僕は3年の2月に入塾しました。国語と算数はそれほど難しくはなかったけれど、理科は覚えることがたくさんあって大変でした。
4年になると理科は少しずつ出される宿題のペースにのっていけました。しかし、社会が始まり、初めは宿題が全然進みませんでした。毎月の復習テストの前は勉強時間の大半を社会に当てていたのを覚えています。そのおかげか、5年の初めには社会が楽しく感じられるようになりました。算数はとても順調に進んでいて、復習テストで百点を4回とりました。
5年の授業が本格的に始まると、少しずつ授業が難しくなっていき、宿題の量も増えてきました。順調だった算数も難しくなってきて、成績がかなり落ちたこともありました。また、国語の読解の文章が長くなり、問題のレベルも上がったので、不安定な成績でした。社会は秋から歴史が始まり、4年のときと同じように覚えるのにかなり苦労しました。小テストでとても悪い点数をとったことがあります。そのような日々が続き、いよいよ受験生になりました。
6年になると、5年のときの倍以上の授業時間があり、とても大変でした。また、宿題が増え、こなすのがやっとでした。各科目の苦手分野も、この頃はっきりしてきました。実戦演習は、苦手分野をなくしていくのに最も良い時間です。この時間に集中して問題を解き、間違えた問題は家でしっかりとやり直しをすると、かなり力がつくと思います。
夏休み、授業も自習室もない日を除き、毎日通塾して勉強しました。自習室は集中できるので、短時間にたくさんの宿題がかたづきます。すると、余った時間を過去の復習や次の小テストの勉強などに利用できるので、夏休みは自習室になるべく多く行った方が良いと思います。
秋になると過去問をやらなければなりません。普段の宿題に加え、過去問をやるということはとても大変なことです。初めのうちは、かなり苦労したけれど、10月頃になるともう慣れていました。11月に入ると合格判定テストなどのテストがたくさんあります。このテストで自分の今の実力が分かります。ここで気をつけなければならないことは、たとえ自分の志望校の判定が悪かったり、各教科の得点が低かったりしても、落ちこまないことです。まだ入試までは2か月ほどあります。この期間中に得点できなかった科目・分野を充分に復習していけばよいのです。
12月の最後のテストを終えると、いよいよ冬休みです。入試前に時間がたくさんとれる最後のチャンスです。この期間中の授業は、もう新しいことはほとんどせず、復習ばかりになってきます。夏休みと同じように、自習室もあるので、うまく活用すれば良いでしょう。
冬休みが終わるといよいよ入試です。会場では誰でも緊張すると思いますが、試験の開始30分前ぐらいまでにはなるべく普段通りの状態になっていた方が、余裕を持って試験を受けることができます。
試験問題で、分からない問題があったとき、その問題ばかりに時間をかけずに次へ進めば良いのです。もしかしたら次の問題はとても簡単だったりするかもしれないからです。つまり試験では多く得点した者が勝るということです。自分が分からなかった問題は他の人も分からないはずだと思い、次へ進むのが1番いいのです。
また試験中にトイレに行きたくなったときは絶対に我慢せず、静かに手を挙げて試験官に告げ、すぐに行くことが大切です。我慢すると問題を考えにくくなり、時間ばかりどんどん消費してしまいます。このようなことを防ぐためにも、すぐにトイレに行くしかないのです。
以上の点に注意し、あせらず落ちついて試験に臨めば、必ず合格点はとれるはずです。これからの受験生は、これらのことをぜひ実行して下さい。
最後になりましたが、3年生の時から4年間お世話になった般若先生、5年生の時からお世話になった山下先生、そして6年生の間だけでしたが、色々な面でお世話になった先生方、有難うございました。これからもHOPESで習ったことを生かしてがんばっていきたいです。
僕がHOPESに行き始めたのは2年生の3月ぐらいからでした。なぜHOPESに入ったかというと、学校の友達に「この塾いいよ。一緒に行こ」と誘われて、楽しそうだなと思ったからです。
4年生まではけっこう簡単でしたが、5年生になると社会に歴史が入って来て宿題も難度が上がりました。6年生になるとさらに宿題が増え、難度もぐっと上がりました。ぼくは、算数だけはしていましたが(と言ってもほとんど形だけ)、算数にだらだらと無駄に時間をかけていたので、他の教科は時間がなくなり、やり残しばかりでした。
