ようやく街の色がピンクに染まり始めました。今年は桜の開花が早かったようですが、いつまでその美しい姿を留めてくれるのでしょうか。せめて入学式までは咲いていてもらいたいと願います。
さて、春期集中講座は早くも半ばを過ぎようとしております。毎年感じることですが、(だから毎年書いております)長期の休みの間には、勉強に取り組む意識の差が大きく現れます。時間に余裕があるからとダラダラと過ごしている人と、オンとオフを上手に使い分けメリハリのきいた毎日を過ごしている人とでは、目の輝きから違ってきます。と言っても、おそらく本人は気がついていないでしょうが、宿題や復習一つをとってみても、同じようにやっているように見えても、その内容たるや、雲泥の差なのです。宿題をやらされていると考えている間は、力はつきません。宿題は授業内容の確認の為にあるのです。理解を確実にする為に復習するのです。
時間を有効に利用できていない人たちに共通していることは、計画の甘さ、いやもっとはっきり言いましょう、計画性のなさです。行き当たりばったりのことをしているから、やり残しができるのです。その人たちは、せっかくMYDOノートを持っているのにろくに利用していません。ほとんど何も書いていません。非常に残念です。やり方一つ、意識の持ちよう次第で、学習効果は大きく変わってきます。幸い、春休みはまだ半分残っています。今一度、生活習慣を含め、勉強に取り組む姿勢など、自分を見直してもらいたいと思います。
桜が散ってしまいました。開花が早かっただけに散るのも早いのではと心配されていた割にはなんとか持ちこたえていましたが、ここ数日の嵐のような荒天には敵わなかったようです。それでも、入学式までは咲いていてくれたのではないでしょうか。(入学式と言えばやっぱり桜ですよね。東大の総長さん、秋入学なんてよくないですよ)満開の桜の下、入学式を迎えることができた新入生諸君。おめでとうございます。今の気持ちを忘れずにこれからもがんばって下さい。君たちは無限の可能性を持っています。全てはこれからの精進次第です。次の目標に向かってがんばれなどと、型どおりのことは申しません。今後はしっかりと自分を見つめ、自らの可能性を広げていって欲しいと願います。
さて、春期集中講座が終了しました。たった2週間の講習会でしたが、充実した毎日が送られたでしょうか。みな自分なりには努力したのでしょうが、私からすると、きちんと計画をたてて実行できた人と、言われたことをただこなしていただけの人とでは、大きな差がついたように思えます。とても残念に思います。済んでしまったことはどうしようもありませんが、上手くいかなかった人はその原因を今一度考え直す必要があるでしょう。
さあ、学校の新学年がスタートです。気持ちも新たに、張り切っていきましょう。
驚くことに、はや四月も半ばを過ぎようとしています。最近肌寒い日が続いていたからでしょうか、春はどこに行ってしまったの?と戸惑いすら覚えます。
さて、学校では新学年が始まりましたね。新しい生活リズムは整いましたか。学年が一つ上がると、いろいろな行事が多くなり、それなりに役割も増えて時間がとられることも多くなるでしょう。時間を上手くやりくりするためにも、今まで以上にしっかりした計画をたてる必要があります。そして、計画は強い意志で必ず実行していきましょう。
ところで、一つお詫びしなければならないことがあります。HPに「カッパの日記」として日々の雑感を掲載しておりましたが、この度公開を中止することにいたしました。拙い文章で好き放題書いてきたにもかかわらず、毎日100人近くの方が読んで下さりました。本当にありがとうございます。何人かの保護者の方からは、終了を惜しむ声をかけていただきましたが、申し訳ありません。6年にわたって毎日書き続けてまいりましたから、正直私も残念ですが、どうぞお許し下さい。いつの日か再開することがありましたら、そのときは笑って読んでいただけたら幸いです。
