僕は、ある塾に通っていたのですが、その塾に事情があって、5年の夏にHOPESに入りました。
今、ふり返ると、自分ではこつこつがんばってたかなと思います。6年の冬休みごろになると、入学試験が迫ってきたので、少しびびってきました。志望校の星光学院中に合格し、進学するためにがんばってきたのに、直前になって、復習しなければならないところがボロボロと出てきたし、受験票を受け取ると564番で、コロシというえんぎの悪い言葉に当てはまっていたからでした。でも、そんなん関係ないと思い、入試直前まで精一杯がんばってきました。
ついに1月10日の東大寺学園中の入学試験の日がきました。志望校よりかなり難しく、受かったらいいなという感じで受験してみましたが、やはり合格できませんでした。でもあまりくじけなかったのです。なぜかというと、本命は星光学院中だから・・・。星光さえ受かればと思い、11日の西大和学園中の入学試験を受けました。みんなと一緒に受けたせいか、緊張が減り、合格できました。
そして星光学院中の入学試験の日がきました。少し緊張しましたが、何とか乗りこえられ、合格できました。でも何だか信じられず、563番と564番を見間違えてないかと思い何度も確認しました。確かに合格していて、とてもうれしかったです。HOPESの先生方、本当にありがとうございました。先生に一生懸命教えていただいたおかげで、合格できました。中学に入ってもがんばります。また、後輩のみなさん達も、がんばって精進してください。
ぼくがHOPESに入ったのは3年生の時でした。そのころは宿題も少なく、授業にもついていけました。4年生になると、算数の授業の量が多くなり、宿題や復習を適当にやるようになったので、授業では度々おこられていました。でも社会は好きだったので、習った事は必ず覚えるようにしていました。5年生になると、さらに授業のスピードが速くなり、授業の量も増え、算数は宿題をするだけで精一杯でした。今になって、もっと復習をしっかりしておけばよかったと思います。
6年生になってすぐに明星中学校を見学に行き、ぼくはこの学校に行きたいと思いました。毎日何時間も勉強するのはたいへんでしたが、六月くらいから少しずつ慣れていきました。九月からは毎月合格判定テストが行われた上、火・木曜日の授業は十時までとなったため、宿題の国語や社会の問題集などをするのが少しおいつかなくなっていきました。でも明星中学校の算数では図形と速さがよく出題されるので、その点はしっかりとやりました。
1月10日、帝塚山中学校の試験日。HOPESの友達がいたので、あまり緊張はしませんでしたが、不合格でした。でも、般若先生がはげましの電話をくださったので、本命の明星中学校の試験に向けてがんばろう、と思いました。
1月14日、明星中学校の試験日。今回は先生が応援に駆けつけて下さったので、安心して受験できました。
1月15日、開明中学校の試験の後、明星中学校の合格発表を見に行きました。掲示板を見ると、ぼくの受験番号がありました。その時はうれしくてうれしくてたまりませんでした。これからもこの喜びを忘れないで、がんばっていきたいと思います。
僕はHOPESで学ぶことができて、本当によかったと思います。最後になりましたが、般若先生をはじめ諸先生方、どうもありがとうございました。
私は、3年の時からHOPESに通ってました。3,4年のころは、何とかみんなにもついていけました。しかし、4年の12月のころになって、厳しい授業がつらくなり、一度HOPESをやめて違う塾に移りました。その塾は、厳しくなかったのですが、それが逆効果となり、私は宿題をあまりやらなくなってしまいました。だから、自分でも志望校に受かるかどうか不安になっていき、やっぱり私にはHOPESが合っていたんだと思い、5月にHOPESにもどることにしました。始めのころは、九ヶ月のギャップがあったので、ついていけるかどうか不安だったのですが、みんなに追いつくためにがんばろうと思いました。
私は、社会の地理が特に苦手で、覚えても覚えても忘れてしまうという状態でした。そこで、HOPESのプリントなどを自分なりにまとめて覚えるようにしました。その結果、何とか苦手だった地理を克服することができました。
