Y.K
東大寺学園中学校入学
函館ラ・サール中学校合格

HOPESに入塾したのは小学校1年生の時です。
 1年生と2年生の間は、アルゴクラブに入っていました。その頃はアルゴクラブがある毎週土曜日を楽しみにしていました。2年生で出場したアルゴ全国大会では、幸運にも銅メダルを獲得できました。この時、会場になっていた灘校が気に入ったので、付添いの母に言いました。
 「この学校に行きたい」
 こうして灘中合格という目標を2011年11月23日に決めました。
 3年生からは総合コースと算数特訓コースを受講しました。アルゴクラブでは優しかった般若先生が急に怖くなって、とても恐れていました。
 4年生になると社会が加わりました。小さい頃から地理や歴史、公民には興味があったので、とても楽しみにしていました。この頃から地図帳や日本のすがたなどを隅々まで読んでいたので、社会は最後まで得意科目になりました。一方算数では新しい事が加わりました。IMA(インターネット算数アカデミー)です。難しくて毎回泣いていました。でも次第に慣れてきて、6年生の最後には楽しみになっていました。
 5年生になると、理科で計算が出てきました。授業についていく事が大変でしたが、復習をきっちり行い、次第に出来るようになりました。しかし、国語を安易な方法でサボってしまい、致命的な傷を作ってしまいました。ジュニア算数オリンピックではファイナリストになることが出来ました。この頃、第二志望校を父の出身校である東大寺学園に決めました。
 6年生からは、東京出版の「中学への数学」や「チャレンジ演習」などをワンワンコースで般若先生に指導してもらいました。この2つは相当手強く、大きな壁となりました。夏休み。頑張ってはいたものの、強い気持ちを持ち続ける事が困難でした。秋からは、危機感を持って猛烈に追い込みました。冬休みに最も意識したことは、体調管理です。就寝時にもマスクを付けたり、お腹にカイロを張ったりしていました。
 年が明けたら入試が始まりました。初戦は函館ラ・サール中学校です。横長の机で受験するのですが、会場で般若先生が隣の子に
 「お隣だけど、よろしくね」
と声を掛けて下さりました。そのためか、その子はとても親切に接してくれました。
 1週間後、灘中学校1日目。国語・算数共に苦戦しました。それでも帰宅後、ぐっすり眠りました。まだまだ合格のチャンスがあると思っていたのです。2日目は、般若先生が応援に来て下さいました。先生が「頑張れよ」と大声で言って下さった事がとてもうれしくて力が出てきました。
 翌日は、東大寺学園に向かいました。今から考えると、問題を解いている時、前日の灘中学の際とは明らかに違うものを感じていました。 「手応え・縁」という類いのものです。合格を確信して帰宅しました。
 第一志望の学校には不合格でしたが、全てをやり切ったので後悔していません。東大寺学園中学校で沢山友人を作り、クラブと学業を両立させて頑張ります。1月の合格者招集では函館ラ・サールの入試で「お隣」だった子に会うことができ、うれしかったです。
 僕が経験した中学受験で合格するために大切だとわかった事を記します。
 一つ目は授業での考え方を復習し、完全に理解する事です。二つ目は努力を続ける事がつらい時は、「〇〇中学校に合格するぞ」という気持ちを持ち直す事です。三つ目は本番は余計な事は考えず平常心を保つ事です。
 山下先生、家族の皆さん。未熟な僕を支えて下さって、本当にありがとうございました。
 最後に、般若先生は小学校時代の僕の太陽でした。ありがとうございました。

