東大寺学園中学校入学
帝塚山中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕は3年生のころにHOPESに入塾しました。最初は、アルゴクラブと算数特訓コースしか受けていなかったのでまだ楽でした。しかし、総合コースを受け始めると、宿題も増え、大変になりました。小テストはほとんど0点ばかりで、授業も間違いが多かったです。
 4年生からは、社会が加わり、記憶力も必要とされ、余計に忙しくなりました。塾では復習テストの成績などがはり出されるようになり、本格的な勉強が始まりました。
 5年生になると、学習内容が少し難しくなったため授業プリントや宿題をいつすればよいのかなどスケジュールの調整に困りました。夏休みの講習会中は自習などを活用しました。それでも、しっかりと整理しなければならないので、慣れるまでは大変でした。暗記カードの作成はひまを見つけて行いました。
 6年生では、5年生までとは違い、解く時間をできるだけ短くし、スピードをあげながらしかも正確に解くことが要求されました。授業の雰囲気も少しピリピリとしてきました。
 夏休みは毎日塾があるように感じました。一体いつ宿題をすればよいのか、プリントを早く仕上げるにはどうすればよいのかが分かりませんでしたが、講習会の始まる前に一つ上の先輩方の話をきいたおかげで、勉強の進め方が分かりました。
 夏の講習が終わると、志望校の過去問をし始めました。日々のプリント類はできるだけ学校でやり、家では塾のプリントと過去問だけをするようにしました。過去問はやっていると達成感があり、苦痛には感じませんでした。
 受験前日には、知識の確認やちょっとした問題を解きました。何の緊張もせずによく寝ることができました。
 受験当日は、ほどよい緊張でテストを受けることができたと思います。
 先生方、スタッフの皆さん、僕はHOPESで学べて本当に良かったと思います。ありがとうございました。


大阪桐蔭中学校入学
土佐塾中学校合格

私は3年生の時、HOPESに入塾しました。入った頃は、それまで学校の勉強しかしていなかったので、とても大変でした。とにかく、小テストで悪い点数を取らないということを目標にしていましたが、長くは続かなかったことを覚えています。それでも、授業は楽しく、塾に行くのはとても楽しかったです。
 4年生になり、3年生の頃よりも難しくなり、宿題の量も増えました。毎週の宿題に少しずつ手が回らなくなって来ました。復習テストや小テストの点数が悪いと再テストがあります。私はしょっちゅう算数の再テストにひっかかっていました。少しずつ時間が足りなくなって来ました。
 5年生になると、理科の先生が何人も変わりました。計算問題を間違えないように、強く意識するようになりました。
 その頃、兄が受験だったため、家での空気がとてもピリピリとしていました。その中での勉強は、とてもつらかったです。授業もつらかったです。授業は9時半までとなり、いつも早く寝ている私には、それも苦痛でした。
 冬になり、兄は中学受験をしました。兄や兄の友達が第一志望に合格できなかったことを聞いて、自分が不合格になったらどうしようと考えるようになりました。
 6年生になり、ますます不安になりました。それでも少しずつでも宿題を提出するようにすると、苦手だった理科のてこなどの計算問題も理解できるようになり、実戦では1位を何度かとることができました。
 いよいよ受験。前受けした土佐塾中学校は無事に合格することができ、一安心しました。
 その調子で本番。大阪桐蔭中学校の一校だけを受験することにしました。
 入試は午後からでした。先生が応援に来て下さり、緊張がほぐれました。合格発表の日までは、なかなか眠れなかったけれど、合格をいただいた日には、やっとぐっすりと眠ることができました。
 受験で感じたことは、睡眠時間をきちんととることが大切だということです。寝不足だと集中力が欠けて、逆に勉強がはかどらなくなるように思いました。みなさんも是非心がけてください。
 最後になりましたが、私をこれまで支えてくださった先生方、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。


