灘中学校入学
東大寺学園中学校合格
西大和学園中学校合格

僕がHOPESに入塾したのは、4年生の時でした。いとこに紹介してもらいました。入る前に、いとこから「般若先生はとても怖い」と何度も言われていたので、初めての授業の時はとても緊張しました。でも、授業をうけて、怖い先生ではないと思い、安心しました。

最初のうちは、復習テストの点数は悪くて、再テストを受けることが何度かありました。でも、だんだん努力の成果が現れてきました。

あっという間に1年が経ち、5年生になりました。4年生の時と比べて宿題が増え、月曜日にも授業があるようになりました。理科では、力学がだんだん得意になっていき、成績も徐々に上がってきました。それで自信がつきました。

いよいよ6年生になりました。宿題がかなり増え、授業時間も約3倍近くにまでなりました。でも、それなりに楽しかったです。

やがて、そろそろ志望校の過去問をしなくてはならない時期になりました。僕は、東大寺学園中学校と甲陽学院中学校の過去問をしました。どちらも、10年以上分しました。そして、12月からは灘中学校の過去問を6年分しました。けっこう自信がつきました。

1月、東大寺学園中学校の試験日になりました。般若先生と先輩の方が、応援にかけつけてくれました。おかげで少し緊張がほぐれました。試験のできは、まあまあでした。翌日の西大和学園中学校の入試は、とても手ごたえがありました。両方とも合格していました。とてもうれしかったです。

第一志望の灘中学校の試験の日になりました。緊張してお腹が痛くなり、何度もトイレにかけこみました。2日目は、試験中にトイレに行ってしまうほどでした。だから、まったく自信がありませんでした。でも、合格していました。本当にうれしかったです。

僕はHOPESに来て、努力することの大切さが分かりました。先生方、スタッフのみなさん、3年間ありがとうございました。

仙台育英秀光中学入学

僕はHOPESに4年から入塾した。塾は初めてだったので、最初は落ち着かず、授業においつくのがやっとで、楽しいとは思わなかった。しかし、三ヶ月ほどすると塾が楽しくなってきた。友達と話すのが楽しかったし、先生の授業も楽しいと思う余裕ができてきた。4年の後期はしゃべりすぎて、調子に乗ってしまい、よく怒られた。授業態度は、6年になったらましにはなったが、やはり口はすべり止めがいるほど動き続けた。

僕は、学校よりこの塾の方が好きだった。なぜならば、先生方は全力を尽くしてがんばっておられたし、個性が豊かで人間味があり、そのうえ、ユーモアのセンスを持っていらっしゃったからだ。また、友達も優しくて話が合う人ばかりだった。

6年の冬休みからは理科と社会は受けなかった。本当は、ためになるので受けたかったが、受験科目には算数と国語、そして作文しかなかったので自習に変えた。そのかわり、作文に力を入れた。先生に作文のチェックをしていただいたところ、細かい部分までいろいろと指導してくださった。

さて、試験前日に話は飛ぶ。僕の受けた秀光中学校は、宮城県の仙台にあるので、前々日から向こうに行っていた。試験の前日は、そんなに緊張していなかった。そして当日。やはり緊張していなかった。先生にいただいたホッカイロとお守り、そして僕が写した先生方の写真を持って雪の積もった道を歩いて学校へ行った。

試験の内容は、そう難しくなかった。試験が終わった後、「これでいいのだ。自分はベストをつくせたのだ。」と感じた。

そして次の日、結果はインターネットで見ることができる。自分の受験番号を入力すると合否が出てくるしくみだ。僕はそこに110と入れた。すると「合格」と出た。うれしくてうれしくてさけびそうだった。

般若先生に電話すると、心から喜んでくださった。先生方の喜ぶ声を聞くと、僕はもっとうれしくなった。

最後に、僕をここまでひっぱってきて下さった、熱血漢の般若先生、とても面白くてわかりやすい授業をしてくれたO先生、ミステリアスなN先生、身ぶり手ぶりを活用した授業をしていたK先生、とっても優しかったT先生、5年の時に何度か理科を教えてくれた、の〜んびりしているS先生、ならびにスタッフの方々、今までありがとうございました。般若先生、体に気をつけて、元気でいてください。そして、僕が大学生になって、もし大阪の学校に入ったら、スタッフとして働かせてください。