6年の夏休みには授業時間が一気に増えてつらかったですが、授業のない日は1日平均10時間以上は勉強していました。宿題をする時間以外は苦手な社会や理科の勉強にあてました。そのおかげで 夏休みが終わるころには少し自信がついたのですが、9月に入ってからは、夏休みのがんばりが続かなくなりました。はっきりいって、9月10月はだらだらして真剣さに欠けていました。11月になって、やっと気持ちを切りかえることができ、第一志望の関西大学第一中学校に合格することだけを考え、本当にがんばって勉強しました。
そして、1月11日、帝塚山中学校の試験日をむかえました。当日は、思っていたほど緊張もせず、リラックスして受けることができました。翌日の合格発表で、自分の受験番号を見つけた時は、本当にうれしかったです。
1月十16日、いよいよ第一志望の関西大学第一中学の試験日となりました。その日は少し緊張しましたが、あせらずにいつも通りに問題を解くことができました。17日の合格発表の日、自分の受験番号を見つけたときは、思わず涙が出てきました。
HOPESの先生方、そしてスタッフの皆さん本当にありがとうございました。また、後輩の皆さん、志望校めざしてがんばってください。
ぼくは、HOPESに3年生で入りました。そのころは、宿題もちゃんとやっていました。ところが、4年生になって生徒の数がだんだん増えていくにつれ、しだいに宿題をやっていかなくなりました。たぶん人数が多くなったので、宿題を一つくらいやってなくても、気がつかないだろうと考えたからだと思います。5年生になると、般若先生が厳しくなっていき、少しずつ生徒がやめていきました。ぼくは、おこられていたけれど、がんばって残りました。
6年生になると、般若先生だけでなく、他の先生もみんな、今までとはちがう先生のようにきびしくなりました。ある先生は、5年生の時は宿題を忘れても、笑って「次、持ってきいや」とか言って許してくれたけど、6年生になってからは、かなりおこられました。
ぼくは、やる気をなくしていたことが何度かありました。そのたびに、授業の後で般若先生に話をしていただきました。ぼくは、勉強のやり方に関して自覚するのがかなりおそかったと思います。結局、たまった宿題は最後までできませんでした。
後輩のみなさんへ。ぼくは宿題をためて失敗したけど、みなさんは宿題をためずにがんばってください。そしてHOPESの先生たちの本当の良さは最後に分かるので、最後まで残って下さい。
ぼくが4年間がんばってこれたのもHOPESの先生方のおかげです。ぼくを見捨てないで、おこったり、はげましたりしていただき本当にありがとうございました。HOPESの卒業生として、恥ずかしくないように中学でがんばります。
ぼくは、4年生の6月に、いとこの紹介でHOPESに入塾しました。初めての授業は面積の第二回でした。学校で習っていないところだったため、ほとんど意味がわかりませんでした。そこで、夏休み中にみんなに追いつこうと思い、般若先生に4年生の最初からの算数のプリントを全部もらって、家で母といっしょに解きました。少し難しい問題もありましたが、なんとか夏休み中に終わりました。そのおかげで、夏休みが終わるころには、しだいに勉強がはかどるようになりました。秋からは少しずつ成績も上がり、「やればできるんだな」と自信がつきました。
5年生になってからは、難関コースも受講するようになったうえ、宿題も4年生のときより増えたので、少し忙しくなりました。けれども、それまで続けていたバスケットも剣道も続けることはできました。
6年生の授業の開始が近づくにつれて、少しずつ宿題の量も増えてきたため、バスケットはやめ、剣道だけを続けることにしました。
6年生の授業がはじまりました。はじめは時間も長くなって大変だろうと思っていましたが、授業を受けてみると思ったほど長くはありませんでした。とりあえず一週間の予定を毎週火曜日に立て、その計画通りに勉強することにしました。1日の勉強量を増やしたり減らしたりすることはありましたが、ほとんど予定通りにできました。
夏休みになりました。塾で行われた応援大会で先輩方から話を聞き、夏休みの勉強が大切だと思いました。毎日のスケジュール表に、起床と就寝のだいたいの時刻を書き、約二時間勉強するごとに30分の休けいをとるというペースでやりました。夏休みが終わると、少しずつ試験の本番が近づいているという実感がありました。
二学期になり延長授業が始まったので、剣道も休んで、勉強に集中しようと決めました。復習や宿題はできるだけ早くやろうと思っていたので、塾から帰ると遅くなっていましたが、復習と宿題だけはすましてから寝るようにしました。朝、学校に行く前には計算問題や漢字の練習をしました。