開明中学校入学
岡山中学校合格

ぼくは5年生になって中学受験の塾に通いはじめました。その頃は、親のすすめで大学付属の中学校に行こうと思っていました。そして京都の学校まで見学に行きましたが、帰りの電車で気分が悪くなり吐いてしまい、家から近い学校がいいと思いました。また、ぼくは人見知りをするので、いろいろな中学校の授業や文化祭を見学して、なじめるかを確認しました。そして6年の秋に、星光学院中学校と開明中学校を受験することに決めました。
 HOPESには6年の秋から通い始めました。それまで通っていたの塾とはちがい、緊張感がありました。居眠りをしてしまった時は、しかられました。一生懸命がんばりましたが、宿題をするのに精一杯で復習する時間はとれませんでした。スピードをつけることがぼくの課題でした。
 過去問は星光中学しかできなかったので、開明中学の過去問は冬休みにまとめてやりました。苦手な漢字や理科の暗記も直前にテキスト1冊分やりました。
 岡山中学校の入試のときは、ぼく一人しか受験しないのに、先生方が全員応援に来てくださいました。たくさんアドバイスを受けたのに、受験番号を書いた覚えがなくて、終わってから情けなくなりました。よい経験になりました。
 星光中学校の入試では、緊張しないで集中して解くことができました。結果は残念でしたが、自分なりにがんばってきたので、悔いはありませんでした。
 その日は午後にも別の学校の入試がありましたが、思っていたより疲れてクタクタだったので欠席して、次の日の開明中学校の試験にそなえました。開明の受験の後も、疲れたせいか電車によってしまいました。
 開明中学校で、ぼくの中学受験は終わりました。合格通知の封筒を開けたら「スーパー理数」と書いてあり、うれしくて飛び上がって叫んでしまいました。
 中学生になったら体力をつけないといけないと思います。将来の夢のために、絵の勉強もしたいです。
 最後になりましたが、お世話になった先生方、家族のみんな、ありがとうございました。


明星中学校入学
冨士中学校合格

ぼくはその日、いつもより早く目が覚めた。いつも通りに顔を洗い、朝食を食べ、歯を磨いてから着がえた。いつもと違っていたのは、頭の中をこの3年間が高速で通り過ぎていった事だ。

 兄がHOPESに通っていた事もあり、ぼくは2年生の3月からアルゴクラブに通い始めた。そのまま3年生の2月からHOPESの授業に通うようになった。通い出した頃は、アルゴクラブで一緒だった友達の一人しか知っている顔がいなかったので緊張した。次第に慣れてきたが、授業は宇宙語を聞いているようで全くわからなかった。それでもがんばって宿題を提出する努力をした。でも、提出することが最大の目的だったぼくは、理解して覚えるということをしていなかったから、成績はいつも悪かった。
 そのままの状況が続き、6年生になった。夏休み前に、
「これが最後のチャンスや。夏を制する者は受験を制するというからな」
と周りの人たちから口々に言われていたにもかかわらず、成績は全然上がらなかった。しびれを切らした母が、9月のある日に突然
「漢字強化月間にする」
と宣言し、漢字特訓進行表を作り出した。それはHOPESで配られた一日分が20個の漢字問題でできている「日々の漢字」の一年分を全て覚えるという計画だった。その日からぼくの漢字特訓が始まった。塾の授業がある日は4日分、ない日は6日分をするのだが、前日までに正解しなかった漢字も追加されるので、ほとんどの漢字を知らなかったぼくはいつも2時間以上かかった。その上、授業でやったプリントの復習や本の宿題もあったために、どんどん寝る時間が遅くなっていった。そのため、つい授業中に寝てしまい、途中で帰らされた事もあった。つらくて何度もやめたいと思った。だけど、合格した場面を思い浮かべると、とても勇気が出てきた。何度も何度もくじけそうになったが、そのたびに合格したときのことを考えてがんばってきた。11月の後半には漢字も、それと並行してやってきたことわざや四字熟語も大分覚えたので、過去問をやっても点数が取れるようになり、少し面白くなってきた。
 その後も引き続き「漢字特訓」は続いたが、時間はそれほどかからなくなっていたので、次は理科の知識問題対策を始めた。まず、覚える事を表にまとめて、次にその表を何も見ずに2〜3分で書けるまで何度も書いて覚えた。すると、面白いほど問題が解けるようになった。

