私は新4年生の2月にHOPESに入塾しました。その前に受けた体験授業は『流水算』で、授業のはじめには小テストがあり嫌だなと思ったし、授業もちんぷんかんぷんでしたが、なぜか母に『頑張る』と言ってしまい、入塾することになりました。
初めの頃、算数の宿題は解答を写して提出していました。しかし半年後、母にばれ、とても怒られました。自分の力で宿題をするようになってからは、小テストの居残りや復習再テストを受けることもほとんどなくなり、小テストでは満点も取れるようになりました。
国語と社会は好きな科目だったので、授業は楽しみでした。国語は読書が好きだったので、物語文も楽しく解くことができました。社会の授業は、先生が色々な話をしてくれたので、地理や歴史に興味がもてるようになりました。
理科の暗記分野は苦手でしたが、先生がおもしろい覚え方を教えてくれたので、頭に入りやすかったです。また最終授業で習ったことは、初日の帝塚山中学校の試験に出ました。本当に感謝しています。ありがとうございました。
6年生の夏休みは毎日のように塾で大変でしたが、必死で頑張りました。
10月に入り、帝塚山中学校の過去問の算数で、満点を取りました。すると心のどこかに、大丈夫ではないかという気持ちが芽生えてきました。そこで、西大和学園中学校を目指すことにしました。しかし苦手な算数と理科がすごく難しく、何度も投げ出しそうになりました。
あっという間に冬休みです。oneoneコースで西大和学園中学校の算数の対策をしました。クリスマスもお正月もないまま、1月8日。前受け校の土佐塾中学校の入試の日です。結果は合格。この事がとても自信になり、この調子で頑張ろうと思いました。
私の受験日程は、初日の午前が帝塚山中学校、午後が西大和学園中学校(21世紀型)、2日目の午前が清風南海中学校(3教科)、午後が西大和学園中学校です。
いよいよ1日目の朝になりました。学園前に着くと、般若先生が笑顔で待っていてくれました。校舎に入る時、
「しっかりな!」という先生の叫び声が聞こえました。頑張ろうと思いました。しかし最初の国語の試験の時は、緊張から手に汗をかくし、文章も頭に入ってきませんでした。そしていよいよ2日目、西大和学園中学校の一般入試です。学校に着くと、2人の先生が待っていてくれました。このことから、最後まであきらめずに頑張ろうと思いました。しかし、理科がいつも以上に難しかったです。
試験後、帝塚山中学校のスーパー選抜コースの合格を知りました。とても嬉しかったです。翌日の10時、西大和学園中学校の合格発表をホームページで見ました。不合格でした。私には難しすぎたようです。けれど私の精一杯だったので、後悔はありません。そして午後からの、清風南海中学校の合格発表に向かいました。特進コースで合格していました。過去問では二次試験でもスーパー特進コースで合格できていたのにとても悔しく、得意な社会を入れての4教科で二次試験を受験したいと思いました。しかし二次試験の前に清風南海中学校の入学手続きがあることに気づき、その足で塾へ向かい、アドバイスしてもらいました。そして自分でよく考え、当初の第一志望であった帝塚山中学校に進学することに決めました。
私は、家族の支えがあり、中学受験ができました。感謝しています。そしてHOPESで受験勉強や努力することを学びました。私はHOPESだったから帝塚山中学校に合格できたのだと思います。これまで支えてくださった先生方、スタッフの皆様本当にありがとうございました。これからも努力を忘れないでいきたいと思います。
僕は4年生の6月ごろにHOPESに入りました。体験授業では、国語の小テストはあまりいい点数でなく、また算数は、授業のスピードが速くて全くついていくことができませんでした。その頃は受験のことを全く考えておらず宿題をただやっておけば良いと思っていました。
5年生になると宿題量が4年生よりはるかに多くなりました。国語が苦手で、宿題もあまり出さず、その上ずるをして答えを見ていたため、成績は全く上がりませんでした。その頃から、受験を少し意識し始めましたが、4教科ともあまり成績は良くなくて、本当に受験ができるレベルまで上がれるかと、不安な気持ちでいっぱいでした。
ついに6年生になりました。志望校は函館ラ・サール中学校に決めました。しかし、成績はあまり変わらず、正直この中学のレベルに届くか不安でした。ところが、転機がありました。それは質問日です。授業で分からなかった所や、問題集の質問をすることによって、以前より理解できるようになったのです。
夏休みは、授業があってもなくても朝から自習室に行きました。そのおかげで成績は前より少し良くなりました。
秋になり、過去問に取り組み始めました。しかしその過去問でもいい加減なことをしてしまい、それが見つかった時は、さすがにピンチだと思いました。
冬休み。激励会で、入試直前の過ごし方などを教えてもらい、とてもためになりました。ひたすら過去問を解きまくりました。函館ラ・サール中学は6年分、明星中学は14年分、帝京冨士中学も少しやりました。
そして1月。最初は帝京冨士中学でした。受験者は少なかったですが、初めてということもあり、とても緊張しました。結果は合格でした。
