帝塚山中学校入学
冨士中学校合格

私は、3年生からこのホープスに通っていました。

3年生や4年生のころは、受験をするということを自覚していませんでした。5年生になってはじめて自分が受験するんだということに気付きました。でも、志望校はまだ決めていませんでした。親や先生と相談し、帝塚山中学校をめざすことにしました。

6年生になり、駸々堂の模擬テストを受けました。あまり良い成績ではありませんでしたが、自分の学習にとって反省材料となりました。

この一年間、勉強が一番できたのは夏休みでした。宿題が多かったですが、授業のない日でも、自習室に行って勉強しました。夏休み前までは、塾がない日には遊びに行ったり、家でごろごろしたりしてすごしていて、あまり勉強していなかったのです。でも、このままだったら絶対に帝塚山中学校は合格できないと思って、必死になって勉強しました。

冬休みのおわりごろ、6年生の応援大会で中学校1年生の人達が集まり、自分の入試のことなどを語ってくれました。その話は本当にためになりました。

いよいよ入試直前の夜。計画を立てました。

夜は午後9時に寝て、朝は午前5時に起きることにしました。でもうまくいきませんでした。夜はきんちょうして眠れず、朝は眠たくて起きれませんでした。それでも、なんとか1回目の試験は無事終わりました。

結果は、一応合格でした。でも残念なことに、めざしていたクラスの一つ下のクラスでした。2回目の試験と3回目の試験は失敗しました。

中学に入ってからはもっと勉強し、クラスが上がれるようにがんばります。

私は、夏休みに勉強をしていくうちに、勉強が好きになりました。それは、先生方のおかげです。ありがとうございました。 

亀田 彩子
四天王寺中学校入学
帝塚山中学校合格
奈良学園中学校合格
土佐塾中学校合格

私がHOPESに通い始めたのは4年生のときでした。それまで塾など行ったことがなかったので、授業の内容をとても難しく感じ、ついていけませんでした。また、復習もちゃんとしていなかったので、算数の小テストでは毎回残って再テストを受けていました。復習テストでも悪い点数ばかりでした。それでもあまり気にしませんでした。そして1年が過ぎました。

5年生になり、先生から「5年で基本をしっかり分かっておかないと、6年で応用問題を解けなくなる」と言われ、私はがんばろうと思いました。しかし、小テストの点数が少し良くなっただけで、復習テストの点数は4年生の時とあまり変わりませんでした。私はこの頃から四天王寺中学校に行きたいと思いはじめました。だけど、この成績じゃ無理だということが分かっていたので、とてもがんばりました。すると、努力の成果があらわれてテストの点数がとても良くなり、復習テストで総合3位になりました。その時は家族がほめてくれたのでうれしかったし、自信もつきました。それからは再テストを受けることがほとんどなくなり、成績も上位にいました。でも、初めて受けた合格判定テストは復習テストよりも難しく、B判定だったのでショックを受けたことを覚えています。

6年生になり、授業日数も増え、授業時間も倍以上になり、とても大変になりました。授業内容も今までより難しくなるのでついていけるかどうか心配でした。それでも2週間ぐらいたつとだいぶ慣れてきました。授業も最初のころだったので思ってたよりは簡単で、成績も5年生のときと変わりませんでした。しかし、授業の内容が難しくなってくるにつれて成績が下がりました。また、復習テストはなくなり、合格判定テストに変わりました。合格判定テストでは第一志望の四天王寺中も、第二志望の奈良学園中もどちらもB判定でした。私は合格は無理なのではないかと思いはじめました。

そして夏休みに入りました。応援大会が開かれ、HOPESの卒業生の言葉で夏休みがとても大切だということが分かり、苦手だった算数と理科をがんばろうと思いました。夏休みに入ると、ほぼ毎日HOPESがある上、宿題をやらなければならなかったのでとてもしんどかったです。それでも自分なりにがんばりました。そのおかげで理科の成績は上がりました。けれど、算数はあまり変わりませんでした。

夏休みが終わり、宿題に志望校の過去問が加えられました。私は四天王寺中、奈良学園中、帝塚山中の3校の過去問をやりました。過去問はとても難しくて、算数は答えを見ても理解できず、授業が終わった後に質問しました。この時期が一年の中で一番しんどかったです。だからもう辞めてしまいたいとも思いました。それでもなんとかがんばりました。そのおかげで合格判定テストでA判定をとれるようになり、自信がつきました。