「柾亮、急がないと遅刻するよ」と言う母の声で、現実にもどった。
「えー!もう、そんな時間?」と言ってぼくは急いで家を出た。
 明星中学校では、先生や母に見送られて教室に向かった。いよいよ試験が始まった。けど、ぼくは全然緊張していなかった。1時間目は国語、過去問をやっている時にはいつも時間切れで問題を解ききれなかったので、時間配分に注意したら、何とか時間内に解ききる事ができた。2時間目は算数。できる問題はすらすらできたが、わからない問題はいくら考えても解けなくて、とうとう試験時間が終わってしまった。合格点にとどかないかと不安になり、緊張してきた。3時間目の理科は、
「よし、力学はばっちりだ」
「これで水溶液と岩石は大丈夫。毎日やったかいがあった」
という調子で問題を解いていった。
 その日の晩、合格発表を見に行く母が、
「一緒に見に行く?」
と聞いてきたが、ぼくは落ちている発表を見たくなかったので見に行かない事にした。代わりに、
「合格したら電話して」
と頼んでおいた。しかし、なかなか電話はかかって来ず、
「はぁ〜、やっぱりだめかー」
と思いながら、二次試験の過去問をやっていた。なかなか集中できなかったが、何とか時間内に終わらせた。
 そこに、母が帰ってきた。父も電話がなかったので、だめだったと思っていたらしい。母がリビングに入ってきて、まずぼくの隣にいた父に封筒を渡した。父が中に入っていた紙を見て、
「はあ?どういう事?」
と首をかしげている。母がその紙を父の手から取ってぼくの目の前に置いた。ぼくもきょとんとしながらその紙に書いてある字を読んだ。
『合格通知』と書いてあった。
「なんで電話してくれへんかったんよぉー」
と不満気に言ったが、
「ちょっとびっくりさせたろと思って電話せんかったんや」
と言いながらニヤッと笑う母の様子も目に入らず、ぼくは長い間その場で跳びはねていた。
 こんなぼくを見捨てずに教えてくださった先生方、スタッフのみなさん、そして何よりぼくを支えてくれた家族のみんな、本当にありがとうございました。


神戸女学院中学部入学
甲南女子中学校合格
土佐塾中学校合格

私がHOPESに入ったのは4年生の授業がスタートした時でした。体験授業の算数はあまりのスピードの速さに訳が分からないままに終わってしましました。でも、授業は面白かったので、入塾することにしました。
 4年生の間は、ただ宿題をして、先生にチェックしてもらったらもういい、という軽い気持ちでした。クラスのふん囲気も明るく、学校が終わってHOPESに行くのが楽しみでした。特に私は、計算が苦手だったので計算をがんばりました。
 5年生になると、宿題が少しずつ多くなり、塾の授業時間が増え、授業の内容も難しくなりました。社会では歴史が始まり、年号がなかなか覚えられず、とても困りました。すると、先生が「年号カード」を作ることを勧めて下さいました。実際に年号カードを作ってみると、覚えるのがとても楽になりました。国語は、ひまな時にできるだけ本を読むことを心掛けていました。私はもとから読書が好きだったので、楽しみでもあり、息抜きにもなりました。ことわざや慣用句は塾の問題集で覚えるように努力しました。しかし、この時あまり真面目に勉強していなかったことが、6年生になってからとても後悔することになりました。苦手だったのは、算数と理科でした。成績が思うようにのびず、どうしようかと悩んでいたことを覚えています。理科は、てこやかっ車、輪じくが苦手でした。何度も塾でもらったプリントをくり返してやろうと思うのですが、眠たくなったり、他の教科に時間をとられたりするので、思うように進みませんでした。
 いよいよ、6年生になり、土日は一日の大半を塾で過ごすことになりました。授業も夜の10時まであり、家に帰ってから勉強しようと思っても、眠くなってしまい、宿題は次の日の午前中にやるしかありませんでした。その時、役に立ったのが、塾の質問日でした。質問日には、授業や宿題で分からなかった問題や、志望校の過去の入試問題で解けなかった問題などを質問することができます。私はできるだけ質問日を利用しました。
 夏休みはほとんど毎日塾で、とてもしんどかったです。しかし、神戸女学院に行きたいという想いは変わりません。気持ちを奮い立たせるために、勉強机の前や壁にポスターを貼ったり、校章が入っているシャーペンを使ったり、文化祭や学校見学に行ったりもしました。また、夏とお正月の応援大会では先輩たちの勉強法などを知ることができたので、とても役に立ったと思います。
 最初の土佐塾中学校の入試では、友達がたくさんいたので緊張せずに受けることができました。神戸女学院中学校の受験一日目、意外にも落ちついて受けることができたのは、朝、先生に応援の電話をいただいたからだと思います。甲南女子中学校の入試は国語、算数ともに簡単だったので自信がありました。  私の受験は、全て合格といううれしい結果になりました。今ふり返ってみると、あれだけ毎日勉強ばかりで週に何日も塾に行っていたのに嫌にならなかったのは、先生を信頼し、また友達と会うのが楽しみだったからだと思います。先生方、本当にありがとうございました。また、家族のみんなも応援してくれたので、とても感謝しています。