受験が近づくにつれて「このままで合格するだろうか」という不安が出てきました。そして最初に受験した冨士中学校には合格しましたが、ここからが最悪でした。だいたいなまけていたのがいけなかったのです。奈良学園中学のA・B・C、帝塚山学園中学二次と全て不合格でした。でも、近畿大学附属中学校の後期試験では医歯薬進学コースに合格することができました。
僕は、今かなり後悔しています。「もっと必死に勉強しておけば良かった」などと。ですから後輩のみなさん達はがんばってください。応援しています。
最後になりましたが、僕がここまでこられたのはHOPESに入ったからだと思います。これまで支えてきてくれた、お父さんやお母さん、そして先生方、どうもありがとうございました。
ぼくは4年生の秋に入塾しました。体験授業に参加した時は、般若先生が少し怒っていたので、恐いなあと思いました。入塾した当時は、MYDOノートの使い方があまりよくわかりませんでした。また、算数の授業は早くてついていけませんでした。けれども、2ヶ月ぐらいで慣れていきました。
冬期講習が終わったかと思うと、すぐ5年生の授業が始まりました。時間帯が今までと違ったので、最初は眠たくて辛かったです。そのころは、まだ、はっきりとした志望校もなく、ぼんやりとしていたような気がします。僕は国語が得意ではなかったので、親からていねいに読むこと、ていねいに漢字を書くことなど毎回うるさく言われていました。けれども、なかなか真剣に取り組もうとしませんでした。やり直しなどもついつい後回しにしてしまい、中途半端な勉強で終わっていました。そのため、最後まで四教科で満足のいく点数はとれませんでした。国語で点数がとれない分、他の教科(特に社会)でカバーすればいいと気楽に考えていたら、受験する学校によって教科の配点の割合が違うことを知り、あせりました。国語の中で、先取りできる漢字・熟語などは、早くからやっておいた方がいいと思いました。
6年生になると、土曜日も授業があるうえ、時間も長くなり、宿題も多くて大変でした。
夏期講習直前には、ほぼ毎日塾通いになるので不安になり、くじけそうになりました。けれども、講習が始まってしまうとリズムができて、難なく乗り越えられました。
秋の運動会が終わった後、僕は左手首を骨折してしまいました。先生からは「右手一本でがんばれ」とはげまされました。とても不自由だったけれど、あまり勉強に支障がなかったのでよかったです。
冬期講習はあっという間に終わって、いよいよ入試となりました。最初に函館ラ・サール中学を受けましたが、結果は不合格となり、ショックでした。
その3日後に、年末から体調を崩していたおじいちゃんが亡くなり、とても悲しかったです。
まわりの人からは「今までがんばってきたから本番に向けて集中しとき」と言ってもらえました。けれど、何となく不安でした。
いよいよ本番となりました。星光学院中学校の算数は、かなりむずかしかったですが、苦手な国語は結構できたように思います。結果は合格でした。次の帝塚山中学も合格しましたが、東大寺学園中学は不合格でした。やっぱり東大寺学園の理科はむずかしいなと思いました。最後に、函館ラ・サールの後期入試を受けて合格し、僕の受験は全て終わりました。
入試直前に思いがけない出来事もありましたが、無事に全ての学校を受験できてよかったです。
最後になりましたが、HOPESの先生方やスタッフの方には大変お世話になりました。ありがとうございました。
私は4年生の初めにHOPESに入りました。初めて授業を受けた時、全く分からず、あわてました。算数の文章題は分かるのですが、図形の問題はやったことがなかったので一問も解けませんでした。宿題もなかなか進みませんでした。授業のやり直しもあるので、大変でした。塾に行ったことがなかったので、どうすればいいのか分からなくて、いつも母に手伝ってもらっていました。授業プリントは、三回はやり直しをしていました。塾から帰ったらやり直しをして、まちがったところにラインマーカーで×印をつけて、その×印がなくなるまでやりました。いつも授業のやり直しに力をいれてやっていたので、宿題を忘れて般若先生に叱られることもよくありました。
5年生になると、宿題もふえて大変になりました。母が手伝ってくれることもなくなり、算数の宿題をなんとか仕上げるので精一杯で、とても理科や社会の宿題には手をつけられない状態でした。「N進法」や「場合の数」の授業は、ついて行くのがやっとでした。母に相談して、勉強のやり方を変えて、できるだけ他の教科の宿題もできるようにしました。国語は得意だったので、社会に力をいれて勉強しました。その分算数にかける時間は減りましたが、がんばりました。水、金の5時から7時の自習時間に、宿題をできるだけ終わらせるようにしていました。私は、国語が得意だったおかげで、だいぶ助かりました。よく本やまんがを読んだり、漢検の勉強をしたりしていたからだと思います。