冬休みに入り、各教科とも復習になりました。私は精一杯がんばりました。

いよいよ入試が始まりました。一番最初に土佐塾中学校を受けました。初めてだったのでとても緊張し、なかなか解けませんでした。私は不合格なのではないかと思いました。何日かたち、家に封筒が届き、見ると合格していました。その時はとても安心しました。次に受けたのは第一志望の四天王寺中学校でした。試験会場の教室に入るとみんなかしこそうに見えて緊張しました。でもテストは出来たので少し安心はしました。次の日に帝塚山中学校を受けに行きました。この日は緊張せずに落ち着いて解けたし、算数がよくできたので自信がありました。そして最後に受けたのは奈良学園中学校でした。この日も緊張せずに解くことが出来ました。

テストを受けた帰り、帝塚山中学校の結果を見に行きました。たくさんの番号がある中に自分の番号を見つけたときはとてもうれしかったです。次の日、学校から帰ったらお母さんが「奈良学園中合格してたよ」と言いました。パソコンで確認したところ自分の番号があったのでうれしかったです。その数分後、四天王寺中学校からの封筒が届きました。いろいろな紙が入っていて、どこに結果が書いてあるのかわかりませんでした。さがしていると兄が合格の文字を見つけました。その時は今までで一番うれしかったです。そしてがんばって良かったと思いました。

今まで勉強を教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。これからも体に気をつけてがんばって下さい。

明星中学校入学
清風中学校合格
土佐塾中学校合格

ぼくは、5年の7月にHOPESに入りました。最初の授業では、この塾を紹介してくれた友達以外、知っている人がいなかったので、とても不安で緊張しました。でも授業がおもしろかったので、2回目からはあまり緊張しませんでした。

入塾してすぐに復習テストがありました。得意の算数もあまりよい点数ではなく、ほかの教科は全然できていませんでした。当然、順位も下のほうでした。その後すぐに夏期講習が始まりました。はじめのうちは、宿題がなかなかできなかったけど、少しずつ慣れていき、テキストにも手をつけることができるようになりました。5年生の間は、授業のやり直しも、テキストもほとんどできていたと思います。そうしていくうちに、テストの点数も上がっていき、成績優秀者の表に名前がのるようになりました。けれども、社会はあまりよくなりませんでした。きらいだったので、いつも後まわしにしていたことが原因だったと思います。

6年になると、授業時間が長くなり、友達と遊ぶ時間がなくなりました。塾の宿題におわれる毎日でした。夏休みは、塾がない日でも、自習室に行って、宿題をしていました。宿題以外の勉強もし、特に社会の歴史を頑張りました。夏期講習が終わってすぐにあった復習テストでは、社会の点数が上がって、第一志望の学校にもう少しのところまできました。しかし、ぼくの成績がよかったのはそこまででした。それからは、もっと時間がなくなり、宿題にも手が回らなくなってきました。成績もだんだんと下がっていきました。それでも、第一志望の学校はどうしてもあきらめることができませんでした。

結局、第一志望の学校には合格することはできませんでした。そのときは、とてもくやしかったです。けれども、受験することができたので嬉しかったです。2日目に明星中学校を、3日目には清風中学校を受験しました。どちらも合格できました。とてもうれしかったです。

最後に、いつも一生懸命授業をしてくださった先生方、合格するように応援してくれたお父さん、お母さん、本当にありがとうございました。 

大谷中学校入学
帝塚山中学校合格
冨士中学校合格

私がHOPESに入塾したのは2年生の2月でした。姉2人が通っていたので、塾に入ることへの抵抗はありませんでした。

3・4年生のころは、宿題が少ないせいか、授業についていくことができました。しかし、5年生になると、当たり前のことが私にとっては大変でした。宿題がふえたことや、分からない問題が出てきたことなどです。私は分からない問題をそのまま放置していました。それが私の一番のあやまちだったと思っています。

そんなあやまちを犯している間に、6年生になってしまいました。もちろん、できない問題は放置したままでした。さらに、2学期からは志望校の過去問もしなければならなくなり、とにかく5年生のとき以上に大変でした。時には、勉強をするのがイヤになったこともありました。でも、「今、がんばればきっといいことがある」と思い、そのころから、あせりを感じるとともに努力するようになりました。今になって、もっとはやく気付いておけばよかったと後悔しています。

