帝塚山中学校入学
大阪女学院中学校合格
土佐塾中学校合格

私は4年生の春休みにHOPESに入塾しました。算数の体験授業では楽しく感じましたが、いざ入ってみると授業内容も難しくスピードも早かったので、なかなか追いつくことができませんでした。算数は小テストの点数が悪く、よく居残りになり、先生にも怒られました。でも、だからこそ、最後までがんばることができたのだと思います。4年生の間は4教科の中で算数を特にがんばっていました。
 4年生、5年生はあれよあれよという間に終わり、6年生になりました。5年生の時には、何度かもう塾をやめたいとあきらめかけたこともありましたが、6年生になるときに、「もう泣き言は言わない。ひたすらがんばる」と心に決めました。算数の実戦で、少しずつ点数が取れるようになり、問題を解くことが楽しくなってきました。その一方で、国語や社会の歴史、理科の計算が苦手でした。少しずつ覚えていきました。こつこつと勉強しているうちに、夏休みが終わり、二学期もあっという間に過ぎ、冬休みになりました。受験の日が近づくにつれて、心のどこかに緊張や不安が見え隠れしてきました。
 先ずは、前受けに、土佐塾中学校を受けました。初めは緊張していましたが、先生が応援に来て下さり、その上友達もいたので試験は安心して受けることができました。その数日後、土佐塾中学校の合格を知ってやっと少し落ち着きました。それから本番の入試まで、わずかしかありませんでしたが、平日は自習室に行き、帰宅後も少し勉強をしました。
 統一入試の初日。私は一番行きたかった帝塚山中学校の一次試験を受けました。その日に帝塚山中学校を受けたのはHOPESからは私だけだったので、かなり緊張しましたが、先生も応援に来てくれたので何とか落ち着いてがんばることができました。次の日は、同じく帝塚山中の二次試験を受けました。その日は前日の入試の結果が気になって、不安のためか前日以上に緊張しました。けれど友達も先生もいてくれたので少しずつ落ち着いていきました。会場へ入る直前に、先生が大きな声で「がんばれよ〜!」と叫んでくれました。とてもうれしかったです。他の塾みたいに旗を持って応援されるよりよほど元気が出ました。おかげでがんばることができたと思います。
 その日の夕方には前日の結果発表があったので、母と兵庫から来てくれた祖父とその時間まで待っていました。祖父には「どうしても一緒に見たいから」とお願いし、遠い所から来てもらいました。2時間ほど待ったでしょうか。いよいよ合格発表の瞬間です。なかなか落ちつくことができず、緊張と怖い気持ちの両方が入り乱れていました。祖父と合格者の受験番号を見たのですが、スーパーのクラスに受かっていると思わなかったので、特進、英数、スーパーの順に見ていきました。特進にも英数にも自分の受験番号が見つからず、かなり焦りました。しかし、最後にスーパーを見ると自分の受験番号がありました。とてもうれしくて、思わず泣いてしまいました。
 最後の日には、大阪女学院中学校を受けました。帝塚山中学校の合格が分かっていたので、全く緊張せずに試験に臨めました。帝塚山中学校の二次試験も大阪女学院中学校も無事合格することができました。
 自分の第一志望の中学校に合格できて、本当に良かったです。
 ここまで来られたのは、たくさんの人の支えがあったからです。塾の先生方には勉強を教えてもらい、家族には塾に行かせてもらい、応援してもらいました。今まで支えて下さり、本当にありがとうございました。