清風南海中学校入学
開明中学校合格

ぼくがHOPESに入ったのは3年生の6月でした。はじめはプリントの宿題や復習などをするのに苦労していましたが、だんだんと慣れてきました。

さて、6年生の夏。授業がない日も毎日、自習しに行きました。家でやるよりも勉強がはかどりました。

6年の秋には学校の行事があってとても大変でした。授業に間に合わず、体もとても疲れていました。

6年生の冬。もう入試が近づいてきました。

入試初日は帝塚山中学を受けました。僕は理科の試験前に「特進クラスの理科」を見ていたのですが、ほとんど同じ問題が出ていました。ですからテストの前に何か問題集を見ていた方がいいと思います。全教科、わりと自信があったのですが、不合格でした。

次の日、西大和学園中学を受けました。国語、理科、社会はよくできたと思いました。しかし、算数があまりできませんでした。結果は不合格でした。

清風南海中学の試験はとても緊張しました。算数の出来具合は少し不安でした。社会と理科はいつもと同じくらいでした。

次の日、開明中学を受けました。結果は合格でした。開明のテストが終わった後、清風南海中学に合格したと聞いたのでうれしかったです。

清風南海は特進コースで合格していたので、スーパー特進コースに上がれるようにと思い、二次の試験を受けましたが、こちらは不合格でした。

今までの先生方のご指導のおかげで、第一志望の中学に合格できたのだと思っています。ありがとうございました。

智辯学園和歌山中学校入学

私がHOPESに入塾したのは小学校3年生のころでした。そのころは、授業がとても楽しく、問題もよく理解できました。週に二回通うだけだったので、復習と宿題をきちんとやることができました。

4年生になると通う回数が一回増え、しかも四教科になりました。それでもきつくはなかったけれど、社会が少し苦手でした。

そして、あっという間に5年生になりました。水曜日と金曜日は9時30分まであったので、初めはあくびが出てねむたくなることもありましたが、だんだん慣れてきました。でも、二学期ごろから得意だったはずの国語の成績が落ちてきてしまいました。また少し苦手にしていた社会に歴史が加わり、とても苦手になってしまいました。歴史に関しては、「特進クラスの社会」がくわしくてわかりやすく、要点をおさえることができました。

6年生になると、HOPESでの授業時間がそれまでと比べてぐっと増えました。そのためすいみん時間が減って寝不足になり、授業中ボーっとしたり復習や宿題をなまけたりしたことがあり、成績は下がっていってしまいました。今になって、とても反省しています。

だけど、算数は質問日があって、般若先生がわかりやすい解説をして下さったのでとてもうれしかったです。理科では、電気が苦手だったけれど、先生方が熱心に教えて下さったので、理解することができました。また「これだけは」のプリントがとても役立ちました。社会は、地理と歴史の他に公民も入り、さらにしんどくなりました。でも先生が年表やプリントを作って下さったので、何とかがんばろうと思いました。夏休みが終わると、第一志望の智辯和歌山学園中学の過去問を主にやっていきました。わからない所はすぐに先生に聞くようにしました。

そして、冬休みが終わるとすぐ受験です。最初の1月24日に受験するのが第一志望だったのでとてもきん張し、前日もドキドキしていました。けれども、般若先生のはげましの電話でだいぶきん張がほぐれました。テストは算数、国語が二回、理科が一回でした。会場には時計がなく、うで時計を持参したのは正解でした。算数は少し自信がなかったけど、他は自分なりに自信がありました。

結果発表は27日。それまでの間、とてもドキドキしていました。

結果は…、合格でした。これは家族や先生方、スタッフの方、友達がささえていてくれたおかげです。とても感動しています。本当にありがとうございました。

奈良学園中学校入学

ホープスでの4年間をふり返ってみると、色々な事が思い出されます。長かったようで短かく感じた年月でした。

6年生になるまでは、それ程苦しいとも思わず、出された課題を淡々とこなす日々でした。成績を特に気にすることもなく過ぎていきました。ただ、そのときは全然気づいていなかったのですが、この大切な3年間を深く考えず、一問一問を完全に理解しないまま過ごしたことが、後々、大きな問題になったのです。