佐賀 龍介
北嶺中学校入学
愛光中学校合格

僕がHOPESに入塾したのは1年生の2月でした。先ずはアルゴクラブから。アルゴクラブはゲームが主で、勉強も遊びに近い感覚だったので、楽しくやっていました。また、その頃は、先生たちのことをさほどこわいとは感じていませんでした。
 3年生になると、アルゴクラブ以外に普通の授業が始まりました。まだ宿題は少なく、提出も期限までに一応間に合っていました。しかし、学年があがるにつれ宿題の量が増え、次第に面倒くさいと感じるようになってしまいました。復習を適当にしたり、宿題の答えを写したりしていました。なので、宿題提出のたびに先生には怒られていました。5年生になっても同じことを続け、呑ちゃん(般若先生)には「もう、やめてしまえ!」とよく言われました。それでも、宿題も授業の復習も量が多いので、未提出がたまり、そのたびに色々な言い訳をつくって逃げていました。そんな僕でしたが、5年生の後半からはやっと受験を意識しはじめました。
 6年生になるとだんだん自分の力で宿題をやるようになっていきました。夏に第一志望校を北嶺中学校に、第二志望を愛光中学校に決めました。志望校を決めたものの、あまり気持ちが入らず、夏休みの自習では何度も寝てしまいました。ついに呑ちゃんに「やめろ」と言われ、親も呼び出され、自習の途中で帰宅させられました。そんな事があってもHOPESには通い続けました。ぬれたハンカチを持ってきて、眠くなったらすぐ顔をぬぐえるようにしました。これはよく効きました。また日の当たらない場所に座るようにしました。
 ついに入試本番。1月8日に本命の北嶺中学校を、翌9日に愛光中学校を受験しました。愛光は四国で受験したのですが、呑ちゃんが応援に来てくれました。
 1月11日午前10時に北嶺中学校の合格発表がありました。どきどきしながら家族で10時になるのを待っていました。そして運命の瞬間。自分の受験番号を見つけた時はうれしかったです。お母さんは泣いていました。
 お父さん、お母さん、HOPESの先生方。こんなうそつきの僕を見捨てずに最後まで応援して下さり、ありがとうございました。
 在校生のみなさん、答えを写したり、未提出がふえると絶対に後悔しますよ。

城野 真大
西大和学園中学校入学
函館ラ・サール中学校合格
清風南海中学校合格
帝塚山中学校合格

僕がこの塾に入塾したのは、5年生の5月でした。初めは、授業についていくだけで精一杯でしたが、毎日少しずつ勉強量を増やしていき、予習や復習ができるようになりました。そうすると、目の前の授業のことだけではなく、自分の苦手な分野も意識して勉強するようになっていきました。
 入学試験の日は、先生がいて下さったおかげであまり緊張せず、自然体で受験することができました。ですが、他の大手の塾の行列にはびっくりしました。前受けの試験会場では机が長机だったのですが、隣の子がわざとゆらしてきたときは、本当におどろきました。受験は恐ろしいということを身をもって感じました。
 入試はやはり、日々の努力がものを言います。いくら元々頭が良いとしても、努力をしなければ学力はのびません。ですから、後輩諸君。努力を惜しまず、そして、目標を持って勉強してください。
 最後に、先生、本当に感謝しています。だらしなくて、しかられることも多々ありましたが、先生が支えて下さったおかげで、無事、第一志望の学校に入学することができました。本当にありがとうございました。