6年生になってから、一番しんどかったのが夏休みです。特にお盆特訓の期間は、算数以外には全く手がつけられませんでした。でも、その後お盆特訓でできなかったプリントをなんとか仕上げ、提出しました。夏休みに一番がんばったのは理科です。何回も質問して、やり直しをしていました。9月の中ごろぐらいまで夏休みのプリントをやっていました。
10月までは、今までと同じような状況だったのですが、11月の五ツ木のテストの出来がとてもよくて、その後も他のみんなには負けるけれども少しずつ成績があがってきました。学校の学力テストも国語、算数が1位、理科4位、社会2位でした。その時は、(夏休みにがんばってよかった・・・)と思いました。それから、もう少し成績があがるかもしれないと思い、授業に力を入れてがんばりました。
1月になると、すぐに土佐塾中学校の入試がありました。理科と社会の問題形式が苦手だったので、少し不安でした。会場に入ったら、社会のプリントを見て最終確認をしました。自信がなかったけれど合格でした。次に、第一志望校の帝塚山中学校を受験しました。当日は、けっこう自信があったので緊張しませんでした。絶対いけると思っていたので、気楽に問題を解いていました。分からない問題も特になく、試験が終わった時は自分の答案にかなり自信がありました。家に帰って次の日のテストのために社会をおぼえ直したりしました。二次Aの試験の日もあまり緊張しませんでした。算数でややこしい時計算があり、わからなかったので適当に答えを書きましたが、あとは全部解けました。試験終了後、一次の合格発表があったので、見に行きました。合格でした。うれしかったです。合格者登校日に二次Aの合格発表があり、合格していました。夏休みにがんばっておいてよかったと思いました。
私が志望校に合格できたのは、先生と塾のみんなのおかげです。今までありがとうございました。中学校でも勉強をがんばりたいと思います。
僕はこの春、函館ラ・サール中学校に入学します。6年生の夏休み直前にこの学校のことを知り、秋には一番行きたい学校になっていました。まわりの人や友達はきまって「なぜそんなに遠い所に行くのか」と不思議がります。でも僕には不安な気持ちは一切ありません。学校見学で見た、校舎や体育館に図書館、寮の食堂や風呂や二段ベッドも、全てがとても興味深い物ばかりでした。たくさんの時間をかけて案内して下さった校長先生、昼食を共にした副校長先生、お二人ともとてもおだやかで優しい人でした。先輩になる人とも話をし「がんばって合格しろよ」と励ましてもらいました。
さて、僕は6年生の4月にHOPESに入塾しました。新学年の授業は2月から始まっていたので途中からでした。山下先生の社会と般若先生の算数の授業を体験しました。社会の授業はみんなリラックスしていて、笑いがいっぱいでした。次の算数ではみんな別人のように真面目な顔になって、誰も一言もしゃべりません。ここの塾はこんな感じなんだなと思い、僕も気合いを入れて参加しました。以前の塾に比べて人数が少なく、机間をぐるぐる回ってこられるので、気を抜くことができません。極度のきん張のまま2時間の授業が終了しました。
先生も母も、入塾について自分でよく考えるように言ってくれましたが、僕は次からここに来たいと言いました。一度の体験でしたが、前からここにいたようなそんな親しさを、HOPESに少し感じていたのです。
HOPESには優秀で面白い仲間がたくさんいて、僕もすぐに仲良くなることが出来ました。みんな、すごい学校を目指していたから、ぼくも何とか仲間と同じぐらいについてゆけたら、どうにかなるような気がしていました。けれど、実際の僕は実力も努力も全く足りず、いつも母を悲しませイライラさせてばかりだったように思います。
第一志望が決定してからも僕の本気度はあまり上昇せず、必要最低限のことをするだけでした。
夏休みは、早朝から縄とびをし、体操もし、体力づくりを心がけました。時々、般若先生からのモーニングコールがあり、「ちゃんと起きているか」とチェックされます。これは少し過保護だと思いました。