帝塚山中学校入学
土佐塾中学校合格

私は、5年生の5月に入塾しました。体験授業を受けたのは、自分の誕生日でした。しかし、授業のペースについていけず、誕生日にどうしてこんなつらい思いをしなければいけないんだとも思いましたが、父と般若先生が同級生であったこともあり、入塾することになりました。
 入塾した頃は、志望校もはっきりとは決まっておらず、ただひたすら勉強に取り組んでいました。ですが、次第に、目標を持たずに勉強ばかりしていても意味が無いことに気づきました。
 6年生になり、ようやく志望校が決まりました。四天王寺中学校と帝塚山中学校です。この二つの中学校に合格したいと思い、ひたすら勉強をしました。6年生になってからの毎日は、とてもハードでした。何度も投げ出しそうになりましたが、合格したいという思いで、ひたすらがんばりました。また、お弁当の時間に友達と楽しく話をすることは、次の授業もがんばろうと思うエネルギーになりました。
 ところが、6年生になってしばらくすると、HOPESを辞める人が出てきました。心細くなり、私も何度か辞めたいと思ったことがありました。  夏休みに入ると、毎日のように授業がありました。日課のプリント類も増え、朝から晩まで勉強しました。教室開放日には必ず行き、プリントとテキストをしました。夏休みの直前に行われた応援大会で、先輩から聞いた話を参考に、自分にあてはめて、悪い所を改善しようとがんばりました。夏休みは有意義な時間を過ごせたと思います。
 秋になり、志望校の過去問に取り組みました。しかし、宿題プリント、テキスト、毎日のプリントだけでも手いっぱいだったので、両立はとても難しく、大変でした。しかも、理科や社会には新しく最高水準というテキストが追加されたので毎日休む間も無く勉強しました。
 1月になり、前受けに土佐塾中学校を受験しました。先生が応援してくださったのでリラックスして受けることができました。合格できて、一安心しました。それから本番当日までは、必死に四天王寺中学校と帝塚山中学校の過去問をしました。やった年数が少なかったため、それまでの特集プリントを何度も何度も見直ししました。
 そして、いよいよ17日。四天王寺中学校を受験しました。先生方が応援してくれて、うれしかったです。がんばろうと強く思いました。けれど、最初の国語は手応えを感じましたが、他の科目はどれも難しかったです。翌日、帝塚山中学校を受験しました。全体的に手ごたえを感じました。その次の日には、四天王寺中学校と帝塚山中学校の合格発表があり、しかも帝塚山中学校の二次試験がありました。試験は3日目なのでリラックスして臨むことができました。そして、いよいよ発表です。帝塚山中学校の発表を見た時は、うれしさのあまり泣いてしまいました。四天王寺中学校は、残念ながら不合格で、最初は立ち直れなくて泣いていましたが、家族になぐさめられ、平静を取り戻すことができました。
 残念な思いもしましたが、私が帝塚山中学校に合格できたのは、たくさんの人に支えられたおかげです。おいしい弁当を作ってくれ、いつもそばで見守ってくれた母、忙しいのに塾の送り迎えをしてくれ、私のわからない問題を優しく教えてくれた父、弁当を届けてくれた姉、そして、最後まで私を見捨てず、わからない問題を厳しく、そして熱心に教えてくださった先生方、本当に今までありがとうございました。
 HOPESに入ってから、つらいことや苦しいこと、いろいろなことがありましたが、努力することの大切さもよくわかりました。この経験を活かし、これからも努力していこうと思います。

四天王寺中学校入学
大阪女学院中学校合格
帝塚山中学校合格
帝京冨士中学校合格

私は5年生の時にHOPESに転塾しました。大手塾でのびなかったことと、習い事を続けたかったからです。しかし、前の塾より宿題が多くて苦しかったです。
 当時の志望校は、大阪女学院中学校と武庫川中学校、そして帝塚山学院中学校でした。それらの学校には、4年生と5年生のとき、文化祭や説明会に行きました。
 6年生になって帝塚山中学校と四天王寺中学校を視野に入れて勉強しました。けれど、6年生の4月ごろまでは、全く追いつきませんでした。
 夏になり、自習室でテキストや宿題が終わると問題集をどんどんやりました。
 秋には、夏の成果が出たのか、成績が上がったこともありましたが、かと思えばまた下がる。そんなことの繰り返しでした。しかも、秋は学校行事や模擬テストなどで、とても忙しかったです。
 結局、塾内で行われた合格判定テストではA判定が一度も出ないまま、とうとう冬休みに突入しました。冬休み中に過去問をこなす予定にしていましたが、自習室を使える日が少なく、テキストの量や復習が多く、過去問にはほとんど手が着けられませんでした。
 そんな中、前受けの帝京富士中学校の試験の日が来ました。その日は朝からお腹が痛かったのですが、なんとか開始までに治まりました。人数が少なかったので、受けやすかったです。その数日後に初めての合格を味わいました。前受けの学校でしたが、とても嬉しかったです。
 前受けの日から17日まではひたすら過去問を解いていました。家にいると集中できないので、教室で自習をさせてもらいました。大阪女学院10年分、四天王寺10年分、奈良帝塚山5年分を解きました。
 そしていよいよ17日。チャレンジ校である四天王寺中学校を受験しました。四天王寺の門の前では、大手塾が旗を上げていたりビデオを撮ったりと大混乱で、応援に来て下さった先生を探すのに一苦労しました。それでも、塾の友達と一緒に受験できたので、全く緊張せず、落ちついて問題が解けました。
 18日は本命の大阪女学院中学校の試験でした。学校の友達がいたのでラッキーでしたが、前日の試験結果が気になって、落ちついて解けませんでした。
 帝塚山中学校の試験のときは、既に四天王寺中学校と大阪女学院中学校の合格を知っていたので、安心して受けられましたが、かえって気が抜けてしまい、全てを出し切ることができなかったように思います。その帝塚山中学校の合格発表では、希望のコースに番号がなく、不合格かと思いましたが、一つ下のコースに合格していました。一応、受験した学校を全て合格できたのでホットしましたが、希望のコースではなかったので不完全燃焼のような気がしました。
 途中入塾にも関わらず、そしてすぐ弱音を吐く私を、最後まで見捨てずに指導して下さった先生方、忙しい母に代わって送迎や、また温かい声かけをして下さった塾友のお母さん方、ありがとうございました。
 うるさくて、じゃまや腹立つ事ばかりをしてきた弟たちでしたが、今思えば、弟たちとの時間が気分転換になっていたようです。ありがとう。
 最後に先生方。私達のわがまま「トイレを洋式にかえる」を実現していただき、どうもありがとうございました。
 これからも、弟たちを宜しくお願いします。