奈良学園中学校入学
帝塚山中学校合格
明星中学校合格
土佐塾中学校合格

僕は、5年生の4月にHOPESに入塾しました。もともとは大手の塾に通っていましたが、自分にはあまり合わず、この塾を選びました。
 5年生の6月までは大丈夫だったのですが、学校でのトラブルが影響して7月の途中から塾を休むようになりました。後から「あの時、塾に行っていたら」と何回も思いました。その状態は11月まで続き、その間は週に1回oneoneコースで算数だけを受けていました。5年生の冬期講習から普通の授業にもどり、学校にも3学期から登校できるようになりました。しかし、その約半年間、全く勉強をしなかったために、成績はかなり下がりました。
 6年生になり、塾の勉強が急にハードになりました。特に歴史は全くわからず、社会自体が嫌いになりかけました。けれど、先生に指示してもらい、春休みの自習中は問題集で未習範囲を中心に解いていました。夏期講習からはまともに勉強すると決めていましたが、結局その気になりきれず、そのままの状態が冬期講習まで続きました。また、1学期からずっと宿題をせず、提出もしないでいたため、よく先生に叱られていました。
 年が明け、本当に受験生なのか?と思われるような過ごし方を反省し、初戦である土佐塾中学校を受験しました。しかし、緊張した割には、意外と楽に終えることができました。最後の1週間は毎日自習室に行って勉強しました。今にすれば、本当に力を出したのは最後の1,2週間だけだなと、恥ずかしく思います。
 1月16日。ついに第一志望の奈良学園中学校の入試の日が来ました。いつも起きるのがおそいため、試験開始まで眠かったのを覚えてます。先生方から電話があり、「頑張れよ」と言ってもらえたことがうれしかったです。
 その日の午後は、明星中学校を受験しました。大和小泉駅から玉造駅までの移動は大変でしたが、午前中の奈良学園中学よりは楽に臨めました。  1月17日。この日は帝塚山中学校を受験しました。前日の奈良学園中学や明星中学よりかなり難しく感じました。その会場で前の塾の友だちと会え、うれしかったです。
 1月18日に、再び奈良学園中学校を受験しました。なぜかと言うと、A日程で合格していましたが、希望のコース(医進コース)ではなかったからです。帝塚山中学の結果も英数コースで合格していましたが、S理系ではありませんでした。
 1月19日は第2志望の高槻中学校でした。この4日間の受験で一番家から遠く、しかも体力的にも既にだいぶ消耗していました。ヘトヘトになりながら帰り、前日の奈良学園中学の結果を聞くと、A日程と同じ結果でした。
 次の日、高槻中学の結果が分かりました。不合格でした。後期試験も受けようと思っていましたが、奈良学園中学の登校日にあたっており、それに行かないと合格が取り消されるので、仕方なく、後期の受験は断念しました。
 受験が全て終わり、ほっとする間もなく、最後に最大の問題が待っていました。進学先の選択です。奈良学園中学か帝塚山中学かで迷っていたのです。奈良学園中学の校風は好きなのですが、大学の進学率では帝塚山中学の方が高いためです。そこで、母に「般若先生に相談してみたら」と言われ、学校帰りに相談しに行き、最終的には自分の意思で、奈良学園中学校を選びました。
 この受験を通じて、合格するために大切なのは、復習することと与えられたことを成し遂げることだと分かりました。また、本番では試験のことだけを考え、平常心を保つことが大事です。しかし、何よりも大切なのは、目標に向かって努力し続けることです。
 最後になりましたが、欠席した授業のビデオを取ってくれたり、教材を持ってきてくれたりと、心配して下さった先生方。そして、最後まで支えてくれた家族のみんな。本当にありがとうございました。

秦 大真
奈良学園中学校入学
清風南海中学校合格
清風中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕は3年生の4月からHOPESに通い始めました。最初から総合コースと算数特訓コースの授業を受けました。けれど、復習も宿題も全て丸写ししていました。初め、その丸写ししたプリントを見せたら先生は何の反応を見せずにハンコをおしてくれました。それから何度も丸写しをしました。そして、ついに、このことを母が知り、僕はものすごく怒られました。丸写しをしていた期間は、小テストで毎回、居残りになっていました。
 そして4年生になり、今度は問題集をあまりしなくなりました。とくに算数の問題集は何カ月もせず、毎回、提出日には、適当な理由をつけていました。とうとう、般若先生に「問題集をやってこい」と言われ、家に帰されました。泣きながらその宿題をやり、次の日にやっと終わり、先生に見せに行きました。
 5年生からは、歴史の授業が始まりました。授業中、真面目に受けずにヘラヘラしていました。なので歴史は、5年生の間は全くできませんでした。それでも、まぁいいかと思っていたため、そのままの状態で6年生になってしまいました。算数はできるようになり、得意になりました。でも国語は、漢字が全くできず、長文でも記述を書かなかったことがありました。相変わらず、宿題をせずにいたため、帰されることもたびたびでした。
 6年生になっても、受験のことをあまり考えていませんでした。第一志望は、もう何年も前から星光学院中学校と決めていましたが、相変わらずの状態で、宿題や復習をあいまいに終わらせていたので、成績はますます下がりました。夏期講習が始まり、やっと受験のことを真剣に考えるようになりました。個別授業を申し込み、国語の長文を中心に指導してもらいました。その成果が出たのか、記述はどんな問題でも書けるようになりました。けれど、歴史の年号や漢字など、苦手分野を残したままで受験をむかえました。
 最初の入試は、函館ラ・サール中学校でした。得意の算数があまりできなかったので、とても不安でした。結果は辛うじて合格でした。
 そして1日目。第一志望の大阪星光学院中学校と清風中学校でした。星光学院中の入試で、算数は冬期講習でやった問題が出ていました。しかし、その問題は解けず、この時にやっと、復習がいかに大切であるか、先生があれほど言っていたことが本当だったと、身にしみて分かりました。清風中では、国語があまりできなかったけれども、算数は手応え十分で自信がありました。
 2日目は清風南海中学校でした。得意な算数がとてもよくできたので自信がありました。試験終了後に、1日目の結果を知りました。星光学院中は不合格だったけど、清風中は合格でした。
 3日目は奈良学園中学校でした。良くでき、自信がありました。しかし、2日目の結果は、おしくも2.5点足らずに不合格でした。そこで、4日目に清風南海中をもう一回受けました。こちらの方が自信が無かったけれども合格でした。
 こんなぼくを4年間支えてくれた家族のみんな、般若先生、山下先生。どうもありがとうございました。