次に受けたのは、本命の函館ラ・サール中学です。受験を一度経験していたので、あまり緊張しませんでした。会場に先生が応援に来て下さり、電話でも励ましてもらったので、少し自信が出てきました。落ちついて解くことができましたが、国語が難しいのに絶対におとしてはいけない漢字を間違えてしまい、また理科も思っていたよりできず、結果は不合格でした。ショックでしたが、次の受験に向けて、気持ちをきりかえました。
しかし、明星中学校の試験では、思っていたよりも手応えがなく、A日程は不合格でした。自分では気がつきませんでしたが、寝ている時、連続不合格のショックでうなされていたと、母から聞きました。もう無理だと思いました。なぜなら、B日程では星光や西大和を受験してきた人たちとの勝負だからです。けれど、結果は思いもよらぬ合格。その瞬間、お母さんも泣き、僕もヤッタァー!と叫び、大喜びました。
結果には満足していますが、反省はたくさんあります。それは復習をおろそかにしたことです。先生がさんざん復習は大事だと言っていたのに、僕は全く復習をしませんでした。また、試験当日緊張してしまい、解ける問題があるのに解けなかったことです。
合格できたのは、先生や家族に支えてもらったからです。毎日弁当を作ってくれたお母さん。いつも勉強をそばで見守り、分かりやすく教えてくれた先生方。本当にありがとうございました。
ぼくは、4年の夏休みに友達の誘いで入塾しました。初めて見学したときの授業がとても面白く分かりやすかったので、ここで勉強したいと思いました。
しかし、はじめの頃は復習もろくにせず、宿題は答えを丸写しでいったことが何度もありました。本の宿題の提出はなんとゼロ。それでも先生から何も言われなかったので「ばれていないのか」と、自分で変なかんちがいをしていました。先生はすべて分かっていたのに。
この態度は、5年生になってもあまり変わりませんでした。注意されても何もせず、とうとう6年生になってしまいました。夏休みの自習でも、友達としゃべりながらしていたので全然はかどりませんでした。先生に何度も
「次しゃべったら帰れ!」
と言われたのにもかかわらず、毎日毎日しゃべっていました。今思えばとても後悔しています。
志望校は6年生でようやく決まりました。洛星中学校に決めました。しかし、過去問も思うように進まず(自分の意志が甘かっただけですが)そのまま前受けの受験の日がきてしまいました。会場で、大手塾の先生がはちまきをまいているのを見て、いきなり緊張してしまいました。結果も心配でしたが、この緊張が何回も続くのかと思うと、それだけでびくびくしてしまいました。そしていよいよ本番。幸い、あまり緊張せずに臨めました。ただただ、必死に入試問題と向き合いました。結果の心配などする間もなく、そのまま午後の明星中学の試験に向かいました。その日は般若先生が来て下さり、教室に入るぼくの背中に大声で「がんばれよー」と叫んでくれました。少しはずかしかったけど、大きな力になりました。
次の日はもう発表でした。第一志望はだめでした。でも、ここでくじけてはだめだと思い、次の受験に挑みました。何校か受けましたが、奈良学園中学校に合格しました。奈良学園中学校には、自分でも何となく縁を感じていました。不合格の学校もありましたが、本気で挑んだので悔いは全く残っていません。
最後に、お父さん、お母さん、弟たち、僕の受験を応援してくれて本当にありがとう。先生方、何も知らなかったぼくをここまで導いて下さり、ありがとうございました。
在校生のみなさん。HOPESの先生方にくらいついていけば、必ず力はつきます。えらそうに言える立場ではありませんが、言われたことをきちんとして、その上で何をすべきか考えれば、がんばれると思います。
私の受験体験記を紹介させていただきます。
私は、4年生の後半ぐらいから通い始めました。はじめの頃は、答えを見ながら宿題をしたり、復習もただ答えを書き写したりしていました。それが先生にばれ、厳しく叱られてしまいました。それからは、いい加減なことはやめようと思い、答えを見ないで勉強するようになりました。(まあ、これが当たり前なのですが)
それでも、本の宿題はたまにするだけでした。お母さんにも言われてもせず、6年生になってもやらずに済ますことの方が多かったです。自習室でするぐらいでした。
私は社会の成績が悪かったため、途中で社会の授業を受けることを止めました。社会の時間は、算数をつきっきりで教えてもらいました。今思えば、先生方にはたくさんの迷惑をかけてしまいました。
6年生になると、内容がむずかしくなり、その上、今までの不勉強がたたって、授業についていくのが精一杯でした。
それでも、先生方は最後まで私を見放さないで下さいました。これまでも辞めさせられてしまった人たちを見て、「私もいつ辞めさせられるのかな」と思ったことが何度もありましたが、先生方には本当に感謝しています。そのおかげで、学校の成績はかなり良く、そのまま卒業することができました。入試も受験校全てに合格することができました。本当にありがとうございました。
私以外のみんなは、難関中学校に進学しました。全ては今までの自分の行いの結果だと思いますが、実はこれが私の一番の後悔です。
これを読んでくれたみなさんは、私のような後悔をしないようにして下さいね。