私は宗教家ではありませんし、難しいことは分かりませんが、最近よく考えることがあります。「世の中の全てのことには、原因があるから結果がある。偶然に思えることも実は全て必然ではないだろうか」と。ところが、多くの人たちは(もちろん私も含め)、それらを運や不運、仕方がないことだと片付けてしまっているのではないでしょうか。こんなことを言えば、またこのホラ吹きめがと笑われるでしょうが、私は一時期、世の中の全ての出来事を計算で予測できないものだろうかと(割と真剣に)考えていたことがあります。偶然で片付けられていることでも、その確率を計算によって求めることができれば避けられるはず。そうすればこの世からあらゆる事故はなくなるでしょう。地震などの自然災害でさえ、もっと精度の高い予測が可能になれば、未然に防げるのではないだろうかと。
残念ながら、私の場合、思いついただけで何も実行しませんでしたから、ただの大風呂敷で終わったのですが、きっと誰かが実際に研究してくれるはずです。もしかすると、既に研究は進められているのかも知れません。事故や災害を全て防げる時代が来るのもそう遠くない未来のような気がいたします。
いきなり、話を大きくしてしまいました。もっと身近な例(私たちの行動)に話を戻しましょう。
○○すれば△△になる。結果がたやすく予想できることって多いですよね。例えば、真冬に裸で走り回れば風邪を引くとか、腐ったものを食べればお腹を壊すとか。いや、そこまで極端でなくても、人が嫌がることをすれば相手に嫌われるとかでも良いでしょう。誰だって悪い結果を招くことが明らかな場合、そのような行動は慎みます。当然ですよね。しかし、行動の結果がすぐに現れないような場合は、まあ(少しくらいなら)大丈夫だろうとか、そんな悪い結果が起こるはずはないとか、自分に都合の良い理由をつけて、平気で行ってしまうことが多いのではないでしょうか。経験不足による甘い予測が悲劇を招く。まさか、こんなことになるなんて!というようなことは、程度の差はあれ、誰しも身に覚えがあるはずです。賢い人は、一度失敗すれば反省し、同じ過ちは繰り返しません。ところが、愚か者は何度でも失敗します。反省が足りないのか、そもそも原因すら分かっていないのか。私などは愚か者の典型です。人の忠告を無視するという点も当てはまります。
そんな私が言うべきことではないのですが、今の生徒諸君を見ていると、情けなくなることがとても多いのです。「どうして気がつかないの」「一度注意されたら改めようよ」「このままじゃ(絶対に)良くならないよ」などと思うことしきりです。こればかりは、本人が気がつかなければ、いくら周りが必死になっても仕方ないことです。一刻も早く目覚めて欲しいと願うばかりです。
春爛漫と言える日がなかなか来ないまま、暦だけは進み、あれよあれよという間に、もう5月です。世間では大型連休(=ゴールデンウイーク)ですね。しかし、今年はどうなのでしょう。君たちの中にも感じている人がいるでしょうが、それほど大型の連休ではないような気がします。土曜・日曜が休みになって久しいですが、昔(私の子ども時代)は休みと言えば日曜日だけ。振替休日もありませんでしたから、たまにしかない連休はそれはそれは貴重な休日だったのです。けれど、現在はやたらと多く(今年は9回もあるのですよ。知っていましたか)、ありがたみが薄れてしまったように思います。まあ、私はこの仕事をしている以上連休には無縁ですが、低学年の諸君はきっと楽しい計画もあるでしょう。家族との貴重な時間を過ごし、素敵な思い出をいっぱい作ってもらいたいと思います。ただ、遊び疲れて生活のリズムまで乱してしまうことのないように気をつけて下さいね。
6年生諸君は、この機会にもう一度軌道修正をしてもらいたいと思います。どうせなら「勉強三昧」の連休はいかがでしょう。なかなか得がたい経験ですよ。
みなさん、今年の大型連休はいかがお過ごしでしたか。少し肌寒かったものの好天に恵まれ、戸外は清々しく、爽やかな休日を楽しまれた方も多かったのではないでしょうか。