K.F
近畿大学附属中学校入学
帝京冨士中学校合格

ぼくは、4年生の終わりからHOPESに通い始めました。母が般若先生の教え子だったからです。途中からの入塾で、ついていけるか不安でしたが、男子ばかりのクラスですぐにみんなと仲良くなれました。
 5年生になって、学校見学にいろいろ行きました。どの学校も良く見えて、肝心の志望校がなかなか決まりませんでした。6年生の夏休みごろ、ぼくの興味のある医薬に関する実習や体験ができる、近畿大学附属中学校の医薬コースを第一志望に決めました。決めてからは、近畿大学附属中学校医薬コースに入りたいという気持ちが日に日に強くなりました。
 ぼくは、国語と社会がとても苦手でした。医薬コースは3科目入試だったので、6年生の2学期からは3科目だけの勉強に変えました。それでも国語の成績は思うようには上がらず、山下先生に「漢字ぐらい覚えろ」と言われ続けていました。
 10月末に近大附属中学校でプレテストがありました。本番のつもりでかなり集中しました。結果は、算数満点!けど、国語は半分弱でした。般若先生のおかげで、この頃は算数には自信を持っていました。理科も好きな教科だったので心配しませんでした。国語が足を引っ張っているとしか言いようがありません。過去問を解いても、国語だけはほとんど点数がとれません。これには母もあせり、入試直前にoneoneコースで山下先生に国語の過去問解説をお願いしました。先生の解説を聞くと、不思議と国語の点数が人並みに上がっていきました。これで少しは国語の悪さが目立たなくなったかな、と思いました。
 年が明け、入試が始まりました。まずは前受けの帝京冨士中学校。近中プレテストの時と同じくらい集中しました。結果は特待C合格。統一日初日は本命の近大附属中学校です。今までで一番集中しました。午後の明星中学校、二日目の開明中学校では、近大附属中学校の結果が気になって、あまり集中できませんでした。
 開明中学の入試が終わり、校門前に母が迎えにきていました。すぐに母のスマホで近畿大学附属中学校の合格発表サイトを開きました。
「医薬コース合格」
の文字が目に飛び込んできました。
「よっしゃー!」
 ぼくが第一志望の近畿大学附属中学校医薬コースに合格できたのは、先生方が、細やかにぼくの勉強を見てくださったおかげです。激励会のときは般若先生が涙ながらにメッセージを贈って下さいました。ぼくはHOPESに入塾して、とてもよかったと思います。HOPESを勧めてくれた母にも感謝しています。
 毎日送り迎えをしてくれた祖父、お弁当を作ってくれた祖母、ぼくを支えてくれた家族みんなに感謝しています。中学生になっても、がんばります。

