ぼくは、4年生のときにHOPESに入りました。初めは授業についていけず、やめることばかり考えていました。でも、がんばって通っているうちに、少しずつだけど授業の内容が分かってくるようになりました。それでも授業についていくのが精一杯でした。
5年生になると、宿題のやり方や受験のことが自分なりにわかってきました。それと同時に、得意科目と不得意科目がはっきりしてきました。ぼくの場合は、国語は得意でしたが、算数がなかなかのびませんでした。だから、6年生の夏休みや冬休みには算数を中心に勉強しました。6年生の夏休み明けの駸々堂の模擬テストでは偏差値が上がっていました。今から思うと、夏休みは本当に大変だったけど、のりきった後はとても力がつきました。
ぼくの最初の入学試験は、みんなでまとまって受験した、帝塚山中学でした。合同で出願し、みんな同じ教室だったのでとても心強く、まったく緊張せずに受けられました。だからぼくは合同出願をおすすめします。最初で緊張せずに受けられたので、その後の同志社香里中学、清風中学の受験のときも緊張しませんでした。
最後になりましたが、先生方、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
僕は、3年生の5月ごろHOPESに入りました。最初は何をしていいのか分からなくて、宿題だけしてやり直しは全くしませんでした。もちろん成績は低迷し、授業にもついていけませんでした。そんな調子で4年生を迎えました。授業はますます意味不明となり、宿題も手につかなくなってしまいました。
5年生になって、やっとやり直しをいくらかするようになりました。しかし、その内容は復習テストや小テストのやり直しをしない、やっても不定期にする、あるいは適当にするなど、はっきりいって自分でも「それがやり直しか?」と思うぐらいでした。また、ときどき4年生の授業を受けることもありましたが、分からない問題がたくさんあり、自分の今の状態のひどさをようやく理解しました。
6年生になり、自分の得意科目と苦手科目がはっきりしてきました。僕は国語だけはみんなについていけましたが、他の科目は全くダメでした。しかし、どうにかなるだろうと楽観して、苦手科目には手もつけませんでした。その妥協がどれほど自分へのダメージになるかは、夏休みに入る前のテストや実戦演習の得点で分かっていたのに、何もしませんでした。それを本当に克服しようと思ったのは夏休みに入ってからでした。毎日塾に行き、ただ宿題をたんたんとこなすだけではなく、分からなかった所は解答を見て問題の意味をもう一度考えたり、分かっていた問題でも別のやり方を考えたりしました。しかし、どうしても理科だけは好きになれず、ほっておきました。そんな風にしていると、あっという間に九月になってしまいました。
九月に入り、夏休みの学習の効果は合格判定テストですぐに出ました。やはり、理科はダメでした。そして、理科を克服しようと思いましたが、時すでに遅く、他の科目をするのが精一杯で、手につきませんでした。じゃあ、もうあきらめて、投げ出すのか、それとも入試直前まで、やるだけのことはやっておくのかということに三日も悩んでしまいました。結論はもちろん、「やるだけのことはやる」でした。しかし、「4年間これで精一杯しただろうか?」という不安を持ったまま、入試当日になりました。
一校目は、国語と算数だけだったし、般若先生が来て下さったので、緊張もほぐれ、落ち着いて問題が解けました。しかし、算数は単位を全部つけ忘れてしまい、終わったあとかなり不安でした。二校目は、塾のみんなや、学校のみんながいて、かなりリラックスできました。三校目は、本命だったので気合いを入れて臨みました。試験前、般若先生からは「全力をぶつけてこい。落ち着いて、字はきれいに」という言葉をいただき、少し緊張がほぐれました。しかし、やはり苦手な理科は全くダメで、他の教科もよくできたとはいえませんでした。特に算数は大問を二個全部落としてしまったので、「絶対合格は無理だな」と思い、絶望的でした。しかし、母から「受かってる」の言葉を聞き、そのときは、嬉しさと驚きの半々でした。今は、夏休みに入ってから真面目にやっていて良かったと思えるようになりました。
最後になりましたが、HOPESの先生方、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
私がHOPESに入ったのは、4年生の始めでした。4年や5年の時は、まだ「自分で勉強しなあかん!」という意識はぜんぜんなかったと思います。
この意識がはっきりあらわれてきたのは、6年になったころだった、と思います。それでも、弟がいるので家ではつい調子に乗っていっしょに遊んでしまいましたし、HOPESでもなんか調子に乗ったことばかりやっていました。だから、途中で「受験なんか私にできないんとちゃうかな?」と思ったこともありました。みんなは私のようにならないで下さい。
それでも、私が第一志望に合格することができたのは、いろいろな先生方のおかげだと思います。この3年間、ほんとうにありがとうございました。
ぼくがHOPESに入ったのは、4年の時でした。入塾して最初にびっくりしたのは、「数の性質」で爆発した般若先生の怖さでした。あの時は授業のペースに全くついていけない状態だったので、あてられたらどうしようと冷や汗が出たのを、今でも覚えています。4年の時は難関コースの授業を受けていなかったのでみんなよりはかなり楽だったと思います。それでも宿題に追われる毎日だったので、復習はほとんどできていませんでした。
5年になって、難関コースを受けるようになったのですが、同じような状態が続きました。しかもぼくには「これだ」という得意科目がなかったために、とても厳しい状態でした。
6年になると、今まで以上に力の入った授業をしていただきました。実戦演習や合格判定テストも始まり、みんなも必死でがんばっていました。ぼくもまちがえた所は必ずやり直すようにしました。その結果、合格判定テストではA判定をもらえるようになりました。
そんな中、小学校から一本の電話が来ました。それはなんと、「同志社香里中学校への推薦が決まった」という連絡でした。お母さんからその連絡を聞き、うれしくてうれしくて飛び上がりました。こんなに良い結果が出たのは、やっぱりHOPESで難しい問題に取り組んできたからだと思います。
先生方、本当にお世話になりました。ありがとうございます。