冬休みの少し前ぐらいから、定期的な質問の日がなくなり、質問は授業終了後に残ってすることになりました。ぼくの質問の中には、もう一度自分で考えてみるとわかるような問題も混ざっていました。だから、わからなかった問題でも、もう一回考え直してみる必要があると思います。
冬休みは、夏休みと同じように、スケジュールを立てて勉強しました。得意な科目は朝か夜に、苦手な科目は昼にという形で、宿題をこなしました。家に帰るのが、延長授業のときよりも早いので、家に帰って復習や宿題をできるだけするようにしました。しかし、お正月特訓のころは、算数の小テストの点が悪く、再提出しなければならないことも結構ありました。そんなときは家でやり直し、「もうまちがえないぞ」と気持ちを引きしめました。
冬休み最後の激励会の時、先生にお守りや手紙、筆箱、HOPESのネームが入った鉛筆をもらいました。これを持って試験に臨もうと思いました。
そして、1月10日、帝塚山中学の試験の日がきました。先生との待ち合わせ場所がわからなかったので最初は少し緊張しましたが、友だちと休けい時間にしゃべったりすることで、リラックスできました。
1月11日の西大和学園中学の試験では、受験票を忘れてしまいました。前日に持ち物の点検をしたのですが、行く前にもう一度チェックした際に置き忘れてしまったようです。一人だけおくれて教室に入ったので、とても緊張しました。ですから、最終チェックは、自分一人だけでするより二人でした方がいいと思います。
結果は、両方とも合格でした。「よし、この調子で星光学院中学にも合格しよう」と思って勉強しました。入学試験までの二日間に、先生に、テスト前にしておくべきことを教えてもらいました。このとき、もう一度お正月特訓の復習や小テストのやり直しをしました。試験前日はあまり緊張することなく、すぐねむれました。
本命の星光学院中学の入学試験の日がきました。一時限目の国語は簡単でした。二時限目の算数は難しかったので、とれる問題は確実にとろうと思いながら解きました。算数のあとの休けい時間に友達と答え合わせをしたところ、答えがちがっていたので少し不安になりました。先生に激励会のとき注意されたこと(友達と答えの確認をしない)を守っておいた方がよかったと後悔しました。三時限目の社会、四時限目の理科は、算数の失敗をここで取り返そうと思い、何度も見直しをしました。見直しを何度もすると、意外なミスが見つかりました。自分では緊張していないと思っていたのですが、当日はおなかが痛くなったり、弁当を全部食べられなかったりしたので、後から考えるとやはり緊張していたようです。
明星中学の試験のときは、得意な問題がたくさん出題されました。けれども、解き終わってから見直しをするとミスがありました。自信があっても、見直しは必要だと感じました。
明星中学の試験の帰り、星光学院中学の結果発表を見に行きました。あわてていたので、番号が縦に並んでいると思ってしまい、ぼくの受験番号が見つからなかったのですが、よく見ると実は数字が横に並んでいただけでした。ぼくの番号はありました。合格したと思うと、うれし涙が出てきました。奈良で二日連続、大阪で三日連続と入学試験が続きたいへんでしたが、全て合格できて、とてもうれしかったです。
志望校に合格できたのも、先生方、スタッフの皆さん、家族や友だちのおかげです。3年間ありがとうございました。
僕がHOPESに入塾したのは5年生になったばかりの頃でした。塾は初めてだったので、宿題を効率よくすることがなかなかできずに苦労しましたが、慣れるとこなせるようになりました。
もともと国語と算数は得意だったのですが、楽しい授業のおかげで、理科も得意になりました。また、なかなか覚えられなかった社会の地理と年表も、実戦演習を受けていく内に徐々にですが覚えていけるようになりました。それでも、努力が足りなかったのか、最後まで社会が足を引っ張っていました。
ところで、春休みや夏休みなどに発行されるHOPES通信の推理算スペシャルは、楽しい上に入試にも役立ちますし、うまくいけば景品がもらえるので、必ず解いておいた方がいいでしょう。
6年生の夏休みが終わり、僕は少し油断をしてしまいました。その結果、成績は下がりました。油断大敵という言葉がぴたりと当てはまりました。
