣き虫で頭も良くなかった私は、3・4年生の頃は、般若先生に少し注意されたくらいでもすぐに泣いていました。算数の小テストは、だいたいいつも居残りでしたが、理科と国語は好きでした。
5年生になると、第一志望校を関西大学第一中学校に決めました。行きたい学校が決まり、その中学に合格するぞと、やる気が出ました。 山下先生の国語は面白くわかりやすかったので、国語の成績が伸びました。しかし、算数はずっと難しくて、再テストばかりでした。
6年生になってもその状況は変わらず、算数は難しかったです。それでも、帰ってから必ずその日のうちにできるところまでやり直しをしていました。二学期が始まると、志望校の過去問をやり始めました。第一志望の過去問は、わからないところもあったけど、解くのは楽しかったです。でも、第二志望の算数は全然できませんでした。個別指導で般若先生に教えてもらいましたが、いつも怒られてとてもつらかったです。冬休みに入ると、毎日、朝から晩まで塾に居るようになりました。たくさん過去問もできて、しんどかったけれど、充実した冬休みでした。
私は、香川誠陵中学校と関西大学第一中学校、関西大学北陽中学校(2回)と甲南女子中学校、最後に近畿大学附属中学校を受験しました。あまり緊張もせず、体調もよかったので、もし不合格でも悔いはないと思っていました。結果はすべて合格でした。
ずっと応援し続けてくれたお母さん、お父さん、お兄ちゃん、そして最後まで私を支え続けてくれた先生方、本当にありがとうございました。