受験の天王山と呼ばれるだけあって、授業はほぼ毎日あり、授業のない日も自習に行きました。もっとしんどいかと思いましたが、学校がない分助かりました。こんなのだったら、もっともっと必死で覚えたり解いたりしたら良かったなあと、今になって思います。母は「いつになったら本気になるの?」といつも聞いてきましたが、僕にもエンジンのかけ方なんか分からなかったです。男子は秋からぐっとのびる人が多いらしいですが、僕がその一人になる事はありませんでした。自分なりに一所懸命にやっていたつもりでしたが、他の人は、もっともっと歯をくいしばり、眠い目をこすりながらしていたのでしょう。正直、僕にはそこまでのガッツは出せなかったように思います。
秋ごろの合否判定テストでは、第一、第二志望ともにA判定がつきました。あんなにダメなのにどうしてA判定なのか、自分でも不思議でしたし、決して安心してはいけないと母から注意を受けました。
冬休みに入り、中一の先輩が激励会に来て下さいました。
いよいよ本番が近いんだなと、のん気な僕もさすがにあせり始めました。「受験の日は誰も代わってくれない。自分でやらないとだめだ」ということが身にしみました。ようやく本気モードに入りました。
入試の前夜、みんなの応援のおかげで勇気が出て来ました。しかし、僕の心臓はばくばくと打って、眠るどころではない状態でした。早く早くと思えば思うほど、ドキドキしてしまいました。2時間おきぐらいに目が覚めて時計を見ました。その度に母が「大丈夫やから」と言ってくれました。母も心配で眠れなかったようです。苦しくて長い夜でした。
次の日、会場に行くと、般若先生、山下先生、そしてみんながすでに集まっていました。どうやら僕が最後だったようです。函館ラ・サール中学校はみんなにとっては前受け校の一つで、第一志望は僕一人でした。
試験問題が配られ、無心に解きました。試験が始まると、先ほどまでの不安はなくなりました。1時間目の国語は、得意なので見直しをする余裕もあり、算数もまあまあの出来でした。しかし、理科や社会はとくに難しくて、これではダメだと思いました。けど、あまり落ちこみませんでした。不合格でも仕方ないし、後期でもう一度がんばればいいさと思い、普通の気持ちで取り組みました。
結果、僕は合格することが出来ました。僕の入試のあとに他の人の入試があり、みんなどうだったんだろうと気になっていました。早くたこやきパーティでみんなに会って、これまでの事やこれからの事を話したいと思いました。
僕にとって受験はとてもしんどかったですが、ずっと支えてくれた家族がいたからこそ、この受験を乗り切れたのだと思います。
最後になりましたが、今までたくさんの事を教えて下さったHOPESの先生方、本当にありがとうございました。僕はHOPESで学ぶことができて幸運でした。これからも体に気をつけてがんばってください。
ぼくは、3年生のころにお母さんやお兄ちゃんに勧められ、HOPESに入りました。しかし、勉強はたいへんだったので、一年でやめてしまいました。
その後、新しい塾に行こうとして、その塾のテストを受けたときにHOPESのすごさが分かりました。なんと、そのとき受けた算数のテストの成績がとても良く、二番目のクラスに入ることができたのです。
しかし、テストの点が下がったうえ、少しさぼるくせがついてしまいました。これではいけないと思い、もう一度HOPESにもどりました。しかし、HOPESでもさぼりぐせが出てしまい、先生にはいつも叱られていました。そのような状況がずっと続いていました。今になって、たいへんな時間を無駄遣いしていたなあと思います。
そして気が付くと、もう六年生の夏休みでした。ぼくは、その夏休みの間に、ものすごく勉強しました。
そして最後の冬休み。そこでもがんばり、冬休みが終わっても必死に勉強しました。
そして、1月16日に第一志望の同志社香里中学校を受けました。
なぜか分からないけど緊張はしませんでした。そして、試験が終わったときに、多分合格するだろうと思いました。結果は予想通りで、何とか合格できました。
希望の中学校に入る事ができたのはHOPESの先生方のおかげです。ありがとうございました。
ぼくは国語が苦手でした。理由は、もとから苦手だったこともありますが、実戦演習などで記述問題をほとんど書いていなかったからです。そこで、9月になってから記述問題をできるだけ書くようにしました。点数は少しずつ上がっていきましたが、あまりいい点数ではありませんでした。国語の点数の悪さを得意な算数と社会でカバーしていました。
さて、1月9日、函館ラ・サール中学の試験を受けましたが、体も神経もとても疲れました。そのことを母に話して相談した結果、統一入試では3日目の東大寺学園中学校の試験にできるだけ体力を残しておこうということで、この時は2日目の試験を受けないことにしました。