HOPESに入ったころ、月ごとのテストでもまあまあ成績はよかったし(言える程でもないけれど)、志望校もまだ決めていなかったので、まっいいか、ぐらいにしか考えていませんでした。志望校を意識しはじめたのは、6年生になる少し前ぐらいで、とても遅かったように思います。
6年生の二学期からどんどん成績が悪くなっていってしまいました。合格判定テストでもそれははっきりわかりました。なぜ悪くなったのかというと、一番の理由は志望校に対する意識が全然無かったからだと思います。授業中、居眠りを何度もしてしまったのもそのせいかもしれません。それに気付いたのは12月ぐらいでした。これではいけないと思い、意識を改め、夜は12時には寝るようにしました。過去問もどんどんこなしていきました。
1月24日がやって来ました。この日は東大寺学園中学の入試の日でした。全然緊張しませんでした。試験の始まる前と休けいの時には、本を読みました。試験が始まる前に本を読んだのは国語から始まるからで、休けいの時に読んだのは気持ちを落ち着けるためと、周りに気をとられないようにするためでした。苦手科目の社会が難しかったので少し不安でした。
次の日は西大和学園中学でした。HOPESの友達と一緒に受けたので、とても気が楽でした。
東大寺学園中学も西大和学園中学も合格できました。あとは灘中学に突進するのみでした。
1月29日。まだ勉強が足りていないと思いながら受けました。でも僕はその方が精神的に良かったと思います。この日は今までと違い、緊張しました。少し不安でした。でも、やれることはやろう、と思いました。理科はかなり手ごたえがあり、自信がありました。1月30日。算数はとても難しかったです。けれど、力を出しつくしたので、結果はどうでもいいってこともないけれど、合格してたらいいなぐらいに思いました。そして1月31日。自分の受験番号を見つけた時はとてもうれしかったです。言葉には表せないぐらいでした。
最後になりましたが、HOPESの先生方やスタッフの方々、4年間ありがとうございました。
「ヤッター」。父の電話に思わず、僕は声を張り上げていた。第一志望の星光学院中学校に合格できたのだ。その吉報をうけて、お世話になった先生方に会いたくて会いたくてしょうがなくなっていた。
試験とは緊張するものだ。するなといっても無理である。まして第一志望校ともなるとガチガチであった。けれどもその緊張をほぐしてくれたのは、試験前日の先生方のお電話だった。「くいを残さず」という言葉が、なぜか僕の心を落ち着かせてくれ、「やるぞ!」という気持ちがわいてきた。
本当に合格したのだろうか。僕の番号は「396番」。もし父が「369番」と見間違いしていたらどうしよう。自分の目で合格を確かめるまで、不安でたまらなかった。合格を自分の目で確認した後、HOPESに向かった。般若先生の「いい日になりましたね」という言葉が今も忘れられない。
振り返ってみると、HOPESに入ったのは3年の3月である。その時点では一ヶ月も前から4年生の授業は始まっていた。4年生のときは算数の授業のやり直しと宿題しかしていなかった。でも復習テストを受けていくうちに、算数以外の教科も必要なんだなと思い始め、少しずつやるようになったが、よくなまけていた。その時からしっかりとやっておけば、後々に苦労しなくてもよかったのにと今になって思う。
5年の終わりごろから、志望校という目標を持って勉強をするようになり、少しずつ成績が上がっていった。
6年生になり、塾の6年生の時間割に慣れてくると、先生方に質問するようになり、家に着くのが11時30分をまわる時もあった。十月からは、最大の弱点である漢字の練習に取りかかった。父に「漢字」「漢字」と耳にタコができるほど言われ、毎日のように漢字を書いていた。
入試直前の1月に入ると「入試」という言葉がのしかかってきて、なかなか点数が取れないという事態にまでおちいった。そして、ついに、1月24日が僕にとって初めての入試(帝塚山中)となった。先生方のお電話で勇気づけられて入試にいどんだが、初めての入試ということですごく緊張してしまった。そのせいかあまり自信がなかった。翌日の入試(西大和学園中)は、その緊張にも慣れてきて、手ごたえは十分あると確信していた。結果は、二校とも合格だった。残りは、第一志望の星光であった。入試の日までの間、二つ合格の切符を得たという安心感から気持ちがゆるみ、いつもならしない間違いや、度忘れなどをし、あせってしまったが、「こんなことではいけない」と自分に言い聞かせた。試験当日、憧れの学校に着くと同時に般若先生の顔が見えて「ホッ」とした。さらに、ヘルメットをかぶったまま誰よりも目立つ格好で現れたD先生に会えて、いい意味で緊張が取れたと思った。二人の先生に会え、本当にうれしかった。とにかく「くいを残さずやろう」と自分に言い聞かせて試験に臨んだ。
試験の結果は『合格』といううれしい二文字であった。ここまでこれたのも、きびしく、また楽しく教えてくださった先生方、スタッフの方、遅くなっても迎えに来てくれ、いつも支えてくれた家族、はげましあったかけがいのないHOPESの友達のおかげだと思う。本当にありがとうございました。
1000日間、僕はHOPESとともにあった。運動会のあった日も、修学旅行から帰った日も、僕はHOPESに通った。母に「信克はHOPESが命だね」と言われたが、本当にぼくにとってHOPESのあった1000日間はとても楽しく充実した日々であった。このHOPESで得た忍耐力と探究心をもって、これからの人生を歩んでいきたいと思う。
前略
星光学院中学校の発表から1週間余りがたちました。息子は、普通の小学生にもどりました。ゲーム、読書、将棋、囲碁、数学の勉強そして友人宅へと、時間をもてあますのではとの心配をよそに、元気にしております。塾の算数の宿題をやっていたのには、驚きました。この土曜日から姉が英語を教えるようです。
思い起こせば、先生にお会いし、息子をお願いしてから早いもので3年がたちました。その間、きめの細かい、行き届いた指導をしていただき、ありがとうございました。はじめは、八尾から通うことも心配しましたが、無事に事故もなく通塾することが出来ました。成績も徐々に上向きにしていただき、「合格」というすばらしいキップを手にすることが出来ました。ほんとうにありがとうございました。