やがて一月になりました。激励会で先輩方や先生方にアドバイスをいただき、最後の気合いを入れました。受験日当日は、いつも通り緊張せずに試験に臨むことができました。それは、前日にあった般若先生の励ましの電話や当日の応援のおかげだと思います。こうして西大和学園中学、星光学院中学の両方とも合格することができました。
最後に、僕を引っ張ってきて下さった先生方や雨の日には自転車を中に入れて下さった事務の方々、どうもありがとうございました。
ぼくは、4年生のときにHOPESに入りました。その頃はまだ、志望校について考えていませんでした。
4年生のときは、2年生からしていたサッカーと塾を両立することができました。しかし、5年生になると授業時間も増え、試合のために塾を休んだり、試合を休んで塾へ行ったりと、時間をやりくりするのが大変でした。
6年生になると、志望校を考えるようになりました。でも、相変わらず塾とサッカーとで時間は目いっぱいで、家で勉強するにも体が疲れているのでとても大変でした。
そして夏休み。夏期講習では、自分のわからない所は先生に聞いてできるだけわかるようにしようと思いました。
夏休みが終わってからは、今までサッカーで授業を休んだりしていましたが、入試まではサッカーを休もうと決心しました。サッカーを休むと少し体力的に楽になりました。何度か合格判定テストがありましたが、なかなか第一志望校でA判定をとることができませんでした。算数でもう少し点数がとれたらもっといい判定がでるのではと思い、少しずつ努力し始めました。でも先生に、社会も理科も不十分だと言われ、ぼくにはまだまだたくさんやることがあると思い、すごくしんどい気持ちになりました。その頃から、第一志望の明星中学校の過去問をやってみて、わからない所は授業の後で先生に質問しました。
十二月に入り、入試まであと一ヶ月。最後の合格判定テストがありましたが、そのテストでも、第一志望の学校でA判定をとることができませんでした。
やがて冬期講習が始まりました。元旦の正月特訓は行かないつもりでした。でも、その日の算数では図形をすることになっており、図形は明星中学校の算数ではよく出題されているため重要なので、行くことにしました。その日の問題はとてもよくでき、般若先生にほめてもらい、新年の始まりとしては、とてもよいスタートになりました。
一月十日、帝塚山中学校の試験日。駅に般若先生が来てくれていて、友達もいて、あまり緊張しませんでしたが、受験生の多さにおどろきました。試験のときも、近くに友達がいたので、落ちついて試験を受けたつもりでした。しかし、算数の問題が難しく、数も多かったので時間が足らず、失敗したなと思いました。
そこで、次の明星中学校の試験の時は、時間内にできるようにしようと心に決めました。
一月十四日、明星中学校の試験日。この日は、とても寒い朝でした。先生が来られ、すごく元気な感じで「がんばれ」と言って手をふって見送ってくれました。明星中学校の試験は時間内にできました。算数は図形が多く、ぼくにとってはとてもやりやすかったです。理科はほとんど記号問題で、解き終わって後で見直しをしました。社会と国語もできたような感じがしました。全体的に、精一杯できたと思いました。
合格発表の日、自分の受験番号を見つけた時は、とてもうれしかったです。
4年生からの3年間、きびしくてつらかったけど楽しいこともたくさんありました。本当に塾の友達は、楽しくいい友達ばかりでした。つらくて本当にやめたいと思ったこともありましたが、最後までがんばってよかったです。明星中学校に合格できて、サッカーもやめずに続けていてよかったと思いました。
こうしてぼくが合格できたのは、先生方のおかげです。本当にありがとうございました。
中学校に行ったら、クラブに勉強にとがんばりたいと思います。
ぼくは4年生の4月に入塾しました。入塾テストで点数はたりませんでしたが、もう一度テストを受けさせてもらい、なんとか入ることができました。
しかし、初めのころから点数はよく、6年生の夏前まではほとんど、上から十位以内の成績でした。
でもそれは、母が横について一つ一つ教えてくれたからでした。夏から母が仕事にいき出すと、ぼくはずっとサボってしまい、夏の終わりには、ぼくの成績はものすごく落ちてしまい、以後ずっとそのままでした。その理由は、授業中寝てしまったからです。何度も注意されましたが、同じ事のくり返しでした。だからぼくの成績は落ちる一方でした。
そのまま入試日をむかえました。案の定、第一・第二希望の学校は落ちてしまいました。しかし、なんとか第三希望の学校の帝塚山泉ヶ丘中学に入ることができました。