そうしてとうとうむかえた1月。最初の冨士中学の試験はHOPESのメンバーがたくさんいたので、落ち着いてあせることなく、全教科がんばることができました。結果が郵送され、「合格」と書いてあったので、少し安心しました。

そして、第一志望の帝塚山学園中の試験。友達はいましたが、第一志望ということもあり、きんちょうしました。国語・算数はいいペースできていましたが、理科の試験時間をまちがえてしまったので、ほとんどうめることができませんでした。それでもあきらめずに社会をがんばりました。その時、心の中では、本当にくやしい思いでいっぱいでした。合格発表は父と見に行きましたが、番号がなかったので「やっぱりな」と思いました。本当にくやしかったです。

帝塚山中学の合格発表の日に受けた開明中の試験では、国語、理科、社会はできましたが、算数は少し自信がありませんでした。でもプラス思考に考えていました。しかし結果は6点たりず、不合格でした。2連続となると本当にショックでした。HOPESに行くと先生から、「帝塚山は1点たりなかったそうです」と聞かされ、おどろきと悲しみが私の心の中では混ざりあっていました。

その次の大谷中学の試験は2教科受験だったので、その教科に力をそそぎました。結果は合格でした。本当にうれしかったです。

また、リベンジとして受けた帝塚山中学の後期試験は、なんとか文理コースには合格することができました。特進コースではなかったのですが、合格できたことが本当にうれしかったです。

最後になりましたが、今までこんな私を支えてくださったお父さん、お母さん、HOPESの先生方、そしてスタッフのみなさま、ありがとうございました。

私はこれからHOPESで学んだこと、受験で学んだことを生かして、中学、高校へと進んでいきたいと思います。

清風南海中学校入学
桃山学院中学校合格
開明中学校合格
土佐塾中学校合格

「自由だーーーーーー」

僕は心の中でそうさけびながら、自転車を思いきりこいでいる。

(今日は、友達と沢山遊ぶぞーーー。もう何物にも縛られることはない。がまんしなければならない事もない。好きなだけ自由に遊ぶことができるんだ)

こんな開放感、今まで味わった事がない。

思えば4年生から3年間、いろいろな事があった。宿題をしていかなくて怒られた。それでも何度も同じ事をして、授業を受けさせてもらえなかったり、家に帰らされたりした。その度に反省し、先生に

「ようやった」

と言ってもらいたくて、−がんばろう−という決心をするのだが、家に帰り着いたころにはもうそれは鈍ってしまっている。だから、また怒られる…。その繰り返し。全ては努力が足りない自分が悪いのだが、毎週怒られるのが辛かった。がんばれない自分にも腹が立った。しかし、意志が弱く、何も変わらないまま6年の夏休みの初めまでこの状態をひきずってしまったのだ。

「このままではいけない!」

とやっと気がついたのは、6年の夏休み後半だった。周りの人は、どんどん成績が上がっていっているにもかかわらず、僕はずっと下がりっぱなしだった。特に、国語と社会の落ちこみが激しかった。僕は全く授業についていけなくなった。全教科の実力を引き上げる必要があったが、とりあえず国語と社会を集中的にやる事にした。そこで、国語の文章問題では、一文一文を深く読んでいこうと思い、大事だと思う所には線を引くようにした。社会では、毎月もらえる一日一題のプリントの過去の分を出してきて、今月分と並行して間違ったところを何度も何度も繰り返しやった。その結果、国語は点数にほとんど変わりがなかったが、社会は授業についていけるようになった。

あっという間に時間はたって12月。いよいよ受験まで一か月前となった。なのに成績は上がらないままだ。とうとうしびれをきらした般若先生に

「お前は、算数はもうせんでええ」

と言われたので心おきなく他の科目にとり組めた。この時小島先生に、知識問題は「中学入試完成」を見直して確実なものにするように、とアドバイスをもらった。ぼくは毎日コツコツと進めていった。漢字も毎月出される一日一題を繰り返しやった。歴史も、山下先生から作るように言われた年号カードを何度も見た。すると、過去問の点数が少しずつ上がって来た。少しずつ、少しずつでも知識を自分のものにして行けるようにがんばった。その甲斐あって、志望校に合格することができた。