いよいよ本番です。1日目は大阪星光学院中学校です。算数で、最初に解き始めた問題でいきなり分からなくなってしまいました。自分ではあがっていないつもりでしたが、あがっていたのかもしれません。結局、算数は最初の問題で時間をとってしまったため、あせり、落ちついて問題を解くことができなくなってしまいました。試験の帰りにHOPESに寄り、2日目に明星中学校の試験を受けることを報告しました。
明星中学校の試験では、国語は記述問題がうめられなかったけれども、国語以外は簡単でした。試験が終わってから、大阪星光学院中学校の合格発表に行きましたが、結果は不合格。これでとうとう1つの合格もないまま、東大寺学園中学校の試験に臨まなければならなくなりました。
東大寺学園中学校の試験では、自分でもびっくりするぐらい集中でき、算数ではHOPESでした問題と似たような問題が出て、悔いはないぐらい自分の力が出せました。
帰りに明星中学校の合格発表を見に行きました。結果は合格でした。この合格で行く学校が確保でき、4日目と5日目の試験も受けなくて良くなったので、うれしかったです。
いよいよ東大寺学園中学校の結果発表です。ぼくは、合格しか考えていませんでしたが、それでも本当はこわかったです。そして受験番号の1015番を見つけた時は、とてもとてもうれしかったです。
この受験でいろいろな体験ができました。登塾中に電車で寝過ごして加茂まで行ってしまい、先生方や家族に心配をかけたこともありました。足を骨折し、松葉杖で通ったこともありました。最後までぼくのことを支えて下さり、本当にありがとうございました。
僕がHOPESに入塾したのは、2年生の2月からでした。入塾した時は、まだ受験のことなんて何も考えてなく、般若先生に「カンチョー!!」したこともありました。
4年になって、社会の授業が始まり、やり直しや宿題も増えて、ちゃんとできるか不安でした。でも、なんとかできました。
5年になると、一気に宿題が増えてしんどくなりました。また学校から帰ってきてもだれもいなかったので、勉強も見てもらえませんでした。その上、おばあさんが病気で入院したから大変でした。
行きたい学校もなかなか決まらずに6年になりました。6年になって、クラス分けがあり、基本コースを受けました。最初はすごくがんばりました。でも宿題が多すぎて、できないものもありました。夏休みの応援大会で、先輩たちから話を聞き、この夏休みはがんばろうと思いました。その日は、夏休みにどんなことを目標にするかを言いました。それに向けてがんばったけれど、塾のない日が少なく目標も少ししか達成できませんでした。夏休み明けからは、塾の終了時間が10時になって眠くなることもありました。
9月に奈良学園中学の学園祭に行きました。学校が山の中にあり、虫もいっぱいいて、楽しそうだから、行きたいなと思いました。
いつものように塾に通っているうちに、あっという間に冬休みになり、入試直前の激励会がありました。その3日後に、県外入試で土佐塾中学をうけました。意外と簡単で、結果は合格でした。これで少し自信がつきました。冬休み明けからは、学校を寸暇を惜しんで勉強しました。
いよいよ入試本番。
まずは、第一志望の奈良学園中学校を受けました。最初少し緊張しました。算数と社会のテストの間の休けいの時間に、算数の問題を2つもミスしているのがわかりショックでした。でも、それをひきずらず、残りの科目にいどみました。
次の日は、帝塚山中学校を受けました。国語は、運良く土佐塾中学と同じ問題でした。テストが終わった後にHOPESに行きました。わからなかったところを質問に行きました。
その日は、奈良学園中学校の合格発表でした。僕は、絶対に受かっていないと思ってました。でも、般若先生に「合格やで!!」と言われた時はすごくうれしかったです。このHOPESに入塾してよかったなと思いました。
HOPESの先生方、みなさん本当にありがとうございました。
僕は2年生の冬にHOPESに入りました。16期生の兄が通っていて、とても楽しそうだったので、僕も通ってみたいなあと思ったのが入塾のきっかけでした。
入塾当時は成績が良くて、ついていけるだろうと安心していました。
3・4年生のうちは、成績は悪くても3位ぐらいまでに入っていました。
5年生の時に、いままでお世話になっていた先生が辞められました。しかし、新任の山下先生の授業はとてもおもしろく、社会の成績が一気にのびました。一方、国語の成績が徐々に下がっていきました。理由は読解力が不足していたことでした。そのころから国語の復習をきちんとやるようにし、なんとか成績優秀者の一覧表に名前が載るようになりました。
6年生になり、学校でも塾でも入試モードに入りました。復習をきちんとやり、忘れ物はほとんどしませんでした。