これから受験する人は、ぼくと同じような失敗をしないでください。
ぼくは4年の春からHOPESに入りました。初めは分からないことだらけでしたが、友達や般若先生が親切ていねいに教えてくださり、大変助かりました。その一方、宿題プリントをこなすのがやっとで、授業のやり直しは全くしていませんでした。4年生の間はそれでもなんとかやっていけましたが、5年生の途中から成績が下がり、「このままじゃいけない!」と思い、やり直しをしました。するとしばらくしてから成績が元にもどりました。やり直しの効果はすごいものです。
6年生の時は宿題が机からはみ出るくらいあり、とてもつらかったです。けれど、「もう少しなんだからがんばろう」と思い、歯をくいしばりました。
入学試験の日が来ました。たくさんの受験生がいてとても緊張しましたが、般若先生が「緊張することはない。がんばっておいで」と言ってくれて、心が落ち着きました。教室で「それでは始め」と言われると、いっせいに鉛筆の音がしました。でもあせらず、落ち着いていこうと思って臨みました。結果は合格でした。この3年間の成果が表れ、うれしかったです。
次は、第一志望の学校の試験でした。気を引き締めて臨みましたが、結果はダメでした。今まででこんなに悔しかったのは初めてでした。でも、ぼくはもう一校受けました。これは合格でした。第一志望の学校が不合格だったのは残念でしたが、二校合格することができました。
長い間、お世話して下さった、般若先生を初めとする諸先生方、そしてスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
今、HOPESに入ってからの勉強のことを思い出すと、やはり6年生の夏休みが一番つらかったと思います。毎日、朝から晩まで勉強勉強でした。とはいっても、10時ごろには寝ていました。僕は1日10時間ぐらい寝ないと体がもたず、次の日は頭がぼけ、問題を解いてもまちがいばかりになってしまうからです。
しかし、HOPESに通い始めた4年生のときからずっとつらかったわけではありません。5年生までは、休憩の時間も十分とれたし、勉強も楽でした。けれども僕は月ごとの復習テストで一回よい成績をとると油断して手を抜き、次では必ず悪くなることのくり返しで、安定した成績がとれませんでした。今でも、あのとき気をぬかなければと思うことがあります。また、4年生の時、勉強が楽だったとはいえ、学校から帰るとすぐに家を出なければHOPESの授業に間に合わないという状態でした。それでも何とかやっていけたのは、復習のおかげだと思います。算数の復習は二回ずつやったし、国語も5年生からは二回やるようにしました。また、理科は夏休みに特に力を入れ、社会は5年生の時に白地図をつかって地理の確認をしました。
勉強で一番大切なことは、字をていねいに書くこと、特に算数では式をきちんと書くことだと思います。いくら正しい答えのつもりで書いても、字が乱暴だと読んでもらえなかったり、まちがいと判断されたりすることがあります。僕がそうでした。あと算数では、わからない問題は放っておかず、先生に質問して解決すべきです。
入試直前の激励会では、はげましの言葉といっしょに、筆箱と塾名入りのえんぴつとお守りをもらいました。入試当日にはこれがとても心の支えになりました。
1月10日の奈良学園中学の入試は、僕にとっては初めての入試だったのでとても緊張しました。後から考えると、本命の中学の入試の前にいくつかの学校を受験しておいてよかったと思います。緊張することに慣れてきて、問題が解きやすくなるように思います。ところで、試験中に天井から水が落ちてきたのには困りました。また、入試会場でほかの塾の人が何か大声でさけんでいるのを見たときはおどろきましたが、何度も見ているうちに慣れてしまいました。
最後になりましたが、すぐに気がゆるんでしまう僕をはげましてくださった先生方、約3年もお世話になり、ありがとうございました。
2001年1月10日、ついに来た。東大寺学園中学の入学試験だ。前日に持ち物点検をしたが、不安だったので出発前にもう一度カバンからすべて出して調べてみた。それが失敗の元だった。電車の中でカバンを開けた瞬間、目の前が真っ暗になった。筆箱、弁当、上ぐつ、時計がない。調べた後、入れ直すのを忘れていたのだ。すぐに祖父に電話をし、持ってきてもらうことにした。けれど試験の開始時刻に間に合うかどうか心配で、かなり緊張してしまった。念のために西大寺の駅で弁当を買い、鉛筆は友達に借りた。学校で祖父を見つけたときは、ほっとした。ここでもう一度祖父に礼を言いたい。そして、応援に来て下さった先生の姿を見たとき、平常心にもどれた。