私はいつも先生に怒られないことばかりに気をとられ、その場しのぎの勉強をしていたようです。ですから、最後まで算数は大変不安定な状態でした。特に6年生になってからは、テストに追われ、苦手を復習する余裕もなく、空回りの状態が続き、とてもあせっていました。一日一日やる事がぼう大にあり、考える暇もなく時は流れていきました。苦手な算数に加え、得意と思っていた国語も低迷し、理科・社会も成績が伸びず、本当に「助けて〜」という状態になってしまいました。それでも、時は待ってくれません。不安を抱きながらも、頑張る気持ちだけは忘れず、入試まで自分なりに努力しました。

結果的には、第一志望に合格することができました。本当にヒヤヒヤの合格でしたが、ホープスでの4年間が報われたので、ほっとしました。

自分の受験勉強の中で反省し、みんなにアドバイスできることは、早く自分の行きたい学校を決めるということです。私は、6年の夏以降とてもぐずぐずして、なかなかどうしたいのか決められませんでした。だから、勉強もいまいち勢いがなかったように思います。そして、私がおかした一番大きな間違いは、分からない問題をそのままにしていたことです。先生に聞きに行くのが嫌で、最後までほったらかしにしていたことです。必ず質問に行って下さい。「こんな問題も分からんのか?」と嫌味を言われても気にせずに、質問に行きましょう。きっと先生方は、分かるまで教えてくれるはずです。最後まで自分と先生を信じて頑張れば必ず道は開けると思います。是非、自分に負けることなくやりぬいて下さい。

さて私は、これから新しい学校でスタートを切ります。これからどうしたいのかをゆっくり考えながら、学校生活を楽しむつもりです。

最後に、般若先生、諸先生、スタッフの方々、合格に至るまで支えて下さり、ありがとうございました。ホープスでの時間を私は決して忘れません。大切に心の中にしまっておきます。

星光学院中学校入学
奈良学園中学校合格

ぼくがHOPESに入ったのは、5年生の夏ごろでした。最初は、5年の授業だけでなく、4年の授業も受けていました。問題集はほとんどできませんでした。「計算300日」も最初からつまずいてしまいました。けれど、授業の復習は必ずやりました。でも算数の復習テストはいつも再テストでした。5年の後半になると再テストはなくなり、少しずつ問題集もできるようになりました。中学校もいろいろ見学しました。いきたい学校、いきたくない学校がはっきりしてきました。

6年になってコースが別れました。ぼくは理科と社会が好きだったので難関コースにしました。ただ、第一志望校がなかなか決まりません。算数は難しく、ついていくのがとてもつらかったです。夏前から、国語があまりできないので特別演習も受講しました。そのため、ますます宿題をする時間がなくなってしまいました。

1学期が終わると夏期講習が始まりました。初めは200時間授業と聞いて、とても驚きました。けれど毎回が楽しく、あっという間に終わってしまいました。自習もできたので毎日HOPESに行っていました。200時間はとても短い時間だと思いました。

10月に入り、第一志望をラ・サール中学校に決めました。そのころから算数のVエースを真剣にやり始めました。Vエースのおかげで、算数が分かるようになってきました。

あっという間に冬期講習になりました。その間に過去問をしました。2学期が終わったと思うとすぐに3学期が始まり、過去問に追われました。分からない問題があったときは11時くらいまで残って質問しました。

1月24日に奈良学園中学校の試験を受けました。とても落ち着いて臨むことができました。

1月25日は、鹿児島へ行きました。着いたらすぐに試験会場を見に行きました。ホテルにもどってすぐに、奈良学園中の試験のときに分からなかった問題を電話で般若先生に質問しました。26日は、タクシーで入試会場まで行きました。チャーターバスが何台か来ていました。1時限目は国語でした。パターン通りの記述がたくさんありました。2時限目は算数。これもパターン通りでした。立体の切断の問題はできませんでした。3時限目は社会。これまたパターン通りの総合問題でした。昼食をはさんで次の4時限目は理科。パターンがちがったので少しとまどってしまいました。全体的に少し自信がありました。28日になって結果が来ました。不合格だったのでとても悲しかったです。夜、HOPESに行って質問をしました。帰るときに先生から励まされたので自信がつきました。