古川 八生
同志社中学校入学
金蘭千里中学校合格
開明中学校合格
岡山中学校合格

ぼくがHOPESに入ったのは3年生のときです。3年生の間は算数特訓しか受けていませんでしたが、アルゴクラブを含むと全部で6年間も通ったことになります。
 3年生から5年生の1学期までは出された宿題をきちんと仕上げていました。しかし、次第にめんどくさくなって、やらなかったりウソやごまかしでいい加減に仕上げたりするようになりました。授業プリントだけではなく、問題集や毎日の冊子までやらない事もありました。もちろん、成績は下がる一方。それでもやりませんでした。母から「やりなさい」と言われたら、逆ギレして母を恨む始末。母はとてもショックだったと思います。今は、こんな自分をずっと見守ってきてくれた母や父や兄、そして先生方にはとても感謝していますが、あの頃はどうしてだったのでしょうか。やはり、嫌々やっていたからだと思います。
 6年生の2学期あたりから毎日の冊子は何とか追いつくことができ、ごまかす事も少なくなってきましたが、成績が上がることはありませんでした。言われたことをただやっているだけで、身についていなかったからです。
 最後まで、勉強のやり方が改まる事はなく、いよいよ、入試の日が近づいてきました。結局、ぼくは仕上がりませんでした。原因は、もちろんぼく自身の心の弱さにあります。しかし、それを悔やむのは全てが終わってからにしようと、開き直って、今の自分にある力を信じて、入試に臨むことにしました。
 前受けには岡山中学校を選びました。あまり緊張はしなかったので、スムーズに受けることができました。結果は合格でしたが、ここで気をぬいてはいけないと思い、気を引き締め直しました。
 次はいよいよ、第一志望校である同志社中学校です。本命の学校なので、とても緊張しました。結果がわかるのは月曜日。それまでの3日間は、全く気が休まりませんでした。
 この他に2校受験しましたが、あまり緊張はしませんでした。
 そして、結果はすべて合格でした。その時はとてもうれしくて、思わず涙が出てきました。この日のために勉強してきたのかと思い、その成果をかみしめることができた自分がうれしかったのです。
 この4年間ずっと支えてくれた人たちにはとても感謝しています。毎日お弁当をつくってくれた母、忙しい中で送り迎えをしてくれた父、わからない事を優しく教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。

和島 路朗
高槻中学校入学
奈良学園中学校合格
清風中学校合格
土佐塾中学校合格

僕は、4年生の初めから3年間HOPESに通いました。
 4年生の時は、授業に全くついていけませんでした。必死についていこうとしましたが、それでも小テストは0点ばかり。そして、ついにはお父さんから「今度0点を取ったら家から追い出す」と言われました。その時は何とか11点。セーフ?でした。
 けれども、その後も成績は良くなりませんでした。今思えば、ただ単に言われたことだけを何も考えずにやっていたのがいけなかったと思います。
 5年生になるとテキスト類が増え、少し大変でしたが、何とかこなしていけました。要領が少しずつつかめて、時間に余裕ができたのでしょう。5年生の1年間はすぐに終わってしまいました。
 6年生になると、テキストがどんと増えました。特に算数。チャレンジ問題集と、般若先生が作った青と緑の2冊の問題集がめちゃくちゃ大変でした。少し余裕があった5年生の頃が夢のようでした。毎晩、夜おそくまで勉強。体はしんどかったです。精神的にも、合格できるかどうかが不安で落ちつきませんでした。けれど、その不安は少しでした。
 あっと言う間に5ヶ月が過ぎ、夏休み。直前には応援大会があり、先輩方や先生方から、色々なアドバイスをいただきました。あれよあれよという間もなく、今度は冬休み。過去問をする時間を確保することが難しかったです。精一杯、不得意な教科の補強をしていました。
 僕は土佐塾中学校、清風中学校、高槻中学校、奈良学園中学校、清風南海中学校を受験しました。今まで努力してがんばってきたものすべて出そうという気持ちで臨みました。結果は、一番できなかったと思った高槻中学校が合格で、一番できたと思った清風南海中学校は不合格でした。
 いつもお弁当を作ってくれたお母さん。テレビをがまんしてくれたお父さん。ありがとうございました。そして何より先生方。中途半端だった僕を最後まで面倒見てくださり、本当にありがとうございました。


Copyright © 2001-2024 HOPES