夏休みに、社会の特別プリントを山下先生に作ってもらい、一生懸命に取り組みました。夏休みは一生懸命にがんばりましたが、先生は物足りなさそうだったのが、少しショックでした。でも、計画的にやることができたので、自分の中では十分だったと思っています。秋からは夏以上にがんばりました。そうしているうちに、受験が始まりました。
函館ラ・サール中学校の入試では人数の多さにびっくりしましたが、圧倒されずになんとか合格できました。でも送ってきた個人成績が納得のいく点数でなかったため先生に答案を見てもらうと、ケアレスミスが目立ったため、今後このようなことがないよう心がけようと思いました。
灘中学校の入試では、18期生の安岡君と山下先生の息子さんが来て下さり、落ちつきくことができましたが、結果は不合格でした。
東大寺学園中学校の入試では、山下先生の社会の授業のおかげで、合格できました。結果を知ったときはガッツポーズをしてしまいました。灘中学校は不合格でしたが、自由な校風の東大寺学園中に合格でき、とてもうれしかったです。僕をすばらしい学校に導いてくださった先生方、スタッフの方々、そしてお父さん、お母さん、お兄ちゃんありがとうございました。
私は5年の夏からHOPESに入りました。HOPESは以前行ってた塾とちがい、難しくスピードも速かったので、すぐにはついていけませんでした。その上宿題も多かったです。5年生の間はついていくだけで精一杯でした。
6年になったころには、そのスピードにやっと慣れることができました。6年では、算数の小テストが宿題テストになりました。初めは全く点数がとれなくて居残りばかりでした。でも夏休みぐらいから居残りも少なくなり、時々満点もとれるようになって来ました。夏休みは苦手な算数を克服するために5年の授業も受けていました。宿題テストで満点をとれるようになったのは、基礎からやり直せたからだと思います。
秋になって、志望校の過去問もしないといけなくなって来ました。1週間に必ず1年分をする予定でしたが、他の宿題もしないといけなかったので、2教科ぐらいしかできませんでした。だんだん他の教科も難しくなって来ました。
特に理科は、物理がもとから苦手だったのに、難しくなるにつれてもっとわからなくなりました。毎週、先生に質問していました。それでも次やるとまたわからなくなっていることもありました。実戦演習で同じてこの問題が出てきた事があり、その時は先生に習った事を思い出して解くとできました。とてもうれしかったです。
社会は歴史の年号がなかなか覚えられなかったのできらいでした。でも、山下先生が歴史についてわかりやすくおもしろく説明してくれたので、だんだん好きになっていきました。私は山下先生のことが好きでした。先生にほめてもらいたかったし、自分も社会が好きだったから、宿題もがんばってしました。
1月に入ってからは、すぐに時間が過ぎていきました。まだ克服できていない国語の漢字や四字熟語、ことわざ、などをきちんとしようと思いました。
1月16日からテストが始まりました。16日の試験は第一志望の学校でした。その結果が発表されるのは19日でした。17日の試験は自分でもけっこう出来たと思いました。18日の試験も手応えがありました。その日は前日のテストの結果発表で、合格していました。よかったです。19日は第一志望の結果発表でしたが、不合格でした。その時は、自分の実力がなかったと思いました。21日に18日に受けた中学校の結果発表があり、合格していました。この6日間はとても長い時間でした。
第一志望が不合格だったのは、自分がぐずぐずだらだらして、真剣に勉強をしなかったからだと後悔しています。その悔しい思いは大学受験にぶつけたいと思います。中学でも勉強をがんばりたいと思います。
勉強のつらさや先生に叱られるのがいやで塾をやめたいと思ったこともありました。でも、やめずにちゃんと続けらたから中学校に入る事が出来たんだと思います。最後までHOPESで学べてよかったです。もし般若先生に出会っていなければ、帝塚山中学校には合格できていなかったと思います。山下先生に出会ってなければ、歴史が苦手なままだったと思います。長野先生や藤村先生や田中先生もです。
先生方、今まで本当にありがとうございました。
みなさん、初めまして。細田尚希です。
ぼくは4年生でHOPESに入りました。その前は大手の塾にいましたが、算数は得意でした。その自信を持って初めての小テストを受けました。その結果はぼろぼろで、かなりのショックをうけました。
それでもHOPESに通っているうちに、各教科それぞれの先生ならではの教え方に慣れていきました。