私は久しぶりに母校の文化祭に行ってまいりました。新校舎の素晴らしさには感激してしまいました。新校舎建設にあたっては、旧校舎(中学棟)を取り壊すか残すかで、大分意見が分かれたそうです。卒業生としては残して欲しいという気持ちが強かったのですが、いかんせん老朽化が酷く、在校生達はさぞかし不自由していたことでしょう。学校に着くと、先ず、校長先生にお目にかかりました。校長先生は「まあ、ご覧下さい。所々に残っていますよ」と仰いました。初めは何のことか分かりませんでしたが、一歩校舎に足を踏み入れると、すぐに理解できました。残っていたのです。ちゃんと。廊下や階段に使われていた石材はそのまま新校舎に使われており、教室の床に使用されていた木材までもが廊下等に再利用されていました。昔を偲ぶには十分、いや十分すぎました。その心憎いまでの配慮には、思わず感嘆の声を上げてしまった程です。機能的にも大きく改善されており、中学棟と高校棟は渡り廊下で繋がっており、その真ん中に職員室や特別教室が配されていました。緑もふんだんに取り入れられており、本当にここは(あの汚かった)母校か?と、違和感すら覚えてしまいました。さすがに、もう一度中学生に戻りたいとは思いませんでしたが、すっかり綺麗になった母校を目の当たりにして、私もリフレッシュできました。
さて、これからしばらくは連休も何もありません。また慌ただしい日々が戻って来ますが、生徒諸君は、心を落ち着け、しっかり目標を見据え、精進を重ねて参りましょう。
「努力できることが才能である」これは、松井秀喜氏の座右の銘だそうです。
先日行われた、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞授与式と松井秀喜氏の引退セレモニーを見ました。その番組の中で、硲伊之助(はざまいのすけ)さんの「努力できることが才能である」という言葉が紹介されていました。この言葉は、松井氏の父が気に入り、ふたりの息子に贈ったそうで、松井氏は、父がその言葉を筆で書いた紙を長く部屋に貼って、それを見つめながらひたすら素振りの練習を繰り返したといいます。
私はとても感動しました。松井秀喜。彼ほどの才能を持った人間ですら、努力を怠らないのです。いや、それどころではありません。きっと人の何倍も何倍も努力してきたはずです。何とも素晴らしい話ではありませんか。「努力に勝る天才なし」これは私の好きな言葉ですが、本当に努力が一番だと思います。全ての努力が必ず報われるとは限りませんが、努力をしないと結果は伴いません。誰もが天才にはなれるわけでありません。しかし、誰でも一生懸命努力することはできます。いや、天才でないからこそ、努力するしかないのです。さあ、みんなも「努力の天才」を目指しましょう。
ようやく5月らしい気候になりました。「風薫る候」どれほどこの時を待ちわびたことか。
なのに、肌寒い日が続いたり、急に暑くなったり(一日の温度差が20度近い日もあり、体調管理にも気を遣いました)と、なかなか爽やかな初夏の風には巡り会えませんでした。
些細なことのようですが、爽やかな朝を迎えられれば、その日は一日幸せな気分なのです。
けれど、沖縄では早くも梅雨入りだとか。せめて、今の幸せが少しでも長く続くことを願いたいと思います。(大げさですかね)
さて、本当は申し上げたいことが山ほどあるのですが、今日はこの辺で。この素敵な天気に免じて、どうかお許し下さい。
折角、先週号で「風薫る良い季節となりました」と書いた途端に、初夏を迎えたかのような暑い日が続いています。まあ、もう6月ですから、ある程度の陽気も仕方ないのでしょうが、やっぱり少し変です。本来ならば、梅雨があり、それが明けると、さあ夏だ!となるはずなのに、どこで順番が狂ってしまったのでしょうか。