四天王寺中学校入学
清風南海中学校合格
帝塚山中学校合格
土佐塾中学校合格

私は3年生の2月から友達の紹介でHOPESに通い始めました。はじめは、算数の授業だけを受けていました。算数特訓コースは、今まで聞いたことがないような内容ばかりで、授業についていくのが大変でした。間違えた問題も多くて、やり直すのに苦労しました。でも、復習プリントをきちんとやっていたので、成績が少しずつ上がりました。4年生の冬からは、国語と理科と社会の授業も受けることになりました。
 5年生になると、授業日数が増え、復習プリントと宿題プリントをこなすのが大変になりました。国語と社会は好きでしたが、理科は次第に内容が難しくなりました。特に、計算問題が苦手でした。でも、プリントをやり直したり、式の意味を一つ一つ深く考えたりするうちに、だんだん答えを出せるようになってきて、「科学問題」が得意になってきました。また、算数の成績を上げるために、授業中わからなかった所には印を付けて、家で考え直しました。それでも分からなかったら先生に質問しました。
 6年生になると土日も塾で大変でした。夏休みはほぼ毎日塾で、とてもしんどかったです。夏休みと冬休みの自習ができる日には、苦手な分野の補強や質問をしました。
 9月からは、志望校の過去問を解き始めました。合格最低点を下回った時は、計算間違いのような小さなミスが原因の時もあり、成績が安定せず、不安でした。過去問を解くときは、時間配分に気を付けることと、問題文に書かれている注意を読み落とさないこと、そして、小さなミスに気を付けることが大事だと思います。
 年明けに前受け校を受験しました。受験者の多さには驚きましたが、友達がいたので、あまり緊張しませんでした。合格をもらったときは、嬉しくて自信がつきました。
 とうとうやってきた受験初日は、第一志望校のテストでした。意外に落ち着いて問題を解くことができました。面接が終わると、すぐ別の学校の午後入試に向かいました。食事を取ることも出来ず、慌ただしかったです。家に帰ったのは、午後9時頃でした。2日目は、睡眠不足で辛かったです。
 私の受験は3日間でした。第一志望校に合格できた時は、ものすごく嬉しかったです。
 私が合格できたのは、もちろん自分の努力もありますが、塾の先生や周りの友達、応援してくれた家族のおかげだと思います。
 皆さんも、勉強頑張ってください。

甲陽学院中学校入学
西大和学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格
清風南海中学校合格

「この3日間のために、4年間もついやしたのか」
 全てが終わって、満足感とともに少しの後悔も覚えながら、今までの日々を振り返ってみました。
 僕の体験談が、後輩のみなさんの参考になればうれしいです。
 受験にとって一番大事なのは、体力です。僕は6年生の夏頃まで、水泳をしていたので、体力には自信がありました。そのおかげで、午後入試も乗り切れたのだと思います。
 次に大切なのは、気力です。
 3年生の初めからHOPESに入塾し、通常の授業を受けるだけではなく、4年生の後半からはONEONEコースで算数の特別授業も受けていました。そのコースでは、灘中学校と甲陽学院中学校の過去問を20年分以上解きました。?ちゃん先生のおかげで、算数はかなり鍛えられ、自信がつきました。算数が苦手な人も、臆せず受講されたら良いと思います。IMA(インターネット算数アカデミー)の経験もプラスになり、算数オリンピックでは決勝に進むことができました。
 けどその一方で、国語は、宿題をためこみ、サボってしまったので、苦手教科になってしまいました。コツコツすることの大切さを痛感しました。それでも漢字は、怠けることなく続けました。その甲斐あってか、漢検の3級まで合格しました。
 理科は、生物が苦手でしたが、計算問題は好きでした。6年生の後半では2時間の授業を45分程度で終了し、残った時間でひたすら特別なプリントを解きました。理科も過去問を20年分は解きました。
 社会は、年号が覚えられず苦しみました。同じ悩みを持っている人へ。コツは順序ごとに覚えること。ひたすらそれを続けるだけです。
 ところで、僕の学年は男子が少なく、最後まで残った男子は僕だけでした。そのため、何かにつけ女子からは口で攻撃され、痛めつけられました。正直、辛かったです。
 志望校は、もともと、奈良方面の学校には何故か気が乗らず、神戸方面の学校に行きたかったので、甲陽学院中学校にしました。甲陽学院の校歌を作詞した竹中郁さんが、母の名付け親だったこともあり、きっと縁があったのだと思います。
 試験当日は、先生が応援に来てくださり、カイロを渡してくれました。握手をしてもらい、安心して試験に臨むことができました。
 試験が終わり、合格と分かった時は、とてもうれしかったです。
 先生方のおかげで、第一志望校に合格できました。ありがとうございました。


Copyright © 2001-2024 HOPES