4年のときは、「勉強する」「成績が上がる」「テストを受ける」ということが、本人には実感としてわかず、ましてや「受験する」ということなど何も考えずに、寺田町まで行っていたようです。私たちもいたって呑気に、家を出る子の背に、手を振っていました。成績に名前が載ることもなく、良く出来る子がいるんだなあと、塾からの通信をみていました。先生の通信欄はいつも読ませていただきました。中学校に合格するための塾通いではなく、いかに成長し、どのように生きていくかが大切であるかを、紙面から私達に投げかけて下さいました。5年の時、算数で一番上に名前が載ったときの喜びはいまでも忘れません。本人も嬉しかったらしく、今もその成績は残しています。国語の成績が悪く、特に漢字が覚えらず、一度書けてもすぐに忘れる。しまいには、自分で漢字を作るということもありました。答案は空白が多く、本人は1月生まれで兄や姉は5月生まれ、8ヶ月の遅れが原因かと心配し、懇談で相談したこともありました。漢字を間違うことは社会のテストにも影響を与えました。最後まで国語の成績はパッとしませんでしたが、昨年の11月から、本人をつかまえては漢字をやらせました。3ヶ月間「漢字」「漢字」…と何回いったでしょう。漢字の正解率が5割弱だったのが、入試前には8割から9割近くまで書けるようになりました。だから受験後、息子に会っての一声は、「どうやった」「出来たか」ではなく、「漢字書けたか」「どんな漢字出た」「昨日やった漢字出たか」でした。苦手な国語も、星光の受験では5年の時にやった文章問題が出題されたとか。ラッキーでした。
6年生の1年間は、HOPES、HOPESで終わりました。膨大なプリントの量、たくさんのテキスト、修学旅行から帰ってからもHOPESへと向かい、帰りは11時を回ることもありました。聞けば、質問をしていたということでした。話しをすることといえば、HOPESのことでした。先生の話をしてくれる子の笑顔は、今も忘れません。遅くに駅まで迎えにいっても、いつも元気で笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。一日も塾を休むこともなく、弁当を持って、疲れていることやプレッシャーをみじんもださず、また家族に感じさせず、明るく楽しく振る舞った息子をほめてやりたいと思います。「合格おめでとう」といっしょに。
合格のお礼に伺ったとき、先生から「今日は良い日になりましたね」と言っていただきました。「良い日」が迎えられましたのも、先生方のおかげです。また、家の方にも何回もお電話をいただきました。HOPESでの生活は息子にとり、すばらしい時間でした。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。
今後ともよろしくご指導賜りますようお願い申し上げます。
入塾した頃から今までを振り返ってみると、本当にHOPESでの思い出は貴重で忘れられません。辛かったときの思い出もあれば、うれしかったときの思い出もありました。でも私の受験勉強といえば宿題をためるばかりでした。
入塾したてのときは全科目きっちり宿題をやっていましたが、そのうち復習以外はさぼるようになりました。明日が塾だという日に手をつけたって間に合うはずがありません。なので私はプリントの答えを写し、問題集をやっていかないという状態でした。でも、答え写しはすべて先生にばれ、問題集は塾で居残りとしてやりました。その頃は入試のことをまるで考えていなかったし、成績も悪くはなかったので、こりずに同じことをくり返し、3年生、4年生の時期が過ぎていきました。
5年生になっても相変わらずで、しかも算数以外の科目の宿題を「おこられないから」といってさぼり続けました。問題集はほとんどやったことがありませんでした。算数も前の日にあわててやっていました。でも、私がついていけたのは復習のおかげだと思います。宿題をさぼっても、復習はきっちりやっていました。
そして6年生。理科の成績がガクンと下がってしまいました。「何とかしないと」と思ってはみるものの、実行できずに、理科がどんどん嫌いになってしまいました。そのまま夏休みに入ったので、理科と算数を集中して学習することにしました。早起きしてラジオ体操に行き、帰ってくると日々の計算、ことばの知識問題などを解き、そのあとは理科の苦手克服、そしてそれぞれの宿題をやる、というように結構充実していました。しかし、夏休みも後半となると続かなくなり、算数ばかりやっていました。理科は弱点のまま、大切な夏が過ぎ去りました。
あっという間に残り一ヶ月となったとき、ようやく私は「これじゃダメだ」と悟りました。遅すぎたかもしれませんが、残りの一ヶ月間を上手く使うことができました。まず、理科は基本にもどってやり直し、山のようにたまっているプリントやテストのやり直しを片づけていきました。すると「何でこんなん間違えていたんやろ」と思えるようになり、自信がつきました。私はここで初めて努力することの大切さを知りました。得意な国語でも、漢字が足をひっぱっていることに気づいたので、毎朝父と漢字特訓をしました。そしてやり残したことはたくさんあったけれど、とうとう入試の日がやってきました。
最初は奈良学園中学校の入試でした。一番心配していた理科は意外と簡単で、安心しました。国語も社会もスムーズにできました。しかし、算数は思うようにできませんでした。問題の意味がさっぱりわからず、パニック状態でした。だから合格しているかどうか、とても不安でしたが、何とか合格することができました。
四天王寺中学校の入試までは時事問題などの暗記ものをひたすらやりました。
四天王寺中の入試は二日間でした。一日目の算数は簡単でしたが、得意の国語はあまりできませんでした。でも心配だった理科が何とかできたのでよかったと思いました。二日目は国語がかなり好調で、見直す時間もたっぷりありました。算数はミスをしてしまいましたが、とれるところはとれたと思います。結果は合格。とてもうれしかったです。
私はHOPESが大好きでした。特に残りの一ヶ月は家に帰りたくないくらいでした。後輩のみなさん、HOPESのいいところは最後にわかるので、どんなに辛くてもHOPESをやめないでください。
先生方、今まで本当にお世話になり、ありがとうございました。迷惑ばかりかけていた私ですが、HOPESで学ぶことができてよかったです。
ぼくは、2年生の終わりにHOPESに入りました。
最初は「ちゃんとやっていけるのかな」と思い、少し不安な気持ちもありました。でも、やっていくうちに勉強のリズムに体がなれ、6年生までやってくることができました。