1月29日は星光学院中学の入試でした。1限目の国語の記述は上手に書けた気がしました。2時限目の算数は、最後の問題でつまってしまったのが少し気になりました。3時限目は算数のことを忘れて社会に臨みました。時間配分が上手にいかなかったけれど、できました。昼食はおいしかったです。4時限目の理科はうまく解けました。30日の合格発表のときは、小学校へ行っていました。家に帰って合格の知らせを聞いたときに初めに思ったのは、先生方のことでした。

一年半と、とても短い時間でしたが、本当にありがとうございました。

大阪教育大学附属天王寺中学校入学

ぼくは3年生の初めにHOPESに入塾しました。それまでずっと塾に行きたいと思っていました。だから、授業を一生懸命聞いていました。宿題も早めに終わらせ、プリントの復習もきっちりしていました。塾のない日は公園で遊んだり、勉強(復習)をしたりしていました。4年生になっても3年生の時と同じようにすごしていました。ただ、宿題が少しめんどうになってきていました。

5年生になりました。授業は理解していましたが、宿題が増え、復習プリントに一度しか目を通さず、分かった気になっていました。授業で般若先生が「本当に復習しているのか!一度まちがった問題は二度とまちがうな」と、みんなに何度も注意していたのに、当時はそれほど大事なことではないと思い、聞き流していました。

いよいよ6年生です。これまで以上に宿題が増え、実戦演習まで入ってきました。受験校も決めなければなりません。5年生の時に何校か見学に行った中で、甲陽学院中学が強く印象に残っていたので、甲陽に決めようと思いました。でも、今まで通っていた学校も好き(内部進学のこと)だったので迷いました。内部進学のテストは3回あるので、とりあえず五月の一回目のテストに全力を出し、そのあと甲陽学院に切りかえることにしました。内部進学のために教科書のすみずみまで覚えることと、外部受験のためのHOPESでの勉強との両立は大変でした。でも甲陽学院に向けて、夏休みも毎日塾に通いました。しかし、今まで難関コースを受講していなかったつけがまわってきたのか、成績はあまり伸びませんでした。そこで、苦手だった社会の年号や国語のことわざや四字熟語をしっかり覚えました。あっという間に秋がきて、受験が近づいてきました。ぼくは、この時に初めてどちらかしか受けられないこと(附中の方針)を知りました。とてもショックでした。

甲陽学院中学に行きたいけれど、出題にくせがあり、マスターしなければいけないことがたくさんあります。迷った末に11月の内部テストを受験することに決めました。テスト三週間前のことです。どういう傾向の問題が出るのかを勉強し、理解しました。

いよいよ、11月9日受験当日。前日に確認し、筆箱の中をもう一度見て、忘れ物をチェックしました。寒かったので、温かいお茶とカイロを持っていきました。時間に余裕を持って出ました。校門の近くで、先生が「おちついていけよ」と肩をポンポンとたたきながら声をかけてくれました。ほっとしてマイペースでテストを受けることができました。テストの時間は十分余裕があり、大丈夫だと思いました。しかし、面接では少し失敗しました。答えにくい質問をされたので本当に参りました。

結果は数日後、封書で家にきました。合格していました。先生達に合格通知を見せに行ったとき、とても喜んでくださいました。ぼくもうれしかったです。

般若先生は少しこわかったけれど、授業を真剣に聞く力がつきました。他の先生は楽しい実験をたくさんしてくれました。

4年間という長い間、先生方、スタッフの方々、色々なことを教えていただきありがとうございました。

清風南海中学校入学
帝塚山中学校合格

僕がHOPESに入ったのは2年生の終わりの2月でした。今だから言えることですが、初めはHOPESを遊ぶところだと思っていました。兄がHOPESに通っていたとき、よく母とむかえに行くことがあり、そのたびに般若先生がおもちゃを出すなどして、かわいがってくれたからです。それで「HOPESに入る」と言って聞かなかったので、両親は入塾させてくれました。そのあと「遊ぶところではなくて勉強するところだよ」と教えられてショックでした。それでも、勉強は嫌いではなかったのでHOPESに通うことにしました。