大阪星光学院中学校入学
西大和学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕は、2年生の6月からHOPESに通い始めました。初めはアルゴクラブだけで、先生方は優しく、アルゴも楽しかったです。
 4年生から通常の授業を受けました。先生は厳しくなったけれど、アルゴクラブの時に、隣の部屋から怒鳴り声が聞こえていたので、免疫があったのでしょう。割と平気でした。その頃は、復習と宿題をやるのが嫌いでした。ある日、答えを一題ずれたまま写して、それを般若先生に見つかってしまいました。僕は青ざめましたが、先生は「写すんだったら、ちゃんと写せ」と怒りませんでした。その日から、あまり丸写しはしなくなりました。
 5年生から社会で歴史が始まりました。山下先生の話はおもしろかったので、楽しみでした。授業は真面目に受けていても、相変わらず復習と宿題は面倒で、提出の日に電車の中や寺田町駅のベンチでやっていたりしました。当然ながら、復習テストの順位は真ん中くらいのままで上がりませんでした。でも、受験はまだ先のことだと思い、気にしていませんでした。
 6年生になり、さすがにこのままではいけないと思うようになりました。そこで、テレビを祖父宅で預かってもらうことにしました。テレビがなくなると、だらだら過ごすことがなくなり、復習と宿題がきちっとできるようになりました。新聞を読むようにもなり、遅刻や忘れ物が減りました。
 夏休みの前には、HOPESの先輩方の話を聞くことができ、「夏休みで変わる!!」と、自分に言い聞かせ、がんばりました。おかげで成績も上がり、復習テストで上位に入るようになりました。
 秋は運動会の練習もあり、毎日くたくたで眠たかったです。起きていても、効率が悪いので、短時間で集中して勉強するようにしました。移動時間にプリント整理をしたりして、睡眠時間を確保しました。
 1月になり、いよいよ入試が始まりました。函館ラ・サール中学校の試験は、とても緊張しました。でもそのおかげか、星光学院中学校の試験では全く緊張せず、集中して問題を解くことができました。
 2日目の西大和学園中学校では、理科が難しく、算数も見直しの時間がありませんでした。試験が終わると、星光学院中学校に合格したと聞き、とても嬉しかったです。
 3日目は、第一志望の東大寺学園中学校でした。僕は、行きの近鉄電車の中で気分が悪くなってしまいました。でも教室に入る前、般若先生が遠くから大きな声で、「がんばれー!」と言ってくれて、少し恥ずかしかったのですが、気持ちを切り替えることができました。自信はありましたが、終わってから、いくつかの大きなミスに気付きました。結果は−4.3点。残念な結果だったけど、縁があった学校でまたがんばろうと思いました。
 僕が合格できたのは、HOPESの先生方のおかげです。山下先生の授業で、苦手だった国語は記述問題も書けるようになり、歴史や政治の話で、知識が増えました。理科は、授業がない日でも、笹嶺先生が丁寧に教えてくれて、苦手分野にも向き合うようになりました。般若先生の算数のおかげで、僕は算数が好きになりました。
 他の先生方、スタッフのみなさん、阪神の試合をラジオでがまんしてくれた父、お弁当を作ってくれた母、みんなに感謝しています。本当にありがとうございました。