そして、最初の入試である開智中学を受ける当日、受験票と筆箱と参考書を忘れずにカバンに入れ、家族でJRに乗って試験会場に向かいました。
電車に乗っているときに、般若先生から応援の電話をいただきました。その時、ぼくは「まさか僕一人のために和歌山までこれないよなぁ」と思っていました。でも考えていたことはハズレました。先生が学校の正門前の花だんの所に上って、仁王立ちをして待っていてくれました。ぼくはものすごくうれしく思いました。ぼく一人のために大阪から和歌山まで、電車に乗って、応援をしにきてくれたのですから。
その後、ハーブキャンディーをもらって落ち着き、教室に行こうとしたとき、母が
「受験票と筆箱は入ってる?」
と聞いたので、中を確認すると、受験票が入っていませんでした。時間も全然なかったので、しかたなく教室に行きました。すると、ぼくより先に自分の受験票が座っていました。会場の先生が拾って届けてくださったのです。テストは、時計を忘れながらも、時間内に解くことができました。
開智中学を受けた後、残念ながら西大和学園中学は合格しなかったけれど、あとの明星中学、開明中学は合格することができました。
後輩のみなさん、勉強はつらくて苦しいかもしれません。でも、がんばってくいのない努力をすれば、先にはものすごくうれしいことが待っています。だから必ず勉強を、HOPESを続けていってください。
最後になりましたが、HOPESのスタッフのみなさま、そして先生方、4年間お世話になりました。本当にありがとうございました。
私は、みなさんに「こういう勉強法がいい」と勧められるような勉強法をしてかなかったので、ここでは受験シーズンの心の持ち方について述べたいと思います。
私はまず1月24日に帝塚山中学の入試を受けました。その時の事ですが、分からない問題は後回しにして、どんどん問題を解いていきました。下手に考え込むと、気を取り直して次の問題を解いていても、何かしら解けなかった問題が気にかかり、時間のロスにつながるばかりか、他の問題にも影響を及ぼすからです。
帝塚山中学のテストは上出来で、結果も予想通り合格でした。本命の四天王寺学園中学の入試は29,30日。本命の入試を控えているから、気をひきしめなければ…と思いつつも、1つ合格すると気がゆるんでしまいます。そういう時はどうするか。第一志望に選んだ理由から考え直して、「絶対にこの学校に行くんや」という気持ちを湧きたたせれば、自然に気もひきしまります。
そして迎える本番。「これだけがんばったんやから、絶対受かる」と自分に言いきかせても、やはり不安です。そういう時は周りを見渡してみましょう。テストとテストの間の時間におにごっこをしている人がいるはずです。そういう人達を見れば、「あ、あんな人にやったらウチ、勝てるわ」という自信がきっとつくはずです。
発表日が遅いので、一応受けることになった清風南海中学。もしも本命の発表が遅くて、もう一校受けなければならない状態になったときは、「何で受けなあかんねん」と思っても、テストは素直に、冷静に受けましょう。あくまでも、入試を受けさせてもらっているという心は忘れないようにしましょう。やる気のなさが、思わぬミスを起こしかねないからです。
以上で私の受験体験記は終わりです。私の書いたことが少しでも、みなさんの役に立てばいいな、と思っています。
ではみなさん、受験が終わるその日まで、精一杯がんばって下さい。
それと最後になりましたが、先生方やスタッフのみなさまには本当にお世話になりました。これからもがんばっていきたいと思います。
私がHOPESに入ったのは、5年生の初めでした。その時は、まだ成績はまあまあで、そんなに悪いことはありませんでした。だけど、6年生になってから、だんだんとペースについていけなくなり、ついにはやる気をなくしてしまいました。みんなレベルが高いので大変でした。
そんな私でも、国語と社会だけは得意でした。しかし記号問題はあまり得意でなく、いつもほとんど間違っていました。帝塚山中学校の試験でも記号問題が多くて混乱したけれど、合格できたのでよかったです。
算数は好きな問題もあったけれど、嫌いな問題の方が多くて苦労しました。理科も算数と同じで苦手でした。私は、算数のある日はいつも緊張しすぎて、お腹が痛くなったり、いやになったりし、授業の前は重い気分でした。また、終わる時間がおそいのもいやでした。しかし、授業がおもしろいときもあったので、その面ではよかったです。 私の家は、塾から一番(?)近かったので、5年生ぐらいまでは、家に帰ってから小テストのやり直しをしていました。けれど、6年生になってからは、帰りが遅くなったので、めったに復習をしませんでした。だから、やり直しや復習を「ちゃんとやっときゃよかったわー」と今になって後悔しています。
入学試験の時は、試験の休み時間に早速となりの席の人と友達になったり、いろいろ話しをしたり、一緒に次の時間の勉強をしたりなど、結構楽しくできました。その時はあまり緊張しなかったけれど、試験が終わって少ししてから、すごく緊張しはじめました。お母さんには「今ごろ言ってももうおそいわ」とか「合格発表楽しみにしーやー」と言われました。確かに・・・とは思いながらも、合格発表の前にはもう忘れていました。
中には途中でやめた人もいたけど、私は2年間ついていけたのでよかったです。HOPESの先生方、本当にありがとうございました。
私は4年生の初めにHOPESに入りました。最初は何もかもついていけず、授業を見ているだけでした。でも、家に帰ってから、授業で理解できなかった箇所の算数の復習プリントは全てしていました。算数の宿題は頑張ってこなしていったので力がついたのですが、社会・理科はろくに勉強しなっかったので、弱点になっていきました。
5年生になると宿題の量は増える一方で、ますます社会・理科が不得意になりました。その頃、附属天王寺中学校の内部進学を受けようと決めていたので、苦しさから逃げるためにHOPESをやめようと何度も思いました。けれども、母から兄達のHOPESでの経験を聞かされ、私も逃げずについていこうと思いました。
6年生になり、内部進学を目指す友人たちは勉強の方法を変えました。
雨がうっとうしい六月。私の入試が始まりました。出題範囲はありましたが、私はHOPESでの勉強に重点を置いていました。その結果は惨憺たるものでした。
夏期講習を迎え、私学も視野に入れて頑張ろうと思いました。(頑張れたかな??)