さて、先日、4年生の授業を公開いたしました。今回は算数特訓、テーマは「植木算」でした。ギャラリーは総勢7名。中には、元教え子の顔もありました。生徒たちはやや緊張気味。けれど、良い雰囲気でした。いつもなら早々にギブアップするような問題にも真剣な面持ちで取り組んでおり、説明もしっかりと聞いています。思わず「普段からこれくらいちゃんとせんか〜い!」と、(心の中で)叫んでしまいました。まあ、おかげで気持ちよく授業を進めることができました。
ところで、一体何のために授業参観を行うのでしょうか。先ずは、生徒たちががんばっている姿を見てもらうことです。参加下さった方にはおわかりいただけたと思いますが、どの子も一生懸命です。ご安心下さい。参観だから特別ではありません。いつもよくがんばっています。では、どうして授業内容が十分に理解が出来ないことが起こるのでしょう。原因は授業の受け方です。私はノートの取り方から細かく指導しておりますが、中にはどうして板書を写さなければいけないのかを理解できていない者がいます。答えさえ残せば良いと勘違いしている者もいます。違うのです。全ては復習のためにあるのです。自分の間違えた原因が把握できているかは、解き直したときにはっきりします。その際、授業中の説明をどれだけ思い出せるか。ただ何となく聞いて頷いているだけでは、何も残りません。だからこそ、ノートを取るのです。今回、実際に体験下さり、授業の大切さがお分かりいただけたかと思います。学力が定着しないもう一つの原因は、家庭学習にあります。どれほど丁寧に復習しているかなのですが、これも全て授業の受け方次第なのです。
授業終了後、元教え子の保護者が言ってくれました。「昔のまんまですね」と。そして息子さんには「お父さんの時は今の100倍は厳しかったんだぞ」と。100倍は言い過ぎとしても、たしかに昔は今よりは厳しかったと思います。今後も、現在の少人数のメリットを生かしながら、昔ながらの妥協しない授業を続けていきたいと考えております。
早くも梅雨入り。しばらくは鬱陶しい日が続くかと思うと気分も晴れませんが、まあ、こればかりは仕方のないこと。体調管理に注意して、元気に乗り切りましょう。
さて、先ずはこの文を読んで下さい。
今回は、交通事故に関するお話です。昨年のちょうど今頃、HOPES通信969号で書いたものです。
ニュースでは連日のように、痛ましい事故が報道されています。「ああ、またか」と思われる方も多いでしょうが、他人事だと言っても良いのでしょうか。最近、通学中の児童の列に車が突っ込んで来るという事故が続きました。はっきり言って、防ぎようのない事故です。被害に遭われた人達は、不幸としか言いようがありません。被害者側に落ち度はないのです。運悪く、たまたま事故に遭ってしまった。と言ってしまえばそれまでですが、失われた命は二度と蘇ることはありません。このような事故の報に触れるたびに、やり場のない怒りを覚えます。この世から、交通事故がなくなる日は来ないのでしょうか。
さて、生徒諸君。君たちは、事故に遭わない自信がありますか?
「そんなん、わからへんわ」と言うでしょうね。
では、質問を変えましょう。「事故に遭わないように注意した行動をとっていますか」いかがです。
「はい。いつもちゃんと注意しています」と言い切れる人は、少ないのではないでしょうか。いや、もしかしたら一人もいないのではありませんか。
それほど、君たちは注意力散漫です。見ていて、いつもハラハラします。
例えば、横断歩道を渡る時、左右の確認はしていますか。していませんね。横も後ろも見るどころか前もろくに見ずに、友達と話をしながらただ歩いていますね。中には、携帯電話を使用しながら歩いている人もいます。はっきり言って、話にならない低レベルです。何を根拠に安心していられるのですか。いくら注意しても防げないような事故が起きている昨今。なのに、君たちときたら全くの無防備。これでは、いつ事故に遭って不思議ではありません。
いつも緊張していろと言いたいのではありません。ただ、一歩外に出たら、どんな危険が待ち受けているかわからないという意識だけはいつも持っていてもらいたいのです。
『注意一秒、けが一生』。古い標語ですが、忘れないで下さい。