受験勉強中は時々、真っ暗闇の中に放り出されたような気持ちになった。

「明けない夜はないから、今だけふんばれ」

とお母さんに言われ続けたが、その時には信じられなかった。しかし必ず出口はあるんだ。そして、その先にはこの開放感と達成感がある。今、中学をめざして勉強している人たちもこの喜びを味わえる日がきっと来る。だから、あきらめてはいけない。最後まで希望を捨てずにがんばって下さい。

最後に、こんな僕をここまで育ててくださった、先生方やスタッフの方々、そして何より、お父さん、お母さん、

「ありがとうございます」。

明星中学校入学
開明中学校合格
桃山学院中学校合格
冨士中学校合格

ぼくはHOPESで2年間お世話になりました。ぼく自身はこの2年間でかなり成長したと思います。

はじめはこんなとこやだなとか、第一志望だった明星中学をあきらめろなどと言われてやめてしまいたいとか、思ったこともありました。

そんな思いをしながらも、月日はたちました。受験当日、あんなにこわかった般若先生もこの日だけはとってもやさしく、緊張をほぐしてくれたので、落ち着いて解くことができました。それで、きっと合格できたと思っていましたが、そんなに甘くはなく、不合格でした。しかも一点差で。愕然としました。合格者の掲示板を何度も見ましたが、ぼくの受験番号はありませんでした。ぼくは家に帰ると号泣しました。先生は「人生はまだまだある」と言ってくれましたが、人生が終わったような感じでした。次の日に開明中学の入試があるのですが、立ち直れそうにありませんでした。それでもHOPESできたえられた精神力で立ち直ることができました。開明中学の時は二度目だったので、緊張もせず、はじめから落ち着いて受けることができました。しかも、算数はとても簡単で、一番最後の問題はやったことがあったので容易に解けました。合格もできました。さらに、次の日の桃山学院中学の試験でも、算数はとても簡単で、やったことがある問題もあったので、この学校も合格できました。

そして、全ての入試がおわって3週間ほどたったころ、明星中学からくり上げ合格の通知が来ました。今さらと思いながらも、うれしさでいっぱいでした。そして明星中学に入学することにしました。

ここまでこれたのも、先生方やスタッフのみな様のおかげです。本当に感謝しています。特に般若先生。今までぼくをしかってくれ、精神力をきたえてくださり、ありがとうございます。はじめに書いたように、怒られたから辞めようと思ったことや、解けなければならない所をミスでまちがえた時にあきらめろと言われ嫌な思いをしたこともありました。しかし、そこまで言ってくれたのは、ぼくを合格させようと必死だったからだと思います。そこまでぼくのことを思ってくれて、とてもうれしくいです。この塾に来て本当に良かったと思います。今までありがとうございました。

大阪教育大学附属天王寺中学校入学

私は、小2の2月にHOPESに入塾しました。一つ上の兄がHOPESに通っていたことと、その兄が「HOPESは楽しい」と言っていたということとが理由で、自分から

「HOPESに行きたい!」

と言いました。(本当に楽しいのかな、おもしろいかな)と、胸をふくらませながら初めて授業を受けました。

初めて授業を受けた教科は算数で、とてもおもしろかったのを覚えています。しかし、入塾後次第に宿題をきちんとやらなくなってきたので、授業の終わりに残らされることがたまにありました。さらに、一度習った問題が解けないこともあり、授業中に怒られることもしょっちゅうありました。このため、泣きながら家に帰り、母に

「HOPESやめたい」

と言いました。すると母は、

「あんたが宿題やらなかったり、しっかり復習しなかったりするから先生怒ったんじゃないかな。これからちゃんとしたらそれでいいやん」

と言いました。この時私は、(これからは今までの自分とは思えないぐらい、きちんとしよう)そう心にちかいました。

4・5年生の時は、般若先生が怖かったので算数の宿題だけはやりましたが、他の三教科はあいかわらずやったりやらなかったりでした。そのため成績は上がったり下がったりでした。

6年生になると、みんなが受験を意識し始めました。私は内部進学か外部進学か、6年生になっても悩んでいました。しかし、私は5年の9月から内部進学専門の塾にも通っていたので、後戻りはできないなと思い、内部進学にしようと決心しました。そして、般若先生に