1月11日。西大和学園中学の入試だ。前日のようなミスはしないぞと思っていたけど、また事件発生。今度は神棚においてあった受験票をとろうとしたときに、ヒラヒラー…ポチャン。なんと母が弁当作りをしている天ぷら油の中に受験票を落としてしまい、揚げてしまった。母はあわてて受験票を手で取りだし「どうしようどうしよう」と言いながらティッシュで拭き取って新聞にはさんでいた。水色の受験票がグレーに変わった。けれども母は「目立っていいやん」と言った。試験のできは良く、かなり手応えがあった。
1月14日、いよいよ第一志望の大阪星光学院中学の入試だ。何の事故もなく試験をむかえることができたが、今度はテストのできが最悪だった。苦手な国語が意外に簡単でラッキーだと思ったのに、得意な算数でかなりのミスをしてしまった。解けたと思っていた問題でのミスや計算ミスがあり、くやしかった。それから発表の日までぼくは地獄にいるようで、ずっと泣いていた。
入試の結果は、10日の東大寺学園中学は不合格、11日の西大和学園中学は合格。そして星光学院中学の合格発表の日、ぼくは明星中学の2次試験を受けていた。テストが終わって出てくると、発表を見てから来てくれた母が「章ちゃん、おめでとう、合格合格」と言ってくれたが、うそだと思った。けれどもすぐにおじが電話で「早く見においで」と言ってくれたので、うれしくなった。おじの待つ学校へタクシーで行った。792番、その数字がかがやいていた。うれしかった。今までで一番うれしかった。
4年生からHOPESに通い始めたけれど、ダラダラと2年がたち、6年になってようやくきっちりと復習をするようになった。算数は得意だった。理科・社会は成績がのびだしてからおもしろくなってきた。苦手な国語はいつまでもダメだった。父は私立高校の国語教師なのに。でも、両親は勉強にはいっさい口出ししなかったから気が楽だった。やってもやらなくても親にはわからなかった。それでもテレビを見たり妹と遊んだり、ボーとしていたりすると、母はうるさかった。だが、自分のために勉強し合格するんだと思いがんばった。
先生方へ。何よりも先生方のおかげで合格することができました。これからもHOPESで教わったことを基本にしてがんばっていきます。最後に先生からいただいた筆箱とHOPESの名前入りの鉛筆と消しゴム、そしてお守りを入試の日から使っています。合格できたのはあの鉛筆で書いたからかもしれません。本当にありがとうございました。
ぼくは4年生の時、HOPESに入塾しました。初めのうちは、算数や他の授業もわかりやすくて楽しく受けることができました。けれど、このころから国語は苦手でした。先生から「いろんな本を読みなさい」と言われていましたが、あまり読まなかったからできなかったと思います。
6年になると、学校の勉強や行事が多くなり、さらに塾での勉強の量も多くなり、すごく大変でした。
夏休みも、ほぼ毎日長時間の勉強だったので家に帰ってからの復習や宿題が、どうしてもできませんでした。それをきっちりやっていたら、もっと力がついていたと思います。夏休みが終わってから入試までは、あっというまでした。
1月10日は最初の入試の日でした。あまり緊張しませんでしたが、二時間目の算数で受験番号を書き忘れてしまい呼び出されました。結果はだめでした。
ぼくは清風中学の理数科に入学することになりました。この中学には、ぼくの入りたいクラブがあり、学校の友達とも一緒に行けることになったので、とてもうれしいです。
ここまでがんばれたのは先生方のおかげです。3年間お世話になり、ありがとうございました。
私がHOPESに入塾したのは、4年の最初の頃でした。
4年生のときは目標がなかったので復習や宿題にいいかげんな面もあったし、苦手な科目にはあまり手をつけないということもありました。
しかし、5年生の中ごろ、四天王寺中学校に行きたいと思うようになり、復習や苦手な科目にもできるだけ向きあうようにしました。それは、5年生になると4年生のときのようにいいかげんな態度では臨めず、本気で取り組んでいかなければならないからです。復習をきちんとするようになってからは、その大事さがよく分かりました。また、「いつかはできる」と思っていてもいつまでたってもできないことも。