甲南女子中学校入学
育英西中学校合格
冨士中学校合格

私は、3年生になる少し前にHOPESに入りました。
 体験授業を受けた時の科目は、算数と理科でした。算数の授業では、小学校で習ったことのない内容がプリントに書かれていて、何も分かりませんでした。また、理科の授業ではノートの取り方が分からず、見直せないぐらいきたなかったです。入塾してからは、国語や社会の授業はとても楽しく受けることができましたが、算数は一向に問題が解けるようにならず、また、理科は暗記の問題が全然できずにいました。
 あっという間に6年生。始まってしばらくは5年生の時と同じように過ごしていました。でも一カ月ほどすると、とてもしんどくなってきました。家で机の前にすわっても、すぐねむたくなりなかなか宿題がはかどりませんでした。
 そうこうしてる内に、夏休みになりました。自習室には、必ず行きました。そこでは、おくれていたプリントをしたり、問題集をしたりしました。夏休みの後のテストでは国・理・算・社ともまあまあ成績がよくなりましたが、気をぬくと次のテストで悪い点数をとってしまう、ということを何度かくりかえしていました。
 二学期も終わり冬休み。冬休みは、志望校の過去問をたくさんやりました。過去問で分からなかった所は、必ず質問しました。
 冬休みが終わると、いよいよ入試が始まりました。先ず、冨士中学校を受けました。テスト前に、先生方がそれぞれ言葉をかけてくださったので、さほど緊張はしませんでした。結果は合格でした。
 その次は、第一志望校の甲南女子中学校でした。冨士中学校の時よりもドキドキしたけれど、自分の解ける問題は、すべて解きました。
 最後は、第二志望校の育英西中学校でした。さほど緊張することもなく、落ち着いて臨めました。
 運命の16日。育英西中学校からは結果が郵便でとどき、合格。とてもうれしかったです。その後に、甲南女子中学校の発表を学校まで見に行きました。それも合格していたので、とてもうれしかったです。
 最後になりましたが、先生方、スタッフのみなさん、お父さん、お母さん、ありがとうございました。


明星中学校入学
土佐塾中学校合格
冨士中学校合格

ぼくは、4年生の終わり頃からHOPESに通うようになりました。
 算数は、分数の四則計算もできなくて、宿題の「計算完成300日」の1ページに1時間以上かかっていました。母といっしょに解く練習をしました。ですから、「今月の目標」として最初にたてたのは、算数の復習テストで計算問題を全問正解することでした。国語・社会・理科は復習をきっちりとすること、宿題は必ずやりぬくことを目標にしました。
 あっという間に6年生になりました。授業時間も宿題も増えました。志望校も決めなくてはいけません。
 ぼくはずっと星光学院中学校を目指していたので、他校に興味がありませんでした。けれど、成績がふるわなかったので、母とオープンスクールやプレテストを受けたりしながら、いろいろな学校を見てまわりました。その中で明星中学校が、ふんいきや先生の感じがとても良かったので一番気に入りました。家族と話し合って第一志望を明星中学校に決めました。
 志望校を決めてから受験日までは、あっというまに時間がすぎていきました。明星中学校の過去問は十年分解きました。最後の合格判定テストではA判定をもらうことができました。
 いよいよ一月。すぐに入試が始まりました。冨士中学校・土佐塾中学校の2校とも合格をもらい、よいスタートを切ることができました。
 ついに、本命の明星中学校の入試です。前日はなぜか緊張してきて目がさえてしまいました。そんな時に般若先生から電話がかかってきて、「今から緊張してどうするんや」と言われ、少しずつ落ちつくことができました。
 試験が終わったら、その日の夜に早くも結果発表でした。けれど正直、手ごたえもなく自信もありませんでした。発表の少し前に体育館に着きました。時間になると紙が貼り出され、受験番号を見つけることができました。うれしかったです。
 先生方、本当にありがとうございました。


奈良学園中学校入学
開明中学校合格
土佐塾中学校合格

私は4年生の春にHOPESに入塾しました。その頃、国語はまだましだったものの、算数は分数や小数・つるかめ算や通過算ぐらいしか理解できたと言えるものはなく、理科・社会にいたってはお話にならない状況でした。今でも復習テストで「中国・四国地方」の分野のとき33点だったことを覚えています。とにかく成績は悪く、特に算数と理科では苦労しました。
 そのまま進級して5年生になり、少しぐらい成績が良くなるかと思っていましたが、毎月渡される成績表には自分でもあきれるほどの数字が並んでしました。それに加えて宿題の量は4年生のときの1.5倍となり、だんだんついていけなくなりました。そしてついにHOPESをやめようかと思い始め、5月頃からけっこう長い間登塾しませんでした。でも、般若先生から「無理して自分からしんどくなる必要はない」と言われ、少し気が楽になり、もう一度がんばろうかと思うようになりました。それでなんとか5年生の間はもちこたえる事ができました。10月頃からは、ちょっと本気でやらないとヤバいと思い始め、家族からも「ヤバいよ、あんた」と言われ、ようやく本気になりました。成績も少し上がってきました。
 そして、6年生。授業時間数が5年生のときの2倍近くになり、精神的にも肉体的にもとてもつらかったです。算数は、解こうとするものの正解は出せず、国語・理科・社会ではとんちんかんな事ばかり言って先生を困らせました。そんな日々が何ヶ月も続きました。本当に必死になったのは、最後の一ヶ月くらいで、とうとう入試の日が来てしまいました。
 まず、前受けで土佐塾中学校を受けました。特に緊張もせず、普通に受けることができました。結果は合格。目前に本命がせまっているのに大はしゃぎし、気がぬけたままの状態で、次は第二志望の奈良学園中学校。合格判定テストでC判定はなかったもののB判定が何度もあったので不安でした。さすがにこの日は緊張していました。すると、なんと自分の得意分野ばかりが出題されていて、無事合格することができました。その次に受けた開明中学校も合格することができました。ここまでの結果が良かったので、安心して本命の試験に臨むことができたと思います。いよいよ本命の洛南高附中です。当日はそれほど緊張もなく臨めましたが、国語は時間切れ、算数は意味が分からない、理科は見た事もない、と、まともに解けたのは社会だけという状態。結果は不合格。残念だったけれど、ミスをした覚えはなかったし、自分なりにベストをつくせたと思えたので、悔いはありませんでした。
 先生方、何も知らなかった私をここまで導いて下さり、本当にありがとうございました。先生方の支えがなければ今の私はなかったと思います。
 そして、いつも一緒にいてくれたお父さん、お母さん、本当にありがとう。