楽しみにしていた初めての授業。しかし、みんなとのレベルの違いに悔しくて泣いてしまいました。それでも少しずつ少しずつ慣れていき、成績優秀者の表にも名前がのるようになりました。ここで一つ得たのは、悔しいと言うだけならだれでもできる、その悔しさをはらうために自分は何をすればいいかを考えて行動するのが大切だということでした。

5年生あたりまでは順調に勉強ができていたと思います。

6年生になると、急に先生は厳しくなり、勉強も難しくなってきました。問題集やプリントの答えを写すようになり、成績も落ちていくばかりでした。つらかったです。そこで手抜きを少しずつやめていき、志望校の過去問も取り組み始めました。あっという間に時間が過ぎ、とうとう最後の合格判定テストの日になりました。第一志望の清風南海中学校はB判定でした。とても不安になりました。そこで、今まで以上に勉強しました。また、日ごろはあまりしていなかったけど、授業のあとに残って質問をしました。

いよいよ、入学試験の日が来ました。前日に解いた平成14年の入試問題の出来具合がぼろぼろで、自信をなくしたまま、帝塚山中学校を受けました。しかし、問題はとても簡単に感じました。結果は合格でした。清風南海中学校の入試まで気をぬかないで勉強しました。当日の問題は難しく、前回ほどの手応えはなかったので、結果がとても不安でした。合格発表の日、学校に近づくにつれ、足どりがだんだん重くなっていくのが自分でも分かりました。掲示板に自分の番号を見つけたときには、あまりにうれしかったので泣いてしまいました。

最後に喜ぶことができたのはHOPESの先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

帝塚山中学校入学

私がHOPESに入ったのは3年生の時でした。最初は先生が恐くて恐くて、その上に勉強も難しく、この先4年もやっていく自信がまったくありませんでした。

宿題が終わらずに泣いてしまった事、がんばっているのになかなかテストでいい点を取れずにつらい思いをした事、いろいろな事がありました。それでも自分なりに精一杯がんばり、もう辞めてしまいたいと思わなくなったのは、5年生の時でした。

6年生になってからは、そんなことを考えるヒマはありませんでした。ただ宿題に追われ、苦手な所をやり直さないといけないのに、なかなか時間がとれずあせっていました。

そんなことを繰り返すうちに、夏休みが終わり、志望校の過去問題をはじめる時期になりました。合格判定テストではA判定がついているのに、過去問をしたときの点数は合格点に達せず、自分で何度もやり直しをしました。先生に苦手な所を教えていただき、だんだんとよい点数が取れるようになってきました。それでも、もしものことを考えると不安でたまりませんでした。

そうこうしているうちに入試当日となりました。駅につくと、般若先生が迎えて下さり色々な話をしながら学校に入りました。試験会場に入る直前、先生が大声で「がんばれー」と叫んだのでビックリしたけど、かえって気が楽になりました。

しかし、家に帰り試験問題を見直すと、つまらないミスがいくつか見つかり、心の中でダメかなと思いました。

合格発表の日は、本当にドキドキしながら掲示板を見ました。自分の番号があり、涙が出るほどうれしかったです。

今となっては、すべてがいい思い出です。

般若先生、諸先生方・スタッフのみなさま本当にありがとうございました。

東大寺学園中学校入学
函館ラ・サール中学校合格

ぼくは、2年生の終わりにHOPESに入りました。

5年生の九月頃に東大寺学園中学の文化祭に行って、この学校に入りたいと思い、志望校に決めました。

5年生くらいまで漢字をほとんどやっていなかったので、6年生の夏休み以降新しい問題集をやり始めました。社会は、先生にもらったまとめのプリントを集めて、それを何回も読みました。時事問題のテキストも読んで、問題を解いていきました。理科は暗記のものを中心に勉強しました。算数は、東大寺学園中学でも星光学院中学でも解き方を問われることがあるので過去問の解き方の部分を見直しました。過去問は夏休みからやり始めました。東大寺学園は10年間分、星光学院は6年間分を解きました。東大寺学園の方は、平成11年までの問題では合格最低点ぎりぎりの時もありましたが、平成12年以降のものはだいたい七割くらいとれていました。星光学院の問題は思ったより難しかったので不安でした。さらに冬休み前からは先生に言われて鹿児島ラ・サール中の算数と社会、函館ラ・サール中の社会の過去問を3年分やりました。