第2回の9月テストでは、一週間だけ出題範囲の勉強をしました。結果はまあまあでした。
本番となる第3回の十一月中学テスト。不安を抱えながらも臨みました。ところが、なんとスラスラ解け、結果は合格でした。
私に力をつけてくれたHOPESで頑張って良かったです。(皆さんもHOPESで頑張って下さい)
時事問題のプリントを作って下さり(的中!!)、中学テスト当日も応援に来て下さいました。
最後になりましたが、先生方そしてスタッフの方々、本当にありがとうございました。
私は、3年生の時からHOPESに通い始めました。入りたての時は受験のことについてあまり考えていませんでした。とにかくただ「頑張ろう」とだけ思っていました。
3・4年生のころまでは学校の友達とも遊んでいました。しかし5年生になると宿題もだんだん多くなってきたので、「このまま遊んでいたらヤバイな」と思い、もっと勉強を頑張ろうと考えました。そのころから志望校についても思いをめぐらすようになりました。でも、私は理科と社会を「キライだ」といってさぼっていました(今考えるとこれがいけなかったのかも知れません)。
そんなのん気な私でも、さすがに6年生になると理科と社会にも真剣に取り組むようになりました。でもやっぱり5年生の時のさぼりのせいか、いくらやっても成績があがらず、「あの時やっておけばよかった」と何度も思いました。それでもあきらめずに、自分にあった勉強法を何度も考えているうちに、やっと自分にあった勉強法が見つかりました。ここで少し私の理科と社会の勉強法を述べてみます。
理科‥‥私は電気・天体・生物が最も苦手でした。まず「電気・天体」は『特進クラスの理科』を使えばいいと思います。説明を読む→例題を解く(わからなければもう一度説明を読む)→力だめし問題を解く、というのを繰り返すのです。次に「生物」は『理科学習事典』を使えばいいと思います。この本は写真がたくさんのっていて説明もくわしいのでけっこう役に立ちます。
社会‥‥「歴史」は一つのことだけを覚えるのではなく、流れで覚えた方が忘れにくくていいと思います。「グラフ(資料)」は『日本国勢図会』か、この本が少し難しければ『日本のすがた』という本を使うといいです。
さて、とうとう試験日が来ました。
1月24日、この日は第二志望の帝塚山中学校の試験日。駅に般若先生が来て下さって、友達もいたので緊張しませんでした。試験会場でもいつも通りに落ち着いていて、試験の時もふだん通りに解くことができて、これはいけるだろうと思いました。結果は合格でした。
1月29・30日は第一志望の神戸女学院中学部の試験日。やっぱり本命だけあって少し緊張したけれど、できるかぎり落ち着いて、わかる問題から解いていこうと思いました。ラッキーなことに問題に塾の授業でやった問題が国語に一問、算数に二問も出ていました。
この試験では自分の精一杯の力を出し切ったので、後は発表を待つだけだと思いました。けれども結果は不合格でした。「何で?」と思い、ものすごく落ち込みました。でも、帝塚山中学校に合格できたんだし、この中学校で精一杯楽しもう!!と思うと元気が出てきました。
こうして私が合格できたのは先生方のおかげです。約4年間という長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
僕は、5年生の夏からHOPESに入りました。HOPESに入る前は別の塾に行っていましたが、もっと勉強がしたいと思い、入りました。最初のうちはどの教科でも先生の言っている意味が全く分からなかったので、先生の話をよく聞こうとしました。算数は、4年生の授業も受けました。5年生の最後にある実力判定テストの算数で良い点数をとったので受験を安易に考えてしまいました。夏休みが終わるまで、ただプリントの宿題をしているだけで、本の宿題は二週間くらいおくれて出すことも度々ありました。9月になって志望校の過去問をやりました。でも、合格点にとどかず、算数では般若先生に質問し、解き直しをしていきました。
冬休みに入ると、先生が自分の弱点を見つけなさいと言ったので、その通りにしましたが、見つかりませんでした。でも、お正月特訓の体積・表面積で、求め方は分かっているのに計算を何度もまちがい、なぜできないのだろうとくやしくなり、計算をしっかりするようにしました。
1月24日、帝塚山中学校受験日。この日はあまり緊張しませんでした。次の日の西大和学園中学校では、前日よりもHOPESの友達が多くきていましたが、少し緊張しました。結果は、西大和中学校が不合格で、帝塚山中学校は合格でした。そして、1月29日第一志望の星光学院中の試験がありました。教室は自分だけ二階で、他の人は三階でしたが、緊張せずに受けることができました。次の日、開明中学校の試験でした。算数は簡単で友達と答え合わせをしてしまいましたが、両者の答えにすれちがいはなく安心しました。この試験の後に星光学院中学校の合格発表がありましたが不合格でした。あと9点あれば合格でした。本当にくやしかったです。次の日の明星中学校の二次試験を受けました。5回試験を受けて一番難しく感じました。その日は開明中学校の合格発表で合格と母が知らせてくれました。次の日、明星中学校の合格発表を見に行きました。すると母が「あったで、合格や」と言いました。僕は、あまり目が良くないので自分の番号を見つけるのに一苦労しましたが、見つかったときには、心の底からうれしく思いました。
最後になりましたが、先生方、1年間半本当にありがとうございました。
僕はHOPESに入る前から星光学院中学校に行きたいと思っていた。3年生の時に、HOPESに入塾したが、初めは算数の授業が難しく全く分からなかった。今、そのころのプリントを見ると間違いだらけだ。
入塾してすぐの授業で、テーマが割り算の時があった。学校でかけ算を習ったばかりの僕にはその割り算が理解できず、泣きながら割り算をやっていた。算数のテストも非常に悪かった。分からないので算数がきらいになっていった。だから4年生になっても算数はできないままだった。5年生になると、算数ができないと言って逃げていてはだめだと思い、テキストの間違ったところのやり直しや、授業の復習をしっかりやった。また、計算ミスをなくすために父に計算問題を作ってもらったりした。そう心がけたせいか、算数も全く分からないということはなくなっていった。そうしているうちに、6年生になった。