「困ったことがあったらいつでも帰っておいで」

と言われながら、4月中旬からHOPESを休塾しました。

休塾中も、日々の計算や毎日する漢字問題など毎日シリーズの問題を頂いていたので、18期生のみんなに遅れをとらないよう、きっちりとこなしていました。また、HOPES通信を見ながら国語と算数の問題集もこなし、5月末の第一回内部テストに備えました。

1回目のテストは、HOPESのおかげで上位をとることができました。このままの調子で9月の第二回内部テストも頑張ろうと、自分にそう言い聞かせました。

夏休みにHOPESに帰ることになり、きんちょうしながら行くと、初めて見る先生がおられてびっくりしました。が、それ以上にびっくりしたことは、授業がとても難しかったことです。特に、理科と社会。社会はやりなおしした時には理解できたけど、計算問題のある理科は、やりなおしの時も全く手をつけられませんでした。だから私は、(HOPESのみんなに負けないように夏休みを最後まで走りぬけよう)と思い、夏休みの時間を精一杯有効に使いました。

おかげで、9月の第二回内部テストでは、満点もとることができ、一回目よりもさらに良い成績をあげることができました。

あとは、11月にある三回目のテストだけです。理科と社会が苦手だったので、たまっていた宿題プリントを中心に解いて、テストに備えました。

テストが終わり、その数日後学校の公衆電話から母のけい帯に電話すると、母に

「合格やで! おめでとう」

と言われました。その嬉しさは、今でも覚えています。

最後になりましたが、お世話になった先生方、つらい時もはげましてくれた家族、良きライバルになってくれた18期生のみんな、今までありがとうございました。HOPESで学んだことを胸に、中学生になっても頑張ります。

甲陽学院中学校入学
東大寺学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

ぼくは3年生の終わりに入塾しました。最初慣れるのに苦労しましたが、時間がたつにつれ、だんだんなじめるようになりました。

初めは宿題もスムーズにこなせ、テストでもそこそこの点をとっていたので、ぜんぜん心配していませんでした。ところが、5年生になってから宿題も増えてきて、雑にやるようになり、小テストで悪い点をとることが増えてきました。テストでもその場しのぎで勉強をやっていたことなどが影響して点が落ちていきました。その後、社会では歴史が始まり、理科ではてこの計算などが出てきましたが、あまり勉強もせず、何もしようとしなかったために、その状態がずっと続いていました。

6年生になり、学校でもやることが増え、塾に行く日が増え、宿題が増え、あわただしい日々が続きました。そんな中、宿題だけはちゃんとやろうと思い、こなしていました。

そして夏休み。午前中から塾があることもあり、空いている時間が少なく、授業の復習と宿題をやるので精いっぱいでした。そんな中で成績が少しずつ上がっていきました。けど、安心したのもつかの間、夏休みが終わり学校が始まると、その後のテストでは成績が下がったり上がったりをくり返していました。

学校の運動会の練習が始まってからは、家に帰ると寝てしまうことが多く、授業でも眠くなることが増え、勉強に集中できない日々が続きました。過去問をやるようになってからは、ますます寝不足になりました。そのため、過去問のわかりそうもない問題は飛ばして放っておくようになりました。しかし先生に解答はうめろと注意され、何とかうめてから質問するようにしました。山下先生には楽しく質問できるので、できるかぎり過去問をやることにしました。

冬休みは、ほぼ毎日のように授業があり、空いた日も自習室に毎日行っていました。山下先生には数人だけの授業をしてもらい、小島先生には特別にプリントを作ってもらい、般若先生には質問に長い時間つき合ってもらいました。

とうとう、入試が始まりました。最初は、函館ラ・サール中学でした。すごい人数できん張しましたが、塾の友だちがいたのでなんとかがんばれました。塾で自習をしている時に先生から合格と聞きました。その次は、第一志望の甲陽学院中学でした。先生達に電話ではげまされ試験場へと向かいました。三教科でしたが家に帰ってきたら、勉強をする気がおこらずくつろいでいました。二日目は般若先生が門のところで待っていてくれました。すごくはげまされました。三日目、東大寺学園中学の試験でした。家に帰って、甲陽学院中が合格と聞きました。すごくうれしかったです。次の試験を受ける必要がなくなったので気が楽になりました。