1月11日に函館ラ・サール中学の入学試験がありました。初めての入試だったのでかなり緊張しました。算数では一問まちがえましたが、気にせずにやっていきました。国語では直前に見た漢字が出ていたので、わりととできました。

次は、第一志望の東大寺学園中学の入試です。国語では漢字がとても難しかったうえ、分からないところが何ヵ所かあったので、不安でした。算数は最後の問題をまちがえたけれど、それ以外はよくできました。二日後の合格発表で、合格が分かった時にはとてもうれしかったです。

最後になりましたが、4年間お世話になったHOPESの先生方ありがとうございました。

大谷中学校(医進)入学

私がHOPESに入塾したのは、2年生の終わり頃でした。最初は、全く授業の意味がわからず、いつも赤ペンで黒板の字を写すだけで、般若先生に怒られては泣いていました。この頃は総合コースしかとっていませんでした。だから、余裕があるはずなのに、全く余裕がありませんでした。

4年生になると、「社会」も入ってきました。しかし、社会の宿題は全くせず、理科もやらずに、算数ばかりしていました。

5年生になると、始まる時刻も終わる時刻もおそくなり、けっこう大変でした。隔週で月曜日に授業があることもあって勉強時間が増してきました。後半から、「入試」というものを意識し始めました。色々な中学校を見学に行き、自分に合った中学校をさがしました。私は、社会が嫌いだったので三教科で受けられる中学校を選びました。

6年生になると、HOPES通信によく書いてあった「6年生質問日」が土曜日の12時から始まりました。火、木曜日の4時間授業や、土曜日の7時間授業、日曜日の8時間30分授業も入ってきました。一回目の7時間授業や8時間30分授業はつかれましたが、慣れてくるとあまり苦痛でなくなり、しんどいなぁと思わなくなりました。しかし、苦手科目の社会はやろうと思っても、やりたくなくなり、ほったらかしにしていました。私が宿題をやっていなくても授業は進んでいって、ついに追いつけなくなってしまいました。そこで夏休みからは社会の授業を受けるのをやめ、三科目だけを自習室でも集中的にしました。合格判定テストではいつも第一志望校の大谷中学校(医進コース)はB判定、第二志望校の帝塚山中学校(総合コース)がA判定でした。秋から過去問を始めました。けれども、二校とも合格基準点に達せず、いつもやり直しをし、三回目をしたこともありました。入試を目前にひかえた1月、去年の卒業生の方からアドバイスをいただき、ついに入試を迎えました。

一回目の入試は帝塚山中学校でした。受験番号4107。算数はけっこう自信がありました。そして、帰りの電車の中で塾の友達と答え合わせをしました。でも、しない方がよかったと思いました。計算ミスをしていたからです。翌日、父が結果を見に行ってくれました。結果は・・・「不合格」だったそうです。悲しみでいっぱいでした。連番の塾の友達の結果は、合格でした。でも私はすぐに立ち直り、1月26日から1月29日までの間、気を取り直して第一志望校の大谷中学校に向けての勉強をしました。そして、受験日。私の受験番号は3020番で2003年の数を並べ換えた番号でした。算数と国語は両方とも百点満点の自信がありました。ところで理科は・・・。というとあまり自信がありませんでした。そして、結果発表の日。開明中学校の試験を受けました。何か、心の中で大谷中学校(医進コース)を合格しているような気がしてあまり集中できませんでした。受験後、大谷中学校の結果発表を見にいきました。すると、そこには・・・。3020番という番号がありました。とてもうれしくて、とびはねていました。うれしくてうれしくてたまりませんでした。すぐにHOPESの先生方に結果を言いました。先生方は、「よかったね。」と言って下さいました。翌日、開明中学校の合格発表日、うれしさのあまり見に行くのを忘れてしまいました。(ハハハハハハ・・・)