清風中学校入学
冨士中学校合格

僕は4年生の初めからHOPESに通い始めました。それまでも塾には通っていましたが、HOPESの授業内容は高度で、なかなか追いつけませんでした。
 そのころは、植物などに興味があり、理科が得意でしたが、算数・国語・社会は苦手でした。そこで、その三科目を一生懸命勉強していきました。ようやく4年生の終わりごろには苦手を克服できたのですが、そのせいか、逆に理科が不得意になってしまいました。勉強はある科目に偏ってはいけないと思い知らされました。
 5年生の初めごろは全体的にHOPESの勉強にはついていくことができていました。けれど、自分なりにはすごく勉強したつもりでしたが、成績の波がはげしくて、復習テストでは一定の成績を保つことができませんでした。
 とうとう、6年生になりました。入試が刻一刻と近づいてくると、とても落ち着かなくなりました。入試直前になると先生方の指導は厳しさを増しました。僕も必死に取り組み、特に語句や植物、歴史や地理などの知識分野に力を入れました。短い間でも、その効果はあったと思います。
 そして、ついに入試当日。今までの努力の成果を出すときが来ました。
 第一志望の中学校も第二志望の中学校も残念でしたが、なんとか清風中学校に合格することができました。正直、第二志望の入試で不合格だった時にはかなり落ち込みました。もうこれ以上受験したくないとも思いました。清風中学校を受験するときにも不安がありましたが、あきらめないで受験して良かったと思います。
 合格発表のときには、別の学校の試験を受けていました。試験が終了したら母が待っていて、OKのマークを出してくれました。久しぶりに母の笑顔を見ることができて嬉しかったです。

高槻中学校入学
愛光中学校合格

受験の緊張が一番高まったのは冬休みでした。僕にもその緊張が伝わってきました。全員が自習室に来て過去問をしていました。授業中も、冬休み前とは違い、ピリピリと張りつめた空気の中で先生の説明を聞いていました。宿題の量も多く、不得意教科の補強と一緒にこなしていきました。そして、入試直前に行われた激励会では、先輩方から入試でのアドバイスをいただきました。
 僕は、愛光学園中学校と高槻中学校を受験しました。
 アドバイスや先生の言葉を胸に秘め、今まで積んできた努力と経験のすべてを出すんだと、試験会場では精一杯頑張りました。
 愛光学園中学校の試験には、わざわざ般若先生が愛媛まで応援に来てくれました。国理算社の順で試験は行われましたが、理科のつりあいの問題や、算数の二枚目で苦戦しました。その2日後に合格を知りました。先生に伝えると、とても喜んでくれました。
 14日の受験は、高槻中学校でした。前日の晩に先生から電話があり、励ましてもらいました。当日は、会場に向かう途中に受験生が大勢いたので、圧倒され緊張が高まりました。けれども、試験はあまり苦戦しませんでした。手応えもあり、けっこう自信がありました。次の日に発表を見に行くと、合格していたことがわかり、うれしかったです。
 ここまでこられたのは、支えて下さった皆様のおかげです。ありがとうございました。


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