ここまでこれたのも先生方のおかげでした。先生方、スタッフの方々ありがとうございました。

東大寺学園中学校入学
大阪星光学院中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

ぼくは5年の9月頃、ホープスに入塾しました。そのころは算数が苦手で復習テストでは点数もあまり高くありませんでした。

6年になると授業の内容が5年の時よりものすごく難しくなり、算数以外にも理科がちんぷんかんぷんになってきました。国語と社会はもともと得意だったので十分授業についていくことが出来ました。日曜日の難関校特訓コースの授業では算数と理科の問題が非常に難しく、とても苦労しました。しかしそれでもホープスの授業を続けていくうちにだんだんと理解できるようになっていきました。

夏休みが始まると宿題も多くなり、毎朝7時ぐらいに起きなければいけませんでした。また般若先生から、先生がお書きになった「Vエース」という算数の問題集を頂きました。「Vエース」は難しかったけれど、ものすごくためになりました。山下先生には東大寺中の社会の特別授業をしていただき、これもためになりました。

9月からは過去問もやらなければならなくなり、時間が足りなくなってしまいました。そのため少しの時間もなまけることができなくなりました。

1月になったときには、夜型の生活から朝方の生活へ変えていました。勉強も過去問中心になっていました。ぼくは最初に函館ラ・サール中学を受けました。問題自体はそれほど難しくなかったけど、すごく疲れました。一回の入試でどれほど疲れるのかが分かりました。

星光学院中学の入試では、般若先生が、大丈夫と言ってくれました。国語、算数、社会はうまくできたと思いましたが、理科は難しかったです。試験が終わった後に、次の日に帝塚山中学を受けるかどうか決めるため、ホープスに答え合わせをしに行きました。先生方は、合格しているだろうから帝塚山中は受けなくてもいいと言って下さいましたが、ぼくは心配でした。

次の日は星光学院中学の合格発表で、無事合格していました。安心して東大寺学園中学を受けることができるというのが、何よりも嬉しかったです。

東大寺学園中の入試ではものすごく緊張していました。理科がとても難しくて、合格できないとあきらめていました。しかし合格発表では僕の受験番号がはりつけられていました。とても嬉しかったです。

ホープスの先生方、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。 

灘中学校入学
東大寺学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕は4年生の春にHOPESに入塾しました。小心者の僕はそのころから般若先生がこわくて、宿題や復習はがんばって必ずこなしました。そのおかげか勉強面であまりつまずくことなく新6年生を迎えました。そのころから漠然と『自由な校風の灘中に行きたい』と思うようになりました。個人面談で般若先生と話しているうちに『灘中に合格するんだ』という明確な目標にかわりました。

これからがんばっていこうという時に、それまでお世話になっていた先生が事情によりやめてしまったことでショックを受けた上、大手塾のプレテストで「灘不合格」という判定を受けたことですごく不安になりました。

けれど、新しく来られた山下先生の授業が分かりやすくおもしろく、国語と社会が得意になりました。五木駸々堂の模擬テストでは1位をとることができて、自信が戻ってきました。その後は、試験まで気持ちはまっしぐらでした。

とうとう本番の1月17日、灘中の試験がやってきました。小島先生と般若先生の息子さんが応援に来てくださいました。緊張しましたが、一教科目の理科が良い出来だった(と思い込んでいた)ので、何とかその後の算数と国語もパニックをおこすことなく、乗り切れました。

2日目の朝、また緊張してきたけど、般若先生が今まで見たことのない優しい笑顔で大きく手をひろげて迎えてくれました。体育館で待っている間に色々とアドバイスを受けて、かなり緊張がほぐれました。いよいよ試験場にむかう時間になりました。つきそいは校門までだったので般若先生と握手して別れ、少しはなれた所で受付をしていました。すると突然「がんばれ〜!」と般若先生の声がきこえてきました。びっくりして、少しはずかしかったけど、そばにいた何十人もの大手塾の応援より心強かったです。

翌19日、東大寺学園中の試験を受けて、その帰りに合格の知らせを母から聞きました。思わずガッツポーズしました。

最後に、受験した三校とも合格できたのは先生方、スタッフの方々、家族のみんなのおかげです。本当にありがとうございました。

大阪星光学院中学校入学
帝塚山中学校合格

「絶対星光に入学したい」。僕はそう思い、それまでずっと続けていた野球をやめて、HOPESに入りました。もう5年生の4月になっていたので、みんなより遅れていました。