最後になりましたが、第一志望校に合格できたのも、先生方、スタッフのみなさまのおかげです。4年間、本当にありがとうございました。

星光学院中学校入学
東大寺学園中学校合格
西大和学園中学校合格

僕は、3年生の時から算数がとても苦手でした。6年生になっても算数のテストで高順位になる事はあまりなかったと思います。

6年生の一回目の激励会では、夏休みしか苦手なところを直すチャンスはないぞと言われ、あせって算数の苦手なところを復習していきました。そのおかげで少しは苦手だったところがなくなりました。入試が近くなってくると、先生に「もっと意識を高めていけ」とよく言われましたが、僕は入試当日までずっとボーっとしていて、入試を全然意識していませんでした。二回目の激励会の時に先輩方が入試当日のことを話しても「フーン、そうかそうか」とただ聞いていただけだったので、気を引きしめるなどということは一切しませんでした。

しかし、東大寺学園中の入試の日になって、恐ろしく緊張してしまいました。問題を見てから、あせってきて体中が熱くなり汗が出てきました。翌日、西大和学園中では友達と席が近く、問題は簡単という思い込みがあり、しかも二校目の試験ということで悠々と問題に取り組んでいました。ところが、2時間目の算数でいきなり泥沼にはまりました。1番は簡単で良かったのですが、2番からいきなり難しくなり(僕にとっては)、それから最後の問題まで何一つわからなくなったのでした。僕は顔を真っ赤にし、半泣きになりながら問題に取り組みました。けれど、結局わかったのは数問だけで、後はさっぱりちんぷんかんぷんでした。

結果は自信のなかった西大和学園は合格で、東大寺学園は不合格でした。模擬テスト等では合格ラインへ入っていたので、家族全員の落ち込みはかなりひどいものでした、翌朝、小学校の先生から「合格点に3点足らないだけだから第一志望は自信を持って行きなさい」と励ましの電話をいただきました。これでがぜんやる気が出て、死にものぐるいで勉強しました。必死な気持ちで入試にいどみ、第一志望の星光学院中に無事合格しました。合格発表の日、自分の番号を見つけた時はすごくうれしかったです。努力したかいがあったと思いました。数日後には東大寺学園のくり上げ合格の連絡もいただきました。

最後に般若先生ならびにスタッフの方々、本当にありがとうございました。

洛星中学校入学
奈良学園中学校合格

ぼくは2年生の2月からホープスに通い始めました。5歳上の兄が卒業生だったので迷うことはありませんでした。ただ、3年生の1年間は寺田町だったので遠いなと思いました。けれど学校の友達もいたし、クラスのみんなは仲が良かったので授業は楽しかったです。

初めの頃は宿題も少なかったし、テストもできたので悩みはありませんでした。けれど4年生、5年生と進むにつれて、塾ではふざけてたり、宿題をしなかったりで、成績もかなり下がってしまいました。6年生になっても同じ調子で宿題はたまる一方でした。やる気がなかったわけではないけど、毎日眠たくて机の前に座ったら寝てしまうという繰り返しでした。当然、般若先生には怒られるし、あきれられていたと思います。さらに奈良教室は4年生の時には4人いたのに、いつの間にか夏休み前にはぼくだけになってしまいました。これもまたつらいものでした。何度かやめようかとも思ったけれど、ここまできてやめてしまうと、兄にも根性無しと言われるので何とか最後までやりとげようと思い直しました。

いよいよ入試も近づいた頃、不運がおそってきました。冬休み直前からすごい風邪をひいてしまい、39度の高熱が三日間続き、起きることも目を開けることもできませんでした。その後もしばらくせきはでるし、食欲はないしで最悪の状態が続きました。過去問を休み前までに仕上げておかなければならなかったのに、奈良学園中の2年分しかやっていませんでした。今から思うと、風邪をひいたおかげでさすがにあせりを感じ、冬休みは授業のない日も寺田町へ行って自習室で6時まで過去問、宿題をしました。一生懸命したと思います。風邪もようやく治って本番は万全と思っていたら、奈良学園中入試の二日前にまた風邪をひいてしまいました。でも幸運にも恵まれ、結果は合格。そして本命の洛星中も合格でした。洛星は無理だと思っていただけに、合格発表で自分の受験番号を見つけたときは飛び上がるほどうれしかったです。

これから受験するみなさんへ。くれぐれも体調には気を付けて、宿題はためないできちんとしましょう。体調といえば、受験が終わって二月の終わりに野球をしていたら左腕を骨折してしまいました。だから、病気だけでなくけがにも注意しましょう。

最後に、今まで教えてくれた先生方、本当にありがとうございました。

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