6年生が始まったころは、5年生の時のように算数は復習と宿題、週の宿題などをこなすだけだった。分からないところは父に聞き、父も分からない時は「もういいや…」と分かろうとしなかった。しかし、夏休みに入って、このままではいけないと思い、毎日HOPESの自習室を利用して宿題を能率的にやり、分からないところを質問するようにした。秋は学校行事も多く夏休みよりも大変だった。今までに間違った問題を父が集めてファイルにしてくれたものや、星光と西大和学園中学校と帝塚山中学校の過去問をやった。そして冬になり、受験ということが実感され、さらにがんばった。
1月24日、帝塚山中を最初に受けた。初めての入試なのでとても緊張したが、試験会場で般若先生にお会いしたり、友達もいたため、緊張もほぐれた。帝塚山が受験した三校の中で一番よくできたと感じた。次は1月25日、西大和を受けた。前日に帝塚山を受けていたので、緊張はしなかった。帝塚山も西大和も合同出願をしていたため、HOPESのみんなと同じ試験場で受けることができた。合同出願はしてよかったと思った。そして、西大和を受けた翌日。二校の合格発表だが、その日は土曜日でHOPESの授業があった。西大和の発表しか見に行けなかったけど、一時間待って、体育館で合格という紙をもらった時はとてもうれしかった。授業を受けていると帝塚山も合格と分かった。星光を受けるまで3日あったので、少し気がゆるんだが、前日は気をひきしめた。
1月29日、大阪星光学院中学校を受けた。家から星光までは歩いて10分ぐらいなので歩いて行った。受験直前は歩いた方がよいと本に書いてあったからだ。歩いている時、この日のために今までがんばってきたのだと、自分に何度も言い聞かせた。会場には、やはり般若先生がいた。その姿を見て、なぜか安心した。試験は社会で二つほど難しい問題が出ただけで、国語・理科・算数は例年より簡単だった。試験が終わるとそのままHOPESに行き、先生と答え合わせをしたが、結構あっていたので、いけるかもしれないと思った。そして1月30日、いよいよ星光の発表だ。たくさんの受験番号が書いてある紙が、布をつけたまま張り出された時はやはり胸が高鳴ってきた。布がとられ、341はあるかなと思って見ると、ちゃんとあった。その時の喜びは、とても大きいものだった。僕は星光に入りたいという一つの目標を達成したのだ。僕は本当に今までがんばってきてよかったと思った。
苦しいこともあるが、目標がかなえられた時の喜びはそれ以上のものだ。そして僕ががんばることができたのは周りの人の支えや、HOPESの先生のおかげだ。本当に4年間ありがとうございました。
ぼくは、5年生のときに友達の紹介でHOPESに入りました。早く5年生の授業についていけるよう、4年生の算数の授業も受けることにしました。はじめのころは、水曜日に二回も授業があるのでつらかったですが、しばらくするとなれてきました。初めて受けた授業が面積の授業だったおかげか、面積がわりと得意になり、授業も楽しくうけることができました。みなさんも何かきっかけを見つけて得意なものをつくっていけばいいと思います。
ぼくは、復習テストなどで少し良い結果が出ると、気がゆるんでしまい、宿題もいい加減になって、結局は元の成績にもどってしまうことが何回もありました。みなさんは良い結果が出ても気をゆるめることなく、がんばってください。また、少しばかり悪い結果が出た人でも努力をおしまないでがんばれば、おのずと良い結果が出てくるはずです。
さて、1月24日、東大寺学園中学校の試験日。前日に般若先生に電話をいただいた上、当日は直接応援していただき、安心して受験することができました。しかし、結果は算数が足を引っぱってしまい、不合格でした。
翌日の1月25日、西大和学園中学校の試験日には、般若先生が応援にかけつけてくださいました。今回は、HOPESから受験した人がたくさんいたので緊張せずに受けることができ、結果は合格でした。
翌週の1月29日には、高槻中学校を受験しました。その日は、HOPESからの受験生はぼく一人だけでした。しかし、大して緊張せず、結果は無事合格でした。
最後になりましたが、般若先生をはじめとするHOPESの先生方どうもありがとうございました。
ぼくが、HOPESに通いはじめたのは4年生の3月からでした。ぼくがなぜ、HOPESに入ったかというと、ぼくの兄もHOPESに通っていて、見事志望校に合格しました。その時の兄の喜びをどうしてもぼくも味わいたかったからです。
最初の般若先生の授業内容は「平均」でした。例題しか分からず、スピードにも全然ついていけませんでした。
4,5年生の時は宿題にもついていき、時々順位表にも名前がのり、それがはげみになって勉強にも力が入りました。
6年生になると授業時間の多さに体調もくずしやすくなりました。宿題も夜おそくまでかかったり、朝早くに起きてやったりすることがありました。それでも、夏休みと冬休みの教室開放日は一日も欠かさず通いました。入試に近づくと、HOPES通信に入試まで残りあと何日というのが出て、だんだん数が減っていくのが、とても不安でした。
そしてとうとう入試前日になりました。その日は、家で最終の過去問をやっていました。冬休みに、入試激励会で入試なんて終わってみればたいしたことないと教えてもらったものの、不安と緊張でいっぱいでした。夜に般若先生から電話がかかってきて、少し緊張がほぐれました。そして翌日の用意をして9時半ごろに寝ました。
試験当日は、緊張はあまりなく、試験のことで頭がいっぱいでした。一日目の奈良学園中学の時、体調は万全でした。激励会で聞いた通り、いろんな塾が旗をふりながら応援していました。正直、びっくりしましたが、少しおもしろかったです。でも、先輩たちの話も聞かずに、一人で受けに来ていたならば、きっと雰囲気に飲みこまれていたと思います。
ついに試験が始まりました。一時限目の国語は上手くいきました。そして、チョコを一切れ食べて算数にいどみました。算数の試験が終わった時は上手くいったと思ったのに、なんと一番最後の最も配点が大きい問題で、円周率を「3」とすると書いてあるのに「3.14」で解いていました。それに気付いたとき、頭の中が真っ白になりました。窓から飛び降りたいくらいで、お弁当もろくに、のどを通りませんでした。その後の試験は何も考えずにやったつもりですが、少しは失敗のことを考えていたようです。試験が終わり帰りの車に乗った時には、思わず泣き出してしまいました。