最初は4年生の算数の授業も受けていました。この一年間は算数を勉強することに集中しました。家で他の科目をする時間はほとんどなかったので、授業中は集中して先生の話をよく聞くようにしていました。すると少しずつ成績が上がってきました。

6年生になり授業時間が増えたのでゲームはやめましたが、パソコンで音楽を聞いたりインターネットをしたりはしていました。テレビも見ていました。それでも、算数以外に理科や社会の宿題プリントもするようにしました。

夏休みは勉強時間400時間を目指して頑張ろうと思いました。8月上旬までは予定通りでしたが、8月10日におじいちゃんがなくなり、計画通り進まなくなりました。ここから計画をたて直しましたが、なかなかうまくいきませんでした。

夏に頑張らなかったせいか、秋に一気に成績が下がり、そこから容易にはもとにもどりませんでした。このころから苦手な国語もやり始めました。漢字や言葉の知識は冬休みから必死にやりましたが、時間が足りませんでした。もっと早くからやれば良かったと思いました。

冬休みも終わり、入試が始まりました。まず函館ラ・サール中学校を受けました。結果は不合格でした。落ちるはずはないと思っていたのでびっくりしました。それから星光学院中学校の試験までの一週間猛勉強しました。過去問のやり直しや、理科と社会の小テスト一年間のやり直しなどと、することは山ほどありました。おじいちゃんのお墓参りにも行きました。できることは全てやったので、星光学院中の入試当日は緊張はしませんでした。試験中は目の前の問題を必死に解きました。結果は合格でした。

この二年間「絶対星光に入学したい」そう思って勉強をしたから合格できたんだと思います。

HOPESの先生方この二年間ありがとうございました。

「本当に星光に入れて良かった!!」  

帝塚山中学校入学
冨士中学校合格

私は4年生の時にHOPESに入りました。そのころは受験のことなど頭になく、みんなが塾に行っているから私も行ってみようかと、のん気に考えていました。HOPESを選んだのも、仲の良い友達がいたからです。そんな私の甘い考えは軽く見破られ、先生にはすぐ怒られました。いつも、宿題をやってこなかったので、授業の後残って宿題をしていましたし、小テストでは悪い点ばかりとっていました。そのころ私は分数のかけ算やわり算のやり方がわからず、授業で指名された時も解けませんでした。なんとかして、計算方法を覚えようとしました。しかし、割り算で、どうして分母と分子を上下逆にしてかけるのか、意味がわからず、また次の授業でも解けませんでした。幸い、学校の授業でも出てきたので、分数のかけ算やわり算ができるようになりました。学校で授業をきいていなかったら、一生わかっていなかったと思います。

5年生になると、授業日数が増え、復習の仕方がデタラメになっていきました。わからなかったところは、理解できないままに、赤で答えを書くだけになってしまい、宿題を提出するたびに先生から指摘されました。私自身、これではまずいと思い、テレビを観たり、遊んだりする時間を減らし、考えてもわからないところは兄に聞くようにしました。

6年生になると、授業が本格的になってきました。クラスが基本コースと難関コースに分かれ、私は基本を選びました、基本には同じ中学を志望している子がいたので、心強かったです。ですが半年ぐらいして、私は難関コースになりました。基本より、授業内容が難しく、問題を解く時間もとっても短かったです。算数では、「日暦算」や「数列」が苦手で、なかなかついていけませんでした。受験前に、やっとなんとかなったという感じでした。理科は水溶液や植物以外は全て苦手でした。特に「てこ」や「滑車」が出ると、目がくらみました。社会は地理が苦手で、山脈の名前などは全然覚えていませんでした。国語は漢字が不正確で、とても苦しい状況でした。

そんなこんなで試験当日。まず先生達に電話をし、応援をしてもらいました。そして試験会場へ行き、トイレをすませました。トイレから帰ってきても、まだ時間があり、その時間は心臓の音が聞こえていました。監督の先生が入って来られてテスト開始!やれるだけのことをやって、家に帰ったときにやっと落ち着きました。

結果はみごと合格!!とてもうれしかったです。HOPESに入り、先生に勉強を教えてもらえて、とても良かったと思いました。


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