こうして勉強しているうちに6年生になりました。
先輩たちに受験の時の話などを聞き、先生にも受験アイテムをもらい、受験当日になりました。
1校目の入試は、初めての受験のため、それなりに緊張しました。しかし、仲間たちの楽しげな会話を聞いているとリラックスできました。
2校目の入試は、一人での受験でしたが、先生からの電話で勇気づけられました。自分の中では通過点でしかないと思っていた学校だったので、落ち着いて受けられました。
その次の入試は、大勢の人達の声で先生からの電話も聞こえないほどでした。あまりの人数の多さに自分の心を持ったまま、落ち着いて受けることができませんでした。
最後に受けた学校が第一志望だったのに、あまりの心配のため、前の日は眠れませんでした。そして当日もイライラしていました。
このように、ぼくは4校を受験し、前の2校は合格しましたが、後の2校は不合格でした。その結果、次のことが分かりました。
「リラックスして緊張せずに平常心を持って全力を出し切れば合格できる」
口で言うのは簡単ですが、実際にやるのは大変です。そのことは自分でも分かっています。でも、それができるかどうかで結果が決まるのです。
また、受験した学校では全て、試験中は筆箱を出してはいけなく、鉛筆と消しゴムだけしか出せなかったので、後輩のみなさん、受験の際は輪ゴムの用意を忘れないようにして下さい。
今までぼくに色々なことを教えて下さった先生方、そしてぼくのことを支えてくれた両親、どうもありがとうございました。
少々長くなりましたが、これで終わりたいと思います。これを読んだ後輩のみなさんの合格を心から願っております。
ぼくはHOPESに4年生の9月ごろ入塾しました。それまでは別の個人塾に行っていました。でもなかなか成績が上がらず、HOPESに入りました。
授業は全然わかりませんでした。なのに、ぼくは復習もまともにしなかったので、良くなるはずはありません。とくに算数と理科はとてもひどく、般若先生には何度も注意されました。
そんな日々が続いて、5年生になると、今までやっていたことの応用問題などが出てきてさらに難しくなっていきました。特に算数はとても難しく、宿題や復習をやっても時間がかかりすぎ、国語や理科などの宿題ができなくなり、全体的に成績も下がってきました。しかも、家では親とケンカばかりする毎日でした。
それでも、しばらくすると、宿題の多さや難しさになれてきたので、少しずつ宿題がこなせるようになってきました。この頃から受験を意識しはじめました。第一志望校も決まり、以前よりは真剣に取り組むようになりました。でも、理科では、てこや振り子などの力学が出てきたので、さっぱり分からず困りました。しかもその時期、学校の宿題がふえたり、行事がふえたりと、とても忙しくなったので、勉強する時間が限られてきました。
そんな不安がたくさんある中、ついに6年生になりました。以前から6年生は大変と聞いていたので、とても不安でした。ぼくの悪い予感は的中しました。4年生5年生の間しっかりやらなかった分、6年になってとても苦労したのです。たとえば、算数の応用問題が全く手が出なかったり、理科の力学が全くできなかったりとか、いろいろありました。
そこで、般若先生に5年生の算数の授業を受けさせてもらうことにしました。そのおかげで、基礎が少しずつ固まってきて、6年生の授業もちょっとずつわかるようになってきました。
しばらくすると、授業では問題演習を中心にするようになりましたが、ほとんど半分くらいしかできませんでした。社会はできていたけど算数は特にひどかったです。
いよいよ夏休みに入りました。応援大会に来られた先輩方や先生達に「夏休みが勝負だ」と言われたので、しっかりがんばろうと思いました。最初の方は何とかがんばっていましたが、最後の方は手も足も出ないような問題がたくさん出てきて、ついていけなくなることが何回もありました。復習不足や、得意な社会ばかりを勉強してしまったことなど、原因はたくさんありました。
とうとう、不安と心配ばかりしていた夏休みが終わりました。夏休みをしっかりできなかったぼくはテストでもなかなか得点できないままでした。
それでも、難しいながらもHOPESで一生懸命勉強したおかげで、通っていた小学校から同志社香里中学校への推薦をもらうことができました。推薦をもらえたのは家族や先生方のおかげです。本当に感謝しています。ありがとうございました。
統一入試3日目、受験を終え学校を出た瞬間、母の携帯の音が。僕は帝塚山中学校の合格発表を見に行っている姉からだろうと思い、一瞬、体がかたまった。