絶対にもう失敗はしないぞと、心を引き締め西大和学園中学にいどみました。その時は、奈良学園の時とちがってHOPESのみんなと一緒だったのであまり緊張せずに試験を受けられました。試験会場から出てきて、母がなにやら書きこんでいるので何かと思ったら、なんと絶対に受からないと思っていた奈良学園に合格していたのです。心の底からうれしかったです。
そして、翌日発表があった西大和学園にも合格していました。気をゆるめないで星光学院中学を受けましたが、落ちてしまいました。しかし、これは神様がぼくに与えてくれた道やと思い、悔いは残らなかったです。
最後にHOPESの先生方、スタッフのみなさん3年間本当にありがとうございました。入試はゴールじゃなく、新たなスタートなので、これからもしっかりやっていきたいと思います。今まで本当に本当にありがとうございました。
ぼくは、3年生の夏休みにHOPESに入りました。最初は授業に全然ついていけませんでした。宿題は、答えを写したり、やってこなかったりしました。
3年生と4年生の間は理科が得意で、覚えているかぎりではいい点をとっていました。国語はいい時と悪い時があり、算数はあまりよくありませんでした。
5年生になったら、絵画とスイミングに通うのをやめて勉強にうちこむ予定でしたが、逆にだらけてしまいました。夏休みの講習では、お盆特訓のときラグビーの合宿に行ってずっと休んでいたせいで宿題がたまりました。5年生の終わりには社会が得意になり、成績優秀者の表に名前がのるようになりました。一方、得意だった理科がだんだんできなくなりました。また、国語は苦手になりました。そのため、社会と算数と理科の宿題はしていたけれど、国語はたまにしかしなくなりました。遊びに行っていて宿題をせず、かなりおこられたことも何度もありました。
6年生になって宿題も増え、自分の力では遊んでいる余裕はないとわかり、家でする勉強を増やしました。ぼくは夜型なので、学校から帰ってきてすぐよりもごはんを食べてからの方がよく勉強できました。学校で宿題をすることもありましたが、ほとんどできませんでした。
第二回合格判定テストの結果、算数と社会で成績優秀者の表にのることができました。これでかなり自信がついたと思います。
入試が始まりました。帝塚山中学のテストのときは時間ばかり気にして、問題に集中できませんでした。結果は不合格でした。
本命の明星中学の入試の日には、時間を気にせずとにかく全力を出しきることを考えました。絶対に合格するという気持ちでいました。結果は合格でした。ものすごくうれしかったです。
最後になりましたがHOPESの先生方、ぼくをここまで育てていただきありがとうございました。お体に気をつけてこれからもがんばってください。
入試も終わり小学校も卒業した今、この受験体験記を書くにあたり、HOPESで過ごした4年間のことを思い出してみました。
私が初めてHOPESの門をたたいたのは2年生の冬。新3年生の授業が始まったばかりのところでした。同じ学校の子もいたし、明るい友達も沢山できたので、今まで塾というものを経験したことのなかった私でもすぐに馴染むことができました。3年生の時は総合コースしかとっていなかったし、授業は週に2日だけだったし、宿題も少なかったけど「宿題をすぐにやれば遊べる」と考えて自分なりのフルスピードで宿題をしたので、毎日下校時刻まで友達と遊んだり、家では本を読んだりすることができました。
4年生になって天王寺教室から奈良教室へ移りました。先生をいれて三人だけの再スタート。こじんまりした教室が、私の塾の理想像とぴったり重なった気がしました。だんだんと新しい友達も増え、その度に新鮮な気持ちになれました。また、自分の希望が通り難関校特訓コースも受講することになりました。でもこの頃はまだ「中学受験」というものを真剣に考えてなかったし一般に難関校と言われている中学校の問題が解けたときにも「やったー」と思うだけで「合格するぞー」なんて考えたことがありませんでした。また、4科目とも順調にこなせていたので3年生の時のような毎日を送る事ができました。
5年生になるとそろそろ「中学受験」というものを意識しはじめました。授業の日数も時間も増え、自分でも少し変化はありました。学校の友だちと四天王寺中学校の文化祭に行ったり、塾の友達と神戸女学院中等部のバザーに行ったりしました。でもそれは学校見学というほどのものではなく、ただ「どれくらいの大きさかな?」「みんなどんな人が行ってるんやろ?」などの素朴な疑問を解決するためのものだったと思います。だから5年生がもうすぐ終わるころ、般若先生に志望校を聞かれて五個ぐらい答えたことは今でも印象に残っています。
6年生になると恐れていた火・木曜日の4時間授業、土曜日の7時間授業、日曜日の8時間半授業が始まりました。でもいつの間にか私にも体力がついてきたし、「みんなも頑張ってんねんから」という気持ちもあったので、ハードなはずの授業もそんなに苦には感じなくなっていました。しかし6年になったばかりの所で自分の苦手科目が理科だと気付きました。自分の苦手科目があるのを知っていながら膨大な量の宿題に追われているので苦手がさらに苦手なっていく毎日。ようやく理科の勉強が十分できるようになったのは夏休みでした。先輩方にいただいたアドバイスと先生にいただいた言葉を胸に刻んで夏休みに「苦手な理科を克服する」という目標をたて、目標達成の為に本当に頑張りました。自習室では「これでもか」っていうくらい目標をたてたし、授業中もできる限りの力を出して問題を解きました。そのおかげで理科の成績は上がり、四科目ともようやく安定したのは秋ごろでした。それからは過去問ばかりしていました。あっという間に月日が過ぎ、入試激励会でいただいたアドバイスを胸に入試に臨みました。
一番はじめの奈良学園中学校は連番で前に友達がいたし、気持ちを落ち着けて問題を解くことができました。アドバイス通りに大手の塾のかけ声は無視すればよかったのですが、逆に楽しみました。
次はいよいよ第一志望の神戸女学院中学部でした。算数の時間がなくてかなりあせりましたが、国・理・社と体育実技はけっこうできたと思いました。でも発表が郵送なので、「次の清風南海中学校もあるんだ」と気を引き締めていきました。