6年生になると、毎日が大変でした。はじめはまだしも、後半からはたくさんの宿題や志望校の過去問題に追われる日々で、思い通りにならないことがよくありました。でも、決して無理なものではなくまじめにこなしていけばなんとかなるものでした。また、志望校の過去問題をすることは大切だと思いました。なぜなら問題を解くことによって学校の試験の特徴が分かり対策を練ることができ、自信がつくからです。
最後まで私は「不合格になるかもしれない」という不安と緊張がなくなりませんでしたが、今まであきらめずにがんばってきてよかったと思います。また、そんな私達のためにやさしくしてくれたり叱ってくれたりした先生方には心から感謝しています。本当にありがとうございました。
私がホープスに入ったのは4年生の夏でした。最初は、学校の勉強よりはるかに難しく、宿題も多いうえ、途中入塾ということもあって、ついていくことができませんでした。その結果、成績も悪く、どうしようもありませんでした。5年生になってもいっこうに状況は変わらず、みんなの成績があがっているのに自分だけとり残されているように感じました。特に算数・理科がそうでした。それはどうしてもわからない問題がかなりあったからです。
6年生になると質問の時間ができたのですが、ほとんど志望校の過去の問題を質問するだけで、授業や実戦でわからなかった問題はあまり聞きませんでした。今思うと、それらをもっと聞いておけば、テストなどで困ることがなくて済んだかもしれません。入試直前に入試激励会がありました。先生や先輩方に合格の秘訣を教えてもらいました。とても参考になりました。
入試の日。先生がカイロを持って待っていてくれます。会場でいろいろな塾の旗や多くの人達に圧倒されそうになりますが、先生の励ましで気が落ち着きました。また、テストが終わってから「この問題どうやった?」とか言っている人がいますが、気にしないで臨んで下さい。それと、学校によっては出題や面接での質問に特色があるので、過去の問題は時間があれば一冊だけでなく、何年分もさかのぼってすればいいと思います。また、もし志望校が会場になる模擬試験があれば、受けるといいのではないかと思います。あと、受験票・文房具・時計は忘れずに。鉛筆・消しゴムは余分にもっていけばいいと思います。
ホープスに行っている時は宿題が多かったり、問題が難しかったりして何度もやめたいと思ったこともありました。今から考えてみると、楽な方に逃げなくてよかったと思います。
受験で一番大事なことは、やっぱり気持ちだと思う。同じ勉強をしていても、「よし、今度こそ解ける様にするゾ」と思って解くのと、「アーこれは苦手な問題だ。どうせ解けない」と思って解くのとでは、大きな違いがある。
いつも先生がおっしゃっていた様に「今やっている問題を次に解くのは、本番だ」という勢いが、大事だったと思う。僕は、問題が解けなくてイライラして、他の人にあたったこともあった。自分でも、悪いことをしていると分かっているのに、どうすることもできなかった。今思えば、甘えていたんだと思う。
今年の6年生のみなさんへ
君たちの中にはそんな人はいないと思うけど、ぼくは今まで「やらされている」という気持ちが心のどこかにあって、「アーまたか」という気持ちで毎日を送っていた(反省、反省)。それに「HOPESに通っているんだから、何とかなる」と思っていた。本当は自分がやらなければならなかったのに・・・。でも、中学受験のチャンスは、今しかないし、がんばるしかない。それに、これから1日1日を大切にしないと受験は何がおこるかわからない。
僕の場合は、おじいちゃんが、亡くなるというとても悲しいことがあって、冬休みに3回も北海道を行ったり来たりした。なんとか、奈良県の中学校を受験することはできたけど、結果はだめだった。
その後、開明中学に合格した。そしたら、不思議と落ち込んでいた気持ちがふっとんだ。
その後約1ヶ月も後の奈良教育大学附属中学を受けた。この1ヶ月は勉強が大変というより、「まだ受験は終わってないゾ」という風に気持ちを持ち続ける方が大変だった。
2月19日の受験の日、一番うれしかったのは、もう塾を卒業していたから先生が来て下さると思ってもいなかったのに、朝早くから先生が来てくださったことだ。本当に心の底からうれしかった。
3年間HOPESに通ってよかったです。最後になりましたが、先生方、本当に3年間ありがとうございました。