「やったー!!本当に合格してた?まちがいないね。よかったー」と母が答え、その言葉で僕は喜びがこみ上げてきた。「S理?・・・何それ?」と母が問い返していた。「スーパー理系選抜コースに合格したんやって」と僕に伝えてくれた。
こうして、僕の受験戦争は幕を閉じることになったが、ここまでには、耐えるに耐えられないほど辛い事があった。
僕がホープスに入塾したのは2年生の終わりごろの2月からだった。それまでにもホープスには兄と姉が通塾していたから、般若先生のことは知っているつもりで、やさしい先生だと思い込んでいた。けど、先生の印象は少しずつ変わってきた。面白い所以外にこわい所も見えてきたからだ。
3、4年の間は宿題もやって行くことができ、先生に面白い話をしてもらったり、休憩の時間にはおやつを食べたり、帰り際には先生と「さらばじゃ」と言い合ったりして楽しんでいた。
その後、二度の腸の手術や大腸炎などで、長期間塾を休む事もあったが、先生は何の支障も出ないように授業をDVDを撮ってくれるなどして、僕を励ましてくれた。大量のプリントもどんどん送ってくれた。今でもそのことは感謝している。
5年の秋に復帰した時には難関の算数も受けように勧められた。もう、前のように楽しむために塾に行くのではないと思った。
6年になってからさらに土日の課題が増えて、やってもやっても宿題を仕上げることが出来ず、自分が腹立たしく思えた。
夏休みに入り、更なる試練を迎える事になった。夏休み中は5年の算数の授業も受けるように般若先生に言われたのだ。最初は「絶対、無理」と思ったが、「やるしかない」と決心した。その為、朝9時から夜9時半まで塾に居るはめに。夏休み中は、塾から帰ったら出来るだけ早く寝て、朝は5時に起きて、宿題を仕上げて塾に行くという毎日だった。先生に言われた日は必ず行き、一日も休まなかった。このことが後々僕の大きな力になったと確信した。算数の点が上がり、少しずつ自信も出て来た。
冬休みまではほとんど算数ばかりやっていたように思う。それ以外の教科はほとんど仕上げられない状態で、そろそろ、山下先生に叱られるだろうと思う時もあったが、先生は僕の体調が悪い時にはとても優しくして下さった。
色々な事があったけれど、帝塚山中学校の理系選抜コースに合格できて、今までの努力が報われたと思った。
今まで何も出来なかった僕をここまで指導してくださった先生方、スタッフの方々、本当にありがとうございました。
ぼくは5年生の12月に入塾しました。算数オリンピックの出題者として有名な般若先生に算数を教えてもらえ、はじめのうちはワクワクして楽しかったです。けれど、授業はとても難しくてついていくだけで精一杯の状態でした。そんな中で気が付くと、早くも受験の結果を左右する夏休みになっていました。
自分が努力をしなければみんなと差がひらくのはわかっていましたが、ぼくはなかなか本気になれませんでした。そのせいか秋から第一志望の東大寺学園中学の入試問題を解き始めましたが、合格点には全然到達できませんでした。
「ダメかもしれない」と少し弱気になり、今度は星光学院中学の入試問題ばかりするようになっていました。それでも、やっぱり東大寺学園中学に入りたいと思っている自分に気付き、しんどくなったらパンフレットをながめて本気を出すようにして、やっと頑張りはじめました。受験の1,2か月前だったかもしれません。頭の中ではずっとわかっていましたが、なかなか行動に出ませんでした。山下先生が助けてくださったので、とにかく苦手な社会も捨てずに、この時期一番社会を勉強しました。もちろん、他の三教科も毎日少しでも必ずするようにして、成績が下がらないように注意しました。
最初の受験の函館ラ・サール中学校では、大会場だったため塾以外の学校の友達もいっぱいいたので、うわついた気分で試験を受け、また問題が比較的簡単だったため油断してしまい、不合格でした。受験者の66パーセント以上が合格している試験での不合格にはとても焦りました。「星光学院中学は絶対に失敗するわけにはいかない!!」と、強く思うようになりました。しかし、実際の入試では、国語が記述問題ばかりであったり、算数が難しかったりなど、予想通りにはいかず、本当に疲れてしまいました。自信はなかったですが、なんとか合格できてほっとしました。
そして三日目。本命の東大寺学園中学の入試。手応えはあったのですが、結果は5点足らずの不合格。努力するのがみんなより遅すぎたからだと悔やみました。
なかなか本気になれなかったぼくを最後まで見捨てずにサポートしてくれた般若先生、山下先生本当にありがとうございました。