清風南海中学校では奈良学・神女共にイマイチだった算数を特に頑張りました。問題数が多かったのに、あせらず、「もしかしたら満点かも!」というくらいまでできました。
受験した三校を全て合格できたのは、先生方、私をいつも支えてくれたお父さんお母さん、妹、それに共に頑張った友達のお陰だと思います。ありがとうございました。
HOPESを卒業するのはいやだけど中学でもさらに頑張りたいと思います。後輩の皆さん、自分の定めた目標を「絶対達成するんだ」という強い意志で頑張って下さい。今まで本当にありがとうございました。
ぼくがHOPESに入ったのは3年生の4月でした。最初は他の子に話しかけることがまったくできなかったけれど、1か月ほど通っているうちに、だいぶ友達ができました。4、5年生のころは楽しかったです。
6年生の10月ごろになって、やっと志望校に合格しようという気持ちになってきました。
1月24日に帝塚山中学を受験しました。HOPESの友達といっしょに受けたため緊張はしなかったけれど、結果は残念なことに不合格でした。次の日、HOPESでいっぱい勉強しました。
1月29日、第一志望の学校を受けに行くのをやめて、第二志望の明星中学を受けました。でもまた不合格でした。次の日は開明中学を受けたけれど、これも落ちてしまいました。
2月1日の開明中学の二次試験には絶対にがんばろうと思い、必死で勉強しました。やっと合格したときは、本当にうれしかったです。次の日の上宮中学も受かりました。
中学入試のある間、ぼくたちのために試験会場に応援に来て下さった般若先生にはとても感謝しています。また、ほかの先生方、スタッフの皆さん、4年間本当にありがとうございました。
僕がHOPESに入塾したのは3年生の初めからでした。最初に見学をしたときの授業は「方陣算」で、何が何だかわかりませんでした。そのうちわかるだろうと思い、気にしないでおくことにしました。
3年生の時は、割り算の意味が不明で頭の中がパニック状態になりました。何回も何回も同じ問題を解き、割り算はできるようになりました。だけど、授業はわけが分からなくて、黒板に書いてあるのを写してそのまま帰るという日ばかりで、復習はしない、本の宿題はやらないという最悪なパターンがずっと続きました。何回も何回も般若先生に怒られて夏休みになってからようやくたまっていた宿題をやりました。
4年生になり、宿題の量も増え、苦手な社会も授業にでてきました。社会の地理はあまりきらいではありませんでしたが、5年の後半からの歴史の授業は大変でした。人物の名前とか年号を覚えるだけで頭の中が爆発。とにかくプリントを読んで、書いてというペースをくり返して頭にたたきこみました。
そうこうしているうちに、あっという間に6年になりました。6年になると授業時間が増えましたが、数ヶ月で慣れたので大したことはなかったです。夏休み前には応援大会が行われ、夏休みの勉強の仕方についてずいぶん参考になりました。夏休みは授業時間が8時間になり、大丈夫なのかと心配でしたが、やっぱり何回もやれば慣れました。夏休みの時の自習室はかなり役立ちました。とてもはかどり、十時間はHOPESの自習室にいたと思います。二学期は授業時間も延長になりましたが、あまりふだんとは変わりませんでした。
いつの間にか1月になり、入試の日が近づいてきました。試験前日の先生方の電話はものすごくはげみになりました。1月24日は僕にとって初めての入学試験である帝塚山中学校の試験日でした。会場ではなんか、大声出している人達がいましたが、馬鹿らしくて心の中で笑っていました。試験はかなりできたと思っていました。結果は合格でした。
25日は本命の西大和学園中学校の入試でした。緊張はしましたが前日ほどではありませんでした。問題は難しく感じ、不合格かもしれないな、と思っていました。結果は不合格でした。けど、ここで気持ちをきりかえて「次の明星中学校に合格できればそれでいい」と心の中で決め、29日の試験をむかえました。問題は、わりと簡単ですいすい解けました。社会は難しい問題もありましたが、結果は合格でした。ものすごくうれしかったです。
最後になりましたが、今までお世話になった般若先生や他の先生方、スタッフの方、本当に4年間ありがとうございました。4月から明星中学校1年生として、クラブも勉強もがんばっています。
僕がHOPESに入ったのは3年生の初めのころでした。勉強内容はそれほどむずかしくはなく、1週間の宿題と毎日の宿題プリントだけをこなし、後はのんびりと遊んでばかりいる毎日でした。当時は別にそんな日々を送っていても、テストの点数は決して悪い方ではありませんでした。だから多少苦手で分からないところがあっても、「苦手」だけで終わらせて復習プリントにはいっさい手をつけないという状態でした。しかも、そんな状態を3年生だけにとどめず、4年生の半ばごろまでも続けました。そのため4年生後半は最悪の成績でした。
やっと復習プリントをやり始めたのは5年生になってからでした。やり始めると少しずつ結果に表れてきました。けれども復習プリントをする勉強になれていなかったため、なかなか宿題の方は予定通りにこなせませんでした。だから6年生最初の宿題をもらう時も、まだ5年生の宿題を引きずり、6年生の前半は宿題に追われて大変でした。
一方、6年生に入ると実戦や模擬テスト、合格判定テストなどとテストの回数が多くなり、その結果によって今まで習ってきた勉強がどれだけ身についているか、弱点はどこなのかが自分でも分かってきました。そのため夏休みは弱点の補強や宿題のやり方などといろいろな計画を立てましたが、結局は計画倒れとなってしまいました。夏休みすぎあたりからはやる気も真剣さもあまり出ず、少しなまけてしまったため、信用してくれてた先生を裏切ってしまうことになりました。が、僕には先生の信用をなくすのはいやだ、このままがんばらずに入試をむかえれば、3年生の時からずっと行きたかった星光学院中学へも行けなくなってしまう、という二つの強い気持ちがありました。そのため、冬休みはがんばろうという意志を持つことができ、実際に最後の最後まであきらめずにがんばることができました。
僕は受験というものを体験して、最後まであきらめない努力の大切さや、結果よりもそれまでのがんばりが大事だということを知りました。今まで教えて下さった先生方はもちろん、両親や協力して下さった方